従碌(じゅうろく) ~黄泉路~
かつて伊弉諾もオルフェウスも妻を求め
暗黒の黄泉へと向かった・・此の贄の岩戸の深淵。
其処に在るのは何か・・
主人公と小さい神の裔の逃避行が始まる、そして。
改めて行く手を見れば・・・
=よもくぐつ=たちの手にした松明の如き明かりに照らされ、
一条の道に似たものが白砂の上にぼんやりと続いている。
其れの灯りは岩屋を照らしていた周囲のものを持ってきたらしく
岩屋自体はどこか深い重い暗闇の中に沈んだような様相を呈していた。
其の白砂上の一本道を私は=ひよみ=の手を取ったまま進む。
私たち二人が通り過ぎると左右に佇立していた=よもくぐつ=、
白磁の肌の人型たちは、貴人に従う官吏か衛士のように
私たちの後ろに付き従ってふわふわと無言でついて来た。
お、送り狼って・・訳じゃないよな
・・此の・・のっぺら姉ちゃん。
い、いや、姉ちゃんじゃなくて、
俺同様の=おとこ=の成れの果て・・か。
=ひよみ=はさっきから無言のまま私の手をしっかりと握り
幾分先にたつような足取りで白砂上の一本道を進んでいく。
其の先には、二日前私が入ってきたのとは違う=洞窟=の入り口が
壁面に暗く深く口を開けていた・・これも先の見えぬほどの深さで。
「臣さま・・あそこ・・
=くらと=のいりぐち。
あそこから、下に下りていける・・はずなの・・。」
左右に佇立していた最後の=よもくぐつ=が二体・・
私たちの通過を待っていたように、すっ、と目の前に出
先にたって露払いのごとく松明のような明かりをかざす。
ひょっとして、この、白い連中・・案内をしてくれるのか?
と、いうことは、こいつら・・やっぱり何らかの意思が残ってるのか?
そう言えば最初に出てきたときに、頭の中に何か聞こえたな。
あれは、此の連中の=声=だったってことか?
考えれば考えるほど訳がわからなくなる事ばかりだったが
少なくとも私や=ひよみ=に危害を加えることがないのであれば
明かりを照らし、先に立ってくれるだけでも在り難い。
其れに不気味では在るものの、こっちに敵対せぬ存在と判れば
其の不気味さも何処か神秘的にさえ見えてくるのは不思議だった。
あ、案外、頼りになるじゃねえか、=のっぺら姉ちゃん=たち。
其の時だ、また、私の頭の中に何か合成音声のようなものが・・
今度は微かに、幾分囁くように聞こえてきた。
~よみじをゆかれたまうおんかたさまわれらをさぶろうてゆかれたもう~
~われらのねがいをかなえたまえおんかたさまにえならぬおんかたさま~
~われらとこしえのとこいをはらいたまうおんかたさまにかしこみもうす~
最初に見たときに聞こえてきた・・あの声と同じものだ。
おんかたさまって・・たぶん、俺のことなんだろうが・・
=さぶろうて=って・・侍うって事か。
随行させろって言ってんのかい、此の、=のっぺら姉ちゃん=たち。
気づけば、前を照らす二体以外の=よもくぐつ=は
私たちの後ろから綺麗に二列に並んで付いて来ていた。
各々が其の手に持っている明かりは消していたが
連中には逆に必要が無いのかも知れなかった。
なにせ、目も無ければ鼻も口も無いから当然と言えば当然だが。
此処にきて・・スタッフ大人数になった感じだなあ・・
いっそ其の顔に番号でも振って置くと判りやすいかもなあ・・
状況の劇的変化は私の心中に幾分の安堵感と期待を生み
先の成り行きへの不安をかなり軽減してくれるとともに
持ち前の好奇心や世を茶にする諧謔性を復活させてもくれる。
其れに・・何より・・ああ、今は・・=独り=じゃない。
私の手を固く握った、幾分幼ささえ感じる小さな手。
其の存在感と温もりが私を一番に勇気付けていた。
「・・じゃあ、行くよ・・=ひよみ=。」
「うん、いく、・・臣さまと・・どこまでもいっしょ。」
こんな想像を絶する状況の連続のなかでさえ・・
=ひよみ=の声が何処か弾んで聞こえるのがとても愛らしい。
明かりを掲げた=よもくぐつ=に導かれ・・
また、幾つもの=よもくぐつ=を従者のように後ろに従え
私は、小さな神の裔とさらに深い闇の底へと向かう。
下に続く岩窟は=贄=神社から私が辿ってきたもの同様
底に当たる部分が乾いた白砂で覆われた通路の如き様相で
先が見えぬほどの奥まで延々と続いているような雰囲気。
幅は大人が2~3人横並びの隊列で歩いて通れるほどだった。
ただ、神社からあの=にえどこ=に続いていた岩窟と
明らかに違っていたのは其処に漂う空気の匂い、いや、感じ。
何処か湿った、本能的不安感と生理的嫌悪感をもたらすような、重い・・
死を前にした生き物の最後の呼気のような・・=空気=。
先を行く=よもくぐつ=たちが掲げた松明のような明かりが
其の空気に反応して時折ぱちぱちと爆ぜるような音を立て
ゆらあっ、と勢いを増すたびに、壁に伸びた影が色濃く揺れる。
先ほど=ひよみ=が言った=よみぢ(黄泉路)=という言葉が
感覚的に判る、生命のあるものの進入を拒むかの如き空間。
此の通路に入ってから暫くして、
すっかり黙ってしまった=ひよみ=の
私と繋いだ手が小刻みに震えるのが判る・・
まるで雨に打たれた仔猫のようだ。
そりゃあ・・怖いだろう・・
あそこから出たのは今日が初めてって・・
神社に連れて行かれたのも初めてって・・
=ひよみ=・・言ってたものな・・さっき。
私は=ひよみ=の手をさらにしっかりと包むように握り返す。
其れに応えるように少女の手の細かい震えが幾分収まっていく。
そして小さな安堵の溜息のような呼吸音とともに
少女の不安げな言葉が、私の傍らから、か細く聞こえた。
「臣さまぁ・・ここ、もう・・
=くらと=の中・・だと・・おもうの・・
ちょっと、こわい・・=ひよみ=。」
「=くらと=か・・そう言えば、
路が平らになってきた感じがするな。
暗くて良くは判らないんだが・・
実際少し・・広くもなって・・」
其の時、再び私の頭の中に、
今度は幾分切迫した=あの声=が響く。
今まで聴いたことの無い微妙な緊張感と
感情の発露のようなものを伴って。
~おしずかになさりませおんかたさまここはしこめのしんいき~
~しこめはよみじのもりびとにしてけがれおおきおぞましきもの~
=よもくぐつ=たちは一様に周囲を見回すが如き動きを始めている。
中でも先を行く二体は、其の後姿に尋常ならぬ緊張が垣間見えた。
まるで生きた人間の背中を見てでもいるような感覚に襲われる。
~くぐつはみなこれひよみのたてこれおんかたさまのたてに~
~われらがとこいをはらいたまえにえならぬまれびとのおんかたさま~
ある種、臨戦態勢で行軍中の1小隊と化した=よもくぐつ=と私たちは
だいぶ平らになってきた白砂の道を岩窟の奥へと注意深く進んでいく。
物音ひとつ無い、ぬばたまの闇を照らすのは二本の松明のみ。
私と=ひよみ=の潜めた呼吸の音だけがやけに響く=よみぢ(黄泉路)=
其れは何とも形容しがたい異形の道行には違いなかったが
奇妙なことに私は必ずこの先に何か明るいものがある、と確信していた。
前方の深い闇の中から、僅かな空気の動きのようなものが感じられのだ。
同時に何か湿った、水の匂い・・だが今度の其れは、不快なものでは無い。
先程から、いや、数夜前から私に纏わりつくように香り立っていた
あの=夏の媚薬=のような蒼い匂いのさらに強い気配と言うか香りと言うか
其れが幽かに前方の闇の中から微妙な湿り気とともに漂ってきているようなのだ。
あの岩倉の如き堂状の・・=にえどこ=がある岩窟のなかで
=ひよみ=は此の香りを濃く漂わせる清水のような清冽な水を
私に与えてくれ、また自らも何の躊躇も無く飲んでいた。
つまりあの=夏の媚薬=入りの水は少なくとも安全なものであり、
あの岩倉に座していた=ひよみ=の元に存外簡単に届けられるような
ごく、日常的な=供物=、飲み惜しみとかする必要すらない・・
=ひよみ=に言わせればなんでもない=おみず=だったのは確かだ。
と、すれば、あの岩窟の中か其の至近に必ずあの水の大元が在るはず。
如何なる状況があの奇妙に蒼い香りの一種の魔力を持つ=水=を
この世に生み出しているのかは正直想像の範囲を超えては居たが
水であれ空気で在れ其れが無から発生しているわけでは絶対に在るまい。
何かが混合され、あのような香りの水に成っていたとしても、だ・・
そうなる前の=水=は、おそらく普通の地下水源であることは間違いない。
このような洞窟に存在する地下水源の多くは地上の雨が浸透し
山から平地に流れるときに生まれる地下の伏流水だと言われている。
つまり、水源がある、という事は此の洞窟にも何処か入り口が在るか
出口が存在する可能性が大きいという事になる・・・。
本当なら私が二日前に入ってきた洞窟を逆に辿って出て行けば
確実に外に出られるという事は間違いのない処では在った・・が
先程の岩倉であの高床の褥から脱した時、確認できたことだが
本来私辿ってきたほうの洞窟の入り口はあの白砂の床が沈んだことで
床から5~6メートルは上の岩壁に開いた穴になっていた。
私一人でもフリークライミングもどきの荒行になるのは確実なうえに
此の=ひよみ=と言う嫋やかだがある意味充分に発育中の少女同伴で
容易に登ったりできる場所では既になくなっていたと言うのが事実だ。
と、すれば此のもう一つの岩窟を行けるところまで行くしかない・・
其処には、=ひよみ=の言に嘘が無ければ、いや、
此の子は其の生まれ育ちの故か自分から意図的に
=嘘=なぞ吐けぬ、いや吐く必要さえ無かった子なのだから・・
確実に上、つまり=あきつま=に出る出口が此処には存在する。
あとは、其れを探しだせば良い、単純に言えば其れだけのこと。
そして、今はあの白い人型、=よもくぐつ=たちが
一体どういう風の吹き回しなのかは知らず、此方の味方になっている。
しかも、=ひよみ=には如何なのかは定かではないが
最初の遭遇時から、私には連中の声らしきものが何故か聴こえていた。
いや、脳内に直接響いてきたように思えた、と言った方が正確か。
少なくとも此の=のっぺら姉ちゃん=たちと意志の疎通は出来そうだったし
不気味で妖しい分、こっちの味方となれば存外頼もしい気さえする。
ただ一人あの神社の本殿に放り込まれ放置された以降の状況を思えば
少なくとも悪い方に転がって居ると言う感じはしなかったのだ、正直に言えば。
まあ、其の妙に期待感と希望に満ちた様な想像でさえ
楽天的に過ぎる私自身の持って生まれた性格ゆえかもしれなかったが・・
尤も、=よもくぐつ=たちの先程からの反応を見ると、
此の洞窟は、ある意味、危険と困難が同居している
かなり難易度の高い脱出ルートだというのも確かそうだった。
此処まで来たら出たとこ勝負、
行くしかなかろうよ・・ご一同。
私はいつもスタッフに呼びかける口調で=くぐつ=に心の中で呼びかけた。
どうやら此の期におよび、普段の人を喰った根性と莫迦が
私の中に蘇って来たようだ・・幾分、鈍感な勇気、やけくその度胸を伴って。
そんな私に応えるかのように頭の中にまた声が響く・・
なにか合成音声のように聞こえる其れは紛れも無い=よもくぐつ=たちの其れ。
ただ、先ほどより心なしか人間臭い響きに思えるのが不思議では在ったが。
~ここよりは かみのえにわ
ここをぬけねば さきはあらずとおぼしめせ~
~おんかたさま われらに
あずさゆみとりて さぶらえ と
みことのりをたまえ~
先頭の二体の=よもくぐつ=がゆっくりと此方を振り向いて頷く・・
其れと同時に連中が手にした明かりが高々と掲げるように持ち上げられる。
其処には炎の揺らぎに照らし出されたちょっとした空間が広がっていた。
そして其の空間の光景は今まで以上にぞくりとする異様な風情だった。




