柔玖(じゅうく) ~ひよみとひよみ~
空間と時間を越え偏在する偉大な其れ・・
其れはひよみでありひよみの祖であり
そして何よりも・・・原初の母性。
男にとって其れは究極の癒しであり憧憬やも知れず。
何時しか蒼の流れは銀色の群れに到達し・・そして
大きな大河がいくつもの細流に分かれるように
一体の=よもくぐつ=が各々一本の銀の樹の根方へ
ひきつけられるように歩み寄っていき、・・
しっかりと寄り添うと、ぴたりと、其の動きを止める。
私は、半ば呆然として其の蒼い流れの変化を見守るほかに無かった。
次々と起こる想像外の事象に眩惑されて・・
今、此処で起きている此の世のものとは思われぬ程、
鮮烈で幻想的な光景に魂を揺さぶられて・・
私の背後で、ことり、と言う何かの落下音。
振り向けば此れも呆然と、いや、
此方は陶然としたと言う表情。
私同様、此の光景に魅入られたようになった
=ひよみ=の伸ばした手から、あの=かがみ=・・
すべての発端になった=あまつみかがみ=が
よみぢ(黄泉路)の白砂のうえに転がり落ちた音。
不思議なことに、其れでも此の空間に満ちた
蒼の光は煌き、輝き、舞い続けて・・消えることが無かった。
私の手の中のアルゴン・ライトの光の矢は
とうに=かがみ=から外れ
光の洪水のような此の蒼の光球のなか、
確認すら出来なくなっていることに
私は其の時初めて気付き、
思わず息を呑んでさらに固まってしまう。
既に此の空間は・・明らかに完全な=異界=に化していたのだ。
そう、此処に棲み暮らし、育った=ひよみ=にとってさえ。
経験で理解できず、感覚でも判じえぬほどの異様な状況に。
其れが果たして何を意味しているのか?
私と此の永劫の時の囚人の如き神の末裔にとって
更なる不幸や業苦の始まりなのか、其れとも・・・
私の驚愕と困惑は切ないほどの寂寥とこころの震えを呼び起こす。
私はふらふらと=ひよみ=に歩み寄る。
そして、=あまつみかがみ=を掲げた姿勢のまま
固まってしまった=ひよみ=の手を取り、
しっかり握りしめ、ゆっくりと下すように導きながら、
其の震える肢体を私の体躯の中央に抱き寄せた。
そして、ものも言わず、また、言わせもせず、思いっきり抱きしめる。
蒼のひかりの渦のなか、今度は私と=ひよみ=の・・時が止まった。
互いの肌の温もりを共有し、シンクロしてさらに激しく脈打つ胸の鼓動。
興奮と陶酔の極で殆ど喪心状態になった=ひよみ=の肌からは
あの、蒼い香りが湧き上がるように匂い立つ・・まるで深い杜の樹下のよう。
其の=夏の媚薬=に包まれ、完全に同化され、私たちはひとつになる。
無意識のうちに私は、いや、=ひよみ=も
・・お互いの唇を求めていた。
先夜のぎこちない其れとは異なる、
性行為の前戯の如き、ものすごく深いキス・・
其れも何度も何度も繰り返し厭かず・・
そして・・此の少女の唇の柔らかさと甘さを
私が肉体のみならず其のこころの深奥で強く意識した瞬間・・
今までとは比べ物に成らぬ程の
豊かで甘やかで何処か切ない・・音にならぬ声が
私の脳裏に殷々と響き渡るように広がってきた。
~にぃえのとこいを・・解かんとする御方・・
よもや在るまじと思いしに・・この血の果てに至り・・
請い願い恨み・・ああ・・にぃえのとこい・・ここに・・~
其の声は間違いなく=おんな=・・
其れも其の響きの全て、ニュアンスの全て
息遣いや抑揚の全てに至るまで・・
=おんな=が満ちている声。
ああ、違う、=おんな=なんて一言で片づけられるものじゃあない・・・
とてつもない豊饒さと甘さ、底知れない深さ、うねりの如き情感・・
其れはまさに原初の・・源母の=声=だ。
古代老荘思想で世界を産んだ雌と呼ばれた究極の女性原理・・
=元牝=の声とは斯くや・・と思わせるほど
滔々と豊かで優しく、しかも圧倒的な力を感じさせる=おんな=の=声=。
先程=よもくぐつ=が向かっていったあの=樹々(きぎ)=から?
いや、其処だけじゃない、もっと近く、でも、はるかに遠い。
ああ・・此れは・・いったい、何処から来て何処に還るものか。
私の触れ合った=ひよみ=の唇と肌、其の肢体全てを通して
彼方の何者かと共鳴し鳴り響くかのように・・
私の内面に、其の深奥にまで届いてくる、其の=声=。
ああ、間違いない・・此れは・・=女神の声=だ。
あらゆる男、いや、雄が平伏し
その身さえ捧げて止まぬが如き原初のいのちの根源、
あらゆるものを受け入れて愛し、縛り、与え、奪って
・・そして産み育むものの・・=声=だ。
其の圧倒的な何かが、今、=ひよみ=と繋がっている・・
何の根拠も無かったが、そう確信できる・・理性知識を超えた何処かで。
其れと同時に私は、其のあまりに豊かで大きなうねりに巻き込まれる。
其処に在ったのは、かつて経験したことの無い、
想像すらできないほどの圧倒的で大きな安息感。
全ての悔恨、慟哭、羨望、焦燥、恐怖、憤怒、絶望・・そんな感情が
そのあまりに大きなうなりと豊かな波紋のなかに飲み込まれて行く。
・・こ、此れは・・・何だ・・
・
此の・・ああ・・でも・・もう・・
ああ・・どうでも・・
もう・・
いいかも・・
陶然とし、目を閉じ、其の豊かな声なき声のうねりに自ら進んで包まれる私。
其の私のこころの動きを感じ取ったように甘やかに震えながら
全身全霊で私に、其の肢体のみならず彼女の全存在に至るまでを無心に預け
細胞や分子のレベルを超え魂の領域でもひとつになろうとするが如くに
全身を脈動させ、縋りつき、絡みつき、抱きついて止まぬ=ひよみ=。
私のなかの何かが・・溢れ出し・・渦巻き・・
また砕けてはひとつになり、滔々たる流れとなって
抱きしめた=ひよみ=の激しい心音と共鳴する様に拍動しつつ
一気に、私の腕のなかで震えながら抱かれている
いや、既に私とひとつに成り掛けている=ひよみ=の中に流れ込む。
凄まじく甘い、そして、心地よい喪失感と快美感。
限りなく続く性的な絶頂のような、いや、其れを遥かに超えた快美。
際限なく昇り詰め、果てしなく墜ちて、また、さらに昇り・・・
飽くことなく繰り返される交歓のように溢れ、うねり、弾ける。
私は肉体のみならず魂までもが震え慄きつつ
其の此の世のものならぬ喪失感を伴った快美感に飲み込まれ
包まれ、侵されながら、さらに其れを恋焦がれるように
進んで甘受しようと己の全てが希求するの感じていた。
その先に在るだろう深淵に覗くのは・・
ああ、生物としての死だろうか。
其れとも、人が誰一人知らぬ神域への転生か、
奈落へ落ち往く魂の業罰か。
ああ・・そんなもの・・
もう・・どうでもいい・・
そして、其のとき、私は、・・
何であろうと其の全てを甘受し、
喜んで其れに身を捧げるだろう・・
と、言う確信に満ちていた。
其れを悟ったかのような=ひよみ=の抱擁は
さらに甘さと豊かさを増し、私を包み込んでくれる。
私のなかで、更に豊かで甘い、柔らかい、やさしい
其れで居て決して逆らうことの出来ぬが如き・・
此の世のものならぬ透き通る声音の=無音の声=が響く。
~わがつみの とこいは此処に すでに在らじ・・
此の子を我が末を縛れし縛鎖は此処に在らじ・・
全き子に生まれ、全き子を産む、あきつまのひととして・・
われらが、其の血のとこいのなか、ひたすらに望みこがれし・・
ああ、=ひよみ=の末裔を
寿ぎし男
汝が名を・・賜え
・・我らが=みたま=に・・賜え~
私は凄まじいまでの快感と多幸感のなか、
其の荘厳なほど甘い問いに応え、己が名を口にしようとする。
が、其の唇は=ひよみ=によって
柔らかく果てしなく優しく貪られていた。
どうして良いかすら判らず、陶然と快美と安息のなかに漂う私。
其の時、聞き覚えのある小さく震える声、
だが、素晴らしく甘やかな声が
私の中の何者かとひとつに成りながら、其の問いに応えた。
~おみさまって・・いうの・・
=ひよみ=の臣さまなの・・
どこまでも・・いっしょって・・
やくそくして・・くれたの・・~
ああ、=ひよみ=だ、・・私の=ひよみ=だ。
此の世にたったひとり、私の全て、私の存在意義。
わたしの・・わたしの・・大切な・・
圧倒的に豊かな甘い声は、其の健気な囁きに微笑むように応える。
~臣と言う男・・汝に我が祝を。~
~われらがほぎを・・祝を・・~
~汝に・・祝を・・われらの・・~
先程の=ひよみ=の囁きに似た声が、
=無音の声=が、数限りなく集ってくる。
其れは先ほどのあの銀色の樹々(きぎ)の切ない絶唱の
淡い哀れさを、まだ幾分残してはいるものの
明らかに=ひよみ=と同様に・・此の偉大にして甘美な・・
=女神の声=の眷属とわかる色合いに変わっていた。
見るとも無く向けた視線の向こう・・
蒼に染まった=よもくぐつ=と寄り添うように立つ銀の樹
其の群れは何時しか個と個の境目さえぼんやりするくらいに
蒼く何処か暖かい輝きに包まれ脈打つように光り続けている。
ああ、此処は、今、=女神と其の末裔=の声で・・
空間も次元も時空も柔らかに満たされ始めているのか・・・。
そう感じながら私はさらに深く強く其の快美感と抱擁の甘さに溺れていった。
圧倒的に豊かな=女神のこえ=と同調し、
溶け込むように響いて、繰り返す・・幾つもの切ない=声=。
其れを全身で感じているであろう=ひよみ=の抱擁は
果てしなく柔らかく優しくしっかりと私を捕らえ・・・
これ以上ないと思えるほどあの蒼い香りを湧き立たせ・・・
原初の混沌のような重さ深さ甘さ豊かさが私を包む。
ああ、蕩けるようだ・・からだも、こころも、魂の全てが。
私は・・己が全てを・・其の=声=と
=ひよみ=の体躯の温もりに・・委ねた。
もう・・何も怖くない・・何も・・悲しくない・・。
だって・・私には・・こんなにあたたかい・・
=ひよみ=が・・いるんだもの・・ああ・・まるで・・
まるで・・ぼく(私)の・・あの・・ああ・・・
~ふふっ・・臣さまぁ・・あまえんぼ・・~
擽るような=ひよみ=の囁きに木魂して
数え切れぬほどの甘い切ない柔らかい、くすくす笑いが響く。
なんて、やさしく暖かい笑い声だ・・鈴の鳴るような・・
次の瞬間、この地下の空間、黄泉路を満たしていた
蒼い光の渦と圧倒的な=無音の声=が一点に凝縮するように
私たちの中心に収束し、一気に縮まり、そして・・弾けた。
私と=ひよみ=は意識の中でも分かちがたいほど抱き合ったまま
幻想と奇跡の境目のような怖いぐらい蒼い空間の中に落ちていく。
怖くは無かった・・湧き上がる高揚感と抱きしめた=ひよみ=への
愛おしさで、私は至福の境地にさえに在ったのだから




