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もし萌えフィギュアオタクが不可触民ならば 1

 「よし希介、戦後処理いっとけ」


 「いや、なんで僕が消化試合選手扱いだよ。僕だってちゃんと知恵出すよ」


 「どうせこの部室でSF読む傍ら、シコシコといかがわしいことをしまくっていたのだろう。そんなやつに哲学の何がわかるか。まあ、とりあえず書いてみろ」


 ……このアマ、完全になめてやがるな。


 僕は神愛の長身を上から下まで眺め、暴力を諦めた。無理無理、だって空手経験者だよこいつ。僕のごとき、サバの腹みたいな肌色のモヤシに何ができよう。


 で、僕の書き込みはというと。 


【kisukedappiさん】からの回答: 


 『甘ったれのしみったれ女だな。

 考えてみろ、昔の困難な時代を。ただひたすらに子や孫を腹いっぱい食わすために、命をかけて戦ってきた祖先たちの、涙と、願いと、希望と、愛の流れの果てに、生まれたのがあんただろ。

 毎日毎日、狩猟や農作業にあけくれた祖先たちの屍が、無数に積み上がったその頂きに……豊かな時代にあぐらをかいて、一度として飢えもせずに勉強だけしてきた青ビョウタンが、「なんかめんどいし疲れるからイヤ」とたわけた寝言を遺して人生投げ捨てたとしたら……祖先たちはどう思うだろうね。

 あんたが死んだとしてさ、死後の世界で祖先たちの霊魂があんたに寄せる軽蔑の視線は、生きていた頃に経験したこともないほど強烈なものになるだろうな。それでも良いなら逝ってしまえよ、甘えん坊のお嬢ちゃん』


 一読して、神愛は長い指で顎の先をなでた。


 「ふーん、意外とまともな――というか保守的な意見だな。日本を含む東アジアでよくみられる伝統的な祖先崇拝の考え方に影響を受けているようにも見受けられる。私のうちでは、お盆やお彼岸にご先祖様を祭る。希介の家でも、ナスに割り箸刺して迎え火を焚いたりしなかったか?」


 「いや、うちではそういうのしないけど。ところで僕の考えって保守的だったのか。SF読みに意外と多い考え方だと思うけど」


 汀が怪訝な表情を浮かべる。


 「SF読んでいるのに、保守的なんですか?」


 「ああ、うん……」


 僕の歯切れの悪い返事を耳にして、汀が励ますように優しく微笑んで待つ。


 僕のワイシャツの袖がツンツンと引かれる。神愛だ。


 「同志希介、君は親友だろ。親友が隠し立てするのか? 信用できないのか?」


 彼女の表情は、軽い口調の割に真剣だった。


 ……親友ってこえーものだな。


 僕は今更ながら、親友というものの恐ろしさを噛み締めた。でもこいつらなら、どんな事を口走ったところでKY扱いや嘲笑されることだけはないのではないか。心を許せる親密さは、確かに大きな魅力だけど……。


 僕は苦笑をかみ殺した。はじめてできた『親友』なるものが、まさか女だなんて、ほんの数日前には想像もできなかった。女か……。


 そのとき、「全部お前のためなんだよ」という、あの女の声が聞こえて、全身の血が凍った。ここは安全な学校だ。これは幻聴でしかあえりえない。でも、まるであいつがこの部室にいるかのように真に迫った声だった。


 ふと、視界が暗くなった。


 あの女が僕の前に立っている!


 心臓が一つ、トトンと空打ちをした。顔を上げると、そこには前かがみになった神愛が立っていた。あの女ではないことにほっとしたのも束の間、神愛は両手を伸ばして僕の頭を挟みこむようにする。そして、ゆっくり頭が引き上げられるに従い、僕の背筋も伸びてゆく。


 いつしか、内側の隆起に応じて、大いに盛り上がった神愛のブラウスが眼の前にあった。


 「な、なにを――」


 え、なに、ひょっとして伝説のパフパフとか経験しちゃうわけ? これ、ええと――。混乱の余り目が回る。そうだ、女ごときが僕に無礼な真似を……無礼な……無……優しくしてね。


 がっし。


 ――え?


 僕の側頭部は万力のごとき腕でギリギリと締められていた。


 しまった、ハニートラップか! 


 「こーのーなーかー」


 この世ならざる場所から立ち昇ったような、妖気をはらんだ音――どうやら神愛の声――に驚いて目を瞠る。


 やべ、今日はいつもにもましてキてるな、こいつ。


 相対距離わずかに二十センチのところから、鬼気迫る顔と眼が、僕の頭を睨んでいた。


 いきなり、膝で折りたたまれた長い足が僕の両足の間に割り込んで、股間に神愛の膝が触れた。ぐぐっと股間に圧力が加わった。


 膝攻撃っ。潰されるっ。


 「ギッ」


 キャーー! と漏れるはずだった僕の悲鳴は、奇怪な昆虫が発するような、地味なあえぎ声になって漏れた。


 神愛の長い指が、固定具さながら僕の頭をギチッと把握し、ローリングするようにゆっくりと頭部を動かす。まるで蜘蛛に捕まった昆虫だ。


 神愛は頭髪の数をカウントする機械のごとく、僕の頭を凝視する。放射線でも照射しているかのようなきつい眼つきからするに、僕の頭骨を透かし見ているのかもしれない。こいつ、大脳皮質を走査して、ダイレクトに情報を入手する特殊スキルでも持っているのか?


 「こんなところに隠さないで。ククク、もったいぶらないでさあ、希介も私たちと一緒に楽しもうよ、ねえ親友」


 彼女の大きく見開いた眼は、視線を僕の頭から離さない。


 僕本人にも感知できなければ、どんな先端科学でも認識できない秘められたもの――魂的な部分が、神愛の視線でジリジリと焦がされているような気さえする。


 「おい、まばたきくらいしてくれよ」


 そんな僕の弱々しい頼みなど、耳に入らないらしい。


 こうなったら最終手段しかない。仮に通学電車の中でやらかしたら、社会的に死亡宣告を受けるの間違いなしのあの行為。


 玉質への意図せぬダメージを避けるために、尻のポジションを微調整する。


 ――今だ。


 「正当防衛!」


 自己正当化の呪文を唱えつつ、両腕を前に突き出す。てのひらが、驚異の低弾性やわらかパーツに触れた。


 むに。


 ……あれ、まだ気づかないの神愛? 集中力ぱねぇな。


 毒を食らわばっ……柔らかさもじっくり確かめざるを得まい。指先をワキワキうごめかせる。


 そいやぁ! もみもみ、もみもみ……って、おい。早く気づけ。気づいてくれよ。頭を凝視するのはもういいから。なあ、こんなに揉んでるんだぞ、揉みしだいてるんだぞ。やめてくれ――。


 ――ああ、でも……こんなにも神聖なほどに……柔らかいなんて……。


 どこかで手の触覚と涙腺が共感覚で結びついているのか、僕の眼にはなぜか涙がにじむ。早く……気づいて。


 神愛は、「おや?」と怪訝な顔つきをする。ここでようやく触られていることを察知したらしい。神愛が悲鳴をあげる。


 「ひゃあ!?」


 直後、胸をわしづかみする僕の手を発見した。


 僕の頭を固定していた彼女の指先がパッと離れ、僕の両腕をつかんだ。


 「ああ、やっとか。気づいてくれてありがとう」


 もうこれ以上のモミモミは精神的にも煩悩的にも限界だった。


 「希介……!」


 ギリギリ。爪が僕の腕に食い込む。神愛の顔は猛禽類の鋭さだ。顔を真っ赤にして激怒している。


 「コロス……絶対コロス」


 「やめ、殺したら僕の哲学も披露できないぞ。暴力、反対……痛いっ」


 神愛は素早く体を離して窓の方を向き、僕に背を向けた。ブラウスのたるんだ部分を引っ張り、不機嫌そうにうめいた。


 「ぐぬう、この性犯罪者め……親友の絆に免じて今回だけは許してやる。もう二度と許さないからな」


 「こっちだって正当防衛だぞ……わーったわーった。」


 神愛がこわい顔をして拳を振り上げたので、僕は慌てて折れた。


 腕を組んで、僕に背中を向けた神愛は、「ん、そういえば、ちょっと暑くないか」と急に言い出し、エアコンの設定を動かす。


 神愛が戻ってくると、まだわずかに頬が上気しているものの、さっきまでの怒りの発作は消えたように見えた。


 「そこに座ってくれ、ちゃんと説明するから。僕が人生をどう思っているのか」


 「よし、それでこそ親友だな」とおおげさにうなづく神愛。


 「はいはい、親友親友」


 汀も胸を押さえてわくわくしている様子だ。僕に善意のアドバイスをする。


 「緊張しないでください。リラックスして肩の力を抜いて。すぐに気持ちよくなりますからね」


 「お、おう」


 しかし、改めて自分の考えを口に出そうとすると、どこから話せばいいのか戸惑ってしまう。普通は誰の目にも触れさせずに大切にしている、心の内面の話をする日が来るなんて、考えもしなかった。しかも女に。


 心の垣根を取り払うのは意外と難しいが、覚悟を決めて話し出す。


 「SF読みって人種はね……人類の理性と永遠の発展を夢見ている夢想家なんだよ。このちっぽけな島国の片隅でくすぶっていても、SFを読んでいるときだけは、科学が全人類を幸せにしてくれると信じる理想主義者でいれる。素晴らしい種族の一員であることに誇りと希望を持っていられるんだ。それは同時に、生きる希望にすらなりうるものなんだよ」


 「生きる希望……」と汀。


 僕はうなづいた。


 「手際よく説明できないんだけど……科学が日常の地平線を外へ、外へと広げていけば――やがて人類は宇宙空間の虚空を乗り越えて、星々の間に広まってゆく。目も眩む輝きの先端に乗って、熱い排気の尾を引いて」


 「ほう。なかなか叙情的な描写だな」


 「そういう未来の栄光の時代にも、自分の子孫がそこにいて欲しい。自覚しているにせよ、いないにせよ、心の奥底ではそう考えているもんだ。その気持ちが、社会と僕とをつないでくれる。現実に感じている幻滅を、乗り越えさせてくれる力になるんだ」


 神愛は腕を組んでうなった。


 「なるほどねぇ、未来への希望が内的救済になっているのか……」


 「現代日本の人間格付けランキングで表すと……仮に萌えフィギュアオタクが不可触民なら、SFオタクはシュードラだよ。女どもは僕らみたいなのを、抑圧された変り者、変質者予備軍としてしか見てくれない。

 それでも――現実世界に暮らすほとんどの人間が踊らされている動物的な優劣順位決定力学にうんざりしたとしても――未来を信じている限り、この世界を見捨てる気にはならないんだ。

 SFも、サド哲学やニーチェ哲学とある面では同じなんじゃないかな。SFという、人類種族への希望に満ちた内的救済は、ある意味では現実に打ち込まれたアンカーなんだ。世界に絶望せずにいられる命綱なんだ。祖先からのバトンを次の世代に渡す義務を、神聖で強制力があるものにしてくれる物語、それがSFなんだよ」


 しばし沈黙が流れる。


 「これで終りだよ」と早口で打ち切りを宣言する。なんだか視線を合わせるのが気恥ずかしい。


 汀は正座したまま、ふんわり僕を仰ぎ見て言った。


 「哲学ですね。良い内的救済を味あわせてもらいました」


 僕はとまどいつつ、笑みを浮かべた。


 「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいよ」


 心の内をさらけ出す思想の戦いが哲学ならば、哲学というものはどんなスポーツよりも熱い戦いなのかもしれない。どんな親友だって、相手の心の内にまで踏み込むことは少ないだろう。まして薄っぺらで便宜的な友人、同盟としての友達など、せいぜいのとこ、相手が好きなアイドルグループを知っている程度のものだ。


 それに比べて、僕たちが経験した哲学の交換のこの密度。裸の人格と人格のぶつかり合い。まだ想像しかできないけど、これって異性の体に触れるよりも、もっと熱い交歓なのではないか……。


 ……んなわけないか。


 「にしても」と汀はいたずらっぽく笑った。


 「希介君って意外とまじめだったのね。女の子が嫌いなのに、人類の永遠の発展を夢見ているんでしょ」


 彼女の声にあざけりの色はない。それに安堵して、僕は正直に答える。


 「女は苦手だよ。でも、自己の利益に汲々とするあまり、経済性を理由にして子供もつくらず結婚からも逃げるような、情けない大人にだけはなりたくないと、いま思った。こうやって心の内を説明しようとしなければ、自分でもこれほどはっきりとは分からなかったと思うけどね」


 汀は先を促すように相槌をうつ。


 「ふうん。経済性って、どういうこと?」


 「ああ、それね。昔の農村社会とは違ってさ、現代社会では子供はお荷物じゃん、経済的には。学費に塾の費用、携帯、自分の部屋、洋服――僕たちを育てるのには金がかかるけど、別に親に感謝したり敬ったりは、正直してない。

 日本とか、他の先進国の出生率が低いのって、そういう親の報われなさのせいなんじゃないかな。

 それに比べて、昔は人口の殆どが農業に従事してて、トラクターもコンバインもなかったから、子供でも立派な労働力だった。農家も武家も『家』単位で生きててさ、家名の存続が何より大事だったから、子供をつくるインセンティブにだけは事欠かなかった。でも、現代の核家族にはインセンティブが欠けてるよね」


 「そうね。江戸時代なんか、教育は寺子屋止まりだし、子育てにお金がかからなかったでしょうね」と汀。


 「その通り。今じゃ子供は金がかかるばかりで、ただ自分の遺伝子を未来に伝える器にしか過ぎないわけでしょ。現代では、子供を作ることは昔のように得になることじゃない。

 でもさ、昔よりインセンティブが少なくなって、逆に金がかかるようになったからといって、子供をつくらないし結婚もしないというのは、とても情けない利己主義だと思うんだ。

 所詮は他人に過ぎない男と一緒になって、嫌な思いや苦労をしたくないから、妊娠して体型が崩れるから、とか色々理由をつけて結婚しない女や、そんな女を説得することもできない、信念のかけらもない男が多すぎるんだよ」


 「哲学よ!」


 神愛が立ち上がり、いきなり叫んだ。


 「経済性を越えて、力強く子孫を生み育てるための新しい哲学がいま、求められている! 希介、あんたはそう言ってるのよ」


 新しい哲学――そうなのかもしれない。先進国を蝕む出生率の低下は、きっと哲学が不足しているせいだろうし。


 「確かに、億劫から逃げたい怠惰な心を打ち破る哲学があれば……自分で稼いだカネを家族のために費やすのがもったいないと感じてしまう、弱い心を克服するだけの哲学があれば……少子化を止めるられるかもしれないな」


 「そうね、わたしもそう思います。ただただ損するのを避けたいという他律の人ばかりだから、日本はこんなに子供が減ってしまったに違いないわね」


 「少子化対策は哲学から、か」と神愛はよく噛むように、ゆっくりとつぶやいた。


 彼女は頬を上気させ、髪の先端をくるくるとねじっている。そして、抑えめな艶っぽい声で同意を求めた。


 「どう、希介。気持ちいでしょ、哲学って」


 彼女は自分の腰からウエストにかけて両手で絞るようになぞり、そのまま胸まで手を滑らせた。


 「はぁ、頭の中身を自分以外の人に知ってもらって、じっくり吟味して、承認してもらう……はぁ、はぁ、これほどエロティックな行為があるかしらね……」


 あのー、何を仰っているのですか? 神愛さん。


 僕の冷たい視線を察したのか、神愛ははっとした表情をして、ぶつぶつと言い訳した。


 「すまん、ちょっとばかり取り乱してしまった」


 「気をつけろよ……」


 とか常識人ぶっておためごかしを口に出してみたが、実は僕にもその気持ちはなんとなく分かった。なんだろこれ、天下の公道で裸を露出する人の気持ちって、これ? ……違うか。


 「おお!」


 いきなり神愛が大げさにのけぞった。


 「Great-diarrhea-waveも何か書き込んでいるぞ!」


 アグネスが? あいつ、今どこで書き込んでるんだろう。




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