幕間 事件の契機
バーチャル美少女受肉、通称バ美肉。バーチャルという制限を受けない空間で理想の自分になるという行いは、より手軽に、社会への影響を気にすることなく精神の問題改善に寄与した。
オタクと言われる人々の中では当然の常識として、『仮想』と『現実』は当然切り離された存在とされている。そしてよいものと悪いもの、その境界というものは曖昧であり創作に影響される様な人間は、実際の事件にも影響される様な脆弱性を持つということも堅い常識となっている。
しかし未だ社会の実権を握っている人々の多くは、仮想が現実に影響し、悪しき仮想が現実に感染するという妄想に憑りつかれていた。
人間は文明を発達させる度にその知能の天井を伸ばしているが、泥濘に留まる者までを引き上げることは出来ないのだ
chapter2
遊人達は全てが終わったあと、プロトタイプの尋問を始めた。当然、ゲームのNPCが自身でその枷を外すなどありえない。いくらプレイヤーと同じシステムを応用しているとはいえ、その機能を全て解放するには外部からの協力、もしくは都合のいい不具合があったはずだ。
「お前なぁ……自分が何やったんか分かってんのか?」
取調室にてクインがプロトタイプに電気スタンドを向けて問い詰める。
「分かってんのかーっ?」
この場には遊人と氷霧、佐奈、煉那がいる。夏恋は用事があるといい、この戦いが済んだら早々に帰ってしまった。時間が五倍に伸びるのはいいことがある反面、油断して予定を超過してしまうことも多々ある。
「カツ丼食えよ……」
クインはプロトタイプにカツ丼を差し出す。
「カツ丼食えよ!」
「激しい運動二連ちゃんの後には重いって」
しゅばばばと差し出してもプロトタイプの反応は薄い。そんなことをしなくても情報を提供するつもりはあるからだ。
「プロトタイプ、なぜ蕎麦屋のカツ丼が旨いか知っているか?」
遊人が問うたのは、ある逸話について。何故か蕎麦屋は力を入れていないだろうカツ丼が旨い、というのは有名な話だ。
「知るか。蕎麦屋なもんであんま期待していないところに不意打ちされたら多少旨く感じるんだろ?」
「そういう考え方もあるな。だが、実情はこうだ」
遊人はリアルにおいて料理人。その手のメカニズムには詳しい。カツ丼の蓋を開け、美味しそうな匂いを充満させる。出汁の香ばしさ、卵の甘さ、アクセントたる三つ葉の苦味、口にしていないのにも関わらず明白にイメージ出来る。
「カツを作り置き……揚げ冷ましにしているんだ。揚げ冷ましのカツは味が染みるからな。カツ丼を作る過程で煮込んでしまうから、サクサク感は出来立てでもそう残らん。そして、こいつだ」
遊人は卵を割ると器でかき混ぜ、それをカツ丼にかけた。まるで海賊の秘宝が如き輝きを放つ黄金の丼となった。
「追い卵……なか卯の公式だ」
「飯テロはいいけどよ、話聞かねぇのか?」
話が盛大に脱線どころか反対に特急へ乗ってしまったかの様な有様だったので、煉那が軌道修正する。
「ああ、そうだった。話は簡単だ。私に掛ってた制限を解除した人間がいる」
プロトタイプの告白は特に捻りの無いものであった。協力者がいる。その人物が全てを仕組んだ。それだけのことだ。
「さすがに一気に強くはしてもらえなかったが、他の奴と同じ様にクエストを受けたり、その報酬で装備を強化出来た」
「問題はやったのが誰かって話だ」
そうなると、いくらプロトタイプが止まっても似た様な事件、もしくはそれ以上の事態が起こりかねない。黒幕は未だ野放しなのだから。煉那はそこが気になっていた。プロトタイプの件は氷山の一角に過ぎない。いや、氷山どころか流れてきた流氷程度だ。
「既にその時のログデータは運営に提出したからすぐわかるだろうが……そいつは姿をマントで隠していた。私らは特別な権限がないからな、見たまま、表示されたまま、名乗られたまましか分からん。設定をどう弄ったのか知らんが頭上にプレイヤー名の表示は無し」
「出来るのか、そんなこと?」
ゲームに疎い煉那には分からない。しかし遊人もこのゲームの勝手は分からない。
「ものによるが……こんだけ没入感に気を使ってるゲームだ。自分の目から表示させない様にすることは可能だろう」
遊人はHPゲージやメニューを兼ねる腕時計に目をやる。だが、それもあくまで『自分が得る情報』に関しての設定のみ。ゲームによるが他人に何を表示するかまでは設定できないことが多い。特に愛称や位置情報の様な攻略に影響しないものしか隠すことは出来ない。
「一応、プレイヤーネームを他人に隠すのは無理だって言っておくぜ。あとはプロトタイプに何が見えているかだが」
「私にはお前らの名前が見えてるぞ。名前が見えないのはそいつだけだ」
クインによるとそういう仕様。プロトタイプには他のプレイヤーの名前が見える設定だ。
「運営スタッフじゃねーか? 運営はプレイヤーと仕様違うと思うし」
「それならそうと表示される。名前すらないのは妙だ」
カツ丼をかっこみながらプロトタイプは運営の仕様も明かす。
「名乗りはしたか? 背丈は? 声とか分かるか?」
「いや、分かったところでリアルには繋がらないだろう」
煉那が聞く中、遊人は佐奈を見て言った。龍卿イサナと名乗る彼女は大きく背丈を伸ばしている他、ボイスエフェクトの上からボイチェンしているのでここからリアルを知ることは不可能だろう。
犯罪者の自覚があれば同様に正体を隠すはずだ。
「参考になるか微妙だが、楠木渚と名乗っていた」
プロトタイプの発言で遊人と渚、佐奈の目の色が変わった。その名前は遊人の過去に出て来た天才だ。なぜその名前を使ったのか。
「なんだ? そいつはこのドラゴンプラネットの根幹システムを作った偉人の名前だろ? 言わば偽名に家康って言っている様なもんだぞ?」
クインはその慌て様に異質なものを感じた。それが更に遊人を混乱へと陥れた。
「なんだと?」
「そうなると、かなり重要な人の名前を名乗っている……一体」
氷霧はしばらく考える。そんな人物の名前を使うとは、犯人は愉快犯なのだろうか。
「とりあえず今はログの解析を待とう。分からんことが多すぎるし、マジでシステムに干渉出来る相手ならそれこそあたしらの手に負えるもんじゃない」
クインは一旦話を打ち切る。プロトタイプはゲーム内だから対処したが、本来この様なゲームの不具合などプレイヤーが対処するものではない。この事件で彼らが追えるのはここまでだ。
そのはずだった。




