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 二〇二七年、四月。都内某所にある高校では、多くの生徒達がいつもと変わらない日常を過ごしていた。新学期を向かえた学生達は皆、退屈な授業を淡々と受けている。教室の空気は淀んでおり、眠気を誘う教師の声が穏やかに響いていた。

「つまり、この世の中は脳過活動症候群が蔓延し始めたことで変化してきている。それはなぜだかわかるか? じゃあ……笠間」

「はい。えっと、それは脳過活動症候群の人は、普通の人より脳の活動が亢進しているため、その人が持つ能力自体も向上したからだと思います」

 笠間と呼ばれた女子が答えるのを聞くと、教師は満足そうに頷いた。

 未だ黒板と呼ばれている教室の壁一面に広がるタッチパネルに手をかざしながら、写真やグラフを浮かび上がらせていく。

「その通りだ。脳過活動症候群、まあ皆が知ってるのはOBS(OverActive Brain Syndrome)という呼び名だろうが。健康な人よりも脳の活動が活発になってしまう病気だな。本来、短命であったOBSの患者は、向上した頭脳を用いて特効薬を作り、その寿命を健康な人と変わらないくらいまで伸ばすことに成功したんだ。結果、多くのOBS患者が様々なものを生み出した。それにより、文明は大きく発展していったんだな。え~、じゃあ、木戸。その特効薬が広まったのはいつ頃だ?」 

 木戸と呼ばれた赤毛の少年は名前を呼ばれると、机の上に置いてあるタブレットのページを必死でめくっていく。

「あ~、えっとぉ、その……」

 頭を右手でかきながら、その額にはうっすらと汗がにじむ。それを後ろから見ていた黒髪の少年は、呆れたようにため息をついていた。しかし、ため息をつきながらも、自らのタブレットに指をかざす。すると、赤毛の少年のタブレットの画面にメールランプが点滅した。慌ててそれを開くと、探していた教科書のページが添付されていた。

「一九九〇年初頭、です」

 なんとか教師の問いに答えられた赤毛の少年は、ほっとしたように息を吐いた。

「そうだな。だんだんと患者数は増えてきており、今では患者数は一万人に一人とも言われている。患者数が増えてきたこと、OBS患者が特効薬を飲み続けなければならないこともあり、国は特定疾患にOBSを加え法的な保護を受ける形となったんだ。あ~、他にも特定疾患はいろいろあるが――」

 赤毛の少年はジェスチャーで友人へと感謝を告げると、机へとその顔を埋める。聞こえてくるゆったりとしたリズムの呼吸が寝息へと変わるのにそう時間は掛からず、その寝息は授業が終わるまで止むことはなかった。


 ◆


「いや~、助かったよ、千影! あいつ答えられないと、しつこいからよ。ありがとな」

「単純に順番がまわってきただけじゃないか。出席番号順なのは分かってるんだから、この前誰で終わったか覚えておけば、木戸孝明(きどたかあき)までまわってくるのは予想がつくだろ」

「なんだよ、感謝してんだから堅いこと言うなよな」

 そういうと孝明は、黒髪の少年――秦野千影(はたのちかげ)の背中を叩きながら下駄箱を後にした。授業が終わり放課後、二人は校庭を突っ切って帰路につこうとしている。下校の際は皆正門に向かってこの場所を通るため、正門まで延びた人の列は蟻の行列のようだった。

 校庭にでると、春の暖かい風が二人を撫でていった。千影の長い前髪は風になびくが、視界が開けるのをよしとはしなかった。千影は慣れた手つきで、目を隠すように前髪を整える。

「千影はこのあと暇か? もし暇ならちょっと付き合えよ。いつものお礼にジュースくらいは奢るぜ?」

 そういうと孝明は立てた親指を進行方向に向けてポーズを決めた。一体いつの時代に生きてきたのだろうと千影は顔をしかめたが、突っ込むと面倒だと、あえて話題にすることはなかった。

「あ、別にいいけど。どうせいつもの所に行きたいんでしょ?」

「まあな。あそこは俺の聖域……こころちゃんが待っているんだよ! あの愛くるしい瞳、すらっとした身体、胸を突き刺すような歌声、どれをとっても今まで出会ったことのないくらいの最高の美少女だ!」

 話す口調が徐々に大きくなっていき最後は校庭全体に響き渡るような大声を上げていた。高々と上げた拳は天を向いており、降りる気配すらない。その様子に周囲の生徒達は訝しげな目で見てくるがそれは全く気にならない様子だった。

「わかったから。さっさと行ってさっさと帰るよ。俺は」

 孝明はいわゆるオタクであり、いつも放課後はグッズを売っている直売所に顔を出している。ちなみに、こころちゃんというのは、先日発売されたゲームのキャラクターだ。千影から見たら、前に騒いでいたほかのキャラクターとどこが違うのかよくわからない。

「ほんと、それさえなんとかすればもてそうなのにな、孝明は」

 苦笑いを浮かべながら、千影は改めて孝明を見る。短く逆立てた赤毛に、ある程度整った顔。背も平均より少し高めであり、屈託のない笑顔はむしろ爽やかである。孝明に女子の影を感じない理由は明らかであるが、本人は全くそれを気にしていない様子だ。千影は自分と孝明を見比べて、自身の外見の凡庸さにため息をついた。

 長めの黒髪、背も平均的で、顔もとくに二枚目というわけではない。大きくぱっちりとした目は特徴的だが、千影自身はこの中性的な目をひどく嫌っていた。

 

 そんなため息には気づかず、孝明は意気揚々と正門を抜ける。最寄の駅からわずか一駅で孝明の目指す店にたどり着き、馬鹿な話をしながら家路に着くはずであった。しかし、その日は予定通りにはいかなかった。校門を出て少し歩くと後ろから少女の悲鳴と怒号が聞こえたのだ。

「きゃあああぁぁぁー! 誰よ、あんた!」

「待てこらぁぁっ! 下着泥棒っ! 誰か捕まえてっ、そいつ泥棒でーす!」

 二人はその声に振り返る。それと同時に二人の横をサングラスとマスクを付けた見るからに怪しい人間が通り過ぎる。それを追う二人の女子生徒は息を切らし、正門のあたりで立ち止まっていた。そして、恨めしそうにその男の後姿を見つめている。羽織ったジャージの隙間から、競泳水着が見え隠れしていた。

「おいっ、今のが下着泥棒か!?」

 孝明がその男を目で追いながら声を上げる。

「それっぽいね」

 走り去る男の後姿を千影は落ち着いて眺めていた。下着泥棒を追っていた女子生徒は、千影と孝明を見つけると、けたたましい勢いで二人に詰め寄った。

「ちょっと何やってるのよっ! 追いかけてよ! あいつ下着泥棒なんだって! つかまえてよ!」

 その勢いに、後ずさる千影。顔を背けるその仕草は、無関係を装いたいという態度の現われだった。

「いや、ちょっと待ってよ。今からじゃ走っても追いつけないし、そういうのは警察にまかせ――」

 女子生徒は涙目になりながら千影に迫っていた。対する千影は顔を背け目を逸らしその猛追から逃れようと身体をねじる。

「おい、千影。困ってるんだしそういう言い方は――」

 孝明が千影に話しかけ場を収めようとした刹那、四人の後ろに風が吹き抜けた。同時に下着泥棒が逃げた先で鈍い悲鳴が聞こえる。

 悲鳴の方向に視線を向けた四人が見たものは、倒れている怪しい男とそれを踏みつけている少女だった。助けを求めた女子生徒と同じ制服を着ているから、この学校の生徒なのだろう。逆光で顔はよく見えない。

 しかしながら、遠目からもわかるくらいに制服の胸元は盛り上がっており、すらりと伸びた足は細く華奢だ。スタイルは言うまでもなく抜群であり、孝明はそれをみて息を飲んでいる。千影は、倒れた男に突き刺さった足を見ながら、孝明とは違う意味で言葉を失っていた。

 少女は倒れている男を蹴り上げて一瞥すると、千影達へと近づいてくる。お礼を言いに走り出した女子生徒達も同じように近づいていくが、少女の顔が見える位置までいくと急に立ち止まった。

 少女はそんな女子生徒の態度に何も言わずに、取り返した下着を手渡す。感謝するべき場面なのに、女子生徒達は礼もそこそこに立ち去っていってしまった。それを見ていた少女も、特に何もいわずに来た道を戻っていく。

「おい、今の見たかよ。やっぱり恐れられてるんだな、五十川茜いそがわ あかね

 孝明は一部始終を見ながら、どこか納得したように千影に話しかける。

「やっぱりってなんだよ」

「お前だって知ってるだろ? OBSだよ、OBS! 五十川はこの学校で唯一のOBS患者だからな」

「だからって――」

 千影は呆れ、視線をそらし歩き始めようとするが、孝明は千影の腕を掴んで離さない。さらには、耳に口を近づけ、声をひそめて話はじめる。

「それだけじゃない。高速の魔神、五十川茜の伝説しってるか?」

 そう言いながら、孝明は茜について語り始めた。

「この辺りを締めてた不良グループを壊滅させた噂は有名じゃないか。 暴力団の奴らでさえ、あいつが歩くと壁に張り付くってくらい恐れられてるんだよ。さっきの下着ドロを撃退したのだって、きっとOBSの能力をつかったんだろうな。この学校唯一のOBS患者。噂は伊達じゃないな」

「能力じゃない。脳力だ……」

「ん? 何か言ったか?」

「いや、別に」

 ようやく歩き始めた孝明の後を、千影はゆっくりと追いかける。

「でも、やっぱり可愛いよな。普段は教室の端っこで静かにしてるから存在感ないけど」

 千影は、そんな孝明の軽口を適当に流しつつ、ふと後ろを振り返る。すると、茜が立ち止まり千影達を見つめていた。

 千影は咄嗟に視線を外し、すぐさま前を向いて歩き出す。

「ん? どうかしたか? 千影」

「いや、なんでもない……。ほら、早く行こう」

 そう言うと、孝明は再び声を高らかにあげ、まだ見ぬ心ちゃんを思い描いた。そんな様子を見ていた千影は苦笑いを浮かべ、まだ日の沈まない町へと歩いていく。

 千影はというと、拭いきれない不安を感じていた。しかし、すぐさま首を横に振る。そうして、自身を見つめていた視線の意味に、気づかない振りをした。

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