レベル37 思った通りというか、思った以上というか、何にせよ酷い
少しずつ解消されていく積み上がった仕事に対して、奥方の問題は知れば知るほどふくらんでいった。
執事やメイド長、下男から話を聞けば聞くほどに。
帳簿などで目に付く問題点を知れば知るほどに。
こんな事を続けて良いわけがないという思いがどんどん強くなっていく。
どうにかできる相手ではないし、そこを押し通す妙案があるわけでもない。
しかし、こんなのが身内の住んでる村の領主に関わりがあるとなると、他人事と思う事もできない。
何かできないもんかと考えてしまう。
そうこうするうちに元凶が帰ってきてしまった。
「連れてきたわよ」
帰ってきた奥方の最初の一言はそれだった。
見れば、後ろに数人ほどの男女が立っている。
以前聞いた、奥方が連れてくるとか言っていた使用人の代わりなのだろう。
出迎えに出たトモノリへの挨拶もなしに。
それどころか、
「まったく、使用人にまで逃げられるなんて、本当に駄目ね、あなたは」
などとほざく始末である。
それこそ、執事やメイド長、そしてトオル達の前で。
メイド服のサツキやレンは驚きに目を丸くしてしまっている。
トオルも、まず耳を疑った。
いくらなんでも人前でいうような事ではないと思った。
まして、それが夫に対する態度なのかと。
そんなトオル達にも奥方は目を向けてくる。
睨む、というか、見下すような視線で。
薄い、細い目が更に細くなり、つり上がり気味なのも相まって睨みつけるように見える。
そんな目と、先ほどの言葉とあいまってか、実に酷薄な印象を与える。
細いというか貧相な顔のせいもあるかもしれない。
曲がりなりにも貴族の奥方というには、何か余裕が感じられない容貌だった。
顔形でとやかく言うものではないだろうが、にじみ出てる何かがそう感じさせてる気がしてならない。
ついでに、身につけているのは原色系でかためられた、実に派手なもの。
それらが互いに自己主張をしすぎて、調和というものを破壊している。
似合う似合わないどころではない。
ファッションに全く興味のないトオルから見ても、悪趣味でしかなかった。
成金趣味の派手なオバサンというのが、奥方に感じたトオルの感想であった。
そんなオバサンが、トオル達を見渡して、
「誰なの、この貧乏人達は」
などと仰ってくれる。
執事が、
「使用人として雇った者達です」
と答える。
奥方はすぐに目をつり上げ、
「また無駄を!」
と叫んだ。
「私が人を連れてくると言ったのを聞いてないのですか!
なのになんでこのような事を」
「申し訳ありません。
しかし、早急に手配しないと片付くものも片付かないので……」
「それはお前の無能のせいでしょう」
証言通りなら、原因を作ったのは他ならぬ奥方である。
それを棚にあげて他人を罵りはじめていく。
(ああ、こういう奴なのね)
トオルはすぐに奥方がどういう人種なのかを理解した。
自分だけが正しいと思ってる類である。
大声で相手をおしやり、我を押し通していく事を躊躇わない人間。
問題の原因を作っても他人のせいにして、手柄は自分のものと主張する人間。
声が大きく、非難や指摘をするとすぐに被害者ぶる人間。
前世でよく見たふざけた人間。
職場を混乱させる、一番面倒な生き物。
その類例が目の前にあった。
無駄な怒声をあげる奥方の後ろから、別の人影が歩きだす。
奥方に酷似した容貌を持つそれは、周りの状況を気にする事もなくサツキとレンを含むメイドの方へと向かっていった。
「へえ……」
いやらしい目をしながら並んでるメイド代わりの女性陣を眺めていく。
顔はもとより、胸やら腰やらを遠慮無く見渡しているので、何を考えてるのかがはっきりと分かる。
「なかなかいいじゃん」
値踏みするような事をほざいてもくれる。
見た目でいったら、十代の前半であろうか。
まだまだ子供の範囲だが、サツキやレンと同程度にはある。
その年齢で悪い意味で色気づいてるようだった。
ゆるみきった顔が実に醜い。
あろう事か、
「それじゃお前、ちょっと来い」
と言ってサツキの腕を掴んで引っ張っていこうとする。
「きゃっ!」
あわてて後ずさろうとするも、そこは男女の体力差。
背丈が同じくらいであっても、サツキよりは強いようで、無理矢理引っ張っていこうとする。
すかさずレンが止めにはいる。
「おい、何やってんだ!」
止めるというより、サツキを連れて行こうとしたガキを突き飛ばすという方が正解だろう。
こちらも男女の差があるはずだが、不意を突く形になったのと、レンが素早く動いた事が効果を上げた。
いきなり馬鹿をやろうとしたガキが、床に転がる。
何をされたのかすぐには分からなかったようであるが、怯えてあとずさるサツキの前に立つレンを見て理解したようだった。
「お前、何をする!」
腰をついたまま怒鳴る。
悪びれた様子が全くない。
そこに、
「あなた、いったい何てことを!」
奥方も加わる。
二人してレンをとがめ立てようとしていた。
サツキにした事を全く意に介さず。
やむなくトオルも前に出て、レンに加勢しようとする。
しかし、
「そこまでにしなさい」
穏やかな声が割って入る。
「カズト、これはお前が悪いぞ」
たしなめる言葉をかけてるのはトモノリだった。
その顔は決して怒り満面といったものではないが固く、目は決して揺らいでない。
穏和な所しか見てなかったトオルは意外に思った。
一緒に来た他の者達も同じである。
「使用人であっても何をして良いわけではない。
ましてこの方達は、急遽お願いして来てもらってる。
それにふさわしい礼を以って接しなさい」
きわめて当たり前の事である。
それをはっきりと言い聞かせている。
まともな神経を持っているなら、ごく当たり前の人間性を備えてるなら、それを聞いて恥じ入るところであろう。
だが、相手はまともではなかったようだ。
「ふざけるなよ、何言ってんだ!」
カズトなる床にへたりこんだガキは、そんな暴言を吐いた。
「まったくね。そんな事だから下々に舐められるのよ」
奥方も参戦する。
その言葉に、彼女の人間性があらわれているようだった。
自分たちと相手との関係をそのように捉えてるのだろう。
本来たしなめるべきは、カズトの方であるはずなのに。
「使用人が主に逆らうなんてあってはならない事でしょう。
それをわきまえず、突き飛ばす者を擁護するなんて、頭がおかしいんじゃないの」
「そうだ、お前なんかが偉そうな事を言うな」
そんな事をいう二人に、トモノリは決して何も言い返さない。
ただ、厳しい目で二人を見続ける。
その後も何事か騒ぎ立てていく二人であるが、トモノリは何も言わない。
やがて叫び疲れた奥方とカズトが部屋に戻っていくまで。
「さ、行くわよカズト。
こんな所にいても時間の無駄ですし」
「分かったよ、ママ」
そう言って、連れてきた使用人らしき者達に荷物を運ばせ、自室の方へと向かっていく。
その姿をその場にいた周旋屋から来た者達は呆然と見ていた。
「なんなのあれ……」
小声で呟いたつもりであっただろうレンの声がその場にいる者達に伝わっていく。
執事とメイド長は、俯いて小さくため息を吐いた。
それを見ていたトオルも、やはり落胆を抑えきれなかった。
(駄目だな、こりゃ)
奥方とカズトという噂のお坊ちゃんもだが、それ以上に何も期待できないという事を実感する。
(人としてはまともなんだろうけど)
たしなめるのは良い。
言ってる事もまともだった。
だが、それだけだ。
日頃からこんな調子である奥方と息子に何も出来ていない。
良い人なのかもしれないが、良い人でしかない。
まともな人間相手ならそれで良いが、奥方や坊ちゃんにはそれでは駄目なのだ。
この状況を変える事は、おそらく出来ないだろう。
(何とかしないと)
不本意ではあるが、自分の力でどうにかしていくしかないと覚悟した。
「…………というわけだ。
みんな、協力してくれ」
夜中の集りでサトシ達に向かってそう言う。
「もちろんだよ兄貴」
目を輝かしながら言ってるであろうサトシは、喜びを声ににじませている。
「私も、出来るだけがんばります」
「こっちもね。何でも言ってくれ」
サツキとレンも承諾してくれた。
「あのクソガキをぶちのめさないと気が済まないし」
「気持ちは分かるがレン、少し落ち着いてくれ」
出来れば自分もそうしたいという本音をおさえて、レンをたしなめる。
今はとにかく、やれる事の確認である。
「とりあえず、あの二人について何でもいいから情報を集めよう。
弱みになるようなものとか、知られたらまずい事とか。
それが分からないと話にならない」
モンスターのように倒せば良いというわけではない。
最終的に倒すにしても、やり方は違ってくる。
「まずは奥方やあの馬鹿坊ちゃんの様子を探ろう。
何か弱みがあるかもしれないし。
できれば、証拠になりそうなものでも持ってればいいんだけど」
「弱みってなにさ」
「何でもいいよ。
とりあえず、何を考えてるのか分かれば、どんな動きをしてるのかが掴めれば」
この時点でトオルは、相手の弱みを握って悪戯でもしてやろう、という程度の事しか考えていなかった。
現状を打破する事はできないが、せめて一矢報いないとやってられない。
本当は領主であるトモノリが何かしら動いてくれれば良いのだが、それは期待できなかった。
たしなめはするが、それ以上はしないでいるのは今日で分かった。
ならば、出来る範囲でやるしかない。
「奥方の日記でも、日頃話してる事でも何でもいい。
とにかく、何かを掴もう。
どんな小さな事でもいいから」
そのために何に気をつけるべきか、どんな事を拾い集めていくべきか。
その事についてトオルは思いつく事を三人に伝えていった。




