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瑟(しち) ~純粋なる無垢~

其の夜・・最初の夜・・と、呼ぶべきであろう時間。


私は、思いつく限りの自分自身の思い出、記憶を

其の少女に、ひたすらに語り続けようと試みる。


全身を支配せんとする凄まじいまでの快楽への渇望と

必死に抗いながら何かに気を紛らせるように必死に。


少女は最初、きょとん、とした表情で私を見つめたが

次々に出てくる彼女の知らぬ言葉や情景の描写、珍奇な事物に

何時しか目を輝かせて次々と話の続きをせがんだ。


私の語る記憶は徐々に抽象的で色彩や感覚にあふれ

具象抽象を混在させた詩的なものに成って行った。


夏の夜の夜祭、アセチレンランプの明かりと仄かな匂い。

縁日の雑踏の中から漂ってくる甘い綿菓子の香り。


真昼の静かな都会の路地裏を彷徨うように歩くときに感じる

何とも言いようのないぼんやりした白い透明な時間感覚。


冷たく冷えたカットグラスを満たした琥珀色の強い異国の酒。

其れをあおって飲み干す時に覚える焼けつくような酔い。


ぼんやりと目覚めて朝の光をベッドから垣間見つつ

遠く聴こえる異国船の汽笛に思う異郷への憧憬・・


抜けるような青空が其の裾模様をくれないに染め

いつしか漆黒の天鵞絨びろーどを身に纏って行く晩秋の夕空


初めて頬に感じる冬風の冷たさ、白くぼんやりと広がる冬の呼気

目を細めて見上げた空から落ちてくる無数の白い花弁のような粉雪


繊細で美しい言葉で綴られた宝石のような記憶が尽き


最後の最後は餓鬼の頃初めて食べた安物チョコレートの

妙に舌に媚びる安っぽい甘さの懐かしさのような思い出の断片まで・・


己が五感で知った体験のすべてを包み隠さず・・嘘偽りなく・・

乞われるまま、思い出せる限り全て・・其の少女に語り続けた。


其れは此の異形の少女にとって、どんな宝石や財宝よりも

多分価値のある、夢のような物語だったのかも知れない。


少女は私の、ほんの些細な、と思える記憶の欠片さえも

愛おしむように反芻し其の魔性の柔肌の誘惑をも

一瞬忘れさせるほどの愛らしい声で小さく歓声を上げ


私の耳朶に単純で深淵な問いをあどけなくくりかえし囁き続ける・・


それはなあに? 

それは何に似ているの? 


ねえねえ、おみさまぁ


それはどこにあるの?

それは・・=ひよみ=にもわかる?


応えは曖昧でも頓珍漢でも構わなかった・・

思わず噴飯ものの例えも明らかに間違いな形容も

その言葉に真実の色が滲んでさえ居れば

・・彼女にはすべてが驚きで・・歓びだったのだろう。


そして・・長い長い物語が一瞬途切れた時・・私は其れに気づく。


此の妖艶にして無垢な少女に私の経験してきた

俗世の言葉の駆け引きや狡猾な欺瞞などと言う小賢しい修飾や小細工が

本当に全く何の意味をも成さないのだ、と言う事実に。


私は、己の肉欲と嗜虐心の暴風雨の中で翻弄され続けていたにも関わらず

こころの底から・・驚愕を覚え、また、感動して止まなかった。


ああ、此の現世から隔絶した異界のような場所で生まれ育ち、

母亡きあと、たった一人で此処まで生きてきた此の少女には・・・

=嘘=や=虚栄=や=自負=や=嫉妬=と言うような

世俗の人間が誰しも持つであろう感情が綺麗に欠落していたのだ。


たとえば=嘘=一つ取ってみても其れは幾つもの容貌かおを持つ。


己が我欲のために吐き散らす嘘は、最後には己に絶望となって還るだろうが

人の幸せのため己を犠牲にして吐かれた美しい一つの嘘は

時として其の相手と己のみならず世界をも変え得る力となる可能性を秘める。


如何なる負の感情であっても、人が此の浮世に生き続けるためには

必要にして不可欠な、言わば人の営む社会の潤滑油の如きもので在るように・・。


其れは人間が生きていくうえでどうしても冒さねばならぬ罪科でもあろう・・。


そんな負の感情の部分が、ごっそりと欠落している人が存在するとすれば

言い方は悪いが全くの魯鈍白痴か、逆に人ならぬ神の域の何者かではないか?


まだ嘴の青い哲学青年だった頃、本気で焦がれた

=エロス(性愛)=ならぬ=アガペー(真愛)=の具現・・


全き=無垢にして純粋で、ただ求め信じ決して偽らぬこころ=の持ち主。


絶対に在り得ないと思っていた存在が、

其の時確実に私の腕の中に・・居たのだから。




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