神器〈前〉
倒しても倒しても一向に減る気配のないトレンタ王国軍の攻撃に、神社を守る道場生達の気力と体力はすでに限界に達していた。そんな状態で持ちこたえることができているのは、たった一人の少女のおかげだった。
「いったい何なんだよ!ありゃあ!」
「ひっ・・・!あんな化け物、敵うわけが―っ!」
「なっ・・・。」
トレンタ王国軍の兵士である男の目の前で、恐怖で逃げ出そうとしていた仲間の悲鳴が途切れた。そこで見たのは、仲間の首筋に突き刺さる短剣とその柄を握る小さな人影。その人影は返り血で全身を真っ赤に染めた少女だった。剣を引き抜いて顔を上げたその少女と目が合った次の瞬間、男の意識は途切れていた。
そんな、一方的な殺戮を行う少女を見つめる一人の青年がいた。
「麻衣・・・あいつ、無茶しやがって・・・。」
目の前に迫る剣を余裕をもって躱し、聖龍は再び麻衣の方に目を向けた。トレンタ王国軍を次々と斬り捨てていく麻衣の姿に戦慄すると同時に、このままではいけないという強い不安を感じた。物心付いた頃からともに過ごしてきた聖龍にはわかる、麻衣は相当な無理をしている。今は足りない体力を精神力で補っているが、それが尽きるのも時間の問題だろう。この状況で麻衣を失えば、もうこちら側に抵抗する術はない。龍一の覚悟も無駄になってしまう。
(・・・って、何をぐだぐだ考えてんだ、俺は。大事な親友を助けるのに理由なんていらないだろ。)
自分が今、何をするべきか、そんなことはとうの昔に聖龍もわかっていた。ただその決心がつかなかっただけだ。
「龍一も麻衣もこの村を守るために命を賭けてる。なら、俺も命賭けて守り抜いてみせる。それでいい。」
そう自分を鼓舞して、聖龍は麻衣の元へ駆け出した。
自分の体がもう限界を超えていると麻衣にはわかっていた。もう何人目かもわからない敵を斬り捨てた直後、突然体から力が抜け、その場に膝をついてしまった。そんな決定的な隙を見逃す程甘い訳がなく、すぐ目の前にいた敵が剣を振り上げていた。
自分の命を刈り取ろうと迫る刃を見つめながらも、麻衣の心は落ち着いていた。なぜか恐怖も感じなかった。何も考えず、ただ迫る刃を見ていると、その間に割り込む人影があった。その人物は軽々と敵を斬り伏せると、こちらに振り向いた。
「よっ!生きてるか?麻衣。」
「はぁ、助けに来るのが遅いんじゃない?聖龍。」
「ははっ、文句言う元気があるんなら大丈夫だな。」
「あんたねぇ・・・。ま、おかげで気分が楽になったわ。」
麻衣は聖龍と軽口を交わしながら立ち上がった。まだ体が思い通りに動かないのは変わらないが、先程よりはましになっていた。
「よし、こっから先は俺に任せて、お前は自分の身を―って、痛ぇ!」
「何かっこつけた台詞吐いてんの?あんたなんかに心配される筋合いなんてないわ。」
自分は本気で心配してるのに脛を思いっきり蹴られたのには納得いかなかったが、まぁ、麻衣が素直に引き下がるわけがないだろうことは薄々わかっていたことだ。
「わかった、好きにしろ。・・・死ぬんじゃねぇぞ、麻衣。」
「とーっぜん!あんたこそ死んだら承知しないからね!」
麻衣の力強い返事といつも通りの表情に聖龍はほっとした。今の麻衣ならば、先程のように無茶はしないだろう。そう判断して、聖龍は麻衣の前に進み出た。
「そんじゃあ、一気にいくか!」
「ええ、そうね。」
聖龍は全力で地を蹴り、目の前に突っ立っていた兵士をすれ違い様に斬り捨てた。そこに至ってようやく硬直から抜け出した周りの兵士たちが一斉に聖龍に剣を振るった。が、その内の一本たりとも聖龍の身体を捉えることはできなかった。その後も次々と襲いかかる敵に対して聖龍は冷静に対応し、全ての攻撃を防ぎ、躱していく。
(くそっ!なんで当たらないんだ!)
聖龍にあしらわれ続けていた一人の兵士は徐々に焦りを募らせていた。
先程から何度も剣を振るっているのに目の前の青年には掠りもしていない。その上、空振りの後に大きな隙があるにもかかわらず、この青年は一向に反撃をする気配がない。舐められている。兵士はそう感じ、怒りが沸き上がった。兵士は怒りのままに青年に斬り掛かり、気づくと地面に倒れていた。兵士には最期まで自分の身に何が起こったのかわからなかった。
「ふぅ・・・。終わったか。」
「そうみたいね。囮ご苦労様。」
二人は剣を鞘に納めながら周りを見渡した。あれだけいた兵士も、二人の周囲には一人も立っていなかった。他の場所では、まだ所々戦闘中の場所もあったが、敵の人数が少ないから大丈夫だろうと判断して、しばらく休憩することにした。
「それにしても、こんな大人数相手によく勝てたよな。」
「まあ、こいつらあんたの挑発に面白いくらい引っ掛かってたから。気配を消してた私はともかく、仲間がやられたことにも気づかないなんて・・・。」
麻衣は戦闘中のことを思い出してため息をついた。今回、二人が大人数の敵に対してとった戦法はただの囮作戦だった。聖龍が大立回りを演じて敵の注意を引き付けている間に麻衣が後ろに回り込んで一人ずつ暗殺していく。たったそれだけで全滅してしまった軍隊の脆さに、助かった反面少し失望していた。
神童流剣術道場では、剣の技術だけでなく精神面の鍛練も積む。そのため、戦闘中、目の前の敵に夢中になって周りが見えなくなるということはありえない。そんな二人から見れば、期待外れにも程があるくらい兵士一人一人の練度は低かった。
「はぁ、この近辺で最強とか言われてても結局は人数が多いだけか・・・。」
「油断すんな。今のは所詮下っ端だ。むしろあの人数じゃ下っ端にまで教育が行き届いていないのが当然だろ。」
「ふーん。ということは幹部クラスのやつは強いってこと?」
「だろうな。少なくとも一般兵とは次元が違・・・っ!」
強烈な殺気を感じて振り向いた二人の目に映ったのは馬に跨がる一際豪華な鎧を身につけた二人組だった。その二人が纏う他の兵士とはまるで違う空気に、先程の強烈な殺気を放っていたのはこの二人だと否応なく理解させられた。
「これは・・・噂をすればなんとやらってやつね。」
「んなこと言ってる場合か!ガチでやばいぞ、あいつら。」
「そのくらい見りゃわかるわよ。」
聖龍と麻衣は剣を構えたまま、ゆっくりと近付いて来る二人を見つめていた。二人はある程度まで近付くと、立ち止まって片方が口を開いた。
「一つ聞く。こいつらを殺ったのはお前達か?」
「だとしたら何?部下の仇はとらせてもらおうって?というか人に物を尋ねる時はまず自分から名乗りなさいよ。」
周りで倒れ伏す兵士たちを見ながら尋ねる敵に対して、麻衣は挑発するような台詞を返した。挑発に乗って隙を見せてくれれば助かったのだが、相手は一切心を乱すことなく平然としている。
「ああ、それはすまなかったな。私はトレンタ王国軍第一部隊隊長のザルド・ランスロット、そしてこいつが副隊長のアレク・アロンダイトだ。」
あまりにもあっさりと名乗ったことに肩すかしをくらった気分だったが、人に名乗らせておいて自分も名乗らないわけにもいかないだろう。
「ご丁寧にどうも。私は神楽麻衣よ。」
「神童聖龍だ。」
「ふむ。まあ、自己紹介はこのくらいにして本題に入ろう。現在、我々トレンタ王国軍は優秀な人材を求めている。そこでどうだろうか。我が部下になる気はないか?お前達の実力ならば幹部の座に就くこともできるだろう。」
「何かと思えば、私達に寝返れって?冗談じゃないわ。」
「ああ、その通りだ。というか、俺たちがそんな誘いに乗るなんて本気で思ってんのか?」
間を置くことなく返ってきた拒絶にもザルドの態度は揺らがなかった。この返答は予測していたのだろう。
「そうか、残念だ。私達は任務で来ているのでな。お前達がその障害となるならばここで消えてもらう。」
「残念だ。とかよく言ったもんね。どうせ最初っからそのつもりだったくせに。」
「やるぞ、麻衣。相手は二人、ならまだ勝機が―っ!」
突如として生じた不吉な空気を感じて聖龍の台詞は途切れた。そして、同時に視界に入ったのは四人の兵士。その全員がザルドとアレクに引けを取らない程の実力者だとわかった。
「奴らは我が第一部隊の幹部達だ。どうする?今ならまだ間に合うぞ?」
「うっ、二対六じゃさすがに・・・」
「いや、五対六だ。」
抗い様のない戦力差に二人が諦めかけたその時、二人の背後から三本の矢がザルドとアレク目掛けて飛来し、二人を後退させた。そして同時に届いた聞き覚えのある声に二人が振り向くと、そこには見慣れた三人が立っていた。