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すべては許されている 1

 「ゆっる~されて~る~。ゆっるされて~る~」


 奇妙な鼻歌に、僕は嫌な予感全開で部室のドアを開いた。


 「なんじゃこりゃあ!」


 昨日あんなことがあったことだし、念のためにと部室に顔を出した僕は、どこかの超有名な刑事そっくりな驚愕の声をあげていた。


 雑然と長椅子や折りたたみテーブルやロッカーが置かれていた部室は、すっかり装いも新たに生まれ変わっていた。


 ――邪教の神殿に。


 「どうじゃ、すっかり様変わりしたであろう? 味も素っ気もない部室だったからのう、わいがアブラクサス様の祭壇をこしらえてやったので、ありをりはべりいまそかり!」


 「いまそかりじゃねえ! ああ、これ王蟲じゃん」


 アグネスは「でも許されてるよ、うん、絶対!」と意味不明の自己解決を表明し、ウンウンとうなづく。


 SF研の先輩たちが作った超リアルな王蟲のオブジェは、机の上にポジションチェンジしていた。そしてそれを囲む天使の輪のごとく、薄いリボンの輪っかみたいなものが、天井から吊り下げられている。それもSF研の遺産で、恐ろしく精巧なリングワールドの一兆二千億分の一スケール模型だ。


 これじゃまるで、王蟲が神様で偶像崇拝の対象みたいになってるじゃん。アグネスが持ち込んだのだろうか、いくつか部室で見覚えのない物体も出現している。


 「途方もねえよ! それに、この両サイドのオプション的な物体、それ人骨じゃないよな!?」


 「この部室には面白いものがいっぱいあるのう。おお、これはなんだ」


 「お願いだから質問に答えてくれ!」


 アグネスは使い捨てカメラを手に取った。


 「ここがスイッチか?」


 「やめ、それほんとに危ねーぞ!」


 ビリリ。


 手遅れだった。カメラのフラッシュ機構を転用した改造スタンガンで自爆するアグネス。


 「いまそがりっ」


 白目を剥き、陸揚げされたエビのように床の上でびくんびくんと跳ねている。


 「馬鹿過ぎだ馬鹿」


 慌てて駆け寄る。


 「コポォ……」


 涎が垂れた彼女の口元から、妙な音が漏れる。


 「どど、どうしよう。やばい。とりあえず長椅子に寝せるか」


 華奢な見た目から想像するよりは、かなり重たい少女を抱きかかえる。こんなとき日頃の運動不足が顕在化するものだ。僕は最後の二歩でよろめいて長椅子の上にぶっ倒れた。


 「ぐえっ」


 僕のごとき、メガネが本体でそこに肉片がこびりついたような外見の生白いヒョロ男とはいえ、男には違いない。僕にのしかかられたアグネスは、踏み潰されたウシ蛙のように哀れな声を発した。


 「んがんん……」


 喉を詰まらせ、腕をピクピク痙攣させる美少女が、そこにはいた。


 そう、確かに美少女だ。ただし眠っているときだけ。意識がないときオンリーの美少女とは哀し過ぎるが、残念ながら現実だ。


 ここは男の園、SF研の部室。部員はこの僕一人だけ。そして、こんな僻地にノコノコやってくるヤツが、そうそういるわけがない。さらにこいつは不法侵入した上に、部室をトイレと勘違いしたのか、毒カレー事件まで起こしてくれやがった張本人だ。おぞましいことに、少し食べちゃったし。


 神聖なるSF研部室(と僕のお口)を穢した罪は重いといえよう。その一方、はだけたスカートからは、細く白い太腿がのぞいている。無防備である。


 蛇がそうするように、僕は乾いた唇を舌先でチロリとなめた。これはもはや誘っているのでは? 合意か? 合意の上ってことなのか?


 「……………………」


 おっと、いかんいかん。都合十秒にわたってイケナイ妄想をしてしまった。


 乳臭いガキとはいえ、こいつは女だ。女は怖い。性悪だ。下手なことしたら、一生涯にわたり狭い檻の中で猛省を強いられるハメになりかねない。


 アグネスの乱れたスカートの裾を直そうと、手を伸ばしたそのとき。


 「凶器はこれか……」


 唐突に背後から降って湧いた声に、僕は飛び上がった。


 そこには、配線むきだしのカメラモドキを手にする神愛がいた。ついでに汀も。


 「な、なんでお前らここにいるんだ」


 「うむ、私らが飲み物を買ってくる間、珊瑚には部室で先に待っているように言っておいたのだ。幼女相手にまさかとは思っていたが、そのまさかの事態になっていようとは……魔が差したのか、希介」


 神愛はやれやれ、と首を振り、唐突に彼女の過去の一部を語った。


 「ちなみにわたしは中学までカラテを習っていた」


 私にまで手を出したら後悔することになるぞ、という明らかな警告だった。


 「ぼ、僕は別に、その、スカートの乱れを修正してやろうと。それに幼女じゃないし。高校生だし」


 汀がショックを受けたのか、口元を手で押さえる。


 「希介君、それ本気で言って……」


 そうだった。幼女とか高校生とか、そういう問題じゃなかった。これじゃ疑惑を深めただけじゃん。自分の墓穴掘りまくってるじゃん、僕。


 「たっぷり十秒ほど、まだ棒のように細く幼い太腿に見入っていたようだが。神聖なるSF研部室で破廉恥な行為に及ぶとは、恐ろしい子。いいか、現実はゲームとは違うのだぞ」などと、蔑みよりも哀れみ成分を多く含んだ視線を神愛に向けられた。


 「違っ、こんな糞尿娘をレイ――その、よ、欲情なんかするわけないだろ」


 「欲情……」


 汀が頬を染めてつぶやいた。


 「おいおい、卑猥な単語を女性に聞かせて自己満足とは、ずいぶん体を張った羞恥プレイだな」


 神愛の薄く開いた唇に、嗜虐心が滲んでいる。


 「こ、この野郎……」


 「私は女だから女郎だろう?」


 「うっさい。今日も教室でいつも通り本読んで僕のことガン無視してるから、昨日のことは悪い夢だったんじゃないかと信じかけていたのに。ああ、現実かよ」


 「そう、ただの現実。少女の排泄物イーター・希介君」


 「ぐああ、抉るな、塩をすりこむな。わかった、何が欲しい? カネか? 五千円なら現金で払うぞ。それ以上なら分割払いでいいだろ?」


 「何を嘆かわしいことを口走っている、我らは同志ではないか。昨日教えただろう? 私たちは哲学によって、自己の内的救済を得ることを目的として活動する部活――スーパーフィロソフィ研究部のメンバーだ」


 「なんかそんなことを磯崎が言ってた気もするけど、マジなのかおまいら……」


 「スーパーフィロソフィ研究部。略してSF研だ。奇遇だな、サイエンス・フィクションの略と同じ表記になるようだ」


 「……なんだか奇遇を通り越して悪意すら感じるけど、ひょっとしてSF研乗っ取る気じゃだろうな」


 神愛はまさか、というように手を振る。


 「乗っ取るなんて人聞きの悪い。換骨奪胎、もしくは託卵と表現しろ」


 カッコウかよ!


 「いやあ、どういうわけか先日提出した創部届けは却下されてしまってな。ほとほと困っていたところだ。実務作業を汀に任せたのがいけなかったのかもしれん」


 汀は怒るでもなく、申し訳なさそうに情けない表情を示した。


 「わたしにも却下の理由はわかりません。不備はなかったはずなのに。ちゃんと、『この世を導く新たな原理を創出し、神を自己に内面化することで全人類の内的救済を図る』と創部目的に書いたのですけど……」と汀。


 それだよ、原因は。何のための部なのか、意味がわからないよ。


いくら自由な校風の香桜学園とはいえ、いや自由だからこそ、常識ある教師がどこかで歯止めをかけてくれたのだろう。


 「そっか、じゃあ僕は今日でSF研辞めるから。あとはよろしくやってくれ」


 チャオ、と二本指を突きつけ、学生鞄を手に立ち去ろうとする僕の襟首を、神愛が捕まえた。


 「待て、文化部の存続条件は部員四人以上だ。希介に抜けられると困る」


 「僕は哲学になんか興味ねーんだよ。どうせ部活やってなくても、家でSF読むくらいできる。辞めたところで一向に困らないんだからな」


 「辞めても辞めなくても問題ないなら、SF研に残ってくれ。別にかまわんだろう? 新生SF研は従来型SF研の上位互換体みたいなものなのだから」


 意味がわからん。わかるのは、こいつが上から目線でSFを軽く見ているという点だった。


「放せデカ女」


「デカくない! 私の身長はたったの百六十九センチだ」


 神愛は変なことろに噛みついてきた。


 「充分でけーよ。アグネス肩に乗っけて巨神兵ごっこでもしてろよ百七十女」


 「百六十九! っていうか誰が巨神兵だ。私は百七十センチになるくらいなら、その前に死ぬからな」 


 これはおもしろいことを言う。誰にも教えたことはないが、僕はコンプレックスを抱える人間のことが、実は大好きだ。痛みを知る人間は優しくなれるから。


 正確には、優しくなれるのではなく、多様な価値観の共存を認められるようになるだけなのだが、そのおかげで表に現れる態度や物腰は優しくなるものだ。痛みを知る女は、良い女だ。


 ちょいと神愛の鼻先を言葉のネコジャラシでくすぐる。


「はぁん? できもしねーことを」


 ムキになって言葉を返す神愛。


 「なんだその人を小馬鹿にしたツラは。死ぬぞ。死んでやる。死ねなかったら何でも言うことを聞いてやる。これでいいだろう」


 女の子がそんな危険な約束すんなよ。とは思うが、これは良い言質を取りましたよ。ぐふふ。


 「言っとくけど、『死ぬなんて哀しいこと言わないで生きろ』とか偽善的な台詞、絶対吐かないからな。超エロエロなこと命じるぞ」


 神愛がはっとする。


 「え、ああ、そうだな」


 それっきりちょっと気まずい雰囲気で押し黙った神愛の肩に、汀がたおやかに指を置いた。そして、どこか嬉しそうに小声で耳打ちした。


 「やっぱり希介君って優しい方でしたね」


 「ふん、どこがだ」と神愛は鼻を鳴らした。


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