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 翌日、千影が登校するや否や、背中にぞくりと悪寒が走った。咄嗟に後ろを振り向くが、千影を見つめている人などいない。最初は気のせいだと思った千影だが、それが何度も続くとそうも言っていられなかった。しかも、視線を感じる方向を見るたびに、同じ人間がわざとらしく明後日の方向を見つめているのだ。どう考えても怪しいが、関わりあいになりたくなかったため、千影は途中からあえて無視を決め込んだ。

「どうした、そわそわして」

 千影の前の席に座っている孝明が、後ろを振り向き話しかけてくる。孝明はいつも始業時間ぎりぎりに登校してくるため、いつのまにか過ぎ去った時間に、千影ははたと気づかされた。それほどまでに、誰かの視線に意識が向いていたのだ。

「誰かが俺を見てる気がしてさ。でも、気のせいだよね。そんなわけない」

 千影は、まるで自身の確信を誤魔化すかのように、自嘲気味に笑みをこぼす。

 そんな千影を見て、孝明は呆れたように口を開いた。

「千影、お前、何言ってんだ? 見るからに睨まれてるだろ」

「やっぱりそう?」

 そう言って千影はうな垂れる。

「何かしたのかよ。もしかして、昨日のことか? でも俺のほうは全く見てないしな。よくわかんねえな」

 孝明はそう言いながら、教室の端っこに座っている一人の女子を一瞥する。

「昨日は店から出たあとまっすぐ帰ったよ! 俺も今日学校来てこれだから意味がわからなくて」

 千影は小声でそう漏らす。おもむろに視線の方向を見ると、わざとらしく視線を逸らされてしまう。

「困ったな」

 この学校、唯一のOBS患者、五十川茜を見つめながら、千影は大きなため息をついていた。


「ほら、お前ら。静かにしろー」

 ドアを開く音とともに現れたのは、担任の教師だった。やる気のない、間延びした声が一日のやる気を削っていく。本来であれば、そこから退屈な授業へと一直線なのだが、今日は少しばかり趣が違っていた。教師の後ろを、見慣れない女子生徒が付いてきていたのだ。

 途端に賑わう生徒達。

「だから静かにしろって! ほら! ……まったく。いいか、いきなりなんだがな、今日は転校生を紹介する。来なさい」

 ようやく教室が静まり、教師は女子生徒に向かって手招きをした。教壇の脇に立つ少女には物怖じした様子もなく、うっすらと笑みを浮かべながら立っている。

「えー、彼女の名前は如月雪葉(きさらぎゆきは)だ。ずっとカナダに住んでいて、その移住手続きにすこし手間取ってしまったため始業式には間に合わなかった。だからこんな中途半端な時期になってしまったが、少し遅れての仲間入りだ。仲良くしてやってくれよ? ほら、自己紹介を」

 教師に促されると、如月雪葉と呼ばれた少女は一歩前に出て軽く会釈をした。

「如月雪葉と申します。ずっとカナダで暮らしていたので、こっちのことはよくわかりせん。いろいろ教えてくださいね」

 そういって笑みを濃くする雪葉だったが、その姿、笑顔に皆がみとれていた。

 まず目に飛び込んでくるのは、雪のように白い肌だった。そんな滑らかな肌をおおっているのは、腰まで伸びる絹のような黒髪だ。同じように黒く、丸くはっきりとした瞳はとても輝いている。小さい身体でありながら、細く長く伸びる手足からは女性らしさが感じられる。

 孝明はもちろん、千影もその立ち姿に目を奪われていた。

 そんな視線をもろともせず、雪葉は落ち着いた様子でクラスを見渡していく。その視線が千影と絡んだ瞬間、雪葉は大きく表情を緩めた。そして満面の笑みを浮かべて千影を見つめはじめる。

 熱烈な視線を向けられた千影はどきりとするも、どこか妖艶な瞳の呪縛からは逃れられなった。

「じゃあ、さっそく授業を始めるぞ。ほら、だから静かにしろって! 教科書だせー」

 そんな時間も長くは続かず、教師の横槍によってすぐさま終わりと告げる。千影はここぞとばかりに視線を逸らすと、早鐘を打つ心臓を落ち着かせようと躍起になった。

 雪葉はそんなことはかまいもせず、しきりに千影へと視線を向けている。そのことに千影自身も意味がわからないと首を傾げつつ、居心地の悪さにふたたびため息をついていた。

(どうなってるの? 五十川さんも、如月さんもわけがわからない)

 二箇所から浴びせられる執拗な視線に、千影は居心地の悪さを感じていた。そんな千影の右手は、顔を隠すように、必死で前髪を下へ下へと伸ばしながら整えていた。


 千影にとって次の日からは地獄だった。

 元々、千影は人から注目を浴びないようにと、できるだけ目立たないように生活をしてきた。そのため、人との接触をできるだけ避け、自身の目立つ両眼を隠すよう前髪も長く伸ばしている。

 そんな千影にとって、たかだか二人の人間からだが、注目を浴びながら生活するなどありえない。しかし、そんな千影の願望を余所に、可愛い異性の同級生達は次の日からも視線を向けることを止めようとはしなかった。

「なあ、千影。転校してからずっと俺のこと見てない? 雪葉ちゃん」

 唐突にそう切り出してくる孝明に、千影は苦笑いで答える。

「よかったじゃないか。如月さん可愛いし」

「でもな! 俺にはこころちゃんがいるだろ? どっちをとるか、あえてどっちもとらざるべきか。難しい問題だな!」

「はは……」

(もしそうならよかったのに)

 心の中でそう千影は呟いた。

 千影自身も視線を浴びているという勘違いをしている可能性もあるのだが、この一週間でその可能性は潰えていた。振り向くたびに、茜や雪葉と目が合うのだから勘違いという淡い期待は捨てざるを得なかったのだ。

 

 ◆


 雪葉が転校してきてから一週間が過ぎたある日、千影は昼休みにパンを買いに歩いていた。

 廊下を通っていけば近いし早いのだが、人が多いため、普段から千影はその道を避けていた。中庭にある渡り廊下を通っていけば、少し遠回りであるが人はほとんどいない。千影はその道を好んで使っていたが、今日はいつもと違いスムーズな道のりではなかった。立ちふさがる女子生徒が二人、千影の目の前に佇んでいるのだ。

「何よ、私はこいつに用があるの。だからどいてくれない?」

「何をいっているんですか? 私がこの方に用があるんです。どこか行くのはあなたのほうではないですか?」

 立ちふさがる女子生徒というのは、言わずもがな、五十川茜いそがわあかね如月雪葉きさらぎゆきはだ。執拗に視線を向けていたのは千影に何か用があったかららしい。

 二人は渡り廊下の真ん中で向き合っている。その様子を千影はすこし離れたところから眺めていた。

「あんたの用事なんてどうせたかが知れてるわよ。いいからどいて。また今度でいいじゃない」

 茜はそう言って雪葉を脇へどけようとするが、雪葉はその手をぱしりと払う。

「な――!?」

「何をいっているんですか? 私がこの方に用があるといったのが聞こえませんでしたか? あなたについている耳は飾りですか?」

 大人しそうに見える雪葉の思いもよらない反撃に、茜は驚きを隠せない。

「それとも言葉を理解できないくらい、大きな胸に栄養がとられているとか? 牛並みですもんね、気づかずにすみません」

 薄い笑みを浮かべながら話す雪葉の口調には、見るからに悪意が含まれている。安い挑発だが、茜の感情は容易に沸点を越えた。

「あんたねぇ! 馬鹿にしてんの? いいからどっか行ってなさいよ! 痛い目みたいの!?」

「そうやってすぐ暴力に訴えるなんて。なんて下品な考え方……。そんな人が千影様と話すなんて、許せるわけがないでしょう?」

「千影様?」

 茜はそう呟くと、様付けされるには分不相応な千影を一瞥すると、鼻で笑い雪葉へと視線を戻す。

「何よ、千影様って。馬鹿なんじゃない? あんたこそ」

 千影のことを引き合いに出された雪葉は、それまで冷静だった態度を途端に険しいものへと変えていく。

「あなたこそ、千影様を馬鹿にしてるんですか? そうだとすれば許しませんよ? 牛さん?」

 苦々しく顔を歪めた雪葉が、茜へと詰め寄った。そして、張り詰めた空気が二人の周辺へ広がっていく。

 そんな二人を傍観していた千影だが、一触即発のこの状況ではいつまでも傍観者ではいられないと、あわてて二人の間に入る。

「ちょっと待ってよ、二人とも! 用があるのは俺でしょ? なら順番に話聞くから落ち着いてって」

 そんな千影の必死の呼びかけも、二人の険悪なムードを払拭するには至らない。

「ちょっと黙ってなさい。順番が狂ったけど、まずはこいつに話をつけてからよ」

「千影様、この身の程知らずに鉄槌を下してから話を聞いてください。それまで、少しお待ちを」

 そういってにらみ合う二人。

 そんな二人を前にして、千影はどうしていいかわからなかった。まさか、こんな形で、自分が原因で争いが起こるなど誰が予想しただろうか。混乱の最中にある千影は、再び傍観者へと戻らざるを得なかった。

 三人の世界を作り上げつつあった千影達だったが、ここは学校。いくら人通りの少ない渡り廊下といえど、人目はある。

 騒ぎを聞きつけた幾人かの生徒が、段々と周囲に集まりつつあったのだ。

(これでようやく騒ぎもおさまるか……)

 そう思った千影の安堵も束の間、爆発音と耳をつんざくような悲鳴が、校庭のほうから響きわたる。

「な、なんだぁ!?」

 どこか不安をあおるような、そんな悲鳴を聞き、千影はただ呆けていた。しかし、茜と雪葉は瞬時に悲鳴がした方向を見据えると、迷いもなくその方向へ走っていく。

 二人の後姿を眺めていた千影だったが、先ほどの悲鳴を皮切りにだんだんと学校中に悲鳴が伝播していくのがわかった。うねるように広がっていく非日常は、千影の心を大きく揺さぶっていった。

(何が起こってるんだよ……)

 千影のいる所からは何も見えない。それゆえに、不安はどんどんと大きくなっていった。

 それと同時に、迷いなく走る二人の後ろ姿に、千影は頼もしさをおぼえる。自身に満ちていく心細さを払拭するため、千影は二人の後を追うしかなかった。他人にすがることしかできない。千影は間違いなく弱い存在だった。強さの欠片もない、ただの弱い存在だったのだ。


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