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妖げんげん  作者: ヒロユキ
第一話 闇よりの歌声
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其の六

「歌、声?」


 そう驚いて振り向いた夜彦の目に、一つの影が映りこんだ。その影は、古びた教室の窓を開け放ち、その歪な窓枠に腰掛けている。

 そして、機嫌よく伸ばした足をぶらつかせつつ、歌を歌っているのである。


「え!?」


 当然ながら、夜彦は驚愕した。

 そんなはずは、ない。

 ここには、

 ここには、夜彦たち以外、誰もいないはずなのだから。先ほどから教室の明かりを付けていなかったとはいえ、夜彦たちに気取られず、この部屋に入ってくることなど、出来るわけがない。

 たとえ、夜彦が気がつかなかったとしても、葛葉がいる。人間ではない、妖の力を持った彼女ならば、暗闇に潜む第三者の気配に気がつかないはずがないのだ。

 だとすれば、今、目の前にいる影は何者なのか。


「幽霊?」


 暗闇に慣れた夜彦の目はすぐにその人物の容姿を認識した。

 その人物はどうやら、この逢間高校の制服を着た少女のようだった。特に姿が半分透けていることもなく、実体を伴ってそこに存在している。

 そして、相変わらず優雅に歌を歌っていた。伸びやかに、儚く……声が響いている。

 それが何の歌なのか、春臣は知らなかったが、どこか淋しげで、か細く消えていきそうな歌だった。

 と、そこで夜彦は彼女の顔を見ながら、あることに気がついた。

 あれ、見覚えがある。

 そう、彼女は昼間、夜彦と共に怪談を聞いていた隣の少女だったのである。

 驚いて、口を開けて、


「あ、あなたは!?」


 しかし、その言葉に被さって、


むじな、か」


 という葛葉の言葉が聞こえた。驚いて振り向く。葛葉の目はまっすぐに窓辺の少女を見ていて、夜彦が見ている人物が幻ではないことを告げていた。

 いや、

 いやいや、それよりも、

 今、葛葉は何と言った?


「む、狢だって!?」


 夜彦は驚嘆した。


「む、む、狢って、狐や狸と同じように、人を化かすって言われてる動物の妖じゃねえか!」

「そうだ」


 事もなげに彼女は言う。


「そ、その、狢が、彼女?」


 震える指で夜彦は窓辺の少女を指さした。すると、歌が止んだ。


「ご名答よ」


 窓枠に座っていた少女が、喋った。夜彦の言葉を、肯定した。

 彼女は微笑を浮かべると、ふわりと窓枠から降り立ち、そっと夜彦たちと向かい合った。そして、スカートの端をつまんで上品にお辞儀をする。


「今はご覧の通り、人間の少女に化けてるの。どう、可愛いでしょ?」


 急にそんなことを聞かれても、状況に困惑している夜彦は、返事に窮してしまう。


「え、ええと……」


 まごついていると、葛葉が先に喋った。


「私の予想通り、やはり、来たようだな」

「え? やはりって、知ってたのかよ!!」


 それはまたしても驚愕の事実だった。


「な、なんで、どうして!?」


 しかし、その大声に驚いたのか、葛葉は頭の両耳をすぐさま塞ぐ。ただでさえ人間よりも敏感な白狐の耳の近くで大きな声を出してしまったので、刺激が強すぎたのだろう。彼女の顔が苦痛に歪んでいる。


「――っく。全く、性懲りも無くうるさい奴だ。少しは自重しろと言ったはずだぞ!」


 そうして、「えいっ!」とばかりに、夜彦の向こう脛を思い切り蹴りあげた。


「いっっってええ!」


 強烈な痛みに耐えられず、夜彦は足を抱えながら片足立ちで跳ね回った。ひいひい声が出て、涙が出る。全く葛葉は加減というものを知らない。


「馬鹿夜彦! お前は少しは静かにしろ。でないと説明してやらんぞ」

「わ、分かった、静かにするから。どうして知ってたのか、説明してくれ」


 ふん、と彼女は腕組みをして、ようやく落ち着いた夜彦の肩辺りを見る。


「なあに、簡単なことだ。夜彦の服についていたんだよ。僅かに妖力の含んだ狢の毛がね」

「え?」


 そう言われてみれば、と夜彦は思いだす。

 夕方、葛葉が自分の方を不思議そうに見つめていたことを思い出す。あの時は、夜彦と目が合うと視線を逸らしてしまったが、あれは夜彦の服についていた物を見ていたのか。


「それがまだ新しいものだったから、おそらく、昼間、お前がどこかで知らぬうちに付けてきたのだろうと私は推測した。そして、昼間といえば、お前は逢間高校にいる時間帯だ。だから、私はこの高校に何か普通ではない、妖の類がいると判断したのだよ」

「ああ、なるほど。それが、気になってたわけだ」


 だから、急にやる気になり、今日学校に見に行こうなどと言い出したのか。


「ふん、まあな」

「あなた、白狐ね」


 窓辺に座っている少女、狢が話しかけてきた。葛葉が答える。


「いかにも」

「もしかして、ここはあなたの縄張りなの?」


 その言葉に、葛葉は一瞬意外そうに目を見張った。そして、すぐに首を振る。


「いや、縄張りというよりも、私の管轄内、と言った方がいいか」

「管轄? 面白いことを言うのね」

「そうだ、この町に住む妖たちは全て、私の管轄になる。なにか揉め事が発生したり、危機に瀕した妖たちがいたら救済するのが私の役目なのだ」


 すると、それを聞いた狢の少女は不思議そうに目をぱちくりさせた。


「救済役ですって?」

「そうだ。私はこの世ではない、別世界から遣わされた白狐だ。この世とその別世界、幻妖界げんようかいを結ぶ門の守護を任された幻門白狐げんもんびゃっこだ」

「幻門白狐……聞いたことがあるわね」


 ふむう、と狢の少女は思案顔になる。記憶を掘り返しているようだった。

 しかし、せっかちな葛葉は、詳しく説明してやらない上、彼女が思い出すのも待たずに、そのまま話を進めた。


「さっきの言い方だと、そっちもここに居座っているわけではないようだな」

「うん?」


 狢の少女は、思考を止め、すぐに考えを切り替えたようで、


「ええ。私はいろいろなところを巡っているから。同じ場所にいるのは好きではないの」

「特に縄張りを持っていないのか」

「そうなるわね」

「では、居場所を奪われたり、という類の面倒事はないと?」

「もしそんな面倒事があったら、あなたがどうにかしてくれるの?」


 まるで試すような表情で、狢の少女が聞いた。それに対し、葛葉は自信に満ちた顔で答える。


「もちろんだ。私はそのためにここにいる。居場所がなければ、安全な幻妖界へ案内してやるぞ。その他も出来ることなら支援してやれる」

「あら、頼もしいのね。私の知らない内に、こんな便利なサービス屋さんがこの世界に来てたなんて、時代は変わったものね」


 ふっと、彼女はため息をつく。

 そうして、桜並木の向こう、夜彦たちの住む、町を見た。そこは消えることのない町の灯りが煌々と光っていて、それは常に絶えることなく、闇を、遮っている。

 彼女はそれを見て、そっとまぶしそうに目を細めてから、俯いて、目を閉じた。


「困っていることはないわ。私は毎日楽しいもの」


 しかし、夜彦には、その言葉の端に、どこか悲しみの欠片があったような気がした。それがどういう物なのか、よく、分からなかったけれども。

 そして、それきり、三人が黙ってしまった。なにも動かない沈黙の中で、闇だけが生きて呼吸しているように感じる。どうにも気まずい。夜彦は生唾を飲み込む。

 と、


「そういえば、あなた。昼間の教室にいたわよね」


 急に狢の少女が夜彦に顔を向けた。いきなりだったので、夜彦はどぎまぎした。


「は、はい」

「またこんな場所で会うなんて奇遇だわ。お互い、気が合うのかしら」

「え?」

「二人とも、怪談が好きみたいだし」


 そう言って、彼女はにこりと笑う。その表情には邪気がなく、まるで普通の友人と接しているかのような親近感を、夜彦は感じた。


「そうですね」


 と相槌を打った。

 しかし、夜彦には疑問がある。そもそも彼女はここに何をしにきたのだろうか。


「あのう、あなたは、昼間の怪談を聞いて、たまたま今日ここへ?」

「そうよ。何だか面白そうだったし」


 と、彼女は答えたが、夜彦の表情を見て、驚いたように口元に手を当てた。


「あら、もしかして、私が怪談に登場した、歌を歌う妖だと思ったの?」

「ええ、まあ」

「ふふ、残念だけど、それは違うわ。私は、さっきも言った通り、単なる通りすがりよ。ここに妖が出現したというのは、そっちの推理通り、単なる勘違い。私は何もしてないわ」

「そ、そうですか」


 夜彦は声を落として、さらに肩を落とす。やはり、妖などここにはいなかったのか。


「がっかり、した?」

「へ? いえ、そんなわけないです」


 と、慌ててぶんぶんと頭を振った。


「これで明日学校に来たら、歌声が単なる風の音だったって話せますし。それに、あなたにも、出会えましたし」

「あら?」


 狢の少女が目を丸くして、微笑を浮かべた。


「それって口説いてるの?」


 するりと、音もなく近寄ってきて、夜彦の瞳を覗きこむ。突然のことに、夜彦は身動きが取れなくなってしまった。


「え? あ、あ、いやあ、そういうんじゃ、なくて、ですね……」

「夜彦、お前、顔が赤い」


 葛葉はなぜかむすりと頬をふくらませている。


「ち、違うんですよ。ただ、ええと、俺は……ですね」


 すると、

 くすくす……。

 気がつけば、狢の少女はとても我慢出来ないという風に、口元を押さえて笑っていた。


「あ、あれ? あのう?」

「ふふふ、ごめんなさい。いいわ、答えなくて。私が意地悪なことを言ったのがいけなかったのね。ちょっとからかってみただけなのよ」

「は、はあ」


 夜彦は赤面したまま、頭を掻いた。ほっと安堵すると同時に、恥ずかしくなる。全く、夜彦はこの手の冗談に、昔から免疫がないので、どう扱っていいものか、いつも困るのである。

 自分はどうやら、彼女にいいように弄ばれてしまったようだった。


「じゃあ、話を変える意味で、ちょっと私から質問してもいい?」


 笑い終わった狢の少女がそう言った。


「は、はあ」


 特に構わないので、夜彦は頷く。


「あなたたち、二人のことなんだけど」

「なんですか?」

「あなたたちって、どう見ても普通の人間と妖よね」

「そうですけど。それが?」

「あのね、妖の私から見れば、とても不自然に見えるのだけれど、どうして、人と妖が一緒にいるの?」


 彼女は心底不思議そうに目を細めて夜彦たちを見ていた。夜彦は合点がいく。

 ああ、そうか。そりゃ、本来、存在的に相反する人と妖が一緒にいたら驚くよな。


「ああ、これは――」

「別に、一緒にいたくて一緒にいるわけじゃない。私は付きまとわれてうんざりしてる」


 説明しようとした矢先に、葛葉の素っ気ない言葉が被さった。


「お、おい、葛葉。そういう言い方すんなよ。俺はお前のためにいろいろ怪談を聞き集めてるだろ」

「それをお前に頼んだ覚えは無い。何度言ったら分かる。私は静かに暮らしたいのだ」

「お前なあ……俺がいなかったら、今頃どうなってた? うん?」

「私はお前がいないほうが、もっと健やかにのびのびと生活していたことだろう」

「な、なにをおおお!」


 夜彦と葛葉がそう睨み合っていると、それを見ていた狢の少女はまたしても、愉快げに笑った。


「ふふふふ。あなたたちって面白いのね」


 それに対し、


「全然面白くないです」

「全然面白くない」


 二人で同時にそう返してしまい、夜彦と葛葉は一瞬それに驚いた後、もう一度睨み合った。





「じゃあ、そろそろお別れにしましょうか」


 しばらく三人で昼間の怪談の話に花を咲かせた後、狢がそう切り出した。その表情は満足気で、夜彦は彼女の本来の姿が妖であることをすっかり忘れそうになっていた。まるで、もうすっかり、旧友と語らっているような気がしていた。

 彼女は言う。


「私はここに来たら面白いモノに出会えるかと思ってきたけど。これはよっぽど不思議な体験が出来たわね。そう、人と妖が、ねえ……どういう事情なのかは知らないけれど、貴方達は二人で一緒にいるのが似合っている気がするわ」

「なるほど、それは慧眼けいがんだな。それだけ頭のいいあんたなら、私の助けはいらなそうだ」


 顔をしかめた葛葉が嫌味たっぷりに言う。それに対しても、狢の少女はにこやかで、くるりと方向を変えると、教室の窓の方へ歩みだした。


「今夜は楽しかったわ。あなたたちに出会えただけでもね……ねえ、あなた」


 すると、狢の少女は、首だけ夜彦に向けた。


「はい?」

「あなたは、この世の不思議な事に興味があるのね?」

「はい」


 そう答えるが、ちょっと迷ってから葛葉をちらりと見て、


「でも、ちょっと興味があり過ぎかもしれませんけど」


 と、今日の失敗を思い出し、苦笑気味に付け足した。

 しかし、


「そんなことはないと思うわ」

「え?」

「私は、嬉しいのよ」


 彼女は実に軽やかに、明るく、そう言った。その表情には、先ほど、窓の向こうを眺めながら見せた悲しみの気配は、ちっとも感じられなくなっていた。


「まだこの世界にそういう人間がいてくれてるのが。本来ならば妖なんて、恐れてくれる方が、普通なのかもしれないけれど。それが、一番いいのかもしれないけれど……」

「……」

「でも、あなたのような人がいてくれてもいい。私はそう思うの。私はね、あなたが気に入ったの。だから、この世の不思議を求めるその心、大事にして、失わないでね」


 そう言われた途端、夜彦は心がそっと軽くなるような気がした。


「は、はい」


 このままの自分でも、悪くはないのかもしれない。何だか、救われたような心地である。

 すると、葛葉が白い目をして狢の少女を睨んだ。


「あまりこいつを迂闊に褒めないで欲しい。簡単に増長する奴なんだ」

「お、俺は増長なんかしないぞ。勝手に決め付けるな」


 夜彦が声を荒げると、狢が頬を緩ませる。


「あらあら、また仲の良い喧嘩が始まりそうね。それを見ていてもいいんだけれど、私はそろそろ帰るわ」

「そうだな、それがいい。私もそろそろこの男との不毛なやりとりに飽きてきたころだしな」


 夜彦はそれに対し、また言い返そうとしたが、それではもはや本格的に終わりがこない。いい加減に口を閉じた。

 そして、窓辺に顔を向けると、狢の少女と目が合った。


「じゃあ、また会えたらいいわね」


 一度、夜彦にウインクをして、彼女は、窓から飛び降りる。すると、ふわりと風にその髪が舞い上がって、ぱっと霧散した。彼女は跡形もなく、風の中に消えてしまったようだった。

 後にはただ、桜の花びらだけが宙に舞っている。

 もう、彼女は風に乗って、どこかに行ってしまったのだろう。


 夜彦は、なんとなく名残惜しい気持ちになって、しばらく窓の向こうを眺めていたが、目を閉じて、すっと一度深呼吸をすると、葛葉の方に向き直った。


「いい匂いだなあ。桜の匂い」

「む、まあ、そうだな」


 すると、タイミングよく、くうう、と彼女の腹の虫が鳴いた。


「おお、ちょうどお腹も減った」


 彼女の眼の色が変わる。どうやら、わがままスイッチがオンになってしまったようだった。


「肉まんでも食いたいな」


 そのあからさまな要求に、夜彦はうんざりしながらも、それを呑む。


「いいぜ。それもまた、おいしそうな匂いがする物だしな」

「私は、そうだな……中華まんと豚まんの二つでいいぞ」

「げ、二つ買うこと前提かよ」

「当たり前だ。学校まで来て、結局のところ全くの無駄骨だったのだからな。なんならもう一つ追加してやってもいいんだぞ」

「いや、さすがにそれは勘弁して下さい」

「ふふふ、ようし。それでは先にコンビニで待っているぞ」

「え、おい、ちょっと待てよ。俺を置いてくなって」

 

 急に背を向けて走りだした葛葉の後を追って、夜彦の影は、夜の校舎に消えていく。

 教室には、もはや、誰の影もない。


 開け放たれたままの窓から、香しい春の風が吹き込んでいた。

 

第二話は一ヶ月後辺りの完成を目安に書こうと考えています。

早ければ3月の下旬には更新できるかなー? あくまで予定ですが。


それでは、また近いうちに会いましょう。ヒロユキでした。

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