Story-15 『燃水』
ある時、僕はコケとゴミだらけの川を漂っていた。
僕の身体は液体そのもので出来ていて、川に溶け込んで川そのものとなっている。
人々は見向きもしない、海藻の束のような塊、緑色の固形物。そんなゴミだらけの中を漂い、そうした物に触れて回っていた。
そんな僕を、人間はこう見る。
汚い川、濁った水、と。
いつしか海に出た僕は、天へと蒸発していく。
昇る最中に見た景色は、ビルや車のライトで光り輝く東京の姿だった。
ふと、隣で一緒に蒸発している水が話しかけてくる。
「綺麗だろ?」
「うん、綺麗だ」
思いのまま、感想を述べる。
自分の居た場所がこんなにも美しい場所だったのか、と、僕は大層驚いた。
「俺たちはただ汚い所を漂っていただけなんだ。ああ、あんな綺麗な存在になりたいな」
「僕もそう思うよ」
「そうだ、あの光をできるだけ中に取り込もう。そうすれば、俺たちは何時でも輝き続けられる」
「それは名案だ」
僕は、その美しい光を一身に浴びて、光を取りこみ、そして天へと蒸発していった。
この光があれば、僕は何時までも光り輝いていられる。そう信じて、一身に取り込んだ。
その光が強ければ、きっと人間たちは星と勘違いしただろう。
けれど残念な事に、その光は、人間が気づくことは無い。
人間の生み出した光で、水達の持つ光が隠れてしまったからだ。
またある時、僕は洗剤にまみれた川を漂っていた。汚水をそのまま垂れ流す区域を流れていたのだ。
水の中に、洗剤が入り込む。
そして僕は白く輝く。純白の光を発する。
人間から見たら、それは太陽の光に照らされ、反射しているように見えるのだろう。
しかしその正体は、洗剤と光を含んだ水だったのだ。
そうして僕は、色を手に入れた。自分の内に、白を手に入れた。
そして天へと蒸発していく。
辿り着く先は、白い雲だ。
その途中で、あの光る水と再会した。
「やあ、また会ったね」
「久しぶり。……何だい、その色は?」
「ああ、これは、白だよ」
と言って、自分の内に光る色を見せびらかす。
「へぇ……それも綺麗だね。俺にも分けてよ」
「いいよ」
そう言って、その水にも、白を分け与える。
そうして雲は、一層白い輝きを放つ。
その雲を、人は綺麗だ、美しいと評価した。
ある時の水は、銃声と泥がまみれる川を漂っていた。
ふと、何かの固形物からあの水が出てきた。
光の中に、赤が含まれている。
「やぁ、よく会うね」
「そうだね」
「友達ができたんだ、紹介するよ」
「友達?」
聞くと、その水の後ろから恥ずかしそうに、その球体は出てきた。
「初めまして……。赤血球です……」
「へぇ、真っ赤だね。その色も綺麗だね、僕に分けてよ」
「いいよ」
赤く光る水が割り込み答える。
「何で君が答えるんだい?」
「実は俺たち、結婚するんだ」
「うそん」
思わず呟いた。
そして、僕は赤を分けてもらった。立会の証だそうだ。
そしてまた、僕達は蒸発していく。
しかし、赤血球の奥さんはその場に止まっている。
「どうしたんだい? 一緒に行こうよ」
「私は、行けません」
「どうしてだい?」
「私は、水ではありませんから……」
「そんな……」
夫である水は、悲しそうにつぶやく。
そんな水を元気づけるように、僕はこんな事を提案した。
「僕たちは、君との関わりを忘れないように、赤を大切に持ち続けるよ」
「そうだ…俺達は、君から貰った赤を何時も輝かせて、空から見てるよ!」
「ええ……大事にしてね」
そうして、僕たちは蒸発していった。そして同時に、一つの夫婦が終わった。
そして僕たちは空に溶け込む。
それを人間は、綺麗な夕焼けだと評価し、見とれた。
僕たちは、油まみれの海を漂っていた。
いつの間にか侵入してきた油に、彼は激しく嘆いた。
「彼女の赤が消えちまった」
気を落とす彼を見ていて、僕はとても辛かった。
「人間が……油なんて物を流すからだ……!」
「え…?」
「必ず、必ず、復讐してやる……!」
そう呟き、彼は身体一杯に油の黒を取りこんだ。
そして僕たちは蒸発した。
その先で、怒り狂った彼は同じ黒の水を集めて、人間の住む集落、そして時に、人そのものに雷を落とした。
そこから火が燃え上がり、町は、山は、炎上した。
僕はというと、そんな彼から離れた。
とても、見ていられなかった。
そして僕は、雨になった。
山林を燃やす炎を消す、雨に。
それ以後、彼と会う事は二度と無かった。
ある時、僕は山を流れる小川を漂っていた。
そして、湧水を飲む人間の体内へと入った。
そしてそこで、僕は一つの赤血球とで会った。
そこで僕は初めて、彼の気持ちを理解した気がした。
僕は赤を取り込み、赤そのものとなった。
ある時僕と赤血球は人間の中から吐きだされた。
人間は僕らを器に入れて、筆に染み込ませ、画版に塗りたくった。
そして僕らは一つの絵画の一部となった。
赤く燃える夕焼けの一部となった。
実に皮肉な事だ。
立会人の僕が、彼女と同じ赤の中にずっと居られるのだから。
彼よりもずっと、赤で居られるのだから。
僕はその後も、赤く、輝き続ける。
消えてしまった彼と彼女を忘れないように、赤く燃え続ける。
END