もし萌えフィギュアオタクが不可触民ならば 2
【Great-diarrhea-waveさん】からの回答:
『社会生活になじめない異端者は、いつの時代にも常に一定数存在するもの。わいのようになww。
でもそれは、別に嘆くようなことでも、恥ずべきことでもないのだぞ。わいのような人間が変人なのは、人類の多様性にはじめから含まれた振れ幅なのだからな。これは自然なことだ。
そして、イジメはいつの時代にもある。共同体の結束を高めるためにスケープゴートを欲する衝動は、数百万年にわたる人類の社会生活が生み出した知恵なのだ。人の下に人を作るのが人間。それが真理であることは、歴史が証明しておる。
このような、個を超えて人類に共通した性質は、理性で容易に制御できるものではない。人と人が支えあうのが人類の社会であるならば、支えあおうとする行為そのものから生じるイジメは、人の間から永久になくならないだろう。つまりは、イジメの根絶は不可能ってことだな、人が人である限り。
この先祖から受け継いだイジメを好む性質が、人類の繁殖上意義あるがゆえに、進化の過程で自然に備わったものである以上、イジメは少なくとも悪ではない。むしろ善寄りなのだ。
だが、いじめや差別になりふり構わぬ戦いを挑むのもまた、悪ではなく、善でもない。悪鬼のように戦うも、黙って自殺するも、全てそなたの自由だ。
人生は全て結果論でしか語られぬものと心得よ。負け犬が、「負けたけど良い戦いだったね」と誉められることはない。人生は公明正大なスポーツではないのだから。
原因と結果の真ん中は、全てそなた次第。総じて、人生という戦場には善も悪もない。そなたがやることは、もとより全て許されておる。
中原中也の詩にあるように、
「人には自恃があればよい!
その余はすべてなるまゝだ……
自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、
ただそれだけが人の行ひを罪としない」
というわけ。
さあ行け、画面の前から去って、行動するが良い。わいらには全てが許されているので、ありをりはべりいまそかり!』
「ラ変出たか……改めて文章であいつの言葉を読むと、アホだな」
神愛が身も蓋もない感想を漏らした。
同感だった。




