ややこしい家系図
かこーん。
落ち着いた和室の縁側廊下に腰掛けながら、僕は池のある広い庭を眺めていた。そう、イメージでいうのならば、ちょうど天道道場みたいなかんじ。家の大きさといい、敷地の広さといい、庭の大きさといい、とても似ている気がする。
朝のすがすがしい空気を全身に感じながら、干し終わった洗濯物がゆるい風にはためく様に平和を感じる。…ちょっと早起きしすぎただろうか。
ぼんやりしていた僕の耳に、ぱたぱたと階段を下りる音が聞こえてきた。
「じゃあ、いってきますねバニー!」
カーキ色のエナメルバッグを肩にかけた美少年、そしてこの家の主である小学五年生の傘間野分くんが輝く笑顔で僕が返事を返す暇も与えず横を通り過ぎて行った。慌てて野分くんを追って玄関へ行くと、靴を履く野分くんが僕を見てにっこり笑った。今日は習い事に行くらしいので剣道着のような胴着と袴を着ている。本当に何でも似合う子だなぁこの子。
「戸締りはしっかりお願いしますね。午後にはトヨさんが来ます。挨拶は済ませてるから平気ですよね? トヨさんは自分でカギを持ってますから、いきなり知らない人が来ても驚かないでくださいね」
「う、うん」
トヨさんとはこの家に雇われているお手伝いさんだ。白髪の上品な老婦人で、作ってくださる夕飯がすごくおいしい。僕が初めて挨拶をしたときは(当然ながら)酷く驚いた顔をしていたのだけれど、野分くんが寂しくなくなるのならと家に歓迎してくれた優しくも不用心な女性だ。
「前にも言いましたが、家の人の部屋以外ならどこをどう使っても構いませんので好きに過ごしてください。僕の帰りは今日少し遅くなるかもしれませんけど、トヨさんには言ってありますから、心配は無用ですよ」
「わ、わかった」
「よろしい!」
野分くんはスニーカーの靴ひもを結びわおるとぴょんと跳ねるように立ち上がった。今日も元気だなあ。
「では行ってきます。留守をお願いしますねバニー!」
僕はサンダルを履いて玄関の引き戸を開けてあげると、袴を靡かせて飛び出していく野分くんの背に声を投げた。
「いってらっしゃい!」
今僕は、いろいろあって野分くんの家に厄介になっている。森教授の研究室からは、少し前にその、追い出されたのだ。その原因は置いておいてもらうと約束したひと月が経過したため…ではない。詳しく話すのは僕の心がざっくり抉られるので勘弁してもらいたい。その…いろいろあったのだ。主に酒盛り関係で。
玄関の引き戸をからからと閉めて、僕は上り框に腰掛けてため息をついた。この家は広い。部屋の数は三十はくだらないし、先ほど言った通り庭は池もある程大きいし、全然全く野分くん一人で住むような家ではない。
前本人から聞いたところによると、どうやらシングルマザーの家庭で育ったらしいけど、その母親は行方不明。海外旅行に行ったままお爺さんも行方不明。家を出て働いているというお兄さんも行方不明。誰もかれもが行方不明で、保護者不在。法的にというかなんというか、だめなんじゃないだろうかという家庭環境だ。僕は他の誰かから見たら明らかに不審者だけれど、野分くんのことを思うのならば誰かと一緒に住むのはいいことなのかもしれない。
僕はなんだか頬が緩むのを感じた。弟ができたみたいだな、と思って嬉しくなったのだ。僕は生まれてこの方ずっと末っ子ポジションだったものだから、いざお兄さんの位置に立ってみるとこそばゆい。野分くんの家庭事情を考えると少し不謹慎なのかもしれないし、そして野分くんの元を離れることができなくなった原因を考えると今の状況はとても笑えたものではないのだけれど、それでも僕は口が笑ってしまうのが止まらない。
僕は野分くんに脅されている。野分くんは傍から見るとモデル以上に顔の整って小賢しいという以外はただの小学五年生にか見えないのだけど、その内にかなり凶悪な顔を隠している。知り合いの大学助教授、森教授とタッグを組んで盗みを働いているのだ。名乗る名は「泥棒紳士ラッフルズ」。その名の由来はルブラン作怪盗ルパンを先駆けてイギリスで執筆された、ホーナング作悪役主人公物語のラッフルズとバニーシリーズから頂いている。
…いや、もっと正確に言えば、野分くんは数年前までその物語の泥棒の名を頂いて泥棒を働いていた犯罪者にあやかっているのだ。しかし、世間では今現在ラッフルズを名乗っている野分くんと数年前まで盗みを働いていた別人であるラッフルズを同一視しているため、野分くんが模倣犯だということは僕らしか知らない。
ちなみにご近所にライバル怪盗のルパンを名乗る盗人も現れているというから世の中は面白い。
犯罪計画を森教授が考え、身体能力の高い野分くんが盗みを実行する。いつもそうやっていたらしいのだが、ある時から野分くんは夜闇にまぎれて行動することができなくなってしまったという。そこで野分くんは解決策として、海に捨てられて死にそうになっていた僕を拾って盗みの代行役に立てることにしたらしい。
僕は怪我が治るまで宿を借りていた代償として一度だけ盗みを手伝うことにしたのだけれど、その盗みを働いている様子を野分くんにビデオカメラに抑えられてしまったのだ。ネットに流されたくなかったらこのまま協力しろと脅されている。
やり方が凶悪この上ないけれど、あれから盗みの手伝いも提案されていないし、野分くんも一緒に暮らして楽しそうにしてくれているし、これでよかったのかもしれないなと僕は思っている。
ちなみに僕はご近所さんには家を出ていたが帰ってきた兄という設定になっている。お兄さんの名前は晴海さん。忘れないようにしなくては。
僕はふと座敷の方でテレビの音がしているのに気が付いた。つけっぱなしにしてしまっただろうか。電気代も馬鹿にならないだろうし、消さなくてはと座敷に向かった僕はテレビのついた部屋の襖をあけて固まってしまった。
そこにはテレビの前でごろりと横になっておせんべいを貪っている男がいたのだ。肩にかかるくらいの金の髪、水色とグレーを基調にしたおしゃれな洋服を着ていた。
…誰これ。不法侵入者にしてはくつろぎすぎている。もしかして、野分くんの知り合いだろうか。もしや、本物のお兄さんが帰ってきたのでは…? でもお兄さん、金髪!?
僕が如何とすべきか固まったまま考え込んでいると、その男は「ん?」とでもいうように僕を振り返った。
野分くんと同じ色の瞳が、細身の眼鏡の奥できょろりと動いた。
この人、見たことがある。
「…ウーサー? ウーサーじゃないか?」
その呼び方を聞いて僕はびくりと肩を震わせた。
僕を…僕をその呼び方で呼んだ人は、今までの人生で一人しかいない。
金髪の男性(三十代だろうか)はむくりと起き上がると心底驚いたように僕の前へやってきた。細身で背が高い! 百八十あるんじゃないだろうか。
その男はやたらと整った顔を愉快そうに歪めて僕の肩を抱き、ついでにばしばしと叩きまくった。痛い!
「やっぱりウーサーだろう! いやー、変わってないなぁお前!」
「ひ、ひ…ひで…」
「私が酷い奴みたいにいうんじゃないよ」
「ひ、飛電、さん…ですか…!?」
「Vous avez bien devine!」
「な、なんですって?」
「ザッツライトということ」
ぐっと親指を立てたその人は、もう一生会うことはないだろうと思っていた人物だった。
この人は飛電さん。僕の、兄の息子さんだ。
「な、な、なん、なんでここに…」
「それは私のセリフだよ。何? もしかしてノアが家に住まわせ始めたウサギっていうのはお前のことだったのかい?」
「の、ノア?」
「そう、ノア。ノアキ」
「ノア…ああ、野分、くん」
「そうそう」
やっと飛電さんの言っているのが野分くんのことなのだと気が付いた。のわきのわが、言いにくいのかなこの人。
「飛電さんは、その、野分くんのお知り合いなんです、か…」
「お知り合いも何も…まあ立ち話もなんだ。座ってくださいな叔父貴」
「その呼び方やめてください…」
みかんの乗ったちゃぶ台のそばに飛電さんと向かい合って座ると、僕はため息をついた。
そう、僕は今二十五で、おそらく飛電さんは三十五を過ぎていると思うのだけれど、家系図から考えると僕は飛電さんの叔父になる。飛電さんのお父さんの弟となるわけなのだから、年齢は関係なくポジションは叔父となってしまう。僕はこの一回り以上も年上の甥が小さい頃からひどく苦手だった。相当からかわれたというのもあるのだけれど…。それ以上にきっと頭が良すぎた、というのが理由に上がる。今は年齢の割に若く見えすぎることに若干恐怖を感じている。この人人魚でも食べたんじゃ…。
「…奥さんは、元気ですか」
僕がそう聞くと飛電さんは「んー」と曇った声を上げ、答える代わりにおせんべいをもう一つかじった。
彼は長男だった兄の長男だ。じきに家を継ぐはずだった人だけれど、僕と同じぐらいの歳に女の人と駆け落ちをして消息不明になっていたのだ。昔兄も父も人員を裂き、何年も血眼になって飛電さんを探したのだけれど、飛電さんの足跡すら掴めなかったと聞く。
その逃げ上手の飛電さんが今、僕の目の前にいるのだ。
「死んだよ」
「えっ」
優しい顔でぽろっとこぼした飛電さんの一言は、悲しいものだった。
「病気でね、助けられなかったよ」
「…すみません」
「いいよ別に。もう十年も前の話だし、きちんと認めなくてはいけない」
そう語る飛電さんは穏やかな表情をしていた。きっともう、本当に整理がついていることなのだろう。
「それに私には今生き甲斐があるしねぇ。全然平気というわけでもないけれどもう大丈夫さ」
ふっふっふと本当に嬉しそうな顔をした飛電さんはにやにやするのが止まらないという様子だ。
「聞きたいか? ん? 私の生き甲斐について聞きたいかい?」
「は…はい…」
絶対にはいと言わないと襟首をつかんできそうな雰囲気だったので黙って首を縦に振った。この人は結構暴君なのだ。ボス気質というかなんというか。
「では教えてやろうじゃない…」
「あぁ、もしもし平松刑事ですかぁ?」
怯えたような幼い声がした方を振り返ると、庭を背景に廊下で野分くんがスマホで電話をしているのが見えた。絶対零度の瞳で僕たちを…いや、飛電さんを見下ろしている。声と瞳のあまりの温度差に僕は悪寒が走ってしまった。あ、あの、習い事は…?
「ストーカーのおっさんが家に不法侵入してきたんです…。助けてください…」
「ストーカーだと!?」
飛電さんはちゃぶ台を叩いて立ち上がった。野分くんのスマホから電話先で誰かがわめいている声が聞こえたけれど、野分くんは「ふえーん」と泣き声をあげながら電話をぶつりと切ってしまった。その途端、野分くんの周りの空気が一気に氷点下まで下がったような錯覚を覚える。正直、怖い。なんだこの子。
「誰がストーカーだというんだ!!」
「ルパンのおっさん以外に誰がいるっていうんですかこの変態野郎!!」
いつもの野分くんからは考えられない怒声をあげて、彼は飛電さんに持っていたエナメルバッグを投げつけた。飛電さんはそのバッグを腕で払いのけ、はじかれたバッグが僕の顔面に当たりそうになり間一髪でよける。どきどきしてしまった。
いや、それよりも今、野分くんはなんていっただろうか。ルパンのおっさん? 飛電さんが? ルパン? 怪盗ルパン…。え?
「大体おっさんとはなんだおっさんとは! 人にはそれにふさわしい呼び名で呼びなさい!」
「あんたにおっさん以上に似合う呼び名があると思ってるんですかこのおっさん!!」
「おっさんおっさん連呼するんじゃない!! 前から言っているだろう!!」
「あ、あの…二人とも落ち着いて…」
そこで飛電さんは大きく息を吸って衝撃的な一言を言い放った。
「私のことはお父さんと呼びなさい!!」
天使が通り過ぎた気がした。
「誰が!! 誰の!! 父親だっていうんですかこのすっとこどっこい!!」
「私が! お前の! 父親に決まっているだろうが!! 見よこの瞳の色! お揃い!」
「いい歳したおっさんがお揃いとか気持ち悪いんですよ!!」
「顔立ちだってそっくりだろう! お前が大きくなったらこうなるんだぞ!?」
「先のことなどわかるものですかこの野郎!!」
「じゃあこのDNA鑑定が目に入らないのか!!」
「いつ! どこで! 僕の何を採取して調べたっていうんですか!?」
「つい先日この家の風呂場から毛髪を採取してだねぇ!」
「本人の同意を得ずに採取した指紋は証拠として使用できません!!」
「どこが指紋だっていうんだ!!」
「第一一体何をしに来たんですかあんたは!!」
「父親が息子の顔を見に来てはいけないのか!?」
「僕はあんたの子だとか認めてませんから!!」
「事実は事実として受け入れなさい!」
ぎゃーすか大騒ぎする飛電さんと野分くんの様子をぽかんと眺めながら、僕は物事を整理する。
飛電さんが、怪盗ルパン。野分くんが毛嫌いしている怪盗ルパン。
そして飛電さんは野分くんのお父さん。いないと言っていた、野分くんのお父さん。
怪盗ルパンは、野分くんのお父さん。
僕の甥の、息子。
…ど。
「どこかで…見たことあるはずだ…」
ぐったり肩を落として僕は大きなため息をついた。
不意にパトカーのサイレンが聞こえてきて、家の前で車が急ブレーキをかけた音がした。飛電さんは一つ舌打ちすると勝ち誇ったような顔をする野分くんをにらみつけた。
「こんなただの親子喧嘩で警察を呼ぶんじゃありません!」
「戸籍上も僕と貴男は赤の他人です。不法侵入罪は免れませんよ」
にんまり。そんな擬音がふさわしい野分くんの笑顔を見て、飛電さんは「くそっ」と毒づいた。
「なんて賢い子なんだ!」
「このおっさん苦しみながら永久に生き続ければいいのに」
玄関から「傘間くーん!」と呼ぶ声が聞こえて、野分くんはスイッチが入ったように目をうるませ始めた。
「ひらまつけいじー! たすけてくださいー!」
かわいらしく助けを呼び始めたこの子は本当に役者さんだな、と僕は感心してしまった。
「くっ、いつか、いつか納得の上でお前の籍を私の籍に移して見せる! 楽しみに待っていなさい!」
「一昨日きやがれタラシ野郎!」
飛電さんは高笑いしながら庭を横断し、瓦屋根つきの壁を軽々と飛び越えて帰って行った。
…親子そろって嵐のような人だ。
唖然としたまま飛電さんの飛び越えた壁を見ていると、がちゃりと覚えのある音と感触を手首に感じた。ぞわりと背筋に悪寒が走る。
「え?」
「つ…捕まえたぞ、変質者…」
ぜいぜいと肩で息をしている紺色スーツの上に茶色のトレンチコートを着た男に手錠をかけられていた。あ、あれ…?
「違いますよ平松刑事、もうストーカーは帰ってしまいましたよ」
「な…そう、そうか…ごめんな野分くん、遅くなって…」
「いいえ、大変役に立ってくれました」
「それは…よかった…。ぶ、無事かい?」
「ええ、それはもう!」
「そ、そう…本当によかった…」
僕としてはあんまり警察関係者とは関わりたくないのだけれど、そこのところ野分くんはちゃんとわかって…いや、わかってやってるんだろうなぁこの子は。それにしてもこの人ものすごく息が切れているけれど大丈夫なんだろうか。
無事手錠を外してもらって、みんなでちゃぶ台を囲んで一息つく。僕と野分くんが隣り合って座って、ちゃぶ台をはさんで平松刑事が座っている。
「平松刑事、本当にありがとうございました」
「いやいや、君が無事でよかったよ」
真面目そうなイメージのその刑事さんは、平松健次郎という人らしい。ひょんなことから野分くんと知り合いになって、蒸発した母親を探すのを手伝ってくれていたりするらしい。
「野分くん、こちらは?」
「ああ、僕のお兄さんの傘間晴海です。なんかうさぎっぽいので、僕はバニーって呼んでます」
「ほう、バニー」
「ちょ、ちょっと野分くん…」
平松刑事はバニーという単語にぴくりと反応した。か、かわいい名前ですみません。
「あ、か、傘間晴海です…」
「平松健次郎です。ご兄弟にしては、似ていませんな」
「そりゃそうですよ、腹違いですもの」
野分くんのその一言を聞いて、平松刑事は頭を殴られたような衝撃的な顔をした。そしてうつむいて「そうか…」と寂しげな声を出すと、身を乗り出すようにして僕たちに言った。
「何か困ったことがあったら何でも相談してください!!」
「あ、あの…」
「いえ! いえ、何も言ってくださらなくて結構です! 御苦労なさっていることはよーくわかりました!」
僕は何も言ってないのだが。思い込みの激しい人なんだなぁ。僕は困って野分くんを見ると、野分くんは愉快そうにウインクしてきた。いいのかなぁ…。
「改めまして、本官は捜査三課に所属しております平松です。何かお困りごとがありましたら、ぜひお気軽にご相談ください!」
僕のひきつった笑顔はその言葉を聞いてさらにひきつった。
「頼りにしてますね刑事!」
「ああ、頼りにしてくれ! では、私はそろそろこれで」
「はい!今日はありがとうございましたー!」
平松刑事が覆面パトカーで静かに帰っていくのを二人で門の前まで見送りをしてから、僕は隣の野分くんを見た。
「…野分くん、捜査三課って…」
「主に窃盗の捜査してる課ですね」
「…」
「さ、家に入りましょう? 兄さん」
この子、怖い。
「忘れ物を取りに来ただけだというのにすごい時間になってしまいました。今日はもうさぼりますかね、習い事は」
テレビのある座敷に戻ってきて、野分くんは「手を洗ってきます」と部屋を出て行った。野分くんが戻ってくるまでに心の準備を整えて、落ち着くためにとりあえずお茶を用意することにする。あ、お客さん二人にお茶を出すのを忘れてしまった。今度来たらお茶を出すことに…いや、飛電さんは出さなくていいか。野分くんが怒りそうだし。
「…ねえ野分くん」
「はい?」
手を洗うどころか胴着を私服に着替えて来ていた野分くんにお茶を出してから僕はためらいながらも聞いてみる。
「…さっきのルパンさん? は、本当に野分くんのお父さんなの?」
その質問で野分くんの眉間にぐっとしわがよった。
「生物学上はそうなんでしょうね」
野分くんはぶっきらぼうにそういうと、一口お茶を飲んだ。
「でも僕は認めていませんから。第一、ラッフルズの方が先に執筆されたのに、ルパンの息子がラッフルズなんて認められません!」
「こだわりはそこなのかぁ」
「それに」
野分くんは俯いてしまう。
「あの人はみひろちゃんを捨てたんです」
「…捨てた?」
先ほど、飛電さんの奥さんは病気で亡くなられたと聞いたはずなのだが…。
「みひろちゃんって、野分くんのお母さん、だよね?」
「そうですよ」
「…いなくなったのは、いつ?」
「一年もたってませんよ」
僕は首をかしげる。計算が合わない。
「…お昼ご飯、どうしましょうか。バニー」
何事もなかったかのようにふるまう野分くんを見て、僕はそれ以上深く掘り下げるのをやめた。
「何が食べたい?」
「ハンバーグって言ったら期待通りですか?」
「そうでもないかな」
二人で台所で冷蔵庫をのぞいてみて、僕らは首をかしげた。見覚えのないメモのついたパックが入っていたのだ。
どれどれ。見てみると、メモにはこう書かれていた。
怪盗ルパンからラッフルズへ、愛を込めて。
メモのついていたパックには、みっしりと茶色く色のついた幼虫のようなものが入っていた。
嫌がらせのつもりかなぁあの人。…意外とみみっちいなぁ…。
「おのれおっさんめ…こんなもので僕がどうにかなるとでも思ってるんですか!?」
「あれ、パックの裏に何か…蜂の子の佃煮…」
「バニー! 白米の用意を!!」
なんだ、プレゼントか。
そういえば野分くん前に蜂の子の佃煮好きだって言ってた気がする。
野分くんは言葉の割に佃煮に心躍らせているようだった。