同志 1
「で、どうしてお前らまでここにいるんだよ!」
食糞事変から数分後、半死半生の有様で部室という名の巣穴に逃げ帰り、パイプ椅子に腰を下ろした僕の周りには、なぜか坂江神愛、磯崎汀、それにリアルクソ女が侵入していた。
「ここはSF研の部室だ、出て行け」
部室を一通り眺め、坂江は長い髪をひるがえして敏捷に僕を振り返った。
「おやおや、そんなこと言っていいのか」
彼女はニィッと笑みを浮かべ、ポケットから携帯電話を取り出した。
「女子トイレで薄汚い流しに顔を突っ込み、おぞましくも嘔吐物を夢中でむさぼり食う男の写真がとれちゃったんだけど、どうする?」
汚いものでも触るかのように、人差し指と親指で支えられた携帯には、トイレの流しで嘔吐する僕の姿がしっかりと映っていた。
携帯に罪はないだろ? 僕にもないけどさ……。
「誰がそんな超絶汚い真似するか! 勝手に状況を改変するな」
「ふむ。確かにトイレで食事をするなんて汚いな」
「そこじゃねぇよ! 嘔吐物自体を食してねぇんだよ!!」
坂江は大げさに驚いてみせた。
「そうなのか? いやはや、誤解していたようだ」
「どういう誤解だよ。お前の心の中で、僕という人間はいったいどういう人物像を結んでんだよ」
坂江は指を一本立てた。
「閲覧注意」
「存在自体がグロ画像かよ。言っとくけどトイレの流しの画像だけじゃ、女子トイレだと証明できないぞ。甘かったな」
「むう、そうか」
不本意そうに坂江はうめいた。
あぶねえ。あやうく弱みを握られて奴隷の身分に堕するところだった……。僕は安堵の溜息を吐く。
坂江は不意に寒気を感じたかのように自分の腹を抱きしめ、つぶやいた。
「それにしても、さすがはむくつけき男ばかりが集う部室だ。ひどく匂うな」
「いや、匂ってるのはお前らの排泄物の残り香だろ!」
坂江は肩をすくめ、床に視線を彷徨わせ探し物をする素振りをみせた。
「あのゲル状物質が我々のものだと? どこにそんな証拠が?」
おいおいこいつ、過ちを絶対に認めない公務員か? 記者会見で何か都合の悪い事実を隠したいあまり、今日が何日何曜日なのかすら『諸般の事情』で明言できない保身第一主義の官僚ですか?
ちなみに例の染みは、磯崎が手際よくサラ金ティッシュとウェットティッシュの複合攻撃できれいにふき取ってくれたおかげで、跡形もない。
「さっきそこのクソガキが自分のウンモだって認めたじゃねーか。においとれねえよ、どうすんだよ、うっかり食べちゃったよ。ああ、最悪だ……自殺モノのトラウマだぜ、これ」
そのぼやきを耳にした瞬間、クソ少女は歓喜の表情を浮かべ、文字通り宙に舞い上がった。そして、バッと指を広げて顔の前に翳し、キメポーズをとる。
「クトゥフフ。知らぬうちに、またもや非道を成してしまったらしい……われながら自分の才能が恐ろしきかな。でも全部許されてるよね!」
何が許されてるんですか!?
呆れて少女の顔を眺めた。小さな顔には、小気味良いほど大きな目、小ぶりな鼻が配置されている。
小児性愛者御用達の雑誌――例えば雑誌名は、『週間☆早摘みサクランボ(仮)』とでもしようか――があるとすれば、表紙を飾れそうな子ではあった。頭悪そうだし、「おじょうちゃん飴玉あげるよ」の古典的な口説き文句であっさり拉致れそうなのも、ロリータ野郎にはポイント高いだろう。
ああ神様、なぜこの少女の顔立ちだけにベストを尽くしてしまったのだ? 常識はどこに忘れてきた?
僕はほとんど無意識のうちにつぶやいていた。
「なんなんだよお前……」
少女は元気よく自己紹介した。
「わいか? わいは鬼居珊瑚。見てのとおりの飛び級天才高校生なのであーりをりはべりいまそかり!」
「なんでラ変だよ」
「SFファンなら出典がわかるはず。クトゥフフ、でも許されてるよ、うん、絶対! だが待て、お前には我が二つ名、イグニス・ファトウス(鬼火)と呼ぶことを許すぞ! なにしろわいの体の一部を食したことで、お前も我が力の一部を得たはず。見えるか、わいの体から発せられる霊力の冷たき炎が」
体の一部じゃねーよ。体がイラネ、と捨てた部分だよ。っていうか、語尾にラ変でキャラ付けするのは強引過ぎだろう。
「……飛び級でこんなアホな小学生がいきなり高校生とは、世も末だな」
鬼居とやらは、いきり立って拳を振った。
「わいは天才中学生だったのだ! こんなグラマラスな小学生がいるわけないだろが!?」と薄っぺらな胸を反らす。
「なんだ中学生か。じゃあ大して天才でもないな」
「ぐぅっ、くそお。ナギサちゃあん!」
トテトテがばぁっ、と鬼居は磯崎に抱きついた。磯崎は本物の母親のように慈愛に満ちた表情で鬼居の頭を撫でる。
その様子を坂江が評価した。
「ふん、その程度の反撃で他人に甘えるとはな。お前の哲学はしょせんその程度なのだ」
「ぬわにぃ誰に口きいてんだゴルァ! 哲学関係ないだろが」と鬼居が険悪な声で威嚇。磯崎は変わらぬにこやかさのままだ。
「哲学?」と僕。
「イグザクトリィ、哲学だ」
坂江は、磯崎と鬼居を、大きな翼で包みこむかのように両腕を広げた。
「わたしたちは哲学という一点だけで繋がった他人同士だが――親友なのだ」
意味のわからないことを言い出した坂江に、僕は不安な視線をさまよわせる。宗教か?
「ふん、そう緊張するな、いま説明してやろう。いちおう確認しておくが、君は親友はおろか友達も絶対いないだろう。いるはずもない。いやはや心無いことを言ってしまってすまなかったな」
「独断で決め付られてから勝手に謝られると、なんかムカつくんだが……」
そんな僕のぼやきを無視して坂江は続けた。
「なぜ友達がおらんのだ? ズバリ当ててやろう。クラスが変われば自然消滅するような、薄っぺらで便宜的な友人『契約』に、胡散臭いものを感じるからだ。よくあるだろう、そういうの。そんな表面的な友達なら必要ないからな。
だが、弱い人間は群れるものだ。だからこそ、自分たちの身を守る『同盟としての友達』というものが、どの時代にもなくならないのだ」
妙な迫力に、僕はこくりとうなづいた。
「友達と親友を分ける分水嶺はなんだと思う?」
唐突過ぎる質問。静かな坂江の声が、むしろこわい。
「え、ええと、クラスが変わってもずっと続く関係とか――」
「たわけが!」と坂江が一喝。
「ひぃっ」
なんだこれ、なんだこの説教プレイ。いや、もうこれは説教を飛び越えて、説法だよ。
「つきあう期間の長さじゃない。質の問題だ。親友とは、自分の利害を超えて相手にどんなことでもできる間柄のことだ。自分の心の内をさらすことで、手ひどく傷つけられるのを恐れる臆病者は、親友などつくらない。表面上の浅い付き合いに終始して、相手を警戒しつつ一定の距離を保つものだ。己の膨れあがった自尊心、脆い自我を傷つけられたくない一心でな」
坂江は、長い髪を悪の組織の総統が羽織るマントのごとくにブワサ、と払った。
「あえて言おう、そんな友人などカスであると!」