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ゴミ置き場  作者: 野良犬
3/7

好意

 手の内側が震えるのが分かった。トクトクと手の平の中で何かが流れるのが分かった。

 赤く膨れ上がる彼女の顔から、普段感じる清楚さだとか端正さだとか、そんなものが抜け落ちていくようだった。

 ギョロギョロと目玉が泳ぐ。目の端から涙が流れる。口から出るよだれが首元を伝い、舌が高く伸びる。身体が痙攣をおこし、足や腕が不思議な動きをする。

 彼女の瞳に自分の姿を見た。自分もこうやって感情を強く表に出せるのか、と新しい発見をした。

 追い込みをかけるように自分は腕に力を入れる。

 彼女の身体が大きく痙攣をする度、自分の身体が熱く火照る。彼女の変わりに、自分が倍の呼吸をしていた。

 全身の毛が逆立つ。血流で内側から崩れていく気がした。若干の不安と、それを覆う様な興奮が心を埋める。

 あと少し。何があと少しなのか、あまり意識していなかった。けれど、そんな意識が頭の中をひょこひょひょこ駆ける。


「……っ!」


 途端、先ほどの熱が嘘だったかのように冷めていき、腕の力が解けていく。彼女の顔が鼻先のすぐそこにある。気がつかない間にこんなにも近づいていたようだった。

 だからこそ、彼女が薄く笑っていた事に気がつかなかったのかもしれない。

 上体を起こす。頭の中は空っぽだった。たぎる思いをどこか遠くに投げてしてしまった様な気分だ。腕にある傷がジクジクと痛む。

 彼女は強くせき込む。胃の中の物全てを吐き出す勢いだった。しばらくして落ち着いたのか、大きく深呼吸をする。とは言え、自分が彼女に馬乗りしているため、満足に出来ているとは思えない。


「気が済んだ?」


 彼女は微笑みながら問うた。母性を感じさせるほど安らいだ微笑みだ。自分の何もかもを受け入れてくれる気すらして、それに身を委ねたくなる。


「君は、何なんだ?」

「何って、何が?」

「自分は君を殺そうとしたんだ」

「だから何? 私はこうして生きている」


 気味の悪さを拭えない。なぜ、彼女が平然と自分に微笑みかけるのか分からない。

 彼女は首元に、自分の手をかけ、ゆっくりと顔を近づけさせる。

 彼女の表情がよく見える。元の綺麗な顔だ。涙とかよだれの跡が微かに残っているが、彼女の可憐さはそんなもので衰えはしなかった。


「どうして笑っていられるんだ?」

「なぜって? 好きな人がこんなにも近くにいて、私に迫ってきたのだから、嬉しくて思わず笑ってしまうのは仕方のないと思うわ」

「狂ってる」

「あなたほどじゃないわ」

「……」


 彼女は自分の頭を胸で抱え込むように引き寄せる。

 脳みそを溶かすような甘い匂いがした。思考が散漫になる。食虫植物の体内に迷い込んだ気分だ。


「君が何を考えているのか分からない」

「私は常に好意を伝えてるつもりよ」

「なんで自分に?」


 相手の意図が掴めない。何を考えているのか推測が立たない。薄暗い向こうから確かに感じる不気味さをとても恐ろしく思う。


「好意を向ける事に理由が必要? 強いて言うならば、好きだからよ」

「理由と結果が倒錯している」

「無理に理由をつけているのだから、そうなるのは当然でしょう」


 どうしてこんな思いをしてしまうのか、自分の事なのに認識できなかった。あるのは、緩やかな死に似た安堵だけだった。


「あなたは人の好意というものが理解できていないのよ。分からないから今まで拒絶してきて、あなたは独りだった。幸福なことに、あなたは独りでも生きていける人だったから今まで何の障害もなく、障害を障害とせずに生きてこれた」


 彼女から話し、覆う様にして彼女と顔を見合わせる。

 何かを言おうと思ったが、言葉が喉もとで突っかかって出てこなかった。息苦しくて、言葉をそのまま溶かしてしまい、結局何も反論が出来なかった。

 彼女は真っ直ぐと自分へ視線を送るが、自分はそれに逃れるようにして視線を彷徨わせた。


「そんな泣きそうな顔を浮かべないで」


 自分はそんな顔をしているのか。自分の顔に手をやる。そうすることで眉間のところにしわが寄っていることに気がつく。


「突然の好意にあなたは困惑してるだけよ」

「なんでそこまで俺のことを語れる?」

「ずっと想い焦がれてきたし、ずっと見てきたもの。今なら、あなた以上にあなたのことを知っている自信があるわ」


 言葉が自分の体に巻き付いていき、身体の自由を奪われる様な気がした。

 彼女の左手が自分の腕を触れる。腕の筋をなぞる。そして、包帯の巻かれた箇所に届くとキュッと握りしめ、思わず自分は顔を歪める。

 痛みが感情を塗り潰す。痛みに反応して目から水が零れる。捻れば出る蛇口となんら変わりはない。


「自分も他人も愛せず、傷つけることしか出来ないあなたがひどく愛しい。最後の最後で足踏みするあなたの苦汁を飲む様に、身が震えるほどの心地がするの」


 自身の意思だとか理念だとか、感情以外の自身がこれまで積み上げてきたものが身体から抜け落ちる。まっさらになって、自分という存在を確認出来なくなっていく。


「私はあなたを肯定し続けるわ。あなたがあなたを嫌いになっても」


 その言葉の意図を自分は感じ取れない。そう言う風に自分は出来ているのだろう、と諦める事も出来るが、どうしてかそれをしなかった。

 確かな証明を何一つ手に入れない現状に、自身の思いは明確な答えをみつけることは出来なかった。溺れるばかりの高尚な理屈に、理解を示す事は出来なかった。自身の能力に大きな評価を示す事は決してないが、それ以上に理由も不確かなまま霧散される自身の理屈に、塵として消える未来を予見さずにはいられなかった。

 自身の中で渦巻く気持ち悪さを解消するために、自分はどんな事をするべきなんだろう。強く抱いたつもりの覚悟さえも、最後の最後で足踏みしてしまう自分は、どうすればいいのだろう。

 答えを彼女は知っているんだろうか。

 そんな独りよがりな期待を相手に抱く事に、違和感がする。それはおそらく、慣れていないだけなのだろう。

 彼女を見る。この時初めて、彼女の顔を認識した気がした。

 彼女の事が少し、知りたくなった。

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