レベル79 金の使い方も慣れが必要です
「よう、生きてたか」
久しぶりの出迎えは、そんな心のこもった挨拶だった。
トオルも、
「うるせー」
と親愛の情のつまった言葉を返す。
久しぶりの町の、久しぶりの周旋屋。
いつも通りに受付にいるおっさんとのやりとりは、むかつきと苛立ちをおぼえさせる。
「ふざけた事言ってねえで、さっさと登録をやってくれ」
「分かってるって。
じゃあ、新人はこっちに来い」
そう言ってトオルの後ろにいる三人を促す。
呼ばれた三人は、トオルに目を向ける。
村の外に出るのは初めてだったろうし、おまけに見知らぬ人間に呼ばれたのだ。
緊張してしまっているのだろう。
「まあ、酷い事はされないだろうから、さっさと行ってきな」
彼らの背中を押すようにそう言って、おっさんの向かった先に顎をしゃくる。
それで踏ん切りがついたのか、三人は受付の横にある廊下へと入っていく。
自分もかつてはああだったのだと思い出しつつ、広間へと向かう。
手続きが終わるまでやる事はない。
(外に出るほど時間もないしな……)
そんなわけで、事が終わるまではのんびりするつもりだった。
時間が時間だけに広間も閑散としてる。
仕事がない者が何人か座っているが、朝の出勤前や夕方以降のざわめきはない。
休日はともかく、平日の昼あたりに広間にいた事はほとんど無かった。
のんびりとしたこの静けさをここで感じるのは、結構新鮮なものだった。
ここ最近の忙しさを忘れる事が出来る。
(面倒だからなあ、色々と)
トモノリからの相談や、村に派遣する者達の決定。
初期における手助けで付きそう者の選別に、村における住居の確保。
決めねばならない事が色々とある。
そんなこんなで頭を悩ませてばかりいた。
昼間はモンスター退治もしなくてはならなかった事もあり、全てにおいて限界になっていた。
それでいて、稼ぎは全然変わらないのだから割に合わない。
わずかでもゆっくり出来る時間は貴重なものとなっていた。
机に突っ伏して目を閉じる。
それだけで気持ちも体も休める事ができた。
(このままこうしてたい……)
このまま燃え尽きていけたらどれだけ幸せなのだろう、と本気で思っていった。
「おーい、終わったぞ」
帰ってきたおっさんの声で、嫌々ながら現実に戻ってくる。
周旋屋についてと、仕事を受ける上での注意事項。
それに基づく書類の配布と、登録の署名。
あとは、登録証発行に必要になる魔術的な処理。
全部を終えるのに一時間もかからない。
「相変わらず早いな」
もう少しゆっくりしてても良いくらいだった。
「迅速な仕事が、我が社の信条なんでね」
「よく言うよ」
言うほど早いかどうかは何とも言えないところである。
「そんじゃ、あとは登録証をもらうだけか」
「ああ。
明日の昼には出来ると思う。
それまではゆっくりしていけや」
「宿泊所で?」
雑魚寝部屋の狭苦しいベッドを思い出す。
どう考えてもゆっくり出来るとは思えなかった。
「何言ってんだよ。
こんな時間から寝る気か?
市場にでも行ってこいよ」
言われてみればその通りである。
まだ十五時前。
部屋にこもるには早い。
「こいつらも、外に出たがってるみたいだしな」
新人達の希望と期待に満ちた顔が、おっさんの言葉を裏付ける。
「……しょうがないな」
欲しい物も幾つかある。
それを見て回るのも悪くはない。
腰を上げて立ち上がり、登録に来た三人に声をかける。
「じゃあ、行こうか」
「「「はい!」」」
元気の良い返事があがった。
市場といっても、実はそう指定された場所があるわけではない。
町の中の広い場所に、商人が集まって露天を開いているだけである。
宿場町でもあるここには、数多くの人や物が集まる。
それを相手にする者達が自然と集って、広間に集結している。
店を構えてる者もいるが、この町で市場と言ったら、自然に集まって出来上がった広間の方を指している。
町に居を構えてる露天商や小売商に、一時的に滞在してる行商人。
その集合体がこの町における「市場」であった。
そのため、定着してる店もあるが、顔ぶれが流動的となっている。
欲しい物を扱ってる者になかなか巡り会えない事もあるが、珍しい物が並ぶ事もある。
その変化が、市場を巡る楽しみの一つであった。
トオルは、そんな中に掘り出し物が無いかと探っていく。
その後ろに続く三人は、初めて見る市場の大きさに圧倒されている。
「凄え」
「うわあ……」
「こんなにいっぱい……」
村に来る行商人だけでは揃える事が出来ない品揃えの豊富さ。
それらに集まってくる人の数。
どれもが彼らの想像を越えたものなのだろう。
(夕方のスーパーほどじゃないんだけどな)
屋台のような店が二十軒ほど並び、せいぜい一百人くらいの人が集まってるくらいである。
村一つ分くらいの人数がいるのは確かだが、際だって多いという程ではない。
トオルの感覚では、むしろ少ないと言えるほどだった。
そんな中に入っていって、並んでる商品を見ていく。
日用品が多いのは確かだが、その中に装飾品なども混じってる。
実用的でないものには興味はないが、何かしらいつもと違う物があると目が向いてしまう。
持ち合わせがさほど無いので見るだけだったが。
それでも、何があるのかを見ていくのは刺激になった。
商品の動向も何となく分かってくる。
何の役に立つというわけではないが、いずれ必要になる事があるかもしれない。
芸は身を助く、という言葉もある。
そうでなくても、市場を巡るのはそれなりに楽しかった。
(これでゲームや漫画があればなあ)
それがないのがつくづく残念であった。
屋台の軽食を新人におごったり、ちょっとした補修道具を購入したり。
ほどよくぶらついた所で周旋屋へと戻っていく。
新人達も、何かを購入したというわけではないが、初めての市場に満足したようだった。
「凄いですね、町って」
「あんなに大勢の人を見たのって初めてです」
「色んな物があるんですね」
驚いた事を口にする新人達に、新鮮さを感じた。
「金が出来たら欲しい物を買いに来るといい。
でも、無駄遣いはするなよ」
言っても無駄に終わるであろう忠告をしていく。
町に来る機会はほとんどないだろうから、そうそう無駄な事は出来ないだろうが。
だが、町に来た頃のサトシ達を思い出して、そう言わざるえない気持ちになった。
はい、という元気だけは良い返事を聞いて苦笑する。
(どこまで分かってんだか)
こればかりは実際に経験してみないと分からないものだ。
たかが買い物であるが、財布の中身と目の前の商品の値段を比べ、買うかどうかを考えるのは結構頭を使う。
本当に欲しい物なのかどうかを見極めるには、買い物に慣れてないといけない。
嗜好品を買うな、というわけではないが、必要な物を適度に買うには、実際に買わないと身につかない。
使えばどれくらい消費するのか、消耗品はどれくらい保つのか。
その効能がどれくらいなのかなどを知らなければ、適切な分量と値段をはかるのは難しい。
それが分からないうちに買い物などをすると、すぐに一文無しになってしまう。
帳簿や経理といった金銭の出納だけの問題ではない。
人間の欲求や衝動をどう扱うか、という内面の問題だった。
大げさな話でもなんでもない。
身を持ち崩すかどうかがかかってる重要な事だった。
サトシ達もそうであったが、金の使い方を知らないというのが原因でもあった。
今まで使った事の無かった金銭という道具を用いて、販売されてる物品を手に入れる。
自分が稼げる金額と、生活で消費していく固定費。
そこから残る可処分所得と言われる、自由になる金銭。
それらの釣り合いを見極めるのは意外と難しい。
これが出来ないから身を持ち崩す者が出てきてしまう。
冒険者になるのは、食い扶持に困ったり、他に出来る事がない者がほとんどである。
代表的なのが、トオルのような次男三男以下の部屋住みである。
金銭に触れた事もほとんどなく、それを使って何かを購入するという事もない。
だから、何をどれくらいかければ何が手に入るのかが分からない。
非常に単純な事だが、
『宿代一千銅貨と朝夕の食事代で二千銅貨』
という事すらしっかりと把握してない者もいる。
最低でも一日三千銅貨が必要なので、一日にこれだけは稼がないと手元に金が残らない。
周旋屋の回してくる仕事だと、掛け持ちしなければいけない事もある。
恐ろしい事に、それが分からずに手に入った分を考えも無しに全部使ってしまう者もいる。
読み書きや計算が出来るにも関わらず。
金の勘定が出来ても、それをどう用いるのか、という部分が欠けている。
その理由の大部分は、金銭を用いた事がないという事に由来するとトオルは考えていた。
経験が無いのである。
(それじゃどうしようも無いからな)
やった事が無かったり、知識も無ければ、人間はまともに動く事は出来ない。
試行錯誤してやり方を身につけていけるだろうが、必要な水準にいたるまで多くの間違いをする事になる。
加えて、時間もかかる。
学習はその期間を短縮する。
また、繰り返し行うという経験は、やった事を忘れる事無く身につけるために必要だ。
一度やっただけで全てを記憶できる人間も中にはいるが、そうでない大半の人間には反復が必要だ。
金銭に触れる事もほとんどない部屋住みの者達には、そういった知識や経験があるわけもなかった。
だからこそ、身を持ち崩す者が後を絶たない。
『手取りが五千銅貨だから、差し引き二千銅貨まで使える』という発想に至らない。
全てがそうだというわけではないが、そういう者も一定数は存在している。
その結果、金がなくなり、生活に無理が出て、最後は落ちぶれていくという者がいる。
野垂れ死になるならまだ良い方で、借金を重ねて奴隷に落ちぶれる者もいるとか。
制度として奴隷が存在するわけではないが、賃金も払われずに危険な作業などをさせられる者はいる。
そういう者を出さないためにトオルはそれなりに気を使っていた。
おかげで、サトシ達も幾らか金の使い方をおぼえた。
危なっかしい所はまだあるが、『財布に幾らか残す』という事は身につけている。
どれだけ金を使っても、一定の金額が残るような買い物をするようになった。
(こいつらにも教えていかないと……)
後ろに続く新人達を振り返って思った。




