セイドレ1
僕の説明を聞き終えた汀は、しばらく石像と化していた。ギギギ、と音がしそうな硬い動きで首を巡らせて、彼女はこれだけ言った。
「でも、お父さんが――お父さんは――」
僕が口を開きかけたとき、神愛が先に諭していた。
「よいか汀、我らの行く道はいずれ冥府魔道の獣道よ。人生を課題として連れ立ち歩む者はみな、世間からの孤独と誤解に耐えてゆかざるを得ぬのだ。君の父親が罪を成すのをどうしても止めたいならば、犠牲を出す覚悟が必要だ。君の自己犠牲は確かに究極的な善かもしれない。でも、今回ばかりは、君が成す善を私たちは受け入れられない。全力で阻止する」
「神愛……」
「この世界は、意思がぶつかり合う戦場だ。でも考えてくれ、親友とはなんなのか。その成立要件を。心の底までさらけ出せるのが親友、わだかまりなく認め合えるのが親友だ。認めてくれないか、私たちの意志を。四人の小さな意思が寄り集まれば、汀の犠牲なしに、善がなせるさ、きっと」
アグネスも拳を振り上げて力んだ。
「そうだよナギサちゃん、『自然の力のただなかで、裸一貫の寄る辺なき人間に、生存の手段をも快楽の手段をも与えてくれる能力である理性』――って、トルストイも言ってた! わいらは精神の奴隷、セイドレだよ。でも、ナギサちゃんを苦しめて、命まで奪おうとするのが理性なら、そんなの理性じゃない。そんな理性に従うのはセイドレじゃないよ! そんな精神の奴隷になるくらいなら、反乱だよ! 一揆だよ!」
「セイドレじゃない……そうね、そうよね、きっと」
「でもさあ、キスケ。そんなまどろっこしいことしなくても、みんなで目だし帽かぶってさ、クソ親父に襲いかかってタマタマ切除しちゃえばオールオッケーなんじゃない? もう悪さもできなくなるよ」とアグネスは恐怖のプランを無邪気に提案した。
「それ、下手したらオヤジが死んじゃうだろ。それに犯罪だし」
「バレなきゃ良い。全ては許され――」
言いかけた言葉を飲み込み、アグネスは汀を一瞥してから肩をすくめた。
「許されないよね、やっぱ。まあ、最初からわかってたけど」
いや、許されてると思ってた顔だ、お前のその表情は。
「わかった、キスケのプランでいこう。まずどうすればいい?」
「アグネス、お前は国道を海のそばまで進んで、そこで汀の携帯でメールを打て。母親の横領した金を親父が持っている、父親にレイプされそうになった、人生に絶望したから今から死ぬ。そんな感じの自殺予告メールを、SF研の三人にだけ送るんだ。できるか?」
アグネスは直ぐにその意図を理解した。
「なあるほど、警察は携帯のロケーション履歴を調べられるからだな。この部屋から送信するわけにはいかないというわけだ」
「なるべく早い方がいいんだが、一時間で行けるか?」
「わいのカジュアルな外国製自転車なら三十分で海まで行けるわ」
……アパートの前にとまっていた中国製のママチャリのことか。確かに外国製だな。
「よし、汀の携帯もらってすぐに行け」
「ラジャ!」
アグネス。なかなか使えるやつだ。
「汀と神愛、僕は磯崎邸に戻る。汀はちょっと変装が必要だな。近所の住民にお前だと悟られるとまずい」
「戻るの? 今から」
しりごみする汀。無理もない。
「そうだ。お前のうち、燃えるゴミの日はいつだ?」
「え、ゴミ? あ、明日だけど」
「じゃあ、親父の精液をゲットできないか? ゴミ箱になければ、新たに採取するしかないが……」
「あるっ、あるよたぶん。一昨日の夜にコンドーム捨てたから」
コンドーム? いったいどういうプレイをさせられたんだ、汀よ。困惑して彼女を見ると……。
!……。
汀は、そんなことわたしに聞いて困らせないで、と涙目で訴えていた。
「そうか。じゃあ仕事は格段に楽になるな。そいつをゴミ箱から回収して、また外に出る。できれば親父に見つからない方がいいな」
「わかりました、必ず持ってきます」
汀がうなづくと、希介君はいつものamazon笑いを浮かべた。
……あれ?




