冒険
久々に投稿。大分前からチョロチョロ書いていた話
空気を掴んだ気がした。そういう、目には見えない何かに触れた気がした。
「何言ってるの?」
彼女は冷ややかな目で僕を見る。
麻の服の裾を握る。困った時の僕の癖だと、前に彼女は言っていた。
「なんかな、こう、表現しづらいんだけど。そういうものを昨日の昼に触れた気がするんだ」
「とうとう気でも狂った?」
追い打ちをかけるように彼女は言う。
彼女は僕の先をトコトコと歩く。その後を僕は追った。
なんだかんだ言って、彼女は僕のこんな話に付き合ってくれる。自分でもおかしな事を言っている自覚がある。でも、彼女は昔からそんな僕の側から離れることがなかった。真意が他にあるのかもしれないけれど、僕はその事実だけに満足しているので、言及しない。
「本当だって」
「嘘だなんて誰も言ってないでしょ」
「……うん」
おそらく、僕は彼女を好いている。でも、これがはたして恋愛感情としての好きなのか判断がつかなった。ただそこに都合が良い人がいたから、というしょうもない理由で好いているのかもしれない。そういう可能性を拭えない自分の心が少し嫌になる。そういう迷いがいつも態度に出て、彼女を苛立たせているのだと思う。治したいものだけど、それすら治す勇気が沸かずにそのままだ。
「どこら辺?」
「え?」
「その、よく分からないものを触れた場所はどこ?」
だから、僕は彼女の顔を真っ直ぐに見られない。
「あっち」
「あっち?」
「うん」
僕が指さす方向は町の外縁を囲む鬱蒼とした茂み。膝まで延びる雑草、背丈の何倍もの高さの木々。昼間だとしても、太陽の日は地面まで僅かにしか届かない。それでも、少し日が当たるだけでジリジリと肌を焦がされる気がした。上を向くだけで言い知れない圧迫感がする。大きな怪物が大口を開けて見下ろす、そんな圧迫感。
彼女は黙ってそちらに歩きだす。僕はそれを追った。
「信じてくれるの?」
「何かいたらね」
そんな風に彼女は言うが、彼女もまた僕と同じような気持ちでいる事が分かった。彼女はワクワクした時やドキドキした時、手を結んだり開いたりする。まるで犬の尻尾を見るように彼女の気持ちが分かるこの時、僕は少し嬉しく思ってしまう。
いつものように彼女の後ろをヒョコヒョコとついて歩いていたが、突然彼女は振り向く。口元がツンと上を向いている。これもまた彼女の癖で、何か言いにくい事を言おうとしてる時のものだ。
「横、来なさいよ」
「う、うん……」
彼女に言われるまま僕は彼女の隣に駆け寄る。彼女はそれを確かめると、再び歩き始める。それに置いてかれないように、慌てて僕も歩調を合わせる。
茂みの奥、深く深く進むにつれ自分の鼓動が高鳴るのが分かった。これが何によるものかは分からなかった。この高鳴りに自分の体が置いてかれそうになる。でも、隣にいる彼女の存在がそれを留める手綱の様に僕そのものを掴んで離さなかった。
もどかしさを感じる。もっと先、もっともっと先と心が先走る。そう思うのと同時に僕は彼女の手を掴んでいた。
「こっちだよ、こっち」
「ちょっと待って」
ササッと、まるで獣のように僕たちは駆けた。葉がチクチクとしてくすぐったい。彼女の手を握る手が熱くなる。木漏れ日を身体に受ける。
胸がとてもドキドキしていた。冒険心とは別の高揚が沸きたつ。心臓が口から飛び出そうだった。何をそんなに急いでるのか説明できない。けど、それとは別にそうやって時間を追い越すのがとても勿体なく感じた。
「どこまで行くの?」
「もうちょっと」
頭の中が清涼剤に埋め尽くされるような感じがした。血管を伝い、身体の隅々を駆けずり回る感覚に頭がついてこれない。
あとちょっと、と頭の中で繰り返される。何に対してなのか忘れてしまいそうになる。そんな興奮を、あまり彼女に知られたくない。
ようやく目的の場所に着く。
先ほどから、時間の感覚が分からなくなっている。あまり運動をしないのに、変にはしゃいでしまったからだろうか。
彼女の方がそれほど息が上がってなかった。元々僕よりも運動が出来るので、当たり前なのかもしれないけど。
「この辺?」
「うん」
特別な所ではない。先ほど辿っていた道なき道と変わらない。視界が広がっているわけでもなく、ただ欝蒼な草が生え広がり、背の高い木々が日を隠す。そのありきたりさが、逆に変な非日常を醸し出しているのかもしれない。
「何もないじゃない」
僕たちは辺りを見渡す。
その間も手は握られ続けていた。さっきまで僕の方が握っていたのに、今は彼女に握られていた。
「もっと探してみる?」
彼女はそう僕に問う。
正直、捜したところでそれが見つかると思わない。それは目に見えないのだ。検討をつけようにもどうしようもない。
あの時僕は何を掴んだんだろう。
今はもうその感触は思い出せない。手はずっと彼女に握られており、感触はとうに消えてしまっていた。なんとか思い出そうにも、乱れた心では思い出せそうにない。
僕は黙って首を横に振る。
「そう」
彼女は短くそういうと、僕の手を引いてもと来た道を戻る。若干の後ろ髪を引かれる思いを抱えて、僕は後ろを振り返る。
結局僕が掴んだモノは幻だったのだろうか。ないモノを掴むなんて空想を抱いた結果が錯覚を起こしたのだろうか。散乱する思考にまとまりを与える事ができず、それを放逐したまま僕は放っておくことしか出来ない。
「僕は何を掴んだろう」
「さぁ、私は分からないわ」
「……本当は何を掴みたかったんだろう」
「急にどうしたの?」
彼女は歩みを止める。手をひかれていた僕もそれに倣うように足を止める。
「確かに、僕は何かを掴んだんだ。モヤモヤとした、もしかすると形すらなかったのかもしれない。臭いもしなかったんだろう。存在しかない、そんなものを掴んだんだと思う」
そう口にする僕を、怪訝そうに彼女は見る。
彼女は「熱でもあるの?」と、言いながら僕の額に何も掴んでいない手を当てる。ひんやりと冷たく、煮えた頭の中に鮮明なイメージが象られていく。
見えるモノが見えなくて、見えないモノに全てを押しつけようという自身のどうしようもなさが生んだ妄想が、こんな訳分からない感覚を生んだのだろう。
彼女と二人で、全てを置いていけるような高揚を僕は欲したんだ。
「もう、帰ろうか」
向こうの空はもう赤く、藍色が混じり始めた。それは僕らを急かす様に周囲を包みこんでいく。
本当の所、そんな曖昧模糊なままにしたくなかった。もっと彼女と一緒に、訳の分からないモノを探していたかった。
でも、きっとそれはもう遅いのだろう。
僕は気付いてしまったんだ。今の空模様のように、心の全てが汚く混ざり合って、また別の色を生まれそうになっていることに。
「うん」
彼女は頷く。
服の裾を掴む。多分それは、自分がここにいる事を自分で確認するための行動なのだと思う。目に見えない何かがあるかもしれないという事は、自分自身もそうではないかという可能性を生んでしまう事だ。見た気がする、というただそれだけの、薄弱な現象を垣間見ただけでさえ、自分の存在も肯定しきれない自分が本当に嫌になる。
そんな自分の心を読みとったように、彼女は僕の服の裾を掴む。「大丈夫だよ」なんて、彼女はそんな言葉を投げかけられる。
おそらく僕はこれからもずっと空想を追いかけるのだろうと考えると、情けなさを感じる。もう少し強くなりたいと思う。そんな思いすら空虚なもので、多分明日には夢の中に落としてしまうのだろう。
遠くを見つめる。雑木林の向こう、そこまで遠くには来てないはずなのに、随分と身の周りの物から遠ざかった気がした。
「今度、また見れたらいいな」
そんな願望を呟き、僕と彼女は元の場所へ戻っていく。