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置換可能な感情の混線


 地味な男の園、SF研究部。その唯一の部員だった僕は、『スーパーフィロソフィ研究部』という信じられないほど胡散臭い名称の部活に参加することになった。


 教室の僕の席からは、神愛の席がよく見える。


 神愛はいつものように休憩中も本から顔を上げず、授業中も自ら手を挙げて問題に答えたこともない。かといって勉強ができないわけではない。指名されれば確かな回答力を示すのだから。


 教師から見れば、なんとも味気ない相手だろう。卒業と同時に記憶からデリート確実な生徒だ。まあ、それは僕も同じなのだが。


 別に昼休みに机をくっつけて一緒にお弁当を食べたいとか、そんな望みはないが、せっかく一緒の部になったのだから、少しくらいのリアクション――例えば人間関係の基本、挨拶など――があっても良さそうなものだが一切ない。かけらもない。


 僕みたいなキモメンと教室で会話しているのをクラスメートに見られたくないってか? やっぱり女はこえーよ。


 などと、負のオーラを電磁場か重力場のように僕の席から逆三乗則で放出しているうちに放課後。三日連続で部室に赴く。


 毎日チェックしないと、いつの間にかアブラクサス様とかいう邪神を祀る神殿が、勝手にグレードアップしかねないからだ。


 特にアグネスは特別メニューのカリキュラムでもこなしているのか、他の生徒とは異なる時間帯から部室に顔を出しているから、油断ならない。


 部室が人外魔境になっていませんように。そして、アレが発掘されていませんように。そう祈りつつ、部室のドアを細く開ける。


 「クトゥフフフ、これウケる」


 ロッカーの上に載せていたはずのダンボール箱が床に散乱し――薄っぺらな書物がテーブルに乱雑に積まれていた。大部分はとある巨大展示・販売会で購ったもの。あくまで先輩の遺産の一つだ。断じて僕自らが買ったものではない。


 心の中で悪態をつく。くそ、品名欄に参考書と書いてあったからバレないと思っていたのは甘かったか。


 「んん? やっと来たかキスケ」


 アグネスは気のない様子で僕の方をチラリと見やった。


 「アグネス、中学生がそんなもの読むなよ」


 「何を言っているのだ? わいは高校生だ。わいのような若者が、こういった性的描写てんこもりの書物を読まなくてどうする。柔らかい知性を備えた年代にこそ、このような優れた書物で妄想を逞しくする訓練をすべきであろう。……ん? なんだ、いいとこなのに。このページくっついて開かぬぞ」


 「頼むからそーいう本に影響されて変なことすんなよ。もう遅いかもしれないけど」


 「もう遅いとはどういう――?」


 アグネスは不本意そうに口を尖らせた。


 「いやまだ遅くない。きっと社会復帰できるからさ、天才だし。お前それ片づけとけよ。そんなもん神愛たちに見つかったらまた僕が変態扱いされかねん」


 「そんなもんって、キスケも熟読してるくせに。プッ」


 「よ、読んでねーし」


 アグネスはニヤリと意味ありげに笑って流し目をくれる。


 「クトゥフフ。別に読むのが悪いとはいっておらんよ。創作物の空想世界で妄想することで、現実世界に害を及ぼさずに欲求を処理できるなら、それが一番平和的な欲望の解決手段ではないか。


逆にこういう書物を全面禁止したら、行き場のばいエロ妄想が現実世界に大逆流して、大変なことになるぞ。日本ではアニメ・マンガ・ゲーム・ライトノベルなど多様なサブカルチャーが繁栄しておるから、をなごが夜道でも安全に歩ける国なんだし」


 いや、お前断言しているけど、それ仮説だろう。しかも、性犯罪や凶悪事件を安易に創作物の影響に転化する連中にとっては、許されざる仮説だろう。


 「まあ見ているが良い、キスケよ。神愛がどういう反応をするか、これで実験しよう」


 ぼん、とアグネスが机の上に放り出したのは――。


 「これはまずいだろ」


 「これは良いものなのじゃ。『ひぎぃっ』とか『らめぇぇ!』と泣き叫んでいたヒロインが、子宮まで貫かれてお腹の表に金剛棒の形がはっきり浮き出るところで、『……』無言になっちゃうの。フォォッ、最高なのこれ、じゅるっ。それから四肢を一本ずつ――」


 「やめい!」 


 アグネスは意外そうに僕を眺めた。


 「なぬ、キスケはグロ禁止な人なのか? エロとグロ、もしくは鬼畜系っちゅうもんは、心理的には表裏一体のものなのだぞ。例えば、キスケもかわいくてたまらない少女の首を締めたいと思ったことがあろう」


 「……ねえよ」


 僕は少し躊躇してから否定した。


 「クトゥフフ、そうだろう。誰しも魔が差すことはある。安心せい、許されておるからな」


 独りでうなづくアグネス。勝手に納得すんな。


 「少女がいけないなら、仔猫はどうよ? ふわっふわの綿あめみたいな仔猫。悪意も恨みも知らぬ、人を信じ切ったつぶらな瞳。かわいくてかわいくて仕方がない小動物の首を、きゅーっと締め上げたくなる気持がわからんか?」


 うーん、そう言われれば……わからんでもないのかな。かな?


 「それだぁ!」


 アグネスのキメポーズがひどくウザい。それに他人の思考を読むな。


 「それは、萌え対象へのエロスが高じ、脳内で性的な興奮が暴力衝動と誤認された結果なのだ。例えるなら共感覚に近いの。

 もともと人間の感情ってやつは『越えられない壁』で仕切られてはおらぬ。置換可能な感情を混線しやすい仕様なのだ。

 よって、美しくて完璧なものに傷をつけ汚したい、いたいけな命を破壊したい……それらの衝動は、人間に多かれ少なかれはじめから備わった、自然なものと言えよう」


 一気に喋った副作用で、はぁはぁと激しく息継ぎをする。


 「はぁはぁ――異性の恥ずかしがる仕草や、何かを強いられて嫌々やらされている様に興奮するのも、根っこの部分では、美しいもの、かわいいものを傷つけたいというのと同じ感情なので、ありをりはべりいまそかりぃっ」


 彼女は背を反り返らせ、ラ変でしめくくった。


 「……なんとなくわかった気がする。とりあえず、お前のその乙にすました顔が苦痛に歪むのが見てみたい気がするぞ」


 とりあえず指をポキポキ鳴らしてみた。


 目は心の窓という。僕の目を見て、アグネスがたじろいだ。


 「なあアグネス……。本人が努力して手に入れたわけでもないのに、天から与えられた美に満ち足りて、それを当然のものと考えて――全ての幸運に無自覚で傲慢な生物に――イラッとすることはないか? そんな生物を傷つけ破滅させて、分をわきまえさせたいって気持ちは、僕の中のどの感情と混線してるのか、教えてくれよ……」


 ゆらり、と一歩前に出る。アグネスは一歩退いて間合いを開ける。


 「わ、わいは天才美少女であるからして。わいを傷つけるなとても許されぬ社会的損失だぞ」


 「ん? お前、悪徳哲学を信奉してんだよな。じゃあ社会的損失も許されてるんじゃないのか」


 「そ、それとこれとは……悪徳の快楽だけしか、わいはいらない。ちょっと、キスケ?」


 アグネスの小さな顔に、不安の色が過ぎる。


 「まあそう言わずに。安心してくれ、別に傷つけやしないさ。とりあえずその左右どちらかの髪を切断して、お前の口からどういう音色の悲鳴が飛び出るか聞いてみたいだけだ……」


 ふらりと立ち上がり、ゾンビのように意味なく左右に揺れながら近づく僕から、悲鳴をあげて逃げるアグネス。


 「マァァァー! マァァァー!」


 とりあえずゾンビ系映画の遠い記憶を引っ張り出して、死人のうめきも再現してみた。自分でも意外なほどのクオリティであった。


 「きゃぁぁぁ! 許して、こわいキスケこわい!」


 椅子の向こうに周りこんだアグネスは、割と必死の形相だ。


 ちょっと面白くなってきた。いよいよ歩く死人のパフォーマンスに熱を入れる。


 「死人の苦痛はたまらなぁぁい! のぉみそくれぇぇぇ、おまえの天才のぉうみそをだぁぁ!」


 「さっきは髪だけだったじゃないかっ」と抗議するアグネス。


 「のぉみそぉぉぉ……」


 鉤爪のように曲げた僕の指が、アグネスの肩をかする。


 「ひぎゃぁぁぁ! キモイ、寄るなぁ!」と身をくねらせて避けるアグネス。


 その必死っぷりを見て、不意にほっこりあったかな記憶が蘇る。


 ああ、こいつの反応、まるで昔の妹みたいだなあ。今じゃ、「兄妹だと思われるから一緒に家から出ないで。ついでについてこないで。できれば死んで。ていうか死ね」とか憎々しげに言い放つような、可愛げのないメスになっちまったが。学校同じ方向にあるのに、それはないんじゃないか、妹よ……。


 床に散らばる『参考書』とマジック書きされた汚い箱を、膝のクッション性ゼロの棒足で蹴散らし、最短距離で獲物を追いかける。


 よくホラー映画とかの場面で、ヒロインが必死に逃げるのに、なぜか落ち着いて歩く追跡者がヒロインに追いついてしまう現象の、秘密がよくわかった。ヒロインはテンパりすぎて動きが非効率なのだ。実際アグネスはゾンビ(僕)を振り返り振り返り、こけつまろびつ迷走している。  


 ううむ、これじゃー逃げられん。


 「い、いまそかりっ」


 本棚とロッカーの間に追い込まれたことを悟ったアグネスがさっと振り返った。当然、そこにはヒロインの脳を狙うゾンビ(僕)がひたひたと迫っている。


 「マァァァー!」


 「嫌ぁぁぁ!」


 アグネスは迫るゾンビ(僕)に怯えてしゃがんでしまう。


 「づがまえたぞぉぉぉぉ!」


 アグネスの小さな頭を、鉤爪と化した両手の指で挟みこむ。


 「食べないで、食べないで、ぎゃぁぁぁぁぁぁ!」


 ガシガシガシ。


 「きゅぁぁっ いだい、いだい」


 揺れるツインテール。実際のところは単なる強めの頭皮マッサージ。


 ゴリゴリゴリ。


 ふん、動物虐待を許容するかのような発言をするガキには良い懲罰だ。などと調子に乗ってグリグリする。と、アグネスが喘ぎの合間に不純物を混ぜこんだ。


 「あっ痛っ……かっ、快、感……」


 はて、今なんと?


 なぜかアグネスはグリグリへの抵抗を諦め、湯船に漬かるのを楽しんじゃってる長毛種の猫のように、目を細めている。彼女の唇の端が、だらしなく笑みを形作っていた。


 お、こいつ、なんか可愛――……。


 「ちょ、何やっているんですか、希介君!」


 背後から浴びせられた汀の声に、ぎょっとして我に返る。なんてこった、またもや女などに後ろをとられるとはっ。ここが戦場なら十回は死んでいたところだ。


 にしても。


 「あ、アブねぇ!!」


 テラあぶねー。危うく女などに惑わされるところだった。しかもつい先日、僕をひどい目にあわせてくれた脱糞女に。


 「ナギサちゃあん!」


 「ごふっ」


 ほれ、お駄賃だ坊主。とばかりに、行きがけの駄賃を僕のみぞおちにグーパンで支払い、トテトテがばぁっ、とアグネスは汀に抱きついた。


 なんかこうやって抱き合う様だけ切り取れば、その光景は絵葉書にできそうなほどの、神々しい美しさと気高さがあった。まあ、そう思った直後、アグネスが汀には見えないように「べー」と舌をみせたから台無しなわけだが。


 「大丈夫ですか珊瑚ちゃん」


 珊瑚は小刻みに肩を震わせ、涙をたたえた絶妙な嘘泣き顔で訴えた。


 「キスケお兄ちゃんがわいに……いや、なんでもないのじゃ」


 などと、計算高くも微妙に隠蔽してみるアグネス。確信犯的ですね。てか、お兄ちゃん言うな。


 「恐がらなくていいのよ。希介君に何をされたの?」とアグネスの頭を撫でる汀。


 おいおい、騙されるな汀。


 ふと、汀はアレげなページをさらして足元で開いている薄い本に目をとめた。ちなみに、その内容は文章で形容したくてもできないほどアレだ。


 「ぐすっ、その変な本を読めって、キスケが。うぇぇん」


 ちろり、とこちらを盗み見るアグネス。


 やべ、ぬっころしてぇ……。


 汀はエロいやらしい本を手に取ると間近で絵を眺め、かすかに眉をしかめた。


 「地獄絵巻……?」


 ぱらぱらとページをめくって、ようやく汀にも理解可能なエロいやらしい場面に遭遇したらしい。顔をみるみる赤くして、彼女は本を床に落とした。


 汀は、なるべく触りたくない汚物を扱うときの指先カニ挟みで、テーブルに積まれた他の冊子も手にする。


 「強制異種姦……実験人形Ⅲ……俺のせ、精子がクラス女子の子宮にテレポートし過ぎて困る……? これは……」


 「うん……なんだろうね……」


 「こ、こういう本を、嫌がっている女の子に無理やりみせるのはいけないと思います」


 「違っ、そのようないかがわいい物体、見たこともございません」


 「裏表紙にSF研備品って書いてありますけど」


 あれー?


 「いくら珊瑚ちゃんが悪徳哲学を信奉しているとはいえ、小さな子にこんな――いかがわいいものを見せたら悪影響が心配です」


 小さくないよ、そいつ、高校生だよ。


 普段は子供扱いすると必ず抗議するアグネスは、今回に限り、 「ごろにゃーん」と汀の胸に頬をスリスリしている。


 うらやま――う、うらめしい奴め。


 そこにドアを勢いよく押し開け、神愛が出現した。


 「遅くなった。お、みんな活動しているな」


 散らかった室内を見渡し、うんうんとうなづく。どこに部活動に励んでいると見なせる要素があるのかは、まったくもって不明だ。


 神愛は汀に抱きついたアグネスを発見した。


 「む、汀……また珊瑚に乳房を鷲づかみさせてるのか?」


 乳房……なんだかエロかぐわいき響きだな。


 汀は少しだけ膨れっ面をみせる。


 「もう、違います。この子が慰めを求めていたので、胸を貸しただけです」


 「だったらいいが……ほう、同人誌か」


 せっかく今まで伏せていた単語をあっさり明かす神愛。一冊手に取り、ためすがめす仔細に眺める。


 「ちょうどいい。新生SF研初の部活動はこれにするか」


 「「へ?」」


 僕と汀は間抜けな声をあげた。


 「風の噂によると、こういうサブカルチャーは一部のキモオタどもに大人気だそうじゃない。多くの人がこういったものを作ったり、読んだりするのを生きる目的にしているんでしょ。それほど惹きつけるものがこうした創作物の中にあるんだったら、試してみよう」


 僕の声が、まさか、という驚きの響きを帯びているのが、自分でもわかった。


 「試すって、何をする気だ? これって、ぶっちゃけるとエロ本だぜ」


 神愛は軽蔑したように鼻をならした。


 「ふん、だからどうした。さかR18のレーティングに怖気づいているのではあるまい? 俗世の法など哲学の前には無力。『いかに生きるか』――それを見出すことこそが問題なのだからな」


 神愛は長椅子に腰かけ、長い足を組んだ。


 「さあ、どれから読むか。希介、選んで」と封建領主のように尊大な態度で、僕に迷いなく命じる。


 どういう裏付けがあっての権勢だよ。部長は僕だったはずなんだけど……。僕は諦めの溜息を密かに吐きつつ、女王様に適当な本を渡した。


 「ふむ。プチキュア満貫全席……中華の話か?」


 神愛は半裸の魔法少女がプリントされたオフセット本の表紙をめくった。


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