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妖げんげん  作者: ヒロユキ
第一話 闇よりの歌声
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其の四

 神社の石段に腰掛け、持っていたコンビニ袋を開けると、葛葉は満足そうに頬を緩ませた。

 中からクリームにたっぷりココアパウダーのかかったケーキを取り出し、フタを開けると、ひとまず、クンクンと匂いを嗅ぐ。

 少々非常識で不躾な行動だが、それは彼女が本来人間ではなく、狐であるが故の本能的な行動なのだろう。手にした獲物が上等な物であるか、確かめているに違いない。

 ややあって、彼女は何かに納得したように頷くと、むふうと鼻をふくらませ、嬉しそうにスプーンでケーキを頬張った。

 夜彦は、その様子を同じくコンビニで買ってきた唐揚げをつまみながら、眺めていた。彼女の寝起きの機嫌の悪さがどうなるかと思っていたが、とりあえず、反応は悪くないようで、安心する。

 そして、唐揚げを一つ飲み込むと、


「ほら、ケーキを買ってやったんだからさ。俺の話を聞けよ」


 こう訊いた。

 すると、それまでスプーンを咥えて、至福の一時に浸っていた彼女だったが、急に表情を曇らせ、不愉快そうに口元にシワを寄せた。


「おい、そこの少しマシな馬鹿。誰がそんなことを約束した?」


 と、半眼で夜彦を睨みつける。

 彼女の再びの馬鹿発言に、夜彦はカチンとくるものの、そこは言葉には出さずに抑えこむ。ここで言い

争っては、今日の計画は丸つぶれなのだ。それに、紳士というものは常に冷静で在らねばならない。


「たしかに、約束はしていないが、こういう時は、ケーキを奢ってもらった恩返しとして、話くらい聞くのが礼儀だろう」


 と、彼女の機嫌をこれ以上損なわないよう、ゆっくり焦らないよう話す。

 しかし、彼女はそれを鼻で笑った。


「あのなあ、夜彦。恩返しというものは、だ」


 そう言って、スプーンを夜彦の顔に突きつけるように向ける。


「あ、あん?」

「本来誰かから強要されるものではなく、自らの良心に従い、自発的に行うものだ。違うか?」

「……うへえ」


 まさか、そこにツッコミが入るとは。予想していなかった夜彦は、唐揚げを落としてしまいそうになった。

 葛葉はというと、スプーンで着々とケーキを口に運びつつ話す。


「はむ、もぐもぐ……私はだな、夜彦。お前に言われるまでもなく、私がお前から受けた恩を返すにあたり、何が適正であり、何が適正でないのか、見極めるだけの力がある。それはお前にいちいち指摘されるまでもないことだ」

「じゃあ、適正な判断を下した結果、現時点で俺の話を聞く気はない、と」

「うむ。まあ、そういうことだな……はむ、もぐもぐ」


 これにはとりつく島もない様子で、夜彦はうんざりする。

 どうやら、彼女の気分は、すこぶる悪いらしい。睡眠を妨げられたことをまだ根に持っているに違いない。

 それくらい、もう許してくれよ、と夜彦は思う。今日は話をするためにここに来たっていうのに。


「じゃあ、ちなみに聞くが、葛葉にとって俺に対する恩返しってなんだよ」

「うむ?」

「だから、適正に、判断するんだろ?」

「そうだな……ふうむ」


 すると、彼女は考えに迷っているようで、すっと目を伏せた。

 しかし、その仕草はそれっぽく見せているだけで、内心、面倒くさそうだった。いちいち真面目にそんなことなど考えていられるか、という彼女の心情が微妙な仕草から見え隠れしているように、夜彦には感じたのだ。

 彼女は元来、いい加減な所がある。何をするにも適当だし、どうにもやる気を感じない。いつ会ってもこの近所をぶらぶらしているだけで、生きるということにすら、何ら目的を持っていないように見えるのだ。今回も、わざわざケーキくらいで夜彦に恩を返そうなどとは、本気で思っていないに違いない。

 適当にはぐらかされるかと思ったが、

 しばらくして、ふう、と彼女はため息をつくと、意外にも、


「仕方がない」


 と夜彦を見た。


「今度来るときまでに、お前の分のねずみの肉を用意しておこう」

「いらねえよ!!」


 思わず、夜彦はそう叫んで彼女の傍から飛び退いてしまう。

 冗談ではない。ねずみの死骸なんて!


「おや? 私は食べ物のお返しには、やはり食べ物がいいかと思ったのだが。気に入らなかったか?」

「ああ、お前は何か、俺の体が未知の感染病に侵されちまえばいいとでも思ってるのか。冷や汗もんだぞ」


 夜彦は額を拭う。腕には鳥肌が立っていた。

 彼女のニヤケ顔を見るに、明らかに冗談ではあるだろうが、夜彦は彼女が本来獣であり、妖であることを改めて実感した。


「そうかそうか、葛葉は普段そういう物を食べてるんだよな」


 見た目は、たしかに人間の少女であるが、その中身は紛れもない人外の生命体なのである。つまり基本的に、人間とは食べるものが違う。夜彦たちが普段、汚らしくて、見るのも不快なほどの物体を彼らは貴重なエネルギー源として、食しているのだ。

 夜彦が遠巻きに彼女を見ていると、


「何だ、軽蔑するような目で私を見るな」


 失礼だな、夜彦は、と葛葉は口を尖らした。


「いやあ、軽蔑っていうか、気味が悪いっていうか、不潔っていうか」

「何を言うか。もっと尊敬の眼差しを向けろ。褒め称えよ。私ほどグルメな妖はざらにはおらんぞ」

「はあ?」

「私はだな、夜彦。この世のありとあらゆる食べ物に興味があるのだ」


 彼女はそう言って大げさに胸を張る。まるで、世界に向けて演説をする博愛主義者のように、その両腕を広げて見せる。

 しかし、一方で、夜彦は彼女の普段の食事風景を想像してしまい、気分が悪くなっていた。そっと袋に入った唐揚げをつまみかけるが、上手く飲み込める気がしなくなり、そっと袋に戻す。すっかり胃が縮こまってしまったようだ。


「ほ、ほら」

「何だ?」

「こ、これもやるよ」


 夜彦は彼女に残りの唐揚げを差し出していた。これ以上はとてもじゃないが、口に入れられる気がしない。それを見た葛葉はきょとんとした。


「どうした。まさか夜彦、お腹がいっぱいなのか?」

「あ、ああ、まあな」

「いったいどうした、育ち盛りの高校生男子ともあろうものが。こんな少食では、勉学と運動は両立できないぞ」

「ああ、あいにく勉強の方は半分諦めてるんでね」

「はあ……」


 彼女は少しだけ不思議そうに夜彦の顔を覗き込んで、


「では、ありがたくもらおうか」


 と受け取った。

 そして、彼女は早速、唐揚げを口に入れる。その瞬間、彼女の小さく薄紅色をした可憐な唇に、夜彦の視線が注がれた。まだどこか子供のようなあどけなさの残るその可愛らしい同じ唇で、身の毛もよだつ血みどろのハラワタをはむはむ食い漁っているところを想像すると、ゾっとする。

 夜彦は頭を振って、その嫌なイメージを脳内から振り払った。


「うむ、なかなか美味だな。コンビニの食べ物は、やはり日に一度は食すべきだ」

「……グルメを名乗ってる奴が言うことかよ。おもいっきり不健康そうだが」


 夜彦はげっそりしながら指摘する。


「何を言うか、夜彦。食事はおいしくなければ始まらないのだ。体に良いか悪いかは、はっきり言ってどうでもいい。そんなことは後回しなのだ、夜彦。食事とは、第一に、楽しむべきものなのだぞ」

「へえ」

「最近は、ダイエットだの、時間がないだの、満足に胃の腑を満たす食事をしない人間がいると言うが、これは由々しき事態だぞ。ただ養分を補給するためだけに食事をするなら、栄養ドリンクを点滴でもしておればよい。食べ物を楽しまぬ食事は食事とは言わん」


 ここでまさか、食事について一講釈垂れるとは。彼女は怒ったように次々と唐揚げを口に入れていく。


「はあ、左様か」

「そうだ。夜彦、あそこを見るのだ、あのコンビニの自動ドアから漏れてくるおいしそうな匂いを嗅げ。あの香しい、フライドチキンの……」


 食べ物を口に入れたまま下品にもあれこれ喋っている彼女に対し、


「……匂いに、ねえ」


 と相槌を打って、そこで、夜彦はあることを思い出した。


「そうそう、匂いと言えばな。今日はいい匂いだよな」

「うん? いきなりどうした?」


 彼女が話しながら、唐揚げを口に運ぼうとして、その手を止めた。


「いや、桜の匂いだよ。学校の校庭にさ、桜が植えてあって、ちょうど今、満開なんだよな」


 突然何を話しだすのかと、彼女は目を瞬かせた。はむ、と不審げに唐揚げをまた一つ食べる。


「学校の音楽室からも、その桜が見えるんだけど、実はさ、二日前にな……」


 そこで、ぴくり、と彼女の鼻が怪訝そうに動いた。


「お前、それはもしや、先ほど聞いてきた、という話ではないのか?」

「ああ、そうだが」


 すると、彼女はずっしりとした、重い溜息を吐く。


「私は聞かないと言ったはずだが」


 しかし、ここまできて夜彦も引き下がれない。


「まあまあ、葛葉、ケーキの残りもあるんだし。ゆっくり食べながら聞けばいいじゃないか」

「……仕方ない。聞くだけだぞ」


 すると、放っておいても夜彦が喋ると察知したのか、彼女は渋々了承した。

 そして、ようやく彼女の許可を得た夜彦は意気揚々と昼間に聞いたばかりの話を嬉々として彼女に話し始めた。夜彦としては、この事件がいかに不可思議な魅力に満ちていて、そこに、真実を見出す必要性があることをを精一杯表現した。

 その間、彼女はというと、始終、ケーキをつつきながら、相槌を打っていた。

 そして、話が終わって……。


「どうだ? なかなかエキセントリックで、ゾクゾクするだろ?」


 興奮覚めやらぬといった風に夜彦が訊くと、彼女は暢気に大きなあくびをした。


「えきせんと……? いや、ただ、退屈で、眠ってしまいそうな話だなあっと。ふわあああ」

「俺の話は子守唄か! きちんと話聞いたろ。実害が出てるんだ。吹奏楽部の皆さんが困ってるの。調査に行かないと」


 これには、夜彦も憤慨する。あれほど必死に話したというのに、彼女はほとんど上の空だったのだろうか。

 しかし、彼女は意外にも、


「……分かった、分かった」


 と俯いたまま、降参するように手をひらひらさせた。


「え、い、いいのか?」

「はあ、何だか行かなければお前がいつまでもうるさそうだし、な」


 と肩をすくめる。


「やったああ!」


 夜彦は両手を上げて石段から飛び上がった。これで、話の中に出てきた妖に会いに行けるのである。いやが上にも気持ちは盛り上がる。

 そんな夜彦に対し、葛葉は胡乱な目つきを向ける。


「しかし、お前はあれだな、つくづく物好きな奴だな」

「え?」

「普通の人間はそんなに怪談や妖に執着したりしない」

「執着って……みんな怖い話好きだぜ?」

「夜彦の場合はその一線を越えている。そういう話に興味を持つだけでなく、妖という存在に日常的に接し、これほど慣れ親しんでいるというのがおかしいと言うんだ。ドがつく物好きなのだ、お前は。変態だな、変態」


 横目で睨まれて、夜彦は持ち上げた腕をだらんと垂らす。


「酷い言われようだな」


 自分はそんなにおかしいのだろうか。確かに、怪談話の匂いを嗅ぎとるという常人離れの能力はあるが。


「おかげでこっちはいい迷惑なんだ。少しは察してくれると助かる。妖と関わるのは面倒なことが多い」

「自分もその妖の仲間じゃないか」

「そうだ。だからこそ、分かるし、嫌なんだ。私はもっと自由奔放に暮らしていたい。面倒ごとは御免だ」

「でも、なんだかんだ言ってさ……」

「うん?」

「調査には協力してくれるんだろ」


 夜彦が念を押して訊くと、彼女は渋々首を縦に振った。


「ふん。仕方なくな」


 その仕草を見ながら、夜彦は、やはり本質的な部分で彼女は優しいのだと改めて感じる。

 神社の階段に、そっと春の風が吹いた。見上げた空はほんのり赤く染まった夕暮れで、カラスが山へと飛び去っていくのが見える。穏やかな一時である。夜彦はなんとなく、空を眺めていた。


 と、ふいに、こちらをぼうっと見ていた彼女の視線に気がついた。なにやら、不思議そうな顔をしていたが、夜彦と目が合ったことに気がつくと、ムッとした表情になり、目をそらす。

 何かあったのか、訪ねようと肩を叩こうとしたが、それを彼女は察知していて、たちまち手を叩かれた。

 全く、嫌われたもんだ。

 夜彦は仕方なく、彼女の綺麗な髪を眺めることにした。彼女に気がつかれないよう、上から下から慎重に見つめる。

 うん、今日はいつにも増して、とびっきりにさらさらだな。

 それに、シャンプーをしているわけではないのに、相変わらずの、この不思議な甘い匂いだ。嗚呼、いいなあ。いいなあ、彼女の銀髪。触りたいなあ。

 そして、そんなことを思っていると、しばらく、無言の時間だけが過ぎた。

 唐突に、葛葉が口を開いた。


「しかし、逢間高校ねえ」


 何の脈絡もなかったので、夜彦は一瞬ぽかんと呆けた。


「あん? 高校がどうかしたか?」

「いやあ、あそこはいつ見てもおんぼろで、いかにも妖が好みそうなものだと思ってな」

「……? あ、ああそうかもな」


 夜彦は頷く。彼女の言うとおり、夜彦の通っている逢間高校は、かなり古い歴史がある建築物で、ずいぶん前に一度校舎が建て替えられたものの、それ以降、一度も改修などの補強工事は行われていない。

 そのため現在では、壁はひび割れ、廊下は様々な傷でぼこぼこ、部屋は湿った埃の匂いがする。生徒たちからは、何度か綺麗にしてほしいという要望が出ているはずなのだが、予算がないのか、そもそもやる気がないのか、未だ実現する気配はない。


「夜彦、私はやるならさっさと決着けりをつけるつもりだ」


 急に彼女は立ち上がって言った。


「え?」

「調査は今夜にする。夜の十一時に学校の前に集合だ」

「い、いきなりかよ」


 彼女の唐突な宣言に夜彦は目を白黒とさせた。


「さ、さすがに急すぎないか?」

「お前、善は急げという言葉を知らないのか?」

「し、知ってるけどもさ」

「じゃあ、決定だ」


 一度決めたら、夜彦にろくに言い返す暇も与えない。相変わらずの彼女だった。

 しかし、こんなにも急に決めるなどと、彼女は何か考えでも思いついたのだろか。立ち上がった彼女を見上げながら、夜彦は思う。しかし、考えたところで分かるはずもなかった。


 まあ、そんなこんなで、計画は今夜に決まった。


この先しばらくは、二日間隔で更新していこうと思います。

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