19
あれから二日後――。
空は相変わらず青く輝いており、春風は人々の頬を撫でながら陽気に駆けていく。穏やかな空気が流れる世間を尻目に、ある病院の一室では重苦しい空気が流れていた。
「ふざけんなよな……」
そう言いながら、短い赤毛を携えた少年――孝明はぼんやりとベッドの上を眺めている。その目はどこか虚ろで視点は縦横無尽に泳ぎ回っていた。
「なんでだよ……、なんでお前だけが」
孝明はそういって、両目を強く閉じた。同時に両手を強くぎると、歯を食いしばる。孝明の首元を見ると、赤黒く首を一周している傷跡が痛々しく残っていた。
「どうして、俺は無事なんだよ。自分の足で立ってんだよ。お前だけ……それじゃあ、俺はどうしたらいいんだ!」
言葉を言い終わる瞬間に、孝明は強く目を見開いた。その眼差しは問いかけるかのように、千影にすがり付いている。
「おい! なんとか言えよ! そんなの、そんなのってないだろ!」
孝明は強引に寝ている千影に近づくと、力任せにその胸倉を掴んだ。そして、何度も揺する。そのたびに、千影の首は力なく前後に揺れていた。
「なんでお前ばっかり……、なんでお前ばっかり可愛い女の子といちゃいちゃしてるんだ!」
そう言って千影を指差した孝明の目には、大粒の涙がたまっていた。
「なんなんですか、このうるさい人は。千影様の怪我にさわります。どこか行ってください!」
「別にこいつらの肩持つわけじゃないけど、確かにうるさいわ。用がないなら帰ってくれる?」
雪葉と茜は、冷たい眼差しを孝明に向けていた。そして、すぐさま視線を千影へと戻すと、雪葉は手に持っていた果物を口元へと近づけていく。
「ほら、千影様。たくさん食べないと早く治りません。たくさん食べてください!」
「もぅ゛、ぐぢにぃまいなない(もう口に入らない)」
「何よ、その顔。馬鹿みたい」
口いっぱいに果物を頬張った千影の横で、雪葉は微笑み茜は口をあけて大笑いしている。そんな光景を見ていた孝明は、静かに涙するだけだった。
爆発の後、確かに校舎は崩れ去った。解体工事の後のように、すべてが瓦礫と化した光景は現実感を感じない。そんな中、瓦礫の真ん中で立ちすくむ千影を見たときは、茜も雪葉も言葉を失った。
「見えたんだ。どこにいればいいか……自然とわかったんだよ」
なんでもないことのように澄まして語る千影は、恐怖心など感じていないようだった。その人間離れした様子に、茜や雪葉はもとより、楓や宮本でさえも戦慄した。
その直後に千影は卒倒し病院に運ばれたわけだが、眠り続け目を覚ましたのが二日後の朝。それを聞きつけた茜や雪葉、孝明が病室を訪れていたのだ。
「それで、どうしてこうなった! 説明してもらおうか!」
激昂する孝明だったが、茜と雪葉は孝明を相変わらず白い目で見たまま態度を変えることはない。そんな二人に苦笑いを浮かべた千影だったが、敢えて何も言わずに孝明へと話しかける。
「ごめん」
「ごめんで済むと思ってんの――」
「思ってない! でも、攫われたのも、命の危険が迫ったのも俺が原因だ。本当にごめん。謝るだけじゃ足りないのはわかってるけど……」
突然張り上げられた声を聞いて、目を吊り上げていた孝明も落ち着きを取り戻した。
「なんだよ、そのことか……」
「うん」
今まで騒いでいた茜も雪葉も押し黙る。しばらく静寂が病室に訪れた。孝明は一息つくとおもむろに口を開いた。
「それは……いいんだ。こうして助かったんだしな」
「助かっても、それでも謝らなきゃいけないんだ。償わなきゃ……。それだけのことを、したんだから」
そう言って千影は俯いた。どうしたものか、と孝明は頭をかきながら顔をしかめる。孝明が何かを言おうとした矢先、千影が再び口を開いた。
「それと……ありがとう」
俯いたままだったが、確かに紡がれたその言葉に、孝明は思わず微笑んだ。
「なんだよ、それ。俺のほうがお礼言わなきゃなんないのに。俺のほうこそ、ありがとな。助けてくれて」
孝明の返答に思わず千影は顔を上げていた。そして、孝明が何も知らなかったときから変わっていないんだ、という事実に心の底から安堵した。
「ただな……一つだけ許せないことがあるんだよ」
途端に重くなった孝明の言葉に千影は背筋を凍らせるが――、
「何度も言うが、なんで二人とこんな仲良くなってんだよ! 中途半端なオタクには二次元も三次元も相手してくれないってか!?」
孝明はそう言いながら千影の頭をくしゃくしゃにする。そんな孝明の攻撃に必死に抗いながら、千影は思わず声をだして笑ってしまっていた。
「ちょっと待ってよ! 痛っ、いたた。やめろって」
「やめねぇよ! こっちは河川敷でお前と別れた後、グラマラスな金髪美女にぶん殴られたかと思ったら、気づいたら燃えてる校舎を眺めてたんだからな! 全然おいしいとこなしだ! 殴られ損だ!」
「そんなの、俺のせいじゃ……いたたたたた」
徐々にエスカレートする孝明の攻撃だったが、一通り千影を痛めつけると満足したのか、しばらくすると息を切らしながら椅子に座り込んだ。
「はぁ、はぁ、これで終わりじゃないからな。退院したら覚悟しとけ」
「わかったよ。そんときは、俺も本気で抵抗する」
そう言って二人は笑いあう。
「後から来た分際で、なに我が物顔で話してるのよ。私だって用事があるからきたんだからね」
そんな二人のじゃれあいに、口を挟んできたのは茜だった。相変わらずはっきりとしたアーモンド形の目は、睨みつけるわけでもなく二人を真っ直ぐと見据えていた。制服姿で足を組んでいるその様子は、妙に様になっている。
「あ、ごめん」
あわてて謝る千影だが、その表情に萎縮した様子はない。
「いいわ。とりあえず、うちの学校の当事者はここにそろったみたいだから、今回の事件のこと話しておきたいんだけど、いい?」
皆は言うまでもなく頷いた。
結局、あの事件は空の社が企てたものとして処理された。主犯はサラ・ブレークであり瓦礫の中からサラの死体が見つかったが、柳原達がいた痕跡は残っておらず、手がかりは全く掴めなかったとのことだ。校舎が崩れたのはサラの学校中に仕掛けた爆弾が同時に爆発したためであり、現在学校は急ピッチで建て直しているらしい。
千影の読みどおり、空の社があの事件を企てたのは警察組織の戦力の削減が大きな目的だったようだ。最初は千影が持っているだろう情報も求めていたようだが、結局はだしに使われていたようである。千影が情報を持っていない、ということは空の社の面々の前で宣言していたが、今後も狙われる可能性が残っているというのが、警察としての見解だ。
「まあ、事件の概要はそんなとこ。あと、私からも伝えておきたいことがあるんだけど……」
そういって茜は立ち上がり三人を一瞥するとその腰を深く折り、深々と礼をした。
「巻き込んでごめんなさい。私が無茶言わなきゃ、感情で動いたりしなきゃ、皆を危険な目に合わせることなんかなかった。お兄ちゃんにも言われたけど、私の行動が浅はかだった。ごめんなさい」
突然の謝罪に一同、目を丸くして驚いた。あれほど皆に恐れられていた茜が、こんなにも素直に頭を下げたのだから。
「後日、皆の家には警察からも直接、謝罪に行くことになると思う。でも、私からどうしても言っておきたかったの。本当にごめん」
そう言って、頭を下げたまま固まる茜。千影はそんな茜をみて、自分の考えが間違っていないんだと確信した。
「優しいんだね、五十川さんは」
その言葉を聞いて、茜は勢いよく顔を上げる。すぐさま茜の顔は茹蛸のように赤く染まっていった。
「な、ななな、何言ってんのよ! そんなわけ――」
「あるよ……たくさん助けてくれたじゃないか。背中も押してくれたじゃないか。五十川さんがいなきゃ、俺は生きていないかもしれない。OBSである自分を嫌ったままかもしれなかった。だから、俺からも言わせて……ありがとう」
千影の真摯な言葉に、茜は言葉も返せずただ赤くなる。押し黙っている茜を尻目に、千影は雪葉に視線を向けた。
「それに如月さんも。理由はわからないけど、君がいてくれたことに感謝してるんだ。無条件で肯定してくれた言葉、嬉しかったんだ。本当にありがとう」
ようやく向けられた千影の言葉に、雪葉は満面の笑みを浮かべて受け止めた。白い肌が、ほのかにピンク色に染まる。
「いいえ。私が千影様の傍にいたいと思ったのは私が決めたこと。だからお礼なんていいんです。ただ、隣にいさせてもらえれば」
そう言って雪葉は微笑んだまま千影を強く見つめている。その光景を見て孝明は面白くない顔を浮かべ、茜は相変わらず赤くなったままだった。
微妙な空気のまま時間が過ぎるが、千影は自身の言葉を振り返り途端に赤面する。
「って、何いってんだろ。俺は。恥ずかしいったらないや……。でも、思ってることをまっすぐ伝えて、それを受け止めてくれるってこんなに嬉しいことなんだね。今までは、知らなかったけど」
千影はそう言って空を仰ぐ。
空は相変わらず青い。所々雲が浮かんでいるが、そんなものはもう気にはならなかった。外から吹き込む風は皆の頬を優しくなで、心の憂いをさらっていく。
そんな空気が、そんな今が、千影は心から心地いいと、そんなことを思っていた。