プロローグ 闇の中で
おもしろき こともなき世を おもしろく
―高杉晋作―
俺の名前は霧島京助。
……なんてことのない、社会に退屈してきた普通の新入大学生だ。
鬱陶しい受験も無事に終わって、まあ今はとりあえず、束の間の春休みを満喫してる。
新生活の準備とかは特にしてない。環境も別に変わらんし、ま、なんとかなるだろ。
あんまり深く考えてもな?ポジティブに行こうぜ。案ずるより産むが易しってな。
それで、俺の話をするわけだし、自分のことを説明しようと思うけど、趣味とか特技とかそういうものは別に持ってない。
自分で平凡とかそういうイメージがぴったりだと思うし。顔も頭も運動神経もそれなりだ。まあ自分で思ってるだけかもしれんけどな。そんでもって取り柄とか、自己紹介で使えるような特徴なんて正直思いつかない。そんなものを真剣に考える気もしない。適当に昨日見たテレビの話とかしてりゃいいんじゃないの?最近余計に退屈になるからあんまり見てないけど。
俺はそのへんを探せば邪魔なぐらい転がってるような石ころ、ていうか砂利で、自分でもそれを認めてる。別にそれでいい。そんなもんだろ。
今まで誰かを助けるようなことをしてきたこともなければ、何かに熱中してきたこともない。
たまに熱くなったりもしたけど、その結果大体負けで終わった。わりに、他と同じくやる気もない勉強ではそこそこ人並み以上に点がとれて、案外それでやれてきた。まあ、やらない奴が徹底的にやってないんだろうね。あいつらどこへ消えるんだろ?ま、どうせあと十年は会わないだろうし別にいいけど。
だからさ、その時も思ったわけよ。どうして俺なんだろうって?
もっとそういうのしたい奴も、向いてる奴も山ほどいるだろうにさ、なんで俺なんだろうね?
いや、結構これが切実でさ、腹も立つの。どうして俺なんだよ、他にも居ただろ。
どうしてっ、俺なんだよ、くそっ!
――――――目を覚ますと、自分の知らない場所に居る。それだけのことでも、人間がパニックを起こすぐらいの恐怖を感じるのには十分らしい。
「何……だ…………ここ、どこだよ?なんで俺こんなところにいるんだよ?」
帰ってくるはずのない答えを求めて俺は呟いた。俺は確かに昨日の晩は部屋で寝た。
ていうかここしばらくそこ以外で寝たことはない。
なのに、何故か起きたばかりの俺は全く知らない場所にいる。倒れるようにその空間に横たわっていた。
頭に思い浮かんだ文字は「誘拐」。俺は弾けるように身を起こした。
――――――そして、そこで自分はもっと異常で、普通じゃないことに巻き込まれていることを知る。
そこは三六〇度、見渡す限りの果てのない暗闇だった。
果てのない、とか思ったのは、そこが同じ闇でも夜の山奥とか、まして映画館とかプラネタリウムじゃ絶対にありえないからだ。
何故なら、見えるから。自分の体とそれだけが、はっきりと闇に浮かび上がって見える。それ自体が光を放っているように。白いテーブルと、茶菓子のクッキーを含めたティーセット。これから俺の前で優雅な午後の茶会でも始まるというように、何もないこの空間にそれだけが置かれている。
唐突に、それは現れた。
白いテーブルから少し離れた横の空間に浮かび上がるごく細い光の線。それが伸び、曲がり、一瞬で長方形の枠を描く。
そして枠の中が突然まばゆく輝いた次の瞬間、その空間にドアが現れていた。
無地の白い、けれど材質に高級感のある、そんなドアが。まるで、最初からそこに存在していたと言わんばかりに、しれっとした顔で現れた。
もちろん俺は何から何まで信じられないようなことばかりで、何が起きているのか考えることもできないまま、呆然と事態の推移を見ているしかなかった。
その中でも、次に起こったことはとびきりで、俺に口から飛び出しそうなほど心臓を跳ね上がらせた。
ギイ、とドアが開く見本みたいな音を立てて、そのドアは開いた。
そして、これまたそこにドアがあって、開いたなら、人が出入りすることは当然だろうとでも言うように、人間が一人、ドアからこの空間に足を踏み入れてきたのである。
「あ………ッ…な………………………ッ!!?」
あまりのことに俺は言葉を発することもできず、ただ馬鹿みたいに小さな呻きを漏らしただけだ。彼女から見ればさぞ滑稽だっただろう。
そう、ドアから現れたのは一人の少女だった。
それも、この何もかもが信じられないような空間で、何よりも一番非現実的なのは彼女自身だと思わせるほどの、上手く言葉に表現出来ないが、言うなればひどく非日常的な空気を纏った、この世のものだと思えないほどの美少女が。
白に近い灰色の髪と、紅玉のような赤い瞳。そして身に纏う衣装は漆黒のゴスロリ。もし彼女が動かずにじっと椅子に座っていたとしたら、俺は彼女を奇跡のようによく出来た人形だと思ったかも知れない。
彼女はドアから入ってきた直後に横目で一瞬だけちらりとこちらを一瞥した後、僅かもその澄ました表情を変えないまま反転し、頭の位置にあるドアノブに手をかけて静かに扉を閉めた。
すると扉は下からすっ、と溶けるように闇に消えていく。
彼女はその様子を確認もせずにまたテーブルの方に向き直り、優雅に悠々とその足元まで僅かに歩いていくと、(驚いてこの混乱の中、不覚にも笑いそうになってしまったのは、どこに立っているのかも曖昧なこの暗闇の空間で、コツコツという彼女の可愛らしい足音は律儀にもしっかり仕事をしていたことだ。)いささか彼女には大きすぎるきらいのある白い椅子の一脚を少し引いて、そこに腰掛けた。
そしてポットからカップへ微かに湯気の立つ琥珀色の紅茶を注ぎ、ソーサーをもう片方の手で持ち上げて、わずかの間湯気と共に立ち上る芳香をくゆらせた後、ミルクも砂糖も入れずに紅茶に口をつけた。
そして少しの間を置いて、テーブルに紅茶を置く。相変わらずの澄ました顔で。
(…………後から思えばこの紅茶を飲むのは彼女しかいないし、彼女自身が用意したのか他に調達させたのかは分からないが、紅茶の味は恐らく彼女の好みに合わせたものだったであろうに、ここで全く表情を変えない辺りが彼女の気質を伺わせる。)
そうしてようやく彼女はこちらに目を向けたのだ。
気のない、あるいは先ほどよりわずかに険を秘めているように思える、ひやりとした視線を。
「さて。」
彼女の赤い瞳は真っ直ぐこちらを射抜いており、立場で言えばこちらがすぐさま問い詰めてもいい状況だったと思うが、その逆に咎められているような気持ちにさせる視線が、俺の今にも迸りそうな言葉の数々を呪縛していた。
何より彼女を見ていると心がざわざわと落ち着かなく波立つ。例えるなら、まるで孤独な夜の森で梟と睨み合っているように。
「面接を始めるとしましょうか。」
けれど流石に、その言葉の響きには我慢ならなかった。頭にさっ、と血が登り、叩きつけるように罵っていた。
「……面、接……っ?……面接だとッッ…………………!?人を勝手にこんなところに連れてきておいてふざけるなよっ!何の虚仮威しだかしらないがなっ!ガキが何の話をしてくれるんだ?はっ!!さっさと俺をここへ連れて来た奴を出せよ!そいつと話をさせろ!!俺に何の用だ!ここはどこだ!お前達は一体何者だ!?」
放っておけばそれこそ延々とわめいていたかもしれなかったが、それを彼女は手で制止した
しかし、吹き出る怒りを込めに込めた俺の恫喝だったが、それに彼女は顔色を変えず、ただ辟易としたようにわずかに眉をひそめただけだ。
「あなたの山ほどあるであろう質問に一々答えていても要領を得ませんので。聞きたいであろうことはある程度わかっていますから、必要に応じてこちらから説明して差し上げます。」
「ッッな………ん…っ!!」
“だ・と”と、湧き上がる怒りはまた言葉にならなかった。こんなに血管が切れそうな思いをすることはかつてあっただろうか?
とにかく目の前の少女の、こちらを虚仮にするような冷静な態度が気に入らない。
「ガキが、お前に一体何が出来るつもりか知らないけどな、人を舐めるのも大概にしろよっ!!」
「……やれやれ、どちらかと言えばこちらが言いたい台詞な気がするのですけれど……。随分と一端の口を利いていらっしゃいますが、貴方?貴方の仰せになる子供を相手に、何をそんなに息巻いているので?右も左もわからないなりに、こちらの親切心からの忠告に少しは耳を傾ければいかがですか?」
どこまでも冷めた声を彼女は変えない。そして心底呆れたように彼女は言った。
「あなた、どうやら随分愚図でのろまのようですし。」
「……………………はぁ?」
この言い分には怒りを通り越して呆れた。
「私を見れば感覚の鋭い者ほど逃げ出すものなのですが。それこそ魔王や勇者ほど。」
「下らない。何を言ってるのかわからねえよ。どうして子供からわざわざ………」
「あなたは目の前におぞましく冒涜的な姿をした巨大な化け物が居たとして、その場でぼうっと突っ立っているのですか?」
「一目散に逃げ出すさ。勝てないとわかってて戦おうなんて馬鹿のやることだ。」
「確かに。」
彼女はそこで初めて笑いを浮かべた。ぞっとするほど酷薄で冷ややかな、薄い微笑を。
「――――では何故、今はそうしないのですか?」
俺は心臓を握りつぶされる直前のような戦慄を感じた。
ひやりとした何かが、首に巻き付いている。いや、首だけじゃない、体の至る所を見えない鎖……いや、もっと柔らかい何かが拘束している。
それらは異常なほど力強く、俺が全力で足掻いたところで全くびくともしない。
その拘束力がさらに締め付けられるものだとしたら、恐らく首に巻き付いたものは簡単に俺の首をへし折るだろう。
「な、んだ……ッこれ……!?」
…………何より恐ろしいのは……拘束のせいで全く背後を伺うことはできないし、出来たとしてもおそらく光では不可視なのだろうが……なにか、人間より遥かに巨大な生物の息遣いを、背中からほんの少し離れた空間に感じることだ。
それは多分、とても原始的な知能と、圧倒的な力と、この世界のどんな生物も及ばない獰猛さを持った、横に置いておくには最悪の類の生物だ。
今、俺がどんな気分かを聞きたいなら、酷く頭が悪くて悪趣味な質問だ。
決まってる。
気が狂いそうだ。
「チェックメイト、というもののようでございますわ。ねえ、お客様?今、どのような気分でいらっしゃるのかしら?私がこの手を一振りすれば、彼は瞬く間にあなたをくびり殺し、骨も残さず喰らい尽くすでしょう。」
俺のこの恐怖を茶菓子の代わりにでもしようというのか、彼女はティーカップを再び口にして、相変わらず退屈そうな、冷めた目でこちらを見ている。
「まあ、最初から貴方が生きたまま元の世界に帰還する方法なんて、この空間には存在していなかったのですが。詰み(チェック)の宣告なんて、本当は何を今さらというわけです。」
行儀の悪い子供のように頬杖をつき、天使のような笑顔を浮かべて彼女は俺の心を絶望の底へ突き落とす。
「……くそッ、何なんだよお前!?……本気なのか!?やめろっ!どうして俺がこんな目に……!!」
「そうですね……。そろそろいいでしょうか。傍らで蠢く死の匂いというものを堪能していただきながら、問の答えを教えて差し上げましょう。」
楽しんでいるように見えたその瞳が、これまでのどの表情よりも真剣さを帯びる。
その瞳の仄暗さは、そういう機微なんか気にしたこともない俺にも伝わった。目の前の少女は、見た目通りの相手なんかでは絶対にない。俺はようやく理解する。こいつはもっと恐ろしい、俺なんか吹けば飛ぶような、よほど強大で怖い何かなのかもしれないと。
「まずは名乗らせていただくとしましょうか、霧島京助?」
こいつは俺の名前を知っている。しかも今、あえてそれを俺に教えた。
それはこの常識なんてまったく通用しない相手からすれば些細なことかもしれない。だが、つまりこの娘はさらう相手が誰でもよかったわけではないのだ。なんの基準があるのかなんて知ったことじゃないが、こいつは何らかの目安を持って俺をここへ連れてきたのだ。
その、相手に知られているという感覚が、余計に俺の説明できない精神の不安を煽る。
ひどく気色の悪い、まるで死者に生活を覗かれていたような――――。
また一段と青ざめる俺の思いを知っているのか、彼女は再び口を開いた。
「私は……、世界を渡り歩き、混じりもしないその世界を引っ掻き回す、私は次元のアリスと、――――今はそう呼ばれています。」
「次元のアリス……?」
もしこれが日常で聞いた言葉なら、俺はせせら笑っていただろう。大仰で中身のない、それこそ中二病の響きじゃないか。
けれど大真面目で言った彼女の名乗りを、俺は笑い飛ばすことができなかった。鈴の音のような彼女の声で語られたその響きは、妙に重苦しさがあって……どこか憂鬱だ。
「あなたがたに伝わるように説明して差し上げるなら、私は平行して存在する三千世界全てを渡り歩くことができます。いえ、むしろその存在、世界という木々で成り立つ森の形と、確率事象の枝葉のすべてを知り尽くしていると言ってもいいでしょう。」
「……おいおい、人を担ぐにしても、もう少しやり方があるんじゃないのか?はは、それじゃまるで……」
「ええ。神。あなたがたが定義づけるなら、そう呼ばれるだけの力を、私はゆうにこの体に保持しています。」
「……馬鹿も極まれり、だな。今時神を自称する人間が居たとして、誰がそんなもの信じるんだ?時代錯誤もいいとこだぜ。新興宗教の勧誘ならよそでやれよ。どこまで俺を知ってるのかしらないが、俺の親は俺を通して金を引き出せるような人間じゃないぜ。」
「あなたのことは現在も過去も、そして未来の果てまで知っていますよ、霧島京助。」
「ぞっとしない文句だな、カミサマ?」
「――――――こんな力、私にはどうでもいいのですよ。世界の平和も混沌にも、さして興味などありません。強いて言えばあなたがたで好きにすればいい。滅びるも、繁栄を極めるも。」
「じゃあお前は一体何がしたくて俺をさらったって言うんだよッッ!!」
俺は思わず叫んでいた。悲鳴にも似たその声を俺にあげさせたのは、絶望も熱もない彼女の声が、心を犯し脳髄を溶かすような恐怖を感じさせたからだ。
その声の響きに込められたものは、絶望して絶望して、絶望すらも擦り切れて、それでも歩みを止める気などどこにもない、復讐者の冷え切った狂気、干上がり続けてなお再び満たされた怨念の底知れぬ闇。そういうものにしか俺には思えなかった。
「私の目的は、私の存在しない世界を創りだすこと。そして貴方を連れてきたのは、あなたが無価値な人間だから。」
「なッ……!?」
「過去も未来も貴方は、自分のことだけに時間を費やしている。他者に対して貴方はなんら影響を及ぼすことなく生きていく。これまでも、これからも。良く言って害の無い人間。けれどそれは毒にも薬にもならないというだけ。その力を持っていないから、誰に自分の思いを残すことなく、世界に何も与えも奪いもせず、やがて、――――――――――――消える。」
「そんな……、そんな、馬鹿な、………………ことが………。」
俺は否定できなかった。
それが全てのように思う。
俺はそういう生き方をしてきて、何事もなければこのままそれを続けていくのかもしれない。
何もその顔を彩るものを持たない、形だけの、のっぺらぼうの雪だるま。
それが自分なのかもしれない。
だが、だからといって、他者から突きつけられたそれを受け入れられるだろうか?真っ直ぐ逃げずに、そんなものと向き合え?
「だから俺をここへ連れてきて、……殺すのか?無駄だから。俺が価値の無い人間だから。でもどうしてだ?あんたの言うことと、今ここにいる俺は、何の関係も無いじゃないか……。」
「邪魔なのですよ、私には、貴方が。貴方の絶望が。」
はっきりと言い切った彼女の揺るぎない瞳には、俺に対する憎悪の炎すら煮えたぎっていたように思う。
彼女をそこまで追い詰めたことが何なのか、勿論俺には身に覚えがない。だが、射抜くようなその視線には、そんな言葉は何の意味も持たないのだろう。
俺は彼女の、今までの生き方じゃ見たことが無いような真剣な思いの世界に心を揺さぶられていた。同情さえ覚えていた。
けれどだからって、このまま死ぬなんて絶対に嫌だ。
誰にも無価値と言われて、役に立たないから死ねなんて言われて、それで死を受け入れられる奴なんて、本当に一度死んだ方がいい。
「……邪魔だから人を殺すなんて、そんな事が許されると思っているのか?」
「―――――逆に聞きますが。今貴方の前にいる私が誰かに許される行動の範囲でしか動かない存在だと、まだ思っていらっしゃるのですか?許す許さないは私の決めること。望みが叶わないとわかっていて何の行動も起こさない方が、よほど私には永劫の滅びに値する罪です。」
「そんな勝手なこと…………!」
「ええ、勝手ですよ。知っています。けれど私はこのままで居るぐらいなら地獄に落ちたいひねくれものですので、神も冥府の王も私を止める理由にはなりません。止められるとしたら貴方だけですよ。悔しいなら足掻いてみせますか?」
彼女の冷たい瞳は、俺が何一つ身動きの取れないことを当然知りつくしていて、なお冷徹に俺に嫌なら抵抗して見せろと言う。
悔しい。悔しくて胸が張り裂けそうだ。必死でもがくが、俺の体はどれ一つとしてままならない。
「でも駄目です。言ったでしょう?何もかも手遅れだと。」
「――――――――くっ…………そぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおっっ!!!!!!!!!!」
「頭に血が上っていては最後の抵抗すらできませんか。では、交渉決裂ですね。わかりきっていたことですが。」
なげやりでも愉悦でもなく、ただ冷静に次元のアリスは告げた。死刑執行の宣告を。
「アカシックレコード、この手に顕現せよ。」
俺はまた目を疑うことになる。静かに彼女がそう言うと、突如として暗闇の空間に煙のようにゆらゆらと形を変える赤い光が現れ、彼女の小さな手のひらへ吸い込まれるように集まっていく。
光は形を変え、彼女の前には、宙に浮かぶ一冊の輝く赤い本が現れていた。
「万象と全ての命を記録するアカシックレコードよ、我が望む形をこの世界にあらわしたまえ。」
詠うような彼女の言葉に、その本は呼応するように輝きを増し、それと共にこの暗闇の空間を染め上げるほどの、本と同じ輝きを放つおびただしい数の幾何学模様が空中に現れた。
「錬成、召喚。」
俺はその光景に息を呑んだ。隙間無く埋め尽くされたその模様達を突き破るようにして、今度は先程まで何もなかった空間から無数の剣や槍、ありとあらゆる刃物がこの世界に生まれてきたのだ。
圧巻。暗闇の空を埋め尽くす赤い光と刃の数々には、その表現がぴったりだった。
「さようなら、霧島京助。」
耳に届いたその声の感情はわからなかった。
俺にそれを読み取る余裕がなかったから。
熱い。
冷たい。
「ぐ…………ふ……ぅっ…………!!」
腹部から生まれる熱と、それを引き裂く冷たさ。
「ひどい、虚仮威し、だ…………ぜ……がふっ……!!」
俺は口から大量の血を吐き出す。
あれだけ大量の武器を作り出しておいて、俺への攻撃に使われたのはたった一本の短剣それだけだった。
それも正面から堂々とではなく、生み出される刃たちに気を取られている一瞬で、俺の腹部にそれは突き刺さっていた。
「わたくし、気が小さいもので。」
大真面目な顔で答えるアリスの前で俺の体は力を失っていく。
俺に抵抗する力が無くなったからか、同時に俺を束縛していた謎の拘束も消え、支えるものの無くなった俺の体は崩れ落ちる。
「……く、たばれ……ッ…………くそっ……たれ……っ……!」
最後にそれだけ悪態をついてやるのが精一杯で、もうアリスを見上げる力もなかった。
――――痛い。―――――苦しい。
それ以上に、血液と共に体から力が抜けていく。
ふと気づけば、倒れた俺の体は闇に呑まれて少しづつ消え始めていた。
「な、ん……ぁ…………――――――」
最期はまともな言葉にもならなかった。瞼が意思に反して落ちていく。
俺が死ぬのってこんなにあっけないものなのか……?
疑問さえも闇に溶けていく。
「この儀をもって霧島京助を我が世界に迎え入れる。」
その中で、最期に次元のアリスの声を聞いた。
「彼の者の死を以て、運命を打ち破る者、レコードブレイカーが世に生まれんことを切に祈る。」
運命を打ち破る者――――――?
やけに耳に残った最後の一言を疑問に抱きながら、俺の意識は完全に闇に染まった。
俺が最期にこの胸に抱いたのは悔しさ、疑問、呪詛、あるいは……恋だったのかもしれない。