視界ジャック 夏恋の目線:恋人ごっこ
最近引っ越してきた女の子? ああ、いるね。このマンション、オートロックだから女の子の一人暮らしにはもってこい。なんだけど高校生で一人暮らしってのも珍しい様な。うちがお金持ちなのかね? 引っ越しの挨拶は全然無かったけど、すれ違うと向こうから挨拶してくれるし、特に問題ある子って感じしないなぁ。
そうそう、結構可愛いんだよ。アイドル的、とかそういうタイプじゃなくて……。んん? でもアイドルの誰かに似てる様な……? あ、そういう話じゃない?
―あるマンションの住人の証言
入学式からしばらく経ったある日、私は引越しで疲れていた。突然の引越しであったため、入学式の時はまだ新居の用意すらなかった。故郷の九州を離れ、この愛知県まで。愛知県って自動車事故で一番人死んでるらしいけど、大丈夫だよね?
「早く来すぎたかな?」
私は教室に一人でいた。初期席はやはり廊下側だ。名簿が男女で混ざっているのは珍しいような気がするが、スタートが窓際なのは変わらなかった。
昨日は慣れないベッドと枕で一睡も出来なかった。お陰で瞼にダイキャストでも使われているかの様な重さだった。瞼どころじゃなくて、体も重いので机に突っ伏して考えよう。
「あー、どうしようこれ」
私が頭を悩ませるのは、別に引っ越しや慣れない寝床だけではなかった。本命のミッションは制服のポケットに随分と勢いよくいい加減に突っ込んだためくしゃくしゃの手紙。
近所の中学生に渡されたもので、どうやら一目惚れしたらしい。中身は呼び出し。告白の前段階じゃない……。
私も中学生なら考えたけど……やっぱなし。中学生時代でも歳下は無いわ。今は尚更、人を近づけたくない気分なのに。
「不意打ち過ぎて毒も吐けなかった……」
そんな私はなるべく口を悪くする様に心がけている。だけどどうも上手くいかない。悪態を吐いているのに、一向に人は遠ざからない。どうなっているのか。
いや、今はこの手紙の方が深刻。こういう時に鉄板の解決法は『誰かに恋人のフリをしてもらう』なんだけど、引っ越してきたばかりの私に男のアテなんて。
「誰に頼もうかなぁ……」
学級長の雅は女の子同士にしか見えないし、よく声かけてくる筆頭の門田は論外だし、そうなるとあと一人は……。
「それで、俺に恋人のフリをしろと?」
突然声を掛けられたので、私は体を起こす。その声は私の頭にいた『あと一人』。直江遊人だ。
ブレザーのジャケットの下にパーカーを着ており、そのフードを目深に被っている。それでもわかるくらいに、顔立ちは整っている。
室内だからかフードを脱ぐと、朝日を浴びて輝く白い髪にほんのり血の気が通った白い肌。こうして静かにしている限りは、眼鏡の奥から覗く切れ長の青い瞳に蓄えた憂いもあり、浮世離れした色気さえ感じる。
まるで禁断の果実へ誘う蛇の様な。首筋のあかぎれも鱗に見えてしまう。
「何も言ってないけど……」
とはいえ、その発言はまさに自惚れ。自分の外見に自覚があるタイプなのが若干腹立つ。いや、でも私は実際頼めるとしたらこいつしかいないと思ってはいた。
「見ればわかる。その不器用ながら丁寧な包装の手紙、男子が気合いを入れて書いたもんだろ?」
頼んでないが、直江遊人は何故自分が私の言いたいことに気づいたがネタばらしをしてくる。
「潰れてはいるが、それは上杉さんが乱雑にポケットにでも突っ込んだからだろう。が、そうとは説明出来ない装丁の乱れもある。例えば、シャーペンで下書きした宛名とかな。消して上からボールペンで書いたんだろうが、シャーペンは跡が残り過ぎる。せめて鉛筆にしておくんだったな」
私の手にした手紙を見ただけでこの見抜きよう。なんなんだろう。
「字画も女の子のものじゃないな。便箋のくたびれ方からして相当筆圧を込めて書いたんだろう。綺麗に書くために、それだけ筆圧を掛けるのは普段の字が汚いことを自覚しているから。そういう奴が丁寧に書こうとすると筆圧を強くする傾向にある。で、男子が女の子にそんな手紙出すのは大抵、ラブレターと相場決まってる。そして上杉さんの発言。ここから俺に恋人のフリをしろと頼むのは想像に難くない」
なんかムカつく。こっちの気持ちをまるっきり見透かされた気分だ。でも、見ただけでこんなにわかるなんて、もしかしたら……。
「あー、久しぶりに注意深く見たら疲れた。登校で疲れてんのに慣れんことするもんじゃないな」
直江遊人はメガネを持ち上げ、目を擦りながら私の隣に座る。席は隣だ。そう、シャーロック・ホームズと違って、やっぱ息をするようには見抜けないのね。
なんで『直江』のこいつが『上杉』の私の隣にいるのか。それはこいつが日光を苦手とするから。アルビノらしいが、その中でも特に紫外線への耐性が低いんだって。
それでこの廊下側の席に固定してもらっているんだとか。パーカーを着込むのもそのためで、許可を貰っている。
「んで、俺に頼むんだろう?」
「そうよ。正直、あんたくらいじゃないと吊り合わないし」
直江遊人がそう言うので、私は結構強気に言った。地元で美人四姉妹とか言われてたし、私は外見が良い方、らしい。でもちゃんと手入れとか気を使えば誰でもこのくらいになるんじゃないかと私は思っている。地元の後輩達とか素材がいい子はいくらでもいたし。私はお姉ちゃんにスキンケアとかよく教えてもらったなぁ。
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そんなこんなで放課後。この地域では放課というのは休み時間のことで学校終わってからを放課後なんて言わないらしいけど私の中では放課後。
「んんっ……眠い」
私は直江遊人を引き連れて学校の近くにある大きめのデパートへ向かって歩く。こいつの前でアクビとか死んでもしたくないけど、出るものはかみ砕かないといけない。
通常授業ならこっそり寝るんだけど、まだ授業は始まっていない。なので眠気は継続。
「なんだ? 次のターン俺は眠り状態になればいいのか?」
だがこいつにはバレる。私がゲームを嗜むこともバレてる。多分、名古屋のポケモンセンターで買ったボールペンを使っているのを見たからだろう。
「寝たらめざましビンタだからね」
「ダメージ倍加ですやん……凶悪コンボかよ」
普通に話していると、今朝の妖しい色気はどこへやら。看板が一枚下がって三枚目。おそらく一枚目を飾ることはないと思われる。
「さ、こっちこっち」
「ナンセンスだな……」
私が先頭を歩き、あいつはその後ろを付いてくる。恋人ごっこにしては距離があるが、目的地を知るのは私だけだから仕方ない。
なにがどうナンセンスなのかは知らないが、直江遊人は屋外だからフードを被っている。なんか目立つからやめてほしいんだけど、こいつにとっては命に関わるし仕方ない。
道中、信号が赤なので止まる。赤信号を突っ切る噂の名古屋走りとやらは中々見られない。岡崎にいる間に、一度は拝みたいものね。事故の巻き添えは勘弁して頂きたいのだけど。
赤か……好きな色だけど、今はいい。だって、あの色は……。
「上杉さん、なんでまたこんなところへ?」
「引っ越しが急だったから色々足りないの」
直江遊人が話しかけるので、思考が切れてしまった。まるで私が嫌なことを考えていることを見抜いたかの様なタイミングだった。
そう、私は生活に必要な物を買いにいくのだ。引っ越しが急過ぎて何もかもない。そもそも大荷物を実家から持ち出すことが出来ないので仕方ないんだけど。
「ふーん、引っ越し蕎麦の用意はいいのか?」
こいつはまた私の急な引っ越しから何かを察知したのか、話を逸らす。そんなことしてお隣さんに存在を明かすのは正直不都合だ。
「ま、なんでもいいけどな。でも荷物持ちは期待すんなよ?」
「わかってますって。リュック使ってることからして、教科書入りの手提げを持てないくらいに非力なことくらい」
今朝の意趣返しだ。こいつの愛用しているのはリュック。背負う鞄は肩掛けや手提げに比べて体への負担が少ない。
「へぇ、やるじゃん」
が、またなんだか意趣返しであることさえ見透かされている。調子狂う……。
「おい」
「え?」
突然、直江遊人が私に近づいた。そして耳元で囁く。よく聴くと、なんだか喉から胸へ暖かいミルクが通る様な、甘い声だ。真面目なトーンだとこうなるの?
「な、何……」
私は突然の事に体が熱くなり、背筋や頭が痒くなる。顔が熱い。さっきまでのおふざけムードがスッと消えており、一体なんだというの?
「つけられてる」
「え?」
あいつが振り向く方を私も見る。すると、今朝の男子中学生が電柱の陰からこちらを見ているではないか。まさか呼び出しに応じなかったから追ってきたの? 赤だし飲んでるようなのはダメねやっぱり。
「うちの学校の後輩だな。制服の劣化からして二年生だし、任せろ」
そう言うと、直江遊人は突然フードを脱ぐ。ちょっと、屋外じゃ……それに今は日が沈んで強く……。
「ちょ、あんた……いいの?」
「んん? 日焼け止めは塗ったぞ?」
「そうじゃなくて、それ塗ってても……」
こいつ、日焼け止め塗ってるのは当たり前にしてるんだろうけど、それに加えて日光を物理的に遮る程度には肌が弱いはず。なのに……。
「へっ、関ヶ原中の病床探偵、直江遊人とは俺のこと。中学で俺のこと知らねーのはモグリだな。この白髪見て逃げねぇんなら褒めてやるってな」
安楽椅子探偵ならぬ病床探偵について聞くとスピンオフが単行本一冊くらい始まりそうなのでスルーするけど、ただの恋人ごっこでここまで……。
頼んだのは自分だけど、なんだか胸が痛い。もう、私のせいで傷付く人なんて……。私の頭に浮かんでいるのは、去年の、まだ私が地元の高校に進学する予定だった……。
だめ、泣いてるとこなんてこいつに見られたら……。
「さて、ごっこでも恋人だったな、夏恋」
少し目に溜まった涙をどう気付かれない様に拭うか考えていたら、使うべき手を直江遊人に取られた。触れていると暖かいけど、指は細くて、お土産屋でガラス細工を物色する様な力加減にこちらがなってしまう。
「夏恋、たまにはこいつも休ませたい」
眼鏡を外して、日に焼ける覚悟じゃない、それ。眼鏡焼けを避けるためでしょ。手が使えないのに、目にはますます雫が溢れてくる。ていうか、何気に呼び捨て……。
「しばらく代わりになってくれ。この手を引いてな」
まだフードを脱いでそんなに経ってないのに、顔は少し赤くなっている。私はこれ以上いたら本当に泣いてるのが見抜かれてしまうので、お望み通りこの手を引いていくことにした。
ちょうど、信号は緑。赤はすっかり消え去った。
「付いて来てよね」
そして走り出す。少なくともあいつが後ろにいれば、こっちの顔は見られずに済む。走れば付いてくる奴も撒けるかもしれないし、私は慣れないローファーのままアスファルトを蹴って走る。直江遊人を引っ張って。
「あ、上杉さん、待って、待って! 上杉さん! 上杉さーん! あー! 全力疾走は困ります! 困りますお客様! あー!」
@
「ゲホッ、ゲホッ……! ガフォあっ!」
「大丈夫?」
まさかこんなに体力が無かったとは思わなかった。走っていたのは横断歩道の部分だけ、それも横断したのは両側二車線の狭い道路なのに、こうもむせるとは。
というか途中で叫んだのが原因じゃない? 大人しく外見相応に二枚目やってればいいのに、看板下げるから。そういうカッコつけた瞬間台無しになるところが駄目、なのかなぁ……。
と言いたいけど、多分こいつにとって外見の評価はアルビノであること込みになってしまう。だから外見に寄らないキャラが欲しいんだと思う。絶対、髪黒くしても顔立ちの良さは変わらないんだけど。
なんとかデパートにはついたが、早速休憩コーナー直行。エスカレーターもエレベーターもあるので誰も使わない階段前、自販機の隣に背もたれのあるベンチがポツンとあった。
「……つらみしかない。散々カッコつけた手前」
あ、カッコつけてた自覚はあるんだ。やっぱり、顔は日に焼けて赤い。えっーと、鞄に何かあったっけ?
「日焼けに効くなにか……持ってないなぁ」
「ああ、こんなこともあろうかとクリームが」
こいつはクリームを持っていた。心配して損した様な、安心した様な。考えれば当然な気もするけど。緑のチューブに入った、軽い火傷に使えそうなアロエが入っているやつ。
「ほら、貸して。塗ってあげる」
「えっ?」
当然自分でも塗れるんだろうけど、私の責任だし何かしないとって気はしてた。いや他の方法もあるんだろうけどとりあえずね。
「ああ、どうぞ」
そこで抵抗しないで大人しく貸す辺り、こいつやっぱり私の心でも読んでるんじゃないかな? そんなわけで、私はクリームを手に取ってこいつの顔に塗りたくってやる。人に顔を触られたら少しは何か反応を見せると思うけど、こいつはそんな様子を微塵もみせない。
いや、その分こっちが冷静じゃいられない。男にしては肌が柔らかいというか堅さがないというか。ごく自然な目でこちらを見つめてくるし、胸が痛いくらい暴れている。なんでこいついちいち顔がいいのよ……。
いや、顔だけじゃない。自分の身を危険に晒してあんなことするなんて……。ウザいけど嫌な奴じゃないし、こいつ頭が暗いこと考える前に茶々入れてくるから落ち込む暇も無いというか。
「女の子に顔触られてんのに、少しは照れたりしなさいよ」
「ま、慣れだな。病院暮らしが長いと触診やらで触られるし」
「へぇ……」
しまった。なんか余計なことに触れたかな。口を悪くしているとは言うけど、相手を傷つけると私も気分悪いし、本気で気にしてることは言わない様にしているんだ。
私の沈んだ気分を察したのか、直江遊人は手を私の首元に近づける。そしてそのまま、私の髪を指で梳かす。
「髪綺麗だな」
え? ええ? なに? なに急に? また顔が熱くなってきた。こいつの顔に触って、ただでさえ冷静じゃないってのに。
「な、なによ……急に」
「いや、ふと思ってな。ほら、言いたいことは言っとかないと後悔するしな。褒め言葉とか感謝とか」
ふぅん。そうは分かっていてもなかなか出来るもんじゃないわよ。それ。というか分かっていても出来ない人の方が多いからみんな苦しんでる様なものなのに。そこまで考えて私はあることに気づいた。
髪綺麗って……お世辞じゃないんだ。あ、また顔が熱くなって……。
「ん? どうした? 熱っぽいか?」
なんで沈んだ気分には敏感なくせにこういうとこ鈍感かな? 私は照れを隠すため、立ち上がって催促する。そうそう、目的は買い物なんだ。これを忘れてはいけない。
「ほら、そんなことより行くよ。遊人」
「お、おう」
こいつといると、大事なことを忘れそうになる。いや、せめて忘れさせてほしい。ここに引っ越してきたのも、案外間違いではなかったのかもしれない。
はい、先輩でしたよ美術部の。部活以外にもゲームしたり、まー上下関係はゆるーくね。まぁ最初は驚きましたけど、あんなに綺麗なら納得しかないですよ。私も大分キテレツな体験したもんだねぇ。え? まぁ死ななきゃ安いって言うじゃないですか。あ、頼んだ件、頼みましたよ!
―ある女子中学生への聴取