世界は無意味である 2
「って、なげーよ。携帯でこれ読むって拷問だよ」
僕の苦情に対して、神愛はすました顔で答える。
「読みづらいから読まないというような半端な気持ちの質問者なら、こっちから願い下げだ。真理に至る道は、長い思索の鎖を地道にたぐり寄せる作業なのだからな」
やっぱりこいつ、徹底的に知恵袋を敵に回したいんだな。
「でもさあ。自我愛はしくじりをおそれている、とかさ、もう少しオブラートに包んだ方がよくねーか?」
「ふん、これでもかなり温めの意見だったのだがな」
「マジで?」
「無論」と神愛はうなづく。「わたしの意見をそのままネットに垂れ流すと、どういうわけか過剰反応する輩がいてな……不本意ながら自重したのだ」
「自重してこれか……自重しないとどうなるんだ? いや、やめろ」
神愛の鋭い眼光が僕の上で止まった。
「本当に知りたいのか、覗きこみたいというのか、この深淵を」
僕は首をフルフルと振る。
「だから知りたくないんですって」
「よろしい……」
よろしいじゃねーよ。聞いてないよやっぱり。
すうっと息を吸い込んで、神愛はおもむろにシャウトした。
「世界は無意味であぁぁぁぁるぅ!!」
僕は無言である。
ギャラリーからの反応が皆無であることが、さも意外なことであったかのように、神愛は不審の面持ちで僕の顔を探った。
そんな目で僕を見るな。
「この世界の性質についての一般的な原則を高らかに謳い上げたのだぞ。ツッコミなり賞賛なり、好きにコメントするがいい。異議は受け付けないがな」
賞賛か……その発想はなかったわ……。ついでに、それ全然一般的じゃないと思うぞ。
「いや……とりあえず全部説明してみ?」
神愛は待ちわびていたかのように、熱意を込めて説明をはじめた。
「わたしがいま信奉しているのは、ドイツ観念論の雄、『神は死んだ』でお馴染みのニーチェ哲学だ。彼のニヒリズム、虚無主義の哲学の潔さは、いっそ心地よいのだぞ。とっても気持ちよいのだ、本当に。どうだ、希介もこの気持ちの良い虚無に肩まで漬かってみろ」と勧める。
虚無か……。暗い、寒いイメージだ。
冥王星の液体ヘリウムの湖に、神愛がタオル一枚で挑む姿が脳裏に浮かぶ。僕も肩を並べて混浴状態。天を見上げれば、地球から見た太陽の明るさの千六百分の一の明るさにしかならない太陽は、他の星々よりはちょっとばかり明るい光点に過ぎない。
ああ気持ち良い。ここぞ虚無の地って感じだ。ひんやりした超流動体ヘリウムが首筋を登ってくるのがむず痒い。隣を見れば、タオルでは隠しきれない神愛の――。
「聞いているのか?」
神愛のイラついた低い声によって、僕は妄想から醒めた。
「聞いてる聞いてる。説明続けてくれ」
「まったく男ってのは……虚無について語っていたのに、どうせまたエロいことでも考えてたんだろう。混浴露天風呂とか」
え、なんで露天風呂のことがバレたんだ。なんだこの鋭さ。女の勘?
「考えて――ないけど」
いや、考えていたのか? でも冥王星だぜ? ヘリウムⅣ超流動体だぜ?
「考えてたな」
行間の躊躇を正確に読み取ったのは、神愛だけではなかった。
「ええ、考えていましたね」と汀までもがキーボードを打つ手を休め相槌を打つ。
アレー? なんで共同戦線張ってんの、こいつら。
「妄想はうちに帰ってからしてくれ、嘆かわしい。いまは部活中なのだぞ。さて、話を戻すぞ。世界は無意味、人生は幻想だ。そうだろう? DQN化した連中はともかく、わたしたち哲学を志す者は人生の究極的な無意味さを鋭く認識してしまう」
そうだろうなあ。自己評価がむやみに高くて、理由も疑問もなく生きてる奴には、哲学なんて必要ないよな。
「誰でも遅かれ早かれ死んでしまうし、子孫を残したとしても、我々人類が一つの生物種である以上、子孫たちもいずれ絶滅して、この宇宙からきれいさっぱりいなくなることも知っている」
哀しいかな、その通りだね。
「その点については同意するぞ。この宇宙だっていつかはビッククランチか熱的死を迎えるしな。大きな視野に立てば、僕たちは小さな池を全世界だと信じて、エサを食ってひたすら繁殖するカエルと何も違わないよな」と僕は遠い目をした。
「そうだな」
こころなし厳粛な響きを帯びた低い声で、神愛が言う。
「カエルたちの体は、何も知らずに親から子へとタンパク質の遺伝コードを伝える入れ物に過ぎない。そして、時には天候不順で池が干上がれば、それまでの奮闘空しくカエルは死んでしまう。なあ希介、カエルたちがあらゆる営みの空しさを知っていたら、いったいどうしてこの孤独に、絶望に耐えられるだろうな。本当に、無知は幸せだ」
人間のDNAを形作る塩基はA・T・G・Cの四種類でできている。まあ、常識だ。そしてDNAは三十億塩基対から成る。三十億×二ビット÷八=七億五千万バイト――つまりDNAの情報は、七百五十メガバイトのデジタル情報に等しい。人間でさえ、たったそれだけ。大腸菌になると、一メガバイトちょいに過ぎない。人間の遺伝情報など、針の先ほどの大きさの半導体メモリーに、すっぽり収まってしまうのだ。
僕は村の古老のように、沈思黙考しながら顎を撫でた。
ということは、たったCD一枚分程度の遺伝情報を子孫に伝えるために、みんな必死に勉強して、オサレして、働いているわけか。井の中の蛙のように。短い夏を謡い狂う蝉のように。
集中力の残高を見積もるかのように、神愛は僕を注視する。話が重要なポイントにさしかかっているのが察せられた。
「あらゆる人の営みは空しい。しかし生きなければならない。ならば、個々人がいかに生きるか自らの意志で選ぶことが重要になる。最初に言っただろう? わたしたちが人生を捧げるに足る対象を見出す――それが、わたしたちスーパー・フィロソフィ研究部の活動内容だ、と」
そうだっただろうか? 確かそんな感じだったか。
「結論から言うと、この絶望に耐えるためには――わたしたちは、自らの価値を自ら見出さなくてはならない。『なんのために』ではなく、『いかに』生きるかを自分自身で選ばなければならない」
「いかに?」
「然り。いかに、だ。人生を課題として捉える者は、誰しも何かを信仰して生きている。おっと、ここで『信仰』と耳にして、単純に『うさんくさい宗教か?』と思うのは心なき業だぞ。
信仰とは、幻想に過ぎない人生をいかに生きるかと言う指針、ポリシー、哲学だ。もし他人が考えた幻想で満足できるならば、出来合いの『宗教』を信仰して『神のために』生きれば良い。
それでよしとできないならば――自らの価値を、『いかに』生きるかという生の肯定方法を、見出せるのは――自分自身のみだ」
僕は皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「……ニーチェって人は宗教が嫌いだったのかな」
「彼の思想は神のような超越者を受け入れないからな」と神愛。「がちがちの実存主義者だったの」
神愛は続けた。
「実存主義者は言う――『個人的な欲望を充足させることが、最大の快楽を生む』、と。つまり、自らが抱く『欲望の実現プロセス』=『自己実現の過程』こそ、人生を肯定してくれるわけね。
どうせ人生が無意味だとしたら、自己実現を経て得られる快楽の慰み、もしくは全身全霊を懸けられるけど、永遠に実現はしない幻想の一つでもないと、生は余りに重苦しい。
どのような快楽でもいい、もし自分自身が、最上の瞬間が、『永劫に回帰』するように願えるほどの強烈な快楽を人生に刻めるならば、人生に神聖な肯定が訪れて――『虚無』を打ち砕く新しい思想にたどりつけるかもしれない。自分だけの神の代替物、自分だけの内的救済を見いだして……」
神愛は牛乳が少しは残ってないかと紙パックを手に取り、失望してすぐにポイと投げ捨てた。
「『超人』――それは自分自身だけの、新しい道徳と理想にのみ従う、自我の究極的確立者。もはや自分自身が神の代替物に等しい自我。それこそニーチェが生み出した『超人』の概念なの。……まあ、実のところ、超人になるほど自主独立を貫いた場合、社会的に死んじゃうんだけどね」と神愛は苦笑した。
「そりゃそうだろうな。つまり超人って、何でも好きなように自分勝手に生きるヤツと同じじゃん。そりゃ、社会からつまはじきにあうよ」
神愛は首をすくめた。
「何事も中庸が肝心、ってことだな。私は中庸とか常識とかふりかざすヤツが大嫌いだけど」
矛盾してんなあ、こいつ。
「それじゃあお前、いつまでたっても人徳がないままだろうな」
神愛はフイッと横を向いて言い放った。
「知ったことか。私は私だ。これでなんとなくイメージはつかめただろう。ニヒリズムってやつは、本当に、気持ちよいほど明快なのだ。世界の一切が空しければ、自分だけが闇にうかぶ唯一の灯火なのだから。自分以外の何者を神の代替物に仕立て上げることができる?」




