トリガーハッピー
暗闇。
漂う心を呪縛するものは何もなく、このまま漂い続けられたらどんなに幸せだろうと思った。
このまま何も持たず、何も触れることなく。
だが、そんな俺の思考を読み取ったように、光が俺に帰ってくる。
受け止めきれないほどのその圧倒的な力強い閃光は、一瞬で俺が何者であるかフラッシュバックさせていった。苦痛を感じさせるほど強烈に、俺を構成する記憶の奔流があるべき場所へ戻っていく。
その凄まじい衝撃に、無意識の内に俺は叫びをあげていた。
「――――――――オイ。……おいテメェ、なに突然アタシの進行方向を嬉しげに塞いでいやがる……!」
一人の少女が、人がようやく通れるぐらいの狭い裏路地で自分の足元に転がる一人の男の体を不愉快そうに見下ろしていた。
その問いに男はぴくりとも反応を示さず、ほぼ間違いなく男には意識がない。……のだが少女にそれを気遣う色は全くなく、ひたすらに邪魔だと顔をしかめるばかりだ。
むしろ今にも路地を塞ぐその体を踏みしめて向こう側に渡ってしまいそうだが、それをしないのはおそらく倫理的な思考が彼女にストップをかけているわけではなく、単純に得体の知れないものを踏むのが気持ち悪いからだろう。
ならばと男の体に軽い蹴りを入れてみるのだが、やはりまったくの無反応だ。
「酔っ払いかよくそ!いつアイテム目当てに襲われるかも知れねえこの世界で随分呑気なやつもいたもんだぜ。……また平和ボケ世界から来た連中かよ、こいつらときたら、何度言ったらここはお前らの地元じゃないと言って聞かせりゃ覚えるのかねえ?――――おい起きろ!クソヤロウ、額に綺麗な風穴飾りてえのか!?」
完全に脱力している人間を動かすのは、柔らかい分実は相当に力がいるのだが、彼女は細身の見た目に反して随分と筋力があるらしく、出くわしたばかりの人間をいきなり糞野郎呼ばわりしながら器用に彼の肩をブーツに引っ掛けて軽く起こし、さらに足先を滑らせてブーツの裏で蹴りを入れ、見事に足だけで彼の体を反転させた。
仰向けになった彼の体は青白く、微かに呼吸をしていなければ死体と見紛うほどだ。
「ちっ、こりゃまたえらくキマってるねぇ?しかも随分と優男だ。決まりだな。大方こっちに来たばっかりの腑抜けヤロウがおウチに帰りたいとかぬかしながら慣れない酒かっくらってたんだろ、簡っ単に想像がつくぜ。おい起きろやカス、アタシはてめえらみたいにお優しくねえんだよ。このままアタシの前を塞ぎ続けるつもりならマジで永遠の眠りにつかせてやるぞ。」
彼女は男の横にしゃがみこんで容赦なくその額をゴン、ゴンと殴りつけるがそれでも男は目を覚まさない。段々と苛々が溜まってきた彼女は、懐の銃を抜いて本気でこの大呆けに弾丸をぶち込んでやろうかと考え始めている。
それで身の危険を感じ取ったわけでもないだろうが、男は呻きをあげながら酷く顔をしかめた。
「う…………、う………………。」
「やれやれ、ようやくお目覚めかよ、もう少しで本気で引導を渡してやるかと思ったところだぜ。」
男の苦しげな顔を呆れたように眺めながら溜め息をつく彼女の誤算は、思いっきり油断していたとはいえ彼女が反応出来ないほどのスピードで、……男が飛び起きた事だ。
「次元のアリス……ゥ……ッ、くッッそぉぉっ――!!」
「え?ちょおまッッ!?ぐぁッ!」「うぐっ!!?」
跳ね上がった頭と頭が衝突し、二人とも悶絶する羽目になるのだった……。
―――衝撃……!!
目が眩むような頭への痛みとショックが、復元したばかりの俺の思考を苛んだ。
「痛ぅ~っ……!!……くっそ…何なんだ……一体……!?」
痛みに耐えながら片目を開ける。目が覚めた時に飛び起きて何かと頭をぶつけてしまったのか……?
いやそれより、次元のアリスは、俺はどうなった!?どうして生きている!?
周囲の様子を探ると、俺は薄暗く狭い路地の中央で上半身だけを起こしていた。
見慣れないその光景が、自分の記憶が幻想だったわけじゃない事を教えてくれる。
何より――。
俺は……生唾を飲み込んだ。
あの生々しい感触が、夢だったわけがない。
腹部に手を当てると、どこにも裂け目がないジャケットの存在が逆に背中の寒気を誘う。
俺が、少なくとも自分の感覚で言えばほんのついさっきまで相対していた相手の底の知れなさは、あの見た目など軽く凌駕して心からの恐怖を俺に植え付けていた。
どこともしれない街角で恐怖に浸りかけていた俺は、そこで傍らで動く存在に気付く。
そして内心怯えながらもそちらへ反射的に首を向けた俺はもっと現実的で、即効性のある恐怖によって停止することになるのだった。
「よーォ、い~い度胸してんじゃあねえか色男よぉ……!!」
額に、硬くて冷たい感触が当たっている。上目づかいにその先へ視線を走らせると、顔面を笑顔の形に歪めながら入り過ぎた力で痙攣させ、軋むほどに奥歯を噛み締めた女性が居た。それもどう見ても外人だ。
そして彼女からは俺の額に当たるソレの重量感にも関わらず揺るぎない腕の付け根、つまり肩からは湯気のごとく立ち上る殺気を幻視できた。
…………要するにこちら、マジギレモードらしい。
――――ええと。……どうして俺はいきなり銃を突きつけられるほど何て言うか、……その、怒られてるの?
どうして今日に限って俺の人生、ベリーハードを余裕のヨッシー鼻歌付き(よそ見なし)で通り越しちまってとうとうマストダイしようとしてるの?死ぬの?
紛れもなく俺が。だが。
さっきからいい加減、背中じゅう冷や汗でぐっしょりなんだぜ。
随分ハッピーな趣向じゃないか。
「…………あの、質問よろしいです、か?」
「言ってみな。」
震える声でそれだけ絞り出したのだが、必要最低限の言葉をドスの利いた声で聞かされた。
果たしてこの場においてコミュニケーションを取ろうという行為は正解の範疇に入っているのだろうか。
入っていなかったとしたらどうやら命がかかっているらしいのだが。
「どなたかと……その、勘違いなさっていらっしゃるのではおりませんか……?いえ、と申しますのもわたくしはただの」
「ん。ちょっと黙れ。な?」
「」
続けようとした言葉を遮るご命令に一瞬で対応してみせる。
そのまま固まった営業スマイルの目だけを動かして、俺の頭から相手の斜め後ろに向けられていくそれの形を確認した。
ではここでなぞなぞ、頭に当てるひんやりしたものなーに?……答えは銃だ。
うん。――――とりあえずここはきっと俺の祖国じゃなさそうだなー、と思うよ。
それじゃ何処なんだろう?修羅の国?ボンバーマンワールドかなー?
いや、正直現実逃避してる場合じゃないのだがつい。
そんな場合じゃない時に限ってしたくなるのが現実逃避じゃないですか。
俺の場合いつもだが。……どっちもが。
んで、後ろに回ったその銃だが、一体何をするつもりなのか分からず固まっていると、明後日の方向を
向けたそれの引き鉄をその少女は躊躇なく引ききった。
三回ほど目と鼻の先ほどの距離で火花が爆ぜ、遠くの硬いコンクリートが抉れる。
漫画のように鼓膜を破るほどの音量じゃなかったが、それでもすぐそこで何度も軽い爆発が起きたのだ。
体の底から俺を震え上がらせるには十分過ぎた。
あ、おしっこ漏れそう。
「っふ~…………………ゥ。――あーぁ、勿体ねえ。弾代が勿体ないよ。知ってるか?弾丸ってのも正直安いもんじゃないんだ、なあ兄さん?――だから質問は少し考えてからしろよ、アタシの指っつったら自分でも時々ヒくぐらい軽く動いちまうんだよいいかぁ……っ!!」
「えええもちろんいいい、いい以外の回答とか思い付かないッス――ッッ!!?」
えっへへぇ!!……ってちょっと待て!
この女マジでヤバイ人じゃないですか。一応ホントに撃つとまずいからそっぽ向いて撃つって、――――どんだけ短気だよ!!!?
次元のアリスほどじゃないにしろ、この女と本当に交渉が成り立つのか!?
子供が壁を殴りつけて八つ当たりする心理を何倍もスケールデカくした危険度で行いなさる人に、善良な一般市民が何を話せと……!?
さっき一回死んだことすら頭から吹っ飛んだわ!っていうか起き抜けにいきなり銃突きつけられてしかも撃たれたら誰だって命乞い以外頭に残らんだろ!!
「ようし、正直てめえが気持ちよさそうに寝てる時からイラついてた上に、華麗にヘッドバットかましやがったところでプッツンきちまったが、素直にするんなら私も鬼じゃねえ。慰謝料と治療費代わりに持ってるアイテムと装備、……いや、てめえみたいな弱っちそうな奴のじゃ素材なんかたかが知れてるだろ。インベントリ圧迫するだけ邪魔だな。回復系アイテムとレアドロップ、集めるのがめんどくさいもんがあればそれと、あとはまあそこそこ高値で売れる武器防具と持ってるルカ全部寄越せば許してやるよ。」
「???…………?」
……困惑。
こんな状況なのだが、俺は曖昧な顔を浮かべるしかない。
カツアゲされてるのはニュアンスで分かるが、相手が何を求めているのか本気で全然わからない。
ゲームの話か?…………まさか。
「なに情けない顔してんだよ、命が助かった上に痛い思いしなくて済むんだから上等だろうが。お前が元居た世界がどうか知らねえけどな、アタシはタダで痛い思いして、笑って許すつもりはこれっぽちもねえんだよ。」
「せか、い……?」
俺は頭から一気に血の気が引くのを感じた。まさか、まさかだ。そんなこと……。
しかし、俺はほんのついさっき非現実を味わったばかりだ。目が覚めてからのこの状況で保留していた明らかに俺の日常としてはおかしな点と、アリスのあの非現実的な力が拒否したい一つの仮定を嫌でも引きずり出す。まして奴は言っていた。自分には世界を渡る力があると……。
なら……ここは俺の居た日本でも外国でもなく……。
「異、世界……?」
「あ?まあお前みたいな経験浅そうな奴はまだまだ強くそう思うだろーがよ、すぐここが自分の現実だって慣れちまうもんだぜ。周りみんなそういう連中ばっかりなわけだしよ。……ていうかアタシと会話しろよ、アタシの性格は見りゃわかんだろーが、いっちいちイライラさせんじゃねーよクソッタレ……!!」
銃を突きつける力を強くしながら睨みつける少女の視線も今はぼやっと頭に入る。
そして俺の呟きに対する彼女のいかにも当然だろうという口ぶりが、何より深く俺を絶望の暗闇へ引きずり込んでいた。大笑いされて頭のおかしい奴扱いのほうがどんなにかマシだった。
どうやら俺は寝ている間にあの暗闇の空間に連れて行かれたように、今度はまたどこか、……あの地球とは別の世界に連れてこられて、捨てられたらしい。
「そんな……これからどうすれば……。」
「おい明らかにテメェ私の話聞いてねえだろ。なんだコレ死なねえ程度にどっか穴開けて見りゃスッキリ目も覚めんのかコラ?」
再び彼女は殺意の漲った笑いを浮かべるが、どうしようもない。
その話が本当なら彼女自身も随分滑稽な話をしているのだから……。
「円は?円は使えるのか?」
「は?何デスかそりゃ?スキルか?……それとこの話になんのカンケーがあんだよ?そのスキルが使えねーからテメーはアタシに勝てるってか?ハッ、試してみてもいいがお笑い種だぜそんなもん。そもそもスキルに依存しすぎなんだよてめーら平和ボケ連中は。」
「……通貨の話だったんだ。」
「は?はあ?てめえらの世界の金なのかよエンってのは。おいおい使えるわけねーだろ。租界限定でも聞いたことねーよエンなんて。ましてクーロンじゃ当然ルカだけに決まってんだろ?……おいテメーまさか……。」
「じゃあ、俺は一文無しだ。為替ができたら話は別だけど、……そんな都合のいい話あるわけないよな……。」
「てめえまさか!!?こっちに来たばっかりのチェリー野郎かよ!!!?」
けっこう下品な表現と共に、彼女は悲鳴のような声を上げた。
むしろ悲鳴をあげたいのはこっちなのだが……。