プロローグ
俺は親の背中を見て育った。だが、よく聞く様な、ことわざのような意味合いでは決してない。
俺が小学五年生の春だっただろうか。暖かく、よく晴れた日だったのを覚えている。家の前で立ちすくむ俺の視線の先には、どんどん小さくなっていく母さんの背中があった。
「ねぇ、父さん! 追っかけないと、母さん行っちゃうよ? いいの? ねぇ!」
必死で叫ぶ俺の声に、父さんは身動きさえしない。ただ、顔をしかめながら、母さんの背中をじっと見つめていた。
「お願いだよ、父さん! 母さんを連れ戻してよ」
必死に父さんの腕にすがりつく俺の目には、涙が溢れていた。母さんがいなくなってしまうという恐怖が、俺の体を震わせる。
そんな俺に嫌気がさしたのだろうか。父さんは、軽く俺を突き飛ばすと玄関に向かい、いつのまにか準備されていた大きなトランクを持って俺の横に立つ。
「お前のせいなんだよ」
「え?」
唐突に放たれた残酷な言葉に、俺は放心するしかなかった。
「母さんが出て行ったのは、お前のせいなんだ」
父さんの突然の告白に、俺の意識は追いつかない。頭の中では疑問符が浮かび続けるが、その答えは全く出てこなかった。
「だから、さよならだ。千影。もう一緒にはいられない」
父さんはそう言って、母さんと同じように去っていった。あんなに大きかった背中は、どんどんと小さくなり消える。
一人取り残された俺は、どうすればいいか分からなかった。どこからともなく現れた叔母さんはそっと俺を抱きしめてくれた。そしていっぱい泣かせてくれた。
いつのまにか疲れて眠ってしまった俺は、使い慣れたベッドで目を覚ます。一階に下りていったが、おいしそうなパンの焼ける匂いも、耳に響くコーヒーを入れる音も何も聞こえない。静まり返る台所に立ったとき、父さんも母さんもいなくなったのだとようやく悟った。
「あんたも普通の子だったらね……」
そう呟くおばさんの言葉が耳から離れなかった。
俺の記憶に残っているのは、そんな二人の小さな背中。
俺は親の背中をみて育ったのだ。