参(さん)~蠱惑のおさな姫~
岩窟のなかに坐し、何者かを待つが如き少女。
其の本質は・・延々と続く血脈の末裔。
因みに・・日本の古語で=呪い=を=とこい=と言います。
稚拙に過ぎる習作ですが、お読み戴ける方多いと嬉しいなあ。
そばまで近づいて目の当たりにした其の少女は・・
気が遠くなるほどの美しさと稚さの中に
何処か此の世のものならぬ不思議なオーラを放って立つ。
「・・ぜったい・・来てくれない・・と・・思って・・たの・・」
先程のあの荒々しくも淫靡で奔放な神楽の名残だろうか・・
其処に佇んだ少女の白皙の肌は仄かに紅に染まり
潤んだ黒瞳は一層潤みと深みを増して、さらに扇情的な輝きを放つ。
胸の双丘はまだ幼さを残しているものの柔らかになだらかに膨らみ
緩やかに括れた曲線の続く躰から下肢に至るまで全てが
纏った絹の如き青い薄衣からはっきり覗える妖しさ。
しかも、在ろうことか彼女は・・其の薄絹以外、何も纏っては居なかった。
「・・此処は何処で・・ああ、君は・・誰?
いや・・=何=?・・
あの、神社と神楽と・・ああっ」
何か、此の世のものならぬ異様で抗しがたい圧力。
そんなものに気圧されながら私がそう問いかけた瞬間・・・
神楽巫女の少女はちいさな野生のいきものの如く
己が身を烈しい勢いで私に投げ、獲物を捕らえるようにしがみ付いてきた。
突然の行為に呆然として立つ私の鼻腔に強く香るあの蒼の匂い。
先程から香っていた蒼の匂い・・何処か扇情的な誘惑の香りがする蒼の匂い。
ああ、此の子から・・あの=夏の媚薬=が香ってくる・・のか?
じゃ、麝香猫や鹿じゃあるまいし・・生身の人間から・・そんな莫迦な・・。
少女の突然の行動と、夏の媚薬の発生源の意外性に更に呆然となる私。
すると少女は全身を私に預けるように飛びつきながら強くしがみ付いたあと
あたかも床慣れした花魁か情熱的な異邦の娼婦のように
私の首に其の繊手を絡めながら、耳元で吐息を注ぐように柔らかく囁いた。
「わたし?なまえ?・・ひめごぜ(姫御前)?・・ひぃみこ(姫巫女)?
いろんな名前で・・よばれたって・・前にきいたわ・・
本当のなまえは・・ずっとむかしとられたって・・おかあさんが。
でも、そう、・・あいつらは・・ああ、あいつら・・
あのおやしろでおどるときは、=あまのうまずめ=って呼ぶの。
あのおやしろも・・いや・・あそこのむらのおとこもおんなも・・きらい・・」
少女は憂い顔になると私の首に回した腕にさらに柔らかく力を込める。
二度と其の腕を離すまい、とでも、暗に語るかのような抱擁が続く。
少女の体温と肌の感触を感じながら、私は全身に伝わる奇妙な快美感に戸惑っていた。
薄物と私の衣類越しに触れ合っただけで伝わってくる甘い性的な渇望と疼き。
其れを振り切ろうとあえて少女の呟いた言葉の揚げ足を取るかのように
務めて冷静を装いつつ、私は彼女に厳しめの口調でわざと語りかける。
「=天鈿女=だろ、其れ。」
「ううん?・・うずめさまは・・にばんめのおねえさん。
おかあさんは・・そのいもうとの
・・ずっとあとの・・むすめの・・。」
唐突に答えるともなくぽつりと呟いた少女の言葉に
・・私は少なからず驚愕して黙り込んだ。
あまりに予想外の回答で在るばかりか、少女の口調に
明らかに真実、そうだと信じる者のみがもつ響きがあったから。
ただ、其の驚愕のお蔭でが、先ほどからぴったりと私の身体に密着した
此の少女の子供らしい熱い体温の柔肌と甘い香りの危険すぎる眩惑から逃れ
此の状況を冷静に把握せんとする理性を一瞬取り戻せはした、が・・
其れは、己が躰が此の謎の少女の両腕でひしと抱きしめられ
しかも、未だ吐息の掛かりそうなほどお互いの頬を密着させ
佇立したままクリムトの絵のように二人だけでこの場所に居るという事実を
互いの肉体の感触や少女の体温によって五感でより強く感じさせられたうえに
明確に、さらに映像的概念的に脳内ではっきり認識するという結果を呼び起こし
再び、酷く、前以上に、男として精神的・肉体的に
興奮の極地に徐々に上り詰めて行かざるを得ない事を思い知らされる。
耳元で・・これ以上無いほどの甘さと柔らかさで囁かれる言葉・・
「ねえ・・おにぃさま・・おなまえは、何ていうの・・
あ、口伝えどおりに・・聞かなきゃだめ・・なんだ・・
ねえ・・おにぃさまの・・なまえ・・おしえてほしいな・・」
抱きつき絡みついた姿勢で私を捕らえてそう囁いたあと、
彼女は悪戯っぽく、ちろり、と桃色の花弁のような舌を出し
其の鈴の転がるような声で私の耳朶にさらに唇を寄せ
今度は聞きなれぬ韻律の言葉を、直接、私の耳に吹き込んできた。
=事~問ぅわ~ん・・ 御名
告げ~たまへ~ おにぃぇさまぁ~・・おにぃぇさ~ぁまぁ~=
聴くだけで魂の蕩けるような、背筋のぞくぞくする鈴の声は
私の耳元で絶妙の速度と抑揚で緩やかに何度も繰り返される。
仔猫の甘え鳴きにも似た甘美な弱さの、抵抗できぬ=誘い=の声。
・・祝詞?・・ある種の神言?
・・いや、寿ぎ願い、其れで縛る呪言?
常世の国から聴こえくる、魂を溶かす神の=睦言=にも似た囁き。
私は、抵抗すらできず、疑問すら挟むことなく
其の甘い問いに、問われるまま、自分の本名を・・ぽつりと口にした。
「あきらけく・・真名を・・たまわりたもう。
うふふっ・・うれしい・・臣さまって・・いうのね・・。」
囁きと同時に、少女の甘い吐息が意図的に私の耳朶を柔らかく打ち
そして小さな唇が頬に柔らかく押し付けられ、其のまま、頬を這った。
感触はゆっくりと頬から全身に流れ、全身に不思議な快美感を湧き上がらせる。
そして、在ろうことか此の少女は・・其の白珠の如き小さな歯で
今度は私の耳朶を、軽く、そう、俗にいう=甘噛み=をはじめた。
此れは・・正直・・本気で堪ったものでは・・無かった。
思えば、私は・・田舎とは言え一応テレビ屋、まあ一種の色物稼業だ。
真っ当な暮らしの連中からは常に色眼鏡で見られる事も多い。
事実此の歳になるまで独りで此の稼業の日々を暮すなか
まあ、温泉番組で脱がせた色っぽいピンク女優の玉子や
色気づきすぎた水商売のちいママ、熟れたローカルタレント
仕事上の付き合いとかから発展した一夜の関係を含め
其れなりの不道徳な女遍歴も片手の指に余る程は在ったし
一応、真っ当な恋愛経験も普通程度の数は熟していた。
まあ、正直平均値から見ればかなり=後ろ暗く危うい=
三十路の独身男で俗にいう派手な業界人の端くれであり
自慢じゃ無いが、其の、女がらみでは絶対下手は打たんぞ、と言う
論拠のない自信のようなものを密かに持っていた、つまり
そっちの誘惑には経験値上常人より強い、と言う自負があった。
だが、其の少女の柔らかな唇が頬に触れ、耳朶を甘噛みされた途端
そんな四十路前のある意味ワル親父気取っていた私が、だ。
まるで童貞の中学生のように其れだけで興奮の極に達しそうになるばかりか
体の深奥に何とも暴力的で発情した野生の獣のような今まで未体験の
凶暴で冥い性衝動と嗜虐欲、いや、暴力衝動までが湧き上がり
押さえきれぬ勢いで滾り上がってくるのを自覚してしまう。
=こ、此の子、ああ、考えられる最悪のやり方で
無茶苦茶に穢して蹂躙して・・壊してやろうか。
泣き叫ばせて、そして、此処で、続く限り・・=
愛とか情欲とか言う言葉では表現しきれないほどの暗いパトス(情炎)が
私の全てを燃やし尽くそうとしている・・そんな気分に堕ちいっていた。
其れを察してか否か、纏った薄物一枚すら脱げ落ちそうな性急さで
少女は胸の膨らみから滑らかな腹部、柔らかな太腿までを
ぴったりと私の衣越しに密着させ、押し付け、擦りあげて迫り
両の腕のみか其の下肢までを柔らかく絡み付け、絶妙の力加減で
私に擦り付けながら全身を預けるように体重をかけてくる。
佇立し、縋りつかれて、もう抵抗すら出来ぬ私を
此の少女は柔らかな練絹の褥の上に
纏わりつくよう押し倒そうと・・
いや、甘く囁きながら=縋り倒そう=とする。
「真名は臣って言うのね・・きれいな名前
ね・・おにぃさま・・ねえ・・おにぃさま・・」
何とも抵抗のし難い甘く蕩ける囁きを私の耳朶に浴びせながら。
私を見つめ、悪戯っぽく光る深く潤んだ黒憧
少女らしい肢体から伝わるどこか大人よりも熱い体温
華奢なうなじ、すんなりと伸びた首筋の肌の柔らかさ
呼気のひと吐きから薄物を通して伝わる感触まで
今まで抱いたどんな女も比較にすらならないほど
此の少女の放つ妖しい色香は凄まじく魅力的で淫靡だった。
どんな男、たとえ志操堅固な宗教者であっても
此の少女の醸す、この世のものとは思われぬ色香には
瞬時の抵抗も出来ぬだろうと確信するほど。
此の子が・・自分から・・するなら
・・いっそ、ここで・・・このまま・・。
私は破壊的な程の獣欲が体の奥から湧き上がってくるのを覚える。
此の美肉に無残に牙を立てて食いちぎれと其れは叫ぶ。
もう、其の情欲に抵抗することなど殆ど不可能なように思えた。
だが、一瞬、私の脳裏に・・小さな棘のようなものが引っかかる。
実は、私は・・周囲には秘めていたが、まあ、そっちに目覚めたときから
=すさまじい巨乳好き=と言う、解り易いエロスの持ち主で
しかもどちらかと言えば肉が付きすぎとご本人が思うくらいな
ルネッサンス裸婦画のような豊満な女に惹かれる性癖があり・・・
さらに正直に言うならば、今まで同衾した女性の殆どが同年代か年上で
酷い朋輩や悪友には=女増し好み=とか=未亡人殺し=とか言う
往時全盛の日活ロマンポルノばりの綽名を頂戴したりした男であって・・・
此の手の俗にいう=未成熟系のロリ属性=と言うものが殆ど無かったはずだった。
また、さっき述べたちと不道徳なアバンチュール歴のお蔭かは判らないが
肉体的には、このような想像外の=据え膳=に出くわしたとしても
女だったら誰でもいいです、僕、即、ケダモノになりま~す・・と、頑張れるほどの
見境なさというか・・元気も勢いも失いつつある四十路間近の親父。
其れが此の異様な状況下のなか、いや、其れゆえかも知れぬが
如何に人外の魔物の如き色香と妖美な雰囲気を持っているとは言え
ある意味、未だ=こども=の部分を存分に残した此の美少女に
理性がすっ飛びかけるほど興奮すること自体、変じゃないか?
其の手の薬でも使ったわけじゃあるまいし、酔ってもおらんのに・・・
大体、此の状況で普通の神経ならこうも簡単に興奮など・・・
あれだけの事があってまだ先も見えぬ状況下で・・いや、それだからか?・・
私の中の=職業病の如き客観的第三者視点=が、
無意識に、残っていた理性を微妙に刺激し、思索を発動させ・・
其れがこころに棘のような違和感を生じさせた。
俺ってこんな子に理性飛ばして欲情するほど・・飢えてたか?
確かに私は其の時今まで感じたことの無いほどの
性衝動に突き動かされてはいた、が・・
男という生き物は不思議なもので興奮の極地の状態でも
ほんの髪の毛一筋の事象や違和感に苛まれると
嘘のように獣欲も嗜虐欲も醒めてしまう場合が時として在る。
此の時も恐らくそういう心理が偶然働いたのかも知れない。
そして、一瞬沈静しかけた私の脳裏に、ふっとある光景が思い浮かぶ。
其の小さな違和感が呼び起こした奇妙な記憶のフラッシュバック・・
妙に間の抜けた此の場に合わぬ発想の連鎖の産物・・
燦々と降り注ぐ夏の太陽の下、夏休みの午後。
滴るほどの大汗を拭って私はプールサイドに立っている。
周囲にはテレビカメラを前にして、
はしゃいで飛び回る競泳水着の少女たち。
小学校6年生ともなれば此のご時世だ・・もうすっかり発育し
出るとこは出て括れるとこはしっかり括れていて
しかも、まだ女としての羞恥心が未成熟なものだから
時折在り得ないようなポーズや実に扇情的な行動を
無意識のうちにカメラ前で公然と繰り広げたりしてくれて・・
・・だ、駄目だ、此れ、此のままは絶対に映せねえぞ、優勝インタビュー・・
目のやり場に四苦八苦しつつ、インカムに怒鳴られながら
なんとか其の半裸の小娘たちを整列させようと奮闘する
日焼けしたTシャツ短パンサングラスの若き日の己の姿と
はしゃぐ競泳水着の少女たちてんこもり状態な周囲の状況。
ああ、あのころはまだ夏の陽差しも気にならなかったなあ・・
プールの塩素の匂いは・・此の少女の放つ芳香に幾分似てるかもなあ・・
あの時も少女たちの肢体は・・薄い競泳水着から透けるようで・・・
・・・思えば、夏の県少年少女競泳大会・・
あれで・・そう言えば・・興奮したか?・・俺・・・
此の子よりも充分に=おとな=な子も居たんだよなあ・・
一位取って微妙に舞いあがって、インタビューマイク向けたら
いきなりはしゃいで抱きついてきた子・・居たよな。
其れも十分生育済みみたいなスタイルのあの薄い水着越しの肌の感触・・
ああ、間違いなくロリコンの気は無いって思った気がするんだけどな・・俺。
現在置かれている、非日常な何とも剣呑である意味罪深い状況の中
いきなり脳裏に浮かんできた何とも場に適格のようで不似合のような記憶。
そして、其れが心中に呼び起こしたのは・・かなりシニカルな微苦笑。
此れじゃご都合主義の3流エロ漫画よりまだ・・酷いシチュエーションだわな。
急に苦笑する私を見、少女は一瞬吃驚目になって囁きを止め抱擁を緩める・・。
私は、ようやく其の抗い難い誘惑の連鎖から辛うじて一瞬解き放たれた。
幾分回復した常識と理性は此の状況に本能的な注意信号を鳴らす。
・・違うよな、此れ・・何処か絶対に普通じゃない。
・・ほぼ初対面の男に抱きついて、そういう行為求める女の子が普通居るか?・・
・・愛とか恋とかそういうレベルの感情じゃないだろ、肉欲?・・
・・いや、大体、此の身体、どう見ても何というか=未経験=だろ・・
・・何が違うかは正直判らん、が・・絶対に何か、ヤバいぞ・・此れは。
さっきから感じる、此の子の肌や唇から伝わる戦慄的な程の快美感。
あの、凶暴な衝動さえ起こさせる嗜虐心さえ掻き立てる抗い難いオーラは何だ?
そして、言葉の端々に奇妙な単語や何処か古めかしい古語が現れるのは何故だ。
其れに、まず、あの神楽とあの洞窟と此の妙な岩屋は何なんだ?
あの神楽・・まるで陶酔したような演舞・・鬼気迫るくらいの凄さも
熟練した演者の其れと言うより何かが憑依したような此の子の=舞=も
此の子・・あそこで=あまのうまずめ=って呼ばれるって・・言ったな。
そうだ、まず、一番の疑問・・此の子はいったい誰、いいや此の子は=何?=だ。
瞬時に脳裏に浮かんだ様々なものが遂に私の獣欲を押しとどめた。
私は全身が求める抱擁の継続を辛うじて堪え
半ば叫ぶような切羽詰った声で少女に向かって言う。
「ちょ、ちょっと、待った・・おちびさん。・・ちょっとタイムっ!・・
ごめん・・さ、最初ッからこういうの・・俺、多分・・駄目なんだよっ!」
其れでも・・ひしと巻きつけられたしなやかな手脚を振りほどき、
これでもか、と密着した柔らかな体を引きはがそうと試みることは
正直、残っていた理性のほとんどを使い尽くさねばならなかったが
私はかろうじて其の苦行をやり遂げ・・どうにかこうにか・・
少女を練絹の褥の上にちょこんと座らせることに成功する。
少女は、私の抵抗がかなり予想外・・とでも言いたげに
其のあどけない表情に幾分不満げな色を滲ませていたが
今度は横座りで私に体を密着させ、全身をもたせ掛けながら
吐息で語る睦言の如く囁きかけてきた。
「・・おにぃさま・・わたしのこと・・きらい?」
先程以上に淫靡に、また、儚げに見えるだけ強烈に・・
此の媚態の誘惑に抵抗できる男なぞ此の世に存在しまいと
思わず確信してしまいそうになる魔性、いや異界の妖花。
再び自分から抱き寄せそうになるのを必死で堪えつつ
私は此の得体のしれぬ、異界の誘惑者の如き少女に対峙する。
な、何か気の紛れるような事でもしないと
・・こりゃ、俺・・堕ちるのは時間の問題だぞ・・
と、とりあえず・・そうだ、こっちから話しかけて・・
実際・・何か喋っていないと、自分でもどうなるか判らん。
此の少女はそう思わせるに足る=危険な香り=を未だ放ちつづけており
さらに積極的すぎる行為に己が身を任せ、主導権取られて居たら
間違いなく数分と持たず、先ほどかろうじて取り戻した理性の欠片さえ
一瞬で雲散霧消してしまうことは・・まあ、火を見るよりも明らかだ。
私は少女の目を逆に見返すようにして、子供を諭す口調で喋りはじめる。
ああ、如何に普通じゃ無く、色香の塊のようなオーラを放っていても
此れは、そう、此の子は=こども=なんだわな。
・・あのプールサイドではしゃいでたのとそう違わない、
=抱きしめて=やっても=抱いちゃ=いけない=こども=。
必死に心中で自分に言い聞かせながら・・懸命に理性を保とうとしつつ。
「好き嫌いとかじゃなくて、君の事知らないんだよ、俺。
それなのに、な、何と言うか、その・・こういうのは苦手だから。
あ、そ、そうだ・・まず、君の名前・・聞きたいな・・
君、名前は何と言うの? 俺に・・教えてくれない?。」
兎も角も言葉を途切れさせまいとしながら私が呟いた
苦し紛れの、実に平平凡凡な、初対面の挨拶に近い一言は
意外にも此の妖しくも可憐な少女の興味を惹いたらしい。
「・・わたし?・・なまえ?・・
うん、・・=ひよみ=って言うよ・・
おかあさんも、そのおかあさんも、=ひよみ=。」
=ひよみ=?・・・・幾分以上に変わった名前だな・・
どんな字を書くんだろう、=ひよみ=?・・判らんな。
其れに母親も祖母も同じ名前って、其れも変って言えば変だけど・・
まあ、一族で世襲の名前というのも此の世には存在するし・・
と、兎も角、興味を示してくれたのなら其処を・・・。
少女の反応を見逃さず、私は、再び湧き上がりかけた獣欲を必死に押さえつけ
更に甘さを増し媚びるように潤んだ眼差しに惹き込まれまいと抵抗しながら
其れでも少女の潤んだ黒瞳を真正面から逸らさずに見つめ
職業用の思いっきり優しそうな子ども向けの微笑を作り、問いを続ける。
「ふうん、そうなんだ・・じゃあさ、
・・=ひよみ=ちゃん?だっけ?
・・此処は何処なのかな?
・・そしてこの場所は何なのかな?
そして・・その、=ひよみ=ちゃんの
おかあさんは、今、・・此処の何処かに居るの?」
「おかあさん・・
いま・・
ここはどこ・・」
どうやら私のごく普通の直裁な問いは、此の異界の妖花の少女にとって
こころの深奥の琴線に触れるような種類のものだったらしい。
先程とは異なり、少女は何故かふっと表情を変える。
幾分曇った、何処か辛そうな、憂い顔に似た色に・・
そしてほんの一瞬、考え込むような風情を見せていたが
すぐに花弁のような唇をきっと結んで私を見つめ
吐き出すような、今度は幾分強い口調で私に答えた。
「じゃあ・・おにぃさま、おはなししたら、
ひよみのおはなし、と・・おねがい・・きいてくれる?
なら、ひよみ、おはなし・・する・・けど。」
打って変わって真剣な表情と切なげな眼差しになった少女。
其の急激な変化を見、凄まじい誘惑のオーラが薄れたのを感じ
安堵と同時にかなりの戸惑いは覚えたものの、私は・・
此の膠着状況を何とか更に好転させようと、必死で頷いた。
「ああ、いいよ・・・まあ、俺が・・
此処で・・出来ることだったら・・・だけど。」
其れは言質を取られぬよう無意識に出た職業的な・・
極めて曖昧である意味狡い、如何とでも取れる返事だったが
何故か少女はほっとしたような笑みを浮かべると
きちんと褥のうえに正座し、居住まいを整え、私を見つめ・・
かなりの真剣さを滲ませた声音と口調で・・
「じゃあ、おはなし、します・・きいて・・=臣さま=・・」
少女の私を呼ぶ呼称が何時の間にか先程の=おにぃさま=から、
私の名前に変わっていたが其の時、私に其れを意に留める余裕は無かった。
思えば・・・ああ、其の変化こそ私がいのちを拾う重要なきっかけであり
また其の後の私の人生を変える大きな分岐点だったのだが。
そして・・少女の言葉は・・・堰を切ったように此の奇妙な空間に溢れ出す。