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同志 2

 どこかで聞いたことがあるような気がするフレーズだった。しかも、視覚的に表現すれば、とげとげしたフキダシが相応しい剣幕である。


 正座したほうがいいだろうか? 僕は椅子の上で居心地悪く身じろぎした。


 「だからこそ、我らは敢えて、互いを親友と呼ぶのだ。親友になるのを恐れるのものか! 哲学の道はしょせん血塗られた道よ。心の内を明かさずに哲学するなど、排泄物をほぐして昨日の料理の良し悪しを吟味するようなものだからな!」


 またそっち方面かよ! それはそうと、アグネス・ファトウスとか自称する厨二娘は、昨日トウモロコシを含む料理を食していたようですよ?


 演説を休め、坂江は漢らしく手を差し出す。漢と書いてオトコだ。


 「さあ、君も我らの仲間になるのだ。『何のために』ではなく、『いかに生きるか』を追い求めよう。人生の真理に迫る探検者になろう。さあ!」


 あ、あにき……。どこまでもついていき……いかん! あまりの男っぷりにほだされて騙されるところだった。


 頬をパチンと叩いて気を確かにする。


 女はカネか権力を崇拝する利己主義者だ。女が哲学だって? アホらしい! あいつらが高尚な人生の真理に興味など持つものか。同じような服をしこたま買って着飾り、自分がキレイだと自己暗示をかけて、(自分だけに)優しい男と一緒になって、それなりに他人よりマシな生活が送れれば満足な保守主義者ばかりだ。腐れ快楽主義者だ。機会主義者だ!


 坂江は手を差し出す。


 「そう能面のような顔をするな。迷うな、感じるんだ。君もわかっているだろう。わたしたちは似たもの同士だ。親友というものを得てみたくはないか? 互いにあだ名で呼び合える真の友を」


 「好感すらカケラも持てないでいるのに、一足飛びで親友になんかなれるか! 哲学だって? はん、産む機械が何をほざいてやがる!」


 産む機械――それは、全国どころか、ほぼ全世界を敵に回す、ドレッドノート級の失言――のはずだった。


 「ほう、『産む機械』か。それはまた奇抜な私に対するニックネームだな。その勇気だけはほめてやろう。『友情における初期段階の親和は、あだ名によって図られる』というからな」


 坂江はそう言うと笑みを浮かべた。


 ふん、親和なんか図る気はないんだけどね、こっちは。僕にかまうな、という明確な意思をこめたメッセージを投げつけてやったのに、逆に誉められた。こいつの馴れ馴れしい態度にガツンと釘を打ったつもりだったのに、全然こたえた様子がない。なんだこいつ糠か、糠なのか?


 僕を眺める神愛の瞳は、からかうような光を帯びていた。


 「希介がそう呼びたいのなら好きにするがいい。よし、明日から休み時間のたびに希介の席まで遊びに行ってやろう。あだ名で呼んでもらうのを楽しみに待っているぞ。クラスの女子たちも、あだ名で呼び合うわたしたちに、さぞ温かい声援をくれるだろうな」


 「む……」


 クラスメートが聞き耳を立てる中で、「産む機械」と言えと? それって、自分の死刑執行書にサインするも同然ですよね。わかります。


 ウンチ娘が僕の太腿を両手でつかみ、ぴょんこぴょんこと跳ねながら誘惑する。


 「何を迷っておる。キスケもわいらと共に、何のために生まれてなんのために生きるのかを探求するのだ」


 間違って太腿の内側に幼い手が滑り入り、ゾクゾクする刺激に焦る。


 「だ、黙れアグネス。存在自体が青少年保護育成条例違反のくせに」


 「ほぇ? アグネスに非ず、イグニス・ファトウスぞ。いくら許されてるとはいえ、名前を間違えると失礼な」と抗議する。


 部室の床にハンカチを敷いて正座していた磯崎も加勢する。


 「希介君、あなたが女性を寄せ付けようとしないことには気づいていました。クラスで浮いていることにも。だからこそ、わたしたちのスーパーフィロソフィ部にあなたを招きたいのです。とはいえ、まだ部員はたった三人だけですが」


 既に全員が僕を下の名前で呼んでくる……。にしても、いまどき哲学だって? マジか。こいつらぱねぇぜ……。


 「そんな得体の知れない部活に参加する物好きが三人もいることが驚きだよ」


 「そんなこと言わないで。ただいま同志を大募集中ですよっ」


 同い齢である僕に敬語を使って、かわいらしく照れ笑いをする磯崎。


 気持ちがぐらつかなかったと言えば嘘になる。僕は頭を抱えて左右に体を振った。


 僕のようなキモメンに笑顔を見せる女などいるものか。考えろ、考えろ。そうか、今わかったぞ、こいつら僕を担いでその気にさせて、あとで笑いものにしようとしてんじゃねーか?


 追い詰められた僕は、人間としてどうなの? と善良な市民に難詰されそうなひどいことを口走ってしまった。


 「磯崎さあ、そのしゃくにさわる人形みたいな態度をやめてくんない?」


 これはきまった。軽蔑の眼差しと、吐き捨てるような口調、そして相手を人形扱いして非人間化する言葉の刺々しさ。こんなことを面と向かって言い放たれて、平気な女などいるわけがない。案の定、言葉の爆弾は磯崎のハートに直撃したようだった。


 「え、そ、そんな……」


 磯崎は青ざめた硬い表情で唇を噛み、首を振った。


 「いつもニヤニヤ他人を下に見やがって。銀行ATMの画面に出てくるお姉さんの嘘っぽい笑顔と瓜二つだな。人を陥れる笑顔だ」


 「わたし、人間を尊敬しています。今までも、これからもずっと」


 「それがしゃくにさわる人形の哲学か」と僕。


 彼女はコクリとうなづいた。


 磯崎の表情を目にしてドキリとする。なんて哀しそうな表情をするんだ。


 それは一瞬で微笑みの裏に隠されはしたが、僕は見てしまった。心底傷ついて、それでも気丈に振舞う瞬間を。切り替えスイッチが働く前の素顔を。それは彼女が人形などではないことを教えていた。


 たぶん僕よりも傷つきやすい心を抱えて、それでもなお、明るく清く、正しく振舞おうとしているのか、こいつは……。


 「君は鬼か」と呆れ顔の坂江。


 磯崎を傷つけたことを早くも後悔していた僕だったのだが、それを認めるのは気恥かしかった。


 「ああ鬼だよ。お前にもあだ名をつけてやる。そうだな……ガニメアン?」


 「なんだそれは。おそらく知ると後悔しそうな予感がするが、元ネタがあるならはっきりしろ」


 「なんでもいいじゃねーか元ネタなんて、しゃくにさわる人形に比べれば。少なくとも生命体の名前だということだけは保証する」


 「それしか保証されないのか」


 「わたしのあだ名って……」


 磯崎は言葉を詰まらせた。

  

 「……あーでもお前、ガニメアン呼ばわりするには若干小柄だし、善良でもないな。じゃあ間をとってガニ粒でどうだ?」


 坂江が大声を張り上げた。


 「拒否権を発動する! あだ名禁止。これからはお互いを下の名前で呼ぶこととする。賛成の者は?」


 僕を除く全員が粛々と手を挙げた。


 「多数決でこの動議を結審する。今後は下の名前で呼び合うこと。わかったな、同志希介」


 ほんとにいきなり呼びつけだよ。


 「おい。僕はその名前が気に入らないんだよ。黒神さんって呼べよ」


 「プッ、キスケだって。なんか変な名前」と鬼居がすかさず名前をコケにする。


 「ほら、こういう馬鹿がいるから! なあ」と僕は鬼居を指さした。


 「却下する」


 にわかに装着もしていない腕時計に注目した坂江は、大げさに目を剥いて早口で告げた。


 「おやおや! もうこんな時間だ、帰るぞ」


 「うぃーす。バイバイ同志希介。プッ」「それでは失礼します」


 最後にぺこり、とドアの前で頭を下げる汀。


 「勝手に僕を同志にするな、おい。ちょっと待てアグネス! そもそもお前、部室でなんで漏らしたんだ? おい!」


 行ってしまった。


 どやどや女たちが出て行ったドアに向かって、僕はつぶやいた。


 「やっぱり女って、ほんとこえーわ……」


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