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ゴミ置き場  作者: 野良犬
2/7

未来

一昔前の表現を意識して。しっとりとした奴が書きたかった。それだけ。

 今、自分は幸せであるのか。そもそも自分というものが分からない現状、泡を掴むような思いを抱くほかない。先を描く想像力も、能力も、根性も持ち合わせない。どうするのが正解で、有益でなのか、ほとほと判断に迷う限りである。


「結局のところ、自分が幸せだと思えばどんな事でも、どんな今でも幸せなんだよ」

「どんな事でも?」

「そう、どんなことでも」


 ヒラッと、目の前でスカートが揺れる。無軌道で、見えそうで見えない様は、そのまま彼女の性分そのものを表しているようだった。

 外で降る雨が強くなる。しばらく止みそうにない。うるさいくらいの雨音が少し気になるが、パーソナルスペースに入りこむ彼女との距離感を鈍らせるにはちょうど良いものだった。


「それはひどく短絡的というか、原始的な考え方じゃないのか。確か授業で習ったな……”満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い。 同じく、満足な愚者であるより、不満足なソクラテスである方が良い”」

「んー、それは論点が少しずれるかな。満足であるという点で幸福値を表すのなら、豚であっても幸せなんじゃないかな。

 君の幸福の基準項目がはっきりしない限り、幸せにはなれないんじゃないかな」

「基準項目、ねぇ……」


 呼吸とともにその言葉を復唱する。幸せの基準項目とはなるほど、分かりやすい表現かもしれない。

 思案していると、フラフラと目の前を動いていた彼女が隣に座った。一瞬、頭の中が白くなったけれど、再起動に時間はかからなかった。けれど、なんでこんなに近くに座るのだろうか、という疑問がチラつく。

 右腕を少しでも動かせば、彼女に当たるような位置。

 普段よりも着込んだためか、コートの内側で熱がこもる。ポン、と自分の内側で高い音が鳴った気がした。


「着る服があって、食べるものがあって、住む家があるだけで幸せだと思う人もいるでしょう。そういう人は衣食住が幸せの基準項目なんだろうし、はたまた別に、学術的な向上心をもって何かを発見する事が幸せの基準項目だったりするんじゃないのかな。まぁ、そこら辺は想像でしかないんだけど……聞いてる?」

「……ん、あぁ、聞いてる」

「君がふった話題なんだから、責任もってよ」


 彼女の非難の目に、自分はハッとして、思考を続ける。

 とは言っても、どれほど思考を続けた所で、答えが出ない事はなんとなく予想が出来た。

 やりたい事は、やるべき事は、やっている事は、という風に見方を変えていっても、何も浮かぶ事はなく、これまで何も特筆すべき事をしてこなかった自分への嫌悪感が増すほかなかった。


「君は誰か好きな人はいないの?」

「……」


 その問いに自分は閉口し、彼女の方に視線だけを向ける。

 彼女はまっすぐに、自分を射抜くような視線を向けていた。彼女の顔が仔細に見える。何の感情も窺い知れない表情から、すぐに視線を外した。


「いないよ」

「そっか」


 声色に落胆に似た色を感じたのは気のせいだろうか。

 多分、気のせいだ。


「好きな人がいれば、その人を基準項目にする事も出来ると思ったんだけど。よく言うでしょ、”あなたの幸せが自分の幸せ”だって」

「よく言われるかどうか知らないけど、聞いた事があるな」

「おそらく、それが一番単純で、文化的で、原始的な基準項目だと思うんだよね」


 彼女は足を遠くに伸ばし、視線は小屋の角に向いていた。手持ちぶたさを表す様に手を結んだりほどいたりを繰返す。

 自分が何を思っているのか分からない。自分が何を考えているのか分からない。自分が何をしたいのか分からない。自分が何をすべきなのか分からない。自分が何を言っているのか分からない。

 思考がから回り、渦を巻いて残像を描きながら同じ所を繰返し通る。何もかも置き去りにしそうな気がして、気を紛らす為に、言葉を吐き出す。


「君は、好きな人はいるの?」

「分からない」

「自分と似たようなものか」

「ううん、ちょっと違うかも」


 彼女の答えに疑問符を浮かべる。言えたタチではないけど、要領をえないその口ぶりがとても珍しかった。


「私は、私の事が好きな人が好き」

「……なんだそれ」

「そのままの意味だよ。だからね、誰が私の事を好きか分からない以上、好きな人が分からないんだよね」

「それは告白されたら誰であっても受け入れるって事?」

「んー、そういうわけでもないんだけどね」

「訳分からないな」

「うん、訳分からないね」


 軽く笑みを浮かべる彼女の表情が、なぜか自分の心を読まれている気がして、気持ちが落ち着かなかった。熱が首元から漏れ出てるのが分かり、コートの襟についているボタンを留めた。熱とともに何かを悟られるような気がしたからだ。


「バス、来ないね」

「そうだね」


 適当な生返事以外、言葉は出なかった。後でまた、自分の不甲斐なさに後悔を抱く事が容易に想像でき、彼女に気付かれない様に小さく溜息をついた。


「多分、私の幸せの基準項目はね」

「ん?」


 彼女は口を開く。歌を歌う時のブレスのように、吐く息にさえ正調なリズムが感じられた。この時、時間さえも気後れしたようにゆったりと速度を緩め、雨音も気を使ったのか遠のいていく。


「今みたいな時間がこれから何度もあってほしいってことかな」

「……バスを待つ時間って事?」

「うん」

「理由を聞いていい?」

「ダメ」


 いたずらに成功にしたような笑みを彼女は浮かべ、それを見る自分は腑に落ちる事のない疑問の重みを感じるしかなかった。


「……バス、来ないな」

「うん」


 この、バスを待つ時間がなおの事長く思えた。解消されない思考ほど、思考それ自体を自縛するものはないと思う。


「君が幸せになれないのは、考え過ぎによるものだと思うね」

「……と、言うと?」

「単純な幸せを思慮に入れるのなら、君は十分に幸せだと思うよ」

「その理由は?」

「女の子と一緒にいる時点で、それはそれは幸せな事なんだよ」

「……」

「なんで笑うの? 真面目な話なのに」


 笑いをかみ殺す自分に、彼女は詰め寄った。近い。そこまで近づく訳がわからないくらいに近い。彼女によって頭の中はかき乱される。とても嫌いな感覚だ。

 さすがに彼女も近いと思ったのかスッと離れて、頬を掻く。


「とにかくね、君の幸せの基準項目というのが複雑怪奇で条件を満たすのが難しいから、幸せに気付く事も成り立たせる事も難しいんだよ。つまり、物事を難しく捉え過ぎってことかな」

「そうかな」

「そうよ」


 彼女は強く断言した。

 彼女の言わんとする事を、自分はなんとなく理解していた。物分かりは良い方だ。けれど、そうして得た情報の処理の仕方を、自分はこれまでに学んでこなかった。


「……」


 いや、もしかすると知っているのかもしれない。気付いていないふりをして、難しく考えるふりをして、ある一定の思考に踏みいる事を躊躇しているのかもしれない。


「結局、まず一番に自分を知るべきだってことだよ」


 彼女のそんな追い打ちを受け、自分は苦笑いを浮かべる。最後にはそんな結論に落ち着いてしまうしかない現状に、情けなさを感じるばかりだ。


「先は長いんだから」

「なんだか中年みたいだ」


 そう言うと、彼女は通学かばんで軽く自分の頭を小突いた。二人、目を見合わせて、フッと笑う。何がおかしいか分からない。だけど、なぜか笑いが噴き出してきた。


「んっ?」


 気付くと、雨が止んでいた。晴れ、とは言えないが雲間から星が覗きこみ、月明かりが雲に淡い染みを作っていた。


「もう、こんな時間だったんだね」

「そうだね」

「バス、いつ来るんだろうね」

「うん」


 不意に、先ほどの彼女の言葉が思いだされる。リフレインされる言葉がスッと、思考に馴染み、広がる。

 多分、こんな今に流されているのだろう。本当のところの自分なんてものは分からないけれど、現状知りえる自分はこんな事を考えないはずだ。

 でも、ちょっと位の間流されても良いのかもしれない。なぜか今はそんな気分だった。


「自分も、こんな時間が続いてほしいかもな」


 彼女に悟られない様な小声で、自分は呟いた。

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