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「こんなところがあったなんて」
茜は自身が通ってきた扉を肩越しに眺めながら呟いた。
「今じゃここは物置ですからね。以前は用務員室として使っていたので、外にでる勝手口があったんです。その勝手口も、学校の中の奥まった部分にあったので普通に過ごしていたのでは見えませんし。扉の周辺はコンクリートで固められているので火災が広がりにくかったみたいですね。無事でよかったです」
がちゃがちゃと物音を立てながら、三人は部屋の中を進んでいく。部屋の中は、取りとめもなく置かれている備品や廃棄物をどかさないと通れないほど雑然としていた。
「よくここを知ってたね。転校したばっかなのに」
「それはもちろん、何かの役に立つと思ったからです。こんな人気のない物置、色々と使い道があるかと思って」
「すごいね。俺はそんなこと考えたこともなかったよ」
千影は素直に関心している後ろで、茜は顔をしかめて肩をすくめていた。
「たしかに、この扉の場所は助かったけど、どうしてあんたはここにいるの? 学校は警察が包囲しているから入れないはずなんだけど」
「それも、色々と手があるんですよ。牛さんにはわからないでしょうが」
茜を見つつ鼻で笑う雪葉。その態度に、茜のいらいらは募っていく。
「でも本当に助かったよ。思ったよりも中は火が回っていないしね。あとは、孝明の居場所だけど……二人は検討がついたりする?」
千影はところどころ炎に揺らめく廊下を見つめながら、思いのほか落ち着いていた。さっきまでの焦りが、まるでなかったかのように。軽口を交わす茜や雪葉のやり取りを聞いていて緊張がほぐれたのか、それとも仲間が増えた心強さなのか。
そんな千影の言葉に二人は考えを巡らせる。そして、一呼吸の後、茜がおもむろに口を開いた。
「孝明って人がいる場所にお兄ちゃんが向かってくれてたら無事も確認できるし手っ取り早いんだけど……場所か。……犯人が人質をとって立てこもるには相応の広さが必要よ。狭い場所だと人質と距離を取ることもできず休息も取れない。何より、閉じこもっているって心理的なストレスが尋常じゃない。でも、ここは学校だから、広さのある空間なんていくらでもある……絞るのは難しい、か」
「そもそも、これだけの爆発を起こしておいて、犯人自らここにいるとは思えないですが。千影様を誘い出す罠か……ただの無謀か」
千影は二人の言葉を聞きながら、自らも思考の波に身を任せる。そして、千影は根本的な部分を失念しているのを思い出した。
「あ……それよりもさ、孝明をさらった犯人ってだれだかわかってるの?」
その言葉を聞いて、茜は思わず声を荒らげる。
「あんた馬鹿!? 空の社に決まってんでしょ!? お兄ちゃんの話、聞いてた? それともあんたは本当に馬鹿なわけ?」
「いや、そういうことじゃなくて――」
食って掛かる茜は今にも千影に掴みかかりそうなほどだった。そんな茜と千影の間に、雪葉は咄嗟に割ってはいる。
「いきなり叫びだして、牛さんは本当に頭の中まで動物並みなんですか? それと、千影様にそんな下品な顔を近づけないでください。汚れます」
淡々と告げる雪葉の言葉に、茜の堪忍袋の尾は切れた。
「あんたねぇ……。さっきから大人しく聞いてればいい気になって。どれくらい人を馬鹿にすれば気が済むわけ? 空の社の奴らのまえに、あんたが叩き潰されたい?」
「あら。あなたにそれができますか? この前、どこかの金髪女にいいように足蹴にされてたあなたに」
「あんただって同じでしょうが……。いいわ、そんなにぼこぼこにされたいなら容赦しないわよ。ほら、かかってきなさいよ」
「いいでしょう、それなら――」
「ちょっと待った! 待ってよ! ここで揉めてる場合じゃないでしょ? とにかく、ほら、離れてって!」
千影は目の前で鍔迫り合いを繰り広げている二人を、必死になって引き離した。
「何すんのよ! こいつが喧嘩売ってきたんでしょうが!?」
「千影様、止めなくても私はこんな牛には負けません。ですから離してください」
「俺の話を最後まで聞いてよ! 誰かって俺は聞いたでしょ? 空の社っていうのはこの間の事件の流れで想像はつくし、五十川さんのお兄さんも言ってたけど、空の社の誰かっていうのは分かってるの? って聞いたんだよ」
その言葉に首を傾げたのは茜だ。茜は少しの間、考え込むとすぐに怪訝な顔を浮かべて問いかける。
「特定はできてないけど……あんたが知ってるのはサラしかいないでしょ?」
「まあ、そうなんだけどさ。学校中を爆破させておいて、大きな被害は火災と窓ガラスくらい。あれだけの爆発だし、学校のどこかが崩れててもおかしくない。でも、現に今、学校はそれほどダメージを負っていないんだ」
「それで?」
「それって、犯人が意図してやったことじゃないかな? 何らかの意味があって爆弾を仕掛けた。しかし、その爆発で学校が壊れては欲しくない。それだけの計算が出来るだけの
知識と技術があって、俺を狙うために誘拐までやってのける、冷酷な人間……それって、爆弾使いの剛腕鬼姫。この前、俺を狙ってきたあいつしかいないんじゃないかな?」
「そうね……サラくらいしかいないかも。もしあいつなら……爆弾が使える場所にいるはずよね」
「それが学校内で出来る場所といえば……」
三人同時に上を見上げ、そして同時に声を発する。
「屋上」
その瞬間に、三人は弾けるように飛び出そうとした。
しかし、その出鼻を挫くかのように、唐突に校内全体に声が響いた。
『さぁて。聞こえてるかい? ……獲物がやっと来てくれたところで、ゲームと洒落込もう。私は孝明とかいうガキと一緒にいるけど、ガキには爆弾をつけさせてもらったよ! この爆弾を止めるためには他の二つの爆弾の起爆装置を停止させなきゃならない。制限時間は……そうだねぇ。一時間ってところでどうだい? 早く来ないとこのガキは死んじまうよ? 私を退屈させないためにも、早く来てくれないと困っちゃうね。それと、あんまりたくさんの人間がいるとつまらなくなるから、これ以上、誰かが入って来れないように一階全体は爆破して入れないようにしようかな。では、心の底から楽しんで、そして楽しませてね。じゃあ、三十秒後に爆弾のスイッチ押すから死なないように。これで死んだら、本当につまんないからね、あは、あはは、あはははははは――プッ――』
放送が終わると同時に三人は目を見合わせると、一斉に階段目掛けて走り出した。
◆
千影達が階段を登り終えた瞬間、三人の後ろからは大きな爆発音が響き、うねるような爆風が三人を襲う。
「うおおおぉぉぉぁぁぁっ!!」
その爆風は容易に三人を吹き飛ばし、廊下の壁へと追いやる。千影は壁にぶつかった衝撃に悶えながら体を起こすと、雪葉と茜はすでに姿勢を正し、爆発した一階を見つめていた。
「間違いないですね」
「あの笑い声。まだ耳にこびりついてる……。首謀者はサラ・ブレイクよ」
言葉を交わしながら視線を動かさない二人からは、感情の色は感じられない。そんな二人を見ていた千影は、混乱している頭を必死に働かせながら、先ほどの放送を思い出していた。
「ね、ねぇ! 一時間って……。爆弾って、あれって孝明が一時間後に――」
「爆発するってことね」
「そんな……」
茜の返答に千影はうな垂れる。絶望が支配したその表情は見ていて痛々しい。そんな千影を気遣ってか、雪葉が千影の横にそっと寄り添っていく。
「千影様。あの金髪女は他にも色々と言っていましたよ。一時間以内に起爆装置を二つ、停止させればいいのです。そうすれば、千影様のご友人に仕掛けられた爆弾が爆発することはありません。あの女が楽しむようなことですから、もちろん罠もあるでしょうが……」
「それでもやるしかないわよね……。お兄ちゃんも校内にいるはずだから、もう一つはきっとお兄ちゃんが解除してくれる。それなら一時間で一つの起爆装置を解除すればいいんでしょ? 余裕よ、余裕」
「でも! 爆弾とか、罠とか、俺そんなのニュースとかで聞いたことしかないし。そんなドラマみたいなこと、俺ができるわけ……」
「ならあきらめるの?」
茜が冷たく言い放った言葉を聞いて、千影は無意識に顔を上げていた。
「あんたはここに何しに来たわけ? 爆発を見て怖いのはわかるわ。私だって怖い。けどやらなきゃいけないことがある。だから私はここにいる。……ならあんたはここになんでいるの? 何しに来たの?」
呆然としている千影の横顔を見ながら、雪葉が優しく言葉を紡ぐ。
「千影様……恐いのはわかります。逃げたっていいんです。危険があれば私が守ります。だから千影様は……千影様は、自分が後悔しない、と思えることをしてください。私はそれについていくだけです」
そして、今度こそ、千影の脳天に雷のような衝撃が走った。そして、自らの甘さに歯噛みする。
そんな千影を見下ろしながら、茜はおもむろに腰から銃を取り出すと、それを千影の眼前へと突き出した。
「これは警察官全員に支給されているエアガンよ。ゴム弾だし本物と比べて威力は劣るけど、それでも人間を無力化することくらいは容易い。私は他に戦う術があるからね。行くなら貸してあげるけど、どうする?」
千影はごくりと唾を飲み込んだ後、無言で銃を受け取った。