壱(いち)・・始まりの夜と闇
※此の物語は純粋な創作物でありフィクションです(笑)
田舎のテレビ屋をやっていると・・
時折奇妙なものに出くわす。
深い山間の集落や離島の村などに稀に其れは在る。
例えば・・集落特有の言い伝え、
芸能の形を借りた呪詛の如き秘祭。
異様にさえ見える一種の習俗
県境の山並みを分け入った一本の林道の突き当り
すべて屋号で呼び合う十数件の集落。
其処に平安時代以前からの古謡に合わせ
まだ少女の年頃の=巫女=が舞う=神楽=が在り
其れは近々に国の重要無形文化財指定は
まず間違いない、と言われるほどの
歴史的にも民俗的にも希少な芸能神事だ・・
と、匿名の情報提供が私の元に入ってきたのは大分以前。
種々の情報ルートを駆使し事実を確認した後
其の噂はしっかりとした確証に変わり
地元の感情を刺激せぬよう最小限のスタッフを率い
私が其の地区に入り込んだのは丁度初夏のころ
平地では聞きなれぬクマゼミの声が聞こえ始めていた。
その日、6年に一度の=姫神楽=が奉納される。
其の事実を確認してから交渉に入り、
村役場やら県、地元出身の代議士から、果ては文科省まで
あらゆる伝手を使い尽くして数か月・・
ようやくに地元の撮影の許諾が出たとあって
私をはじめスタッフは其れなりの興奮を感じつつ
職業的期待に胸を躍らせ、其の集落に赴いた。
其処は僅か数十件の民家より他に何もない山奥の孤立集落で
週に2度の移動車両スーパー以外に外来者はほぼ皆無。
その代わり昭和初期のような牧歌的な田舎風景が
緑濃い山裾の自然に囲まれて息づいているような地区。
住人は老人ばかりかと想ったが意外にも壮年も多く
限界集落という訳ではなさそうだったが、僻村は僻村で
役場も駐在もひとつ手前のバスの来る大きな集落にあり
子供たちは寄宿する形で其の集落の小中学校で学ぶとか・・
流石に電話こそ在るものの自動販売機すら見当たらぬ
長閑を絵に描いたような・・何処か懐かしい感じの場所。
村に入って暫くは、私たちもテレビ屋根性を忘れ
まるでこどもの頃の夏休みに返ったように
清冽な水の流れる小川に手をつけて山水の冷たさに喜んだり
昔ながらの茅葺の屋根の連なりに歓声を上げたりした。
こりゃ、案外、楽しい取材って事になるかもな・・
何とも牧歌的で街とは違う時間の流れる此の村に魅かれながら
私たちは何処か幸運の予感さえ覚えつつ、村の中央に向かった。
事前に調査した周辺の住人や近村の役場職員によれば
其の神事は深夜から始まり暁闇に至るという事で
私たちも半ば野宿か車中泊の撮影行という
強行軍の覚悟での取材行ではあったのだが・・
役場の職員から、最初に此処を訪ねろと言われた
集落の区長の老人は存外好意的に迎えてくれ
挨拶と多少の世間話を交えた雑談の末
スタッフ一同を自宅の離れに一夜置いてくれると言い
如何にも善良そうな表情で笑った、
いい事があるかな、という予感が当たった気分で
私はますます此の僻村が心地よい場所に思えてきた。
「しかし、宿まで一瞬で確保しちゃうなんて・・
灘島さん・・噂どおり、=年寄相手=だと強いっすねえ。」
若手のスタッフが奇妙に感心したように呟く。
「流石、伝説の=人ったらし=って
言われるだけの事はありますってか・・」
往時の私の渾名は=人ったらし=という存外に剣呑なものだった。
とは言え、別に魅了の魔法を持つ異能者
などと言う最近流行のRPGのキャラのような法螺話ではない。
どんな気難しそうな相手からも
会話する中で、放送に必要な核心に触れる一言や
素人の飛び切りの笑顔を引っ張り出してくる・・という
ベテランアナウンサー顔負けのインタビューアーには必須な
天性の=愛嬌=と=好感度=を合わせ持つ男という評判を
「人っ蕩しの灘島・・頑固爺い殺しの灘島。」
などと、業界らしく物騒に表現したものに過ぎぬのだが・・・
私は其のころ、ローカル民謡番組のディレクターもしており
古謡・俗謡や古くからのしきたり、祭りや旧跡などに
年齢のわりにはかなり詳しかったりした事も在って
老人の語る昔話の雑談などにわりと簡単に付き合うことが出来た。
其のあたりが今回の優遇に繋がったと
此の若いスタッフは言いたかったのかも知れない。
だが、往時、血気盛んで無謀さと情熱とにあふれていた私自身は
此の隠れた伝承芸能を映像に残したいという熱意が
村人に伝わったからだ、と、密かに確信していたように想う。
ある意味、若さと愚かさと勢いに満ちていた日々だったと
今、此処に記しながらも幾分懐かしさを禁じえないが・・・
其の頃の私は・・四十路を前にしてなお、こころの何処かで
妙に熱く、結構真摯に=青春=していたのかも知れぬ。
「まあ、今回はいい人に当たったってとこだねえ・・
それより、本番始まると待ったなしだから前ロケ充分にしよう。
本番はNG効かないから・・念入りに機材チェック宜しく。
あと、風景と雰囲気ね・・明るいうちにT君と押さえておいて。
如何にも長閑って感じのイメージ強調で長めの尺がいいな。」
案内された離れで寛ぐスタッフの尻を叩き
本編の姫神楽にインサートする景色ロケと
イメージカット漁りを同行のサブ・Dに命じてから
私自身は=姫神楽=の行われるという村の社に向かう・・
此の手の撮影仕事は事前の段取り把握が重要なのは勿論だが
この種の今まで秘されたように知られていない神事などの場合
神事関係者だけでなく現地の一般の参加者からも情報が取れれば
より撮影時に絵が撮りやすく話も作り易い場合が多い
故にそういう=地ネタ=を把握しておくことも私の重要な仕事だった。
村の社は此の山深い集落の、さらにどん詰まりの山腹に
まるでへばり付く様に建っている古色蒼然な白木造りの建物で
参道はごく簡単に並べた石畳の数十段の急な階段の上・・
鳥居は此れも白木の古びた代物で・・其の中央には扁額らしきもの。
其処には薄れかけた墨痕で=贄神社=と在る。
一瞬で私は此の神社に魅せられた。
神社の名前がまず珍しかったという事もある・・
贄=の名をもつ神社は全国でも十指に満たない
地名から採られた稲荷系の社などに其の数少ない例があるのみ。
だが此処は祀神は稲荷ではなさそうで
多分、地付きの鎮守か何かなのだろうと思われたが
此処の地名や近隣の其れには・・=贄=の字は無い
其の点がまず、不思議といえば不思議のひとつ。
そして何より此処に来て初めて判った事がある。
私が此処までの電話取材や周辺取材の中で聞いた
此の神社の名前が、扁額の其れとは異なっていた事。
確か・・=おにつぼさま=・・文字は定かではないが
周辺の住人達は此の神社をそう呼んでいたような・・
何処か幾分の畏れと奇妙な嫌悪感、微妙に嫌な薄笑いを伴って
「ああ、テレビ局さん、おにつぼさまは、あんまり拝まん方が・・
ご利益無くても、まあ、=もっけ=は喰らわんで済むからねえ。」
村役場の総務課の中年親父との電話取材で聞いた言葉が
其の時、脳裏にふっと浮かび上がってくる。
神域を語るとは思えぬ幾分不遜な態度で語られる
参拝する事を周囲からあまり勧められぬ神社・・
其れも神社本庁の記録からも欠落したような僻村の社・・
興味をそそられる事象はまだまだ此処にはありそうだ。
「本格的なドキュメント作れそうだな・・此処。
今回を切っ掛けに本腰いれて撮ってみるかなあ・・
しかし・・=もっけ喰らう=・・か。
東北弁が混じってるのか?・・此のあたりだと。」
=もっけ=とは東北の一部の方言で言う=ものの怪=
化け物、幽霊、魑魅魍魎などの異界のものの総称。
此の県境の集落なら、まあ使われても不思議な言葉ではないが・・・
私は此の長閑さと森閑さに会わぬ気がして苦笑した。
息を切らせながら足早に石段を登りつめると
神社の鳥居の奥には想像以上の静謐で清浄な空間が広がっている。
自然石を使い山水を引いた、今時、古風で希少な水盤で
嗽手水を作法通り済ませ、
まず、鳥居の前から社殿に向かい一礼すると
此れも作法どおり・・息を整えて参道の端を進む。
社務所など無い社殿のみの神域に
不似合いな大きさのかなり作りこんだ神楽舞台が
参道横の東北方向に建っていた。
ただ、何処か此の神楽舞台は他の神社と違う感じがする。
「・・造りは至極普通の能舞台風だが・・
妙だな・・何故、神楽殿まで総白木造りなんだ・・」
其の建築様式や古風な趣の神域の風情に
微妙に興味を覚えつつ、参道を進んだ突き当り
拝殿は午後の日差しに翳るようにひっそりと佇み・・
=二礼 三拍手 =と参拝作法が記されている。
此れも正直今まで一度も体験したことのない参拝の儀礼だった。
二礼・二拍手・三礼なら兎も角も・・三拍手?
地祇でも天神でも無い、奇妙な柏手の数に当惑しつつも
郷に入っては郷に・・という例え宜しくきちんと背筋を伸ばし
私は此の奇妙な神社に参拝する・・無論、仕事の成功を祈って。
森閑とした森に綺麗に三つの柏手が響き・・
私は何時になく敬虔な思いに打たれて佇立した。
荘厳で犯し難い雰囲気が確かに此の神社には在った。
空気や佇まいがそうさせるのだろうか・・
其れと此の幾分異様な参拝の方法が・・。
私は、ふと、此の社の有様を思いめぐらして物思う。
此の神社は良い・・原初の神秘が、
未だ保たれた風情がありありと感じられる社だ。
何よりも此の神域の空気感・・周囲の自然との調和具合。
多くに知られず地元で護られてきた故のことか・・。
いつも以上に長く深く神前に額づいて
息をゆっくりと吐き、おもむろに頭を上げたその時・・
後ろの神楽舞台の影から本当に鈴を転がすような、
か細く切なげな声が・・=呼んだ=。
「だあれ・・其処に居るの・・もしかして・・
=おにぃさま=なの?・・=おにつぼさま=に来たの?」
私は一瞬驚き幾分戸惑ったが、其の声の主の
衣装身形を見て幾分安堵し納得もする
・・其の声の主は巫女装束の少女・・神域に相応しい姿の少女だった。
ああ、もしかして、此の子が・・今夜、此処で踊る=巫女=か。
私は少女を見るとも無く見つめ、その容姿を観察した。
年の頃はまだ13歳に満つか満たぬか・・整った幼顔
胸はかなり膨らみかけているが全体に漂うのは華奢な稚さ。
黒目勝ちの瞳は遠目ながら妙に潤んで見え、何処か深い湖のような光を放つ。
動作の端々に漂う天性の気品と言うか=無垢=な風情。
其れは・・=人ならぬ杜の精=と呼ばれても頷けそうな印象の少女だった。
此の子、絶対、将来いい女、いや=美女=になるな・・
今でも既に大したものだけど、=鄙には稀=って代物か。
かなり妄想の入った感想を抱きつつも私は・・
職業柄愛想良く其の少女の問いに答えようと口を開きかけた、その時・・・
その少女は何故か顔色を変え、なんとも可愛げな慌て方で
私を押し止めるように口元に指を立て・・
大きな瞳を懸命に開くと其の鈴の鳴る声で
「=お願い=・・=お願い=は・・
日の在るところで言っちゃだめなのっ・・。
=・・・・=に見られてしまうからっ・・だめっ・・」
其の剣幕と如何にも愛らしい振る舞いと声のアンバランスさに
私は思わず素直に子供のように少女に何度も頷き返す。
そんな私を安堵の表情を浮かべて
少女は見つめなおし・・じっと見つめ続け・・
ふっと、表情をやわらかく緩め
先程より幾分低めの、甘さを含んだ声で語りかけてきた。
「ねえ、=おにぃさま=は・・夜のお神楽に来る?・・
そしたら・・・わたし・・踊った後、=お願い=きけるかも。
来てくれる?・・むらのやつらは・・ぜったいいやだし・・
=おにぃさま=だったら、やさしそうなひとが・・」
理由は判らないが、何処か恥じらいを含んだような小声で少女はそう言うと
現れた時同様に其の神楽殿の蔭にふいっと隠れてしまった。
出会いとも居えぬ一瞬の出来事・・私は午後の境内に残された。
在るものは激しくなってきた蝉の声、さらに強くなる初夏の陽射し。
正直、白昼夢を見たかのよう・・私はひと時少女の面影を探す。
其の少女への強い興味を一瞬でこころに刻み付けられてしまったようだ。
恐らくは、彼女は其の神楽殿の中に戻ってしまったのだろうな。
ならばあの神楽殿に入り込めば多分あの少女に再び会える筈・・
白木造りの神楽殿はひっそりと陰翳を纏って其処に建っている。
多分さっき少女が消えた後ろのほうに入り口か何か在るのだろう。
追ってみようか、いや、やっぱり・・止めたほうがいいのか・・
何故か其れは=してはならないこと=の様に思えた。
理由は判らぬが、其の神域の空気がそうさせたのかも知れない。
其れに、夜、此処に来れば・・と言っていたな、あの少女は。
私は心中でそう呟いて神楽殿の前から歩み出す・・あの少女に魅かれつつも
そのあと、暫く私は本殿の周りを歩き回り、
草むしりをしていた地元の氏子を見つけて
その夜の姫神楽の凡その段取りを聴くことに成功する。
実直そうで悪く言えば田舎臭いその壮年の氏子が言うには
この=贄神社=の神楽は深夜の宮入りから始まり
暁闇を迎えるまで此の山腹の社の神楽殿で行われるそうで
其の時は此の集落の男は全員此の社に集まり朝まで過ごすらしかった。
「まあ、夜通し、素面でだから、夏でなきゃ辛いわなあ・・」
男はそう言うと白い歯をむき出すように妙に下卑た笑いを見せる。
また、理由は判らぬが、見物も神楽の衆も全て、神楽の間は
社から去ることは極めて厳しい禁忌となっていて
その夜は守り番と称する老人と村の女性のみが残る・・とも言った。
「最近、色々物騒だで、下の村の駐在が来てもくれっけどなあ・・
まあ、酒飲んで寝てるだけだから、世話は無えわさ。」
日焼けした氏子の男は何処か小馬鹿にしたような口調で締めると
しげしげと私の表情を伺い、逆に私に問いかけて来た。
「・・あんた、さっき、姫御前と話さったね?
・・あの、白拍子装束の=あれ=のこった。
あれ、あんたに、何か言うたか?・・いや・・大したことは・・そうか・・
で?・・=夜に来い=?・・ほほう、ほう、そうか・・そう言うたんか。
そりゃ、また・・あんた、じゃあ・・=魅入られ=たもんじゃな・・。」
男の口調に幾分の憐憫と更に下卑たニュアンスが臭う。
「あんた、もう嫁は?・・おらんのかね、まだ・・
そりゃあ、ああ、いい=ご縁=なこったでな。
いや、羨ましいわ、=おにぃさん=・・あれのなあ・・
まだ、ありゃ、誰の手も入らん=ひ○○=じゃって。」
最期の一言は何故か口ごもったように聞き取れなかったが
其の男はそう言い残すと何とも淫猥で微妙な笑みを浮かべ
何故か慌てるように其の場を立ち去ってしまう。
何のことかはよく判らぬが・・あまりよい気分ではないな・・・
私は独り言をこぼしながら再び神社の周辺を探索し始める。
が、他に話の聴けるような村人も簡単には見つからず
仕方なく私は=贄神社=の周囲もロケ方々散策してのち
初夏の長くなった陽が山裾に暮れかかるころ、
漸くスタッフの待つ区長の家の離れへと戻ったのだが・・
其処には、出かけた時と異なる、奇妙な雰囲気が漂っているように思えた。
まず、先ほどは姿を見せなかった区長の老妻と娘らしき女性が
戻った私に、湯殿の用意が出来ているから・・と、勧めるのだ。
其れも結構柔らかな物腰ながら執拗かつ懇願するようにしつこく。
僻村の撮影の際、こういう=好意=を無碍に断ることは
撮影をスムーズに進められぬ要因ともなりかねぬのが通例だ。
結局、=お言葉に甘え=て私は、其の貰い風呂に浸かる羽目になる。
案内されたのはまるで時代劇のような白木の檜の湯船で
私もその珍しさと案外な居心地の良さに暫く本気で寛いだ。
まだ、作って間もないかのような檜の湯船になみなみと満たされた
透明な湯は、清冽で何処か青い野草と陽射しの香りがした。
決して其れは不快な匂いではなく、一種のハーブ系入浴剤のような
何処か気分の沸き立つような爽快さを持った=香り=。
手足を伸ばして寛ぐと夜の仕事も失念しそうなほど心地よく
先程の女たちの執拗さも忘れ、本気で感謝したくなるような湯加減で
私は何時に無く満足し、其の=入浴=を終え、服を着ようとする。
が、脱いだはずの服が、不思議な事に湯殿の脱衣篭から消えていた。
何故かポケットの貴重品は篭にそのまま残されていたので
泥棒とかの類の仕業とは思われなかったが、ちと、此れでは困る。
周囲を探すと、脱衣篭の奥の棚のようなところ、飾るように
何というのだろう、短い袴のような装束と浴衣のような上衣が在った。
私は・・暫く躊躇はしたものの・・
此れに着替えて風呂場を出る羽目になったのは
まあ、必然と言うか仕方の無い事だった。
離れのスタッフの前に其の装束で現れた私は
案の定凄まじい笑いと立て続けの質問に晒された。
「ち、チーフっ・・此の修羅場前にして・・コスプレっすかあっ!」
カメラアシスタントの素っ頓狂な絶叫で全員が爆笑する。
まあ、田舎取材に慣れっこの連中だっただけに
こういう奇妙な体験もこれまでに無くはなかったから
ひとしきりかなり危ない冗談の対象にされたりもしたが
あとは普段の仕事のように本番の撮影の打ち合わせに入り
そして私たちはそれほどの違和感無く=深夜=を待つことになった。
すっかりと夜になった午後8時ごろだったろうか・・
区長の老人は突然、母屋の座敷に我々を招きいれ
祭り前の=お清め=と称して、上機嫌で酒まで我々に振る舞い
精進の料理ながら祭りに見合った馳走を相伴させてもくれた。
「上に上がると飲み食いも朝まで・・できぬからの・・皆さんも。
まあ、大したものは無いが、腹を拵えて下されや。
ああ、大将・・よう似合うのぉ・・此れも仕来りでなあ。
=外のもん=には、その=浄衣=を着てもらうんじゃ。
今回はお仕事に触ろうから・・形だけ、大将さんにな。
あんたの服は洗ってお返しするで・・まあ、一献酌んで、ほれ。」
如才なく我々を持て成す区長とその家族、親族。
宴のような夕餉のような宴席が終った夜更け・・
儀礼でなく本心から礼を言う私たちに鷹揚に笑うと
区長の老人は居住まいを正しておもむろに言う。
「さて、=おにぃ=、いや、皆さん・・
社に行かれる時刻じゃが・・その前に・・の。」
「ああ、皆さんに願いが在るのじゃが・・
その、灯りな・・社に上がるまでは燈さんでくれるよう、
其れだけ、特に願おうて・・じゃあ、参るかのお。」
幾分ほろ酔い加減の区長の老人は私たちにそう言うと
小さな松明の如き手燭と風呂敷包みを手にする。
かなり大き目の其れは=祭りの装束=だという事だった・・
何でも其の装束は神社の中以外では着てはならないのだとか・・
区長は私たちに先んじて社へと続く村道へゆっくりと歩み去る。
時刻は既に夜更け近いころで、村の中はひっそり静まっていた
「じゃあ、道中、バッテリー、使えないってことっすか・・
暗視モード、此れ・・粗いんだよなあ、大丈夫かなあ。
旧型の79(ななきゅー)だし・・ヤバイかな?」
不安げに言うカメラマンに私は無言で深夜の村道のほうを指し示し、
逆に軽く揶揄するような口調で言いかえす・・
「え? 此のシーンに=ライト当てる=ってか? Aよ。」
「あ、確かに、こりゃあ・・野暮ってもんで・・
それにしても・・好い絵だねえ・・灘島さん。」
其処には神社に向かって、小さく揺れる明かりの列が
深夜の山麓の暗闇の中に点々と淡く輝きながら続いていた。
其れはまさに夢幻のなかに浮かぶ異界の灯のようにも見える。
仕事の顔に変わったカメラマンが無言でレンズを向け
私たちは急ぎ足で其の光の列を追うように出発した。
街に慣れた人間の目には田舎の夜道が暗い
・・しかもこの村にはほんの申し訳程度に
古びた電球の街灯が辻にあるのみだ。
足元に苦労しつつ神社に辿り着くころにはもう夜半で
山上の社はぼんやり篝火の明かりで染まっている。
急ぎ足で暗い石段を上り、昼間訪れた社殿へ向かう。
幾分息を切らせて登り終えた其処には・・
「うひゃあ・・こりゃあ・・す、凄えや・・」
スタッフの一人が思わず呟くほどの大量の篝火が
神楽殿と参道、そして社殿の正面を煌煌と照らす様に燃え上がり
村の男たちが一様に黒い紗の如き出で立ちで居並んで居る。
「ま、まるで、秘密結社の集会ですね・・此れ・・
ひょっとしたら俺たち、凄いのに=当たっちゃった=んじゃ・・」
「見ろよぉ・・あの刀と槍・・ほ、本物じゃあねえ?」
「まさか?・・一応、警官も来る祭りって言ってたぞ・・」
興奮して口々に呟くスタッフを制止すると私は無言を促す。
実はこのような時に限って予想外のトラブルが起こり易いのだ・・
此の手の秘祭とも言い得る儀式にカメラが初めて入る場合。
其の希少さや映像的価値に此方が幾分以上に興奮しているような場合。
所詮、テレビカメラなんて代物は決して日常には在り得ぬ存在で
言ってみれば究極の余所者で部外者、悪意を持ってみれば邪魔者だ。
其れに如何にか撮影の許諾にまで漕ぎ着た、とは言え
このような僻村の=村社会=は極めて閉鎖性も高い。
そして中では必ずしも一枚岩で住人の意見が揃っているとも限らない。
部外者の受け入れをすんなり認めるものが在れば
其れを最後まで快く思わぬものも必ず居る。
そんな中で撮影を行おうとするなら、目立たず堅実に、が吉だ。
スタッフの不用意な行動や発言、いつもの所作ひとつが
結構とんでもないトラブルに繋がることも決して稀ではない。
せっかく此処まで漕ぎ着けた、最初で最後かも知れぬ機会である
当然、此方から潰すような騒ぎは・・正直御免だし許されない。
「ああ、聞いてくれ・・この先必要以上の会話は控える、私語は無論厳禁だ。
段取り通り、神楽中心に回せるだけ回せ、三脚はあの位置で据える。
全員、ちと気を引きしめてやってくれ・・=神事=なんだからな、此れ。」
「朝まで回しっぱなしで行けるようにしてあります。
此の明るさなら、どアップ以外照明要りませんし
あ、音は常時ガンマイクで拾いますから・・静か大歓迎です。
動きも必要最小限に留めるよう、ライトも盗んで(こっそり)。」
幾分興奮気味に答えたカメラマンに頷き、撮影開始を告げると
私は此の情景を脳裏に焼き付けるべく押し黙って立った・・。
此れは私特有の癖のような行動で、
此の映像の放送に使う原稿を書くために必要なイメージを
己が目に刻んで置くためにあえて撮影中は殆ど
クルーに細かい指示なぞ出さず、撮影対象に集中する・・と言う、
まあ、ある種、此れも儀式のような行動だったのだが
此の日の=神楽=の撮影現場での私の偽らない心中を言えば
いつも以上に、此の行事を邪魔されずに見届けたいという
ある種の止み難い=好奇心=に駆られていたせいでもある。
原因は・・昼間会ったあの妖精の如き・・少女だ。
あの子が、杜の妖精の如き嫋やかで気品のある肢体の巫女が
幽玄でまた野趣に溢れた此の空間で=舞う=姿を
是非己が眼に焼き付けておきたいと強く想ったからに他ならない。
そして、時は過ぎ・・何かの合図でも在ったものか
=贄神社=の闇を照らす幾つもの大篝の蔭に
潜むように佇立していた村の男たちがゆっくりと動き始める。
恰も何かの輪踊りのように緩やかな弧が
黒尽くめの男衆によってゆっくりと神楽殿を囲むように描かれてゆく。
何故か皆、神社の拝殿を決して=見てはならぬ=と申し合わせたように
同一の方向、南西の方向を向いたまま・・幾分緊張した様子で彼らは立つ。
「社殿に背を向ける・・珍しいな・・。」
思わず胸中で呟いた私の耳に、何処かから笛と笙、鼓の音が
寂び寂びとした謡のような古謡をのせて聴こえてきた。
伊弉諾 伊弉那美 始の神
四方の嵐の強ければ あえの沖まで ひと渡り
四方の嵐や 姫神の 吐く =おんとこい=
露や 涙や 御贄の御様
葦原の中津に 神さかりて 齎し給え
其れは今まで聞いたことも無い・・
神楽と言うよりは、梁塵秘抄にでも在りそうな
平安期の俗謡のようにも聴こえる韻律。
「謡でも神楽でも・・
いや、祝詞でも無いか。
其れに・・神前で謡うには・・
ちと、・・何だ・・
妙に意味深な・・下卑てないが色っぽいというか・・」
何処か妙に俗気のある古謡の一節が終わるごと
神楽殿を取り巻いた男たちは声を揃えるが如く
=おんとこい~ おんとこい~=
という聴きなれぬ唱和を声を張り上げるようにして繰り返す。
そして篝に照らされた神楽殿の四方幕が切って落とされると・・
其処には昼間見たあの少女が・・片手に鈴を持ち、立っていた。
黒髪を後に束ね、幾分の紅を唇に引いただけの凛とした表情。
少女の立つ舞台の一部だけが、奇妙に光り輝いて見えるほどに
其の端整でしかも稚い容貌は神秘的だ。
笛と笙、鼓の音が微妙に緩やかな・・啜り泣くような曲調に変わり
其の哀調のある神楽に合わせて少女はゆっくりと舞い始める。
其れはまるで夢幻世界から降りてきた天女のごとき儚さで・・
私は一瞬で魅入られたように其のゆるやかな動きに引き込まれた。
此れはまさに一見の価値どころか、芸術性さえ感じさせる優雅さと気品。
杜の深奥から誘う、人ならぬ妖魅の誘惑の如き奇妙な高揚感さえ其処に漂う。
其れは何故か精神の深奥にある暗いものに響いてくるような
清浄さと妖しさを兼ね備えた一種魅惑的な何か、と言っても良かった。
「こ、こいつは・・多分、凄い掘り出し物かも知れんぞ・・
此の神楽も、あの、そう、踊っている=あの子=も。」
典雅で幽玄に闇に響き、篝に木霊していた神楽の音が
幾分躍動的な変拍子の鼓の連打を境に変容する。
徐々に勢いを増し、拍子も早くなり、荒々しさが少し滲む。
其の時、変化した曲調に合わせたかのように
唐突に少女の動きが・・=変わった=。
其の動きと言うか振付は清浄さと妖しさのバランスを失し
一気に=妖しさ=、いや、=奇妙な淫靡さ=の方向に傾く。
本県の離島芸能に=つぶろさし=と言う奇祭がある。
正直、往時の放送コードぎりぎりと言っても良い=映像=で・・
行われることは豊穣を祝い、豊作を感謝する田楽神楽の一種だが
ひょっとこ、即ち猿田彦と、お亀、つまり天鈿女が
かなりあからさまな仕草で踊りつつ絡み合い、じゃれ合い
男女の性行為の最初から最後までを模すという=奇祭=だ。
神楽を舞う少女の動きは、幾分其の=つぶろさし=にも似た
腰の動きと脚の開き具合に嫌らしさを滲ませたものに変貌しはじめる。
其の気品さえ感じる容姿と稚い肢体にからはまず想像も付かぬ
野卑で淫猥な動き、明らかに周囲を誘い込むが如き表情。
神楽舞と言うよりもアメリカの地下酒場で踊られるポールダンスを
凄まじく猥褻な方向にしかも淫靡にシフトしたような=舞=
膨らみかけた乳房を誇示するが如く両手で持ち上げ
何者かを愛撫するような手つきで虚空に掌を走らせ
下腹部の女性器の位置をはっきりと認識させるポーズで
全身を捻り、腰を落とし、脚を開いては
ゆっくりと愛おしむようにくねらせて律動させる。
時折天を仰ぐように首をのけ反らせ、吐息の如く唇を開き
瞳を何か堪えるかのように閉じで歔欷の如き荒い息を吐く。
其の瞬間、幼い整った表情は苦悶に似た恍惚のそれに時折変わる。
其れは明らかに女体の官能を模した、神楽にはおよそ似合わぬ振付だ。
しかも踊っているのがあたかも杜の樹の精の如き、
儚げで幼い肢体の気品さえ感じさせるような少女だけに
其の妖艶で淫猥とも言っても良い秘められた神事の舞は
男の本能のなかにある、残酷な嗜虐性を直に刺激する。
此れは・・今まで・・秘されていた・・訳だ・・。
呆然と呟く私、目は其の少女の神楽舞から離すこともできぬまま。
先程からビデオを回し続けているカメラマンには
15倍のズームレンズのお蔭で彼女の表情がアップで判る。
普段なら私様に、と、画像の携帯モニターも出すのだが
終夜撮影になるやもという事前予測から最低限のバッテリー消費に留めるためと
此の秘祭の参加者を極力刺激せぬためと言う理由で今回あえて出していない。
故に、今、少女の表情が克明に判るのはファインダーを覗いている彼だけ・・
実は先程から、私は、正直其の事を酷く後悔したい気分にさえなっていた。
事実、大概の出来事を撮るのには慣れっこのはずのベテランで
誘拐現場から大物政治家のスキャンダル会見までこなし
常に冷静で安定した映像を撮り続け、精密機械とまで呼ばれた奴が・・
本番1発の緊張感溢れる撮影の最中に
在ろうことか時折、普段洩らした事も無いような
荒い息を吐き、興奮しているのが此処からでも判る。
「こ、此れ、昼間放送出来ねえかも知れねえ・・・」
「くっそ・・子供のくせに・・なんて、こいつ・・
・・エロい顔しやがるんだ・・堪らねえぞ・・チビちゃん。」
プロにあるまじき、音を拾っていることさえ
一瞬忘れたかの如き奴さんのかなり大きな=独り言=が
高鳴る神楽の楽の音に混じって聴こえるが・・
私は其れを制止することをしなかった、いや、出来なかった。
彼同様の、いや、それ以上の、
ある種、性的な妄想と欲望に確実に支配され、
少女の動きから一刻たりとも目が離せないのだ。
何時しか少女は手に持った鈴を口に横咥えにする
既に其の稚い貌はほんのりと紅潮して艶麗の域の表情だ。
後ろで纏めた黒髪を頭ごと振り動かすように荒々しく揺らし
時折、感に堪えたように、其の唇を恍惚状態の如く緩く開きながら
あからさまに、獣が交わる時に似せた姿勢、四肢で体を支える
=交尾=の体位に・・=四つん這い=に徐々に姿勢を変えてゆき・・。
両手が床に付き、体の安定が定まったと見るや、
凄まじく淫らに、後ろから実際に犯されて居るが如き
真に迫った野獣的な律動を再現しはじめる・・其の幼い表情を陶酔と歓喜で満たして。
「おんとこい~ おんとこい~ 満たせ給へ おんとこい~。」
神楽の合いの手は既に詠唱から絶叫に近いものに変わっている
村の男たちの表情には=淫靡=の色がやはり浮かぶ。
だが、其れと同時に、何処か畏れを感じているような
暗く怯えた眼差しが神楽殿の中央、恍惚の表情で
獣の如き=性交=の動きを模して舞う少女に向けられていた。
凄まじい声と狂乱の様相を呈した鼓、太鼓の乱打
耳に痛いほどの高音域で吹き鳴らされる篳篥と思しき笛。
見るものの全てを=獣=に堕としかねぬ淫靡な=舞=
完全に惹きこまれ、境内の闇の深奥に佇立するのみの私・・
程なく神楽の=頂き(クライマックス)=が来た。
篳篥に似た横笛が
女性の官能の果ての喜悦を模したように
=ひぃーっ=と聴こえる音色で強く吹き鳴らされる。
獣の姿勢で全身の官能を表現しきった少女は
其の肢体を信じられない柔軟さを以って海老反りに反らせると
次の瞬間、どうと音を立て、神楽殿の舞台の床に仰向けに崩れ落ちた。
纏めた艶やかな黒髪がはらりと解け、篝火の明かりに綺羅と光る。
乱れた襟元から覗き込めそうなほどの胸の膨らみが
烈しい息遣いで上下しているせいか殊の外豊かに実って見える。
緋色の差袴故、さらけ出されては居ないものの
太腿の半ば近くまで捲れ上がった裾から覗く脚は乳白色の象牙のよう。
滑らかで淫靡な緩やかな曲線と其れに続く腹部の微妙な隆起は
男の嗜虐心を酷く昂ぶらせるが・・国宝級の浮世絵のように美麗さも失わぬ。
不思議な微笑を浮かべたまま、全身をさらけ出して
恰もこの社の名前にある、ああ、=贄=のように横たわる
少女の下肢は、時折、快感の余韻のように細かく打ち震える。
ただ、何も出来ず、呆然とそれを見つめる私の眼前、
黒装束の男たちが先程から神楽殿の壁に立てかけてあった
数本の槍と刀・・いや、其の造りから言って太刀と呼べそうな
反りの掛かった刃を天にかざすが如く、悉く左手に持ち、
一斉に、一糸乱れず、神楽殿に向かって殺到した。
「おんとこい~ おんとこい~・・おんとこい~・・おんとこい~」
そう声高に唱えながら彼らは神楽殿の舞台に荒々しく走り上がり、
倒れた少女の周囲、槍衾刀衾の人垣を作って
其の恍惚と淫靡に満ちた=贄=の姿を覆い隠す。
あの人垣の中、凄まじく獣的で嗜虐欲を満たす行為が次々と行われるのか、と
思わず息を呑みそうなほど、男たちの表情と勢いは野卑で無残なものだった。
=仕手は 此処に 歓び
連れは 何処に 早や 神降りし =
無伴奏の詠唱のごとき、祝詞にも似た謡が遠く聴こえ
次の瞬間・・・境内の全ての篝火が・・一気に=倒された=。
灯りに慣れた目は、漆黒の闇のなか、戸惑い困惑する。
「あっ、馬鹿野郎っ!・・み、見えねえじゃねえかっ。
T、ライト焚けっ、バッテリー焚けっ
全部だ・・早くっ!・・あのチビに当てろっ・・」
狼狽して叫ぶカメラマンの口調は既に撮影対象が見えぬから、と言うより
先程までの興奮の対象が見えず、此の先の成り行きも判らぬ事への
雄としての本能的な怒りの叫びのようにしか既に私には聴こえなかったが
無論、私自身も彼同様の心境同様の興奮と眩惑の中に堕ちていた。
其の時だ・・いきなり何者かの数本の腕が後ろから。
動きを封じられ口に麻布のようなもので猿轡を実に手際良く咬まされる。
必死に訳も分からずそれでも抵抗し暴れる私を抑える力は酷く強い。
耳元で何処かで聴いたような声が低く囁いているのが聴こえた。
「ああ、御運が良いのう・・極楽往生じゃて。
まあ、=おにぃさま=に見込まれたがあんたの運じゃ。
作法通り=おんとこい=お手助け仕る。
此れも=ご縁=じゃと思うて恨まずに逝き成されや。」
何処か含み笑いでもするかのように響く其の声にかぶさるように、
また、其の何処か酷薄で邪な笑いを覆い隠すが如くに
周囲の闇の中から吹き上がるような凄まじい数十人の絶叫が響いた。
「おんとこい~おんとこい~ 贄のおんかた~
にえどこにて 歓ばせ給え おんとこい~」
それに混じるスタッフの怒号と切れ切れの悲鳴の中、
私は何故か意識が一気に遠くなり・・・
奈落に落ちていくような感覚に襲われ・・・
=贄=神社の暗がりの中で、完全に意識を失った。