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第1話 童貞は二度死ぬ

 やあ、三〇〇年ほど前の話をしようか。

 かつておれは、ここではない世界で生きていたんだ。ああ、もちろん海を渡った大陸のことじゃあないよ。辺境にある未踏地域の話でもない。

 ここではない、どこか。

 なにぶん記憶はもうおぼろげだけど、忘れてしまってもいい世界だったから仕方がない。


 “だってさ、愛のない世界なんて、おれにとっちゃなんの意味もないでしょうよ?”


 それなりに楽しかった。

 毎日毎日足を棒にして、米つきバッタみたいに頭を下げて、宴会になっちゃ腹出して踊って、会社に戻って成果を報告して、終電間際で帰路につく。


 疲労はひどいもんだったが、嫌いじゃなかったね。そういう暮らしも。

 金はそれなりに貯まったし、何より抜きんでた営業成績には優越感ってもんがあった。


 どうにも邪魔っけな花束を肩に置いて、おれは酒臭い終電を降りて駅から出た。荷物はない。リーマン必須アイテムのビジネスバッグさえもだ。


 今日、会社を辞めた。


 別に首になったってわけじゃあないよ? 円満退社。上司にも部下にも惜しまれつつだ。

 自分で言うのもなんだが、おれぁそこそこ優れた営業マンだった。

 口八丁手八丁で石ころだって売ってみせる……ってのはまあ、ちょいと言い過ぎだが、ここ数年の営業成績は、全国の支社を持つうちの大企業(メガ・コーポ)の中でも、トップ3には常に入ってた。


 それでも辞める理由ってのは、俗に言うアーリー・リタイアってやつだ。

 四十で退社し、貯めた金で自由気ままな田舎暮らしをする。就職した当初から決めてたことだ。引っ越し先はもう決まっているし、引っ越し日時は明後日だ。


 時々東京(こっち)の元部下や友人なんかを呼んで、自然の中でバーベキューをするってのも悪くない。


 そして何より! 結婚ももう考えないといけない年齢だ! 愛だよ、愛!


 適齢期はちょいと……ほんと、ちょい~っとばかり過ぎちまってるが、そこはそれ。昨今じゃあ四十過ぎの結婚だって珍しくない。

 中学の頃、同級生女子にこっぴどいフラレ方をしてからは女が少し苦手で、恥ずかしながら大魔法使い(童貞)なんだけど、営業で磨いた得意の口八丁手八丁で頑張るさ。

 前向きでさえいれば、いつかは幸せもやってくると信じて。


 その日の夜は、月も星も分厚い雲の上に隠された、真っ暗な空だった。雨が降ってなかったことは救いだ。せっかくのいい気分が台無しになっちまう。


 おれぁ、会社を辞めてすっかり軽くなった足取りで、ふだんは素通りする公園に熱い缶コーヒーを持って入った。

 それは、ほんの気まぐれってやつだった。


 無人のブランコに座って缶コーヒーのプルタブを開けて、ふと気づいた。

 球体を鉄の棒で形作ったジャングルジムの中にガキがいる。こっちを見てる。


「ひぇ……ッ!?」


 思わず花束を落としたね。股間のパッキンも弛むってなもんだ。落としたのがコーヒーじゃなかったことが幸いだ。


 年齢はまだ小学生低学年ってところだろうか。

 幽霊かと思ったが、おれぁ生まれてこの方そういった類のもんを見たことがない。ましてや膝に仔猫をのせているときたら、冷静に考えて家出少年だ。


 さしずめ「猫拾ったぜイェーイ」「捨ててきなさ~い」ってなお決まりのコースか。思い出すねえ、お袋が生きてた頃をさ。


 花束を拾い上げ、コーヒーに口をつけてそいつを横目で盗み見る。そいつもまた、おれをじっと見ていた。


「……」

「……」


 なんだよ。なんでおれなんだよ。おれぁ今日から自由なんだぞ。明日からは新しい人生を謳歌するんだ。

 余所様のガキにヘタにかかわって警察沙汰になるなんざ冗談じゃない。昨今じゃ、男性はガキと目が合うだけで通報される世の中だ。


「……」

「……」


 助けてくれみたいな目で見てるんじゃあないよ……。おれにできることと言ったら、この距離を保ったまま国家権力様にお電話して差し上げることだけさあ……。


 今時ガラケーを取り出して、おれは通話ボタンを押した。スマホにしないのは、取引先のお偉方との共通の話題のためだ。ガラケー同士にゃ、妙な連帯感があるのさ。


 そいつを耳に当て、もう一度少年を横目で見る。

 恨むなよぅ。最悪、その猫だけは持ってってやるからな。ちょっとばかり面倒だが、田舎暮らしの相棒になってくれるなら猫を飼うのも悪かない。


 繰り返して言うが、その日は月も星もない夜だった。明かりといえば、公園の真っ白な外灯が数本あるだけさ。

 だから、空を覆う違和感に気づくのが遅れた。意識を家出少年と猫に持って行かれていたというのもある。


 耳に当てた携帯電話から、呼び出し音が鳴り始める。

 それは、通話が繋がった瞬間のことだった。

 春先の夜の寒風が、突然生暖かいものに変化したんだ。


 おれは何気なく夜空を見上げた。


「……あ?」


 見上げた北の空が、暗黒だった。

 月や星が分厚い雲の上にあるとはいえ、空がここまで黒で塗りつぶされたような色になることはそうそうない。

 受話器から声がしていたが、おれは言葉を忘れて暗黒の空を見上げていた。


 ぞわっ、と鳥肌が立ったのはそのときだ。


 風を切る音。何かが空から降ってきている。

 近づいて……来ていた。


 何が? そんなことを考えてる余裕なんかない。常識で考えりゃ、あり得ない確率での隕石か航空機以外にゃない。

 とにかくおれは花束と缶コーヒーを捨てて公園の出口へと走った。

 風切り音はさらに強くなり、空の闇はさらに圧をかけてきていた。


 空が……落ちてくる……。

 おい、おい、おい!


「なんの冗談よ!?」


 今や完全に目視できる位置に、そいつはあった。

 全貌は見えないが、とにかくでかい。落ちてきている。北の空から、ちょうどこの公園付近を目掛けて。

 球体ジャングルジムの前を走り抜けたとき、猫が鳴いた。にゃあ。


「~~~~ッ」


 だあ、もう!


 おれは革靴を砂の地面で滑らせて止まり、ジャングルジムの隙間から両腕を入れて家出少年と猫を問答無用で引きずり出す。


「来い!」

「ひ……っ」


 脅える少年をむりやり右腕で抱え、左手で猫のうなじをつかみ、走る、走る、走る!


 ゴッと地面が揺れて、何かの一部が公園の北端に落ちたのがわかった。土煙が立つと同時に大地が揺れた。地震みたいにだ。

 足腰弱った中年だ。走る足取りも狂おうってもんさ。


「うわったった!」


 見間違いじゃなけりゃ、公園の端に落ちたのは尻尾の先だ。恐竜の尾のような形状の。


 ひぃぃぃ……! なんだありゃああ……!? ゴ、ゴズィ~ラ……?


 それと同時に、大量の液体がそいつからおれたちへと降り注いできた。びしゃびしゃと、液体が地面やおれの背中へと降り注ぐ。


 くっせえ! 鉄臭え!


「ぬあああぁぁぁぁぁっ!」


 走るおれの視線の先。夜の闇の中に、いよいよさらなる暗黒が落ちた。


 公園の出口までは()()五メートル。空の高さは()()()五メートル。勘弁してくれ。

 間に合わねえ~……。


 な~んであのとき、公園なんぞに寄ってしまったかねえ。

 な~んであのとき、猫の鳴き声なんぞに立ち止まっちまったかねえ。

 な~んであのとき、家出少年なんぞかまっちまったかねえ。

 あ~あ……。


 気づけばおれは、少年の服を右手でひっつかんで出口へとぶん投げていた。もちろん、左手で仔猫もだ。

 やつらが暗黒の影の外に無事に投げ出されたことを確認した直後、斜め上方から空が落ち、視界が潰れて闇に閉ざされた。


 おれは空と地面の間に挟まれ、斜め上空から降ってきた何かの勢いのまま大根おろしよろしく、ごりごりと地面で全身を摺り下ろされていく。


 知ってるかい? 断末魔の悲鳴なんて上げられるのは、実は余裕のあるやつだけだ。


 骨の砕ける音に肉の破裂する音が重なり、轟音がさらにそれを塗りつぶす。身体が繰り人形のようにぐにゃぐにゃになるのがわかった。


 痛ッッッでええええぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!


 もちろん全身骨折ってレベルじゃあないよ。骨ごと挽肉(ミンチ)か、人間(もみじ)おろしだ。

 内臓はすべて破裂、脳みそだって磨り潰された。

 ところがよ、脳みそが潰されたってのに痛みだけはなぜか感じていた。こいつが幻視痛ってやつだったんだろうか。


 で、まあ、当然死んだ。第二の人生を謳歌しようとしたその初日に。

 とんだ無駄死にだ。ガキと猫を一匹ずつ助けたって、自分が死んでりゃ世話もない……と思ったんだが。


 激痛はしつこく、まだ続いていた。

 あまりの痛みに肉体を磨り潰されたことさえ忘れて目を開けたら、おれはなんだかよくわからん生物の胸に張り付いたまま、空を飛んでいたんだよ。


 なんだこりゃ……。


 2Dだ。おれはぺらっぺらの2D人間になってた。

 大昔、Tシャツに張り付いちまったカエルのアニメがあったが、まさにあれだ。こうして生きていられるのも、たぶんカエルと同じく根性だかど根性だかのおかげだろう。


 それに、悪いことばかりじゃあない。

 多くのオタクが望んで実現不可能だった夢を、おれは叶えたと思ったね。なんたってこのときのおれは、二次元人間だってバカ!


 内臓はどこにあんの!? 脳みそはどうなったの!?


 おれのいた世界では、頭のあやしい誰かが言った。

 記憶や知識の保存場所は実は脳みそではなく、空や宇宙なのだ、と。

 脳みそってのはつまるところ、送受信用のアンテナに過ぎないんだとさ。じゃなきゃ、人間の知識量を保管できる容量なんてできっこないってことらしい。

 空や宇宙にある説が正しいのか、アーカーシャに記されている説が正しいのか、それは知らんけどね。


 だから、このときのおれがこうして思考できていたのも不思議じゃないね。アンテナの形状がちょっと変わったって、受信くらいはできるでしょうよ。


 ようやっと痛みに慣れてきて、おれは周囲に目を向けることができた。

 青空だった。

 ついさっきまでは夜だったのに、白い雲の浮かぶ青空を飛んでいたんだ。


 やがて巨大生物の胸に無様に張り付いてたおれは、徐々に剥がれ始めた。紙ぺらみたいに、風に揺られてひ~らひらってな。


 ようやく全身が剥がれたときに見えた巨大生物の全貌こそが、羽の生えた大蜥蜴。つまり、この世界で言うところの古竜だった。


 そいつの腹には背中まで貫通する巨大な槍が突き刺さっていて、怪我をしていた。けれど大量の血液を雨のように降らせながらも、そいつは空の彼方へと力強く飛び去って行った。

 腹に貼り付いてるおれになんぞ、気づきもしねえでだ。

 生命体としてのスケールが違うね。


 しかし、わかったぞ。

 どうやらおれは古竜の不時着で磨り潰されたらしい。

 あんな生物が現実にいるとは思いもしなかったが、見ちまったもんは仕方がない。ネス湖のネッシーだの、カートに乗ったヨッシーだのも目撃証言があることだし、そういうものなのだろう。


 今思い直すと、このときはおれの頭もだいぶイッてたね!


 そんなことを考えながら風に流されて空からひらひらと舞い落ちるうち、おれの身体に不可思議な現象が起こり始めた。

 紙ぺらのごとく潰れていた身体が、しゅうしゅうと白煙だか蒸気だかを立てながら厚みを取り戻し始めていたんだ。そりゃもう不思議な感覚だった。

 まるで体内に温かいカイロでも突っ込まれたかのような熱が、妙に気持ちよかったのをおぼえている。


 で、地上一〇〇メートルあたりで、おれはすっかり元通りの姿になった。3D人間だ。


 ガキの頃からブロッコリーだのなんだのと散々言われてきたモジャモジャ頭に、みっともない痩身をちょっとでもワイルドに見せようとした涙ぐましい努力の無精髭まで、きっちりと元通りだった。

 全部だ。


 繰り返すけど、地上一〇〇メートルでだよ。もうアホかと。バカかと。


 当然、おれは引力に持ってかれて落ちた。下が砂利道とはいえ、落下と同時に肉体は再び破裂(ぱぁん)


 痛ッッッでえええええぇぇぇぇぇぇっ!!


 意識を失った。まあ、翌日の朝日を浴びて、砂利道で目を覚ましたわけだが。


 ……どういうこと?



ど根性ニンゲン、爆誕!



※更新頻度はゆっくり目です。

 本日のみ3話まで更新予定。

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