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妖げんげん  作者: ヒロユキ
第四話 白と黒
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其の二

 それは五月にしては蒸し暑いある日の放課後のことだった。

 高校生の八守中夜彦は学校帰りの制服姿のままで、とある神社の赤い鳥居の前に立っていた。その姿は、全力疾走をした後であったため、かなり乱れている。シャツはしわくちゃ、髪の毛はぼさぼさ、額は汗まみれで髪がひっつき、靴は前日に降った雨の水たまりの泥を被って酷く汚れていた。

 しかし、彼にはそんなものはお構いなしな様子が窺えた。ただ一つ、大事そうに手に新聞紙を握っていた。

 彼が走ってきたのは他でもない、その新聞に書かれた内容が非常に興味深いものだったためだ。


「葛葉ー!」


 彼はその神社に住まう、妖狐の名を呼ぶ。


「いるんだろう、返事してくれー」


 人気のない境内に、夜彦の声が吸い込まれるように消えていく。まるで、この神社は何か別の生き物の擬態で、彼の声はその生き物の口の中に消えてしまったようにも感じる。

 何も聞こえない。返事もない。

 虫の羽音一つ聞こえなかった。

 この神社の主は不在なのだろうか。夜彦は首をひねる。

 大抵この時間、彼女は、神社の屋根の上ですることもなく寝っ転がっているものだが。

 夜彦はがっかりして足元の石を蹴飛ばす。全く、この非常事態に彼女はどこをほっつき歩いているのだろうか。俺の気持ちも知らずに暢気なものである。

 と、一拍置いて、


「ぐわー」


 背後から奇妙な声が聞こえ、驚きのあまり、夜彦はつんのめって前に倒れた。思い切り膝頭を打ち、のたうちまわりながら、痛みを堪える。


「だ、誰だ、何しやがる!」


 と涙目をこすって顔を上げると、そこに立っていたのは、お菓子の袋を抱えた葛葉だった。

 夕暮れの光をバックにしているため、彼女の自慢の銀髪が黄金色を染められて輝いているように見えた。その美しく整った顔つきで、ポリポリとお菓子を頬張りつつ、倒れた夜彦を見下ろしている。


「く、葛葉じゃないか!」

「むふん、やはりお前はからかい甲斐のあるやつだな」


 にやり、と意地悪く笑うその口の端に、どこか人間的ではない妖しさが漂っていた。


「海老反りになってひっくりかえる様は見ていて滑稽この上なかったぞ」

「人を転ばしといて言う台詞かよ、それ。俺が怪我でもしたら責任取ってくれるんだろうな」


 すると、彼女は眉をひそめ、


「責任……」


 とお菓子を入れた口でもごもごと口ごもる。


「そうだな、済まなかった。お詫びがしたい、ちょっと口を開けてみろ」

「あ、あん?」

「ほれ」


 すると、彼女は夜彦の前に屈みこみ、お菓子の袋から中身を一摘み取り出すと、夜彦の口の中に放り込んだ。


「コンビニで売っておった新作のお菓子だ。私はこの『バリバリチップス』が好きでな、いつもよく買うのだが、今回のはまた一段の味が濃厚で旨いぞ。お前も食うといい」

「ひょ、ひょうか、ひょれはありがと……」


 お礼を言いかけて、ぐっと息が詰まる。舌が痺れている。口の中が熱い!


「か、辛いぞ、これ!」

「くっくっく、そりゃそうだな。何しろ、新作の風味は、激辛唐辛子。口の中が焼けるウマさ、という奴らしい」


 彼女はパッケージの文字を読みながら上機嫌そうに笑う。その一方で夜彦は涙目になりながら、ようやくそれを飲み込んだ。だが、未だ舌の痺れは取れない。夜彦がひいひいと息をしていると、さすがに悪いと思ったのか、葛葉はペットボトルのジュースを差し出してきた。またしても何かの罠ではないかと手を伸ばすのを躊躇っていると、


「大丈夫だ。もうイタズラは満足した」


 と、言う。

 やれやれ、と肩を落としながら、彼女から受け取った飲み物を飲むと、ようやく夜彦は一息ついた。


「どうだ、もう大丈夫か?」

「あ、ああ。まだ喉の奥がヒリヒリするけどな」


 と、そこで、夜彦は葛葉に緊急の用事があったことを思い出す。右手に握っていた新聞紙を広げた。


「そうだ、つい忘れるところだった」

「何が、だ?」

「……焼けるんだ」

「ああ、口の中が焼けたか、それくらい旨いだろう」

「そうじゃない、人が焼けた」


 すると、それまで上機嫌そうだった彼女の表情から、陽気な光がさっと消える。


「……どういうことだ?」

「ニュースを見ていないのか?」

「私は人間のテレビなんぞには興味がないからな」

「じゃあ、これを見てくれ。今日はそのために新聞紙を持ってきたんだ」


 夜彦は手に握っていた新聞の切り抜きを彼女に渡す。怪訝そうにお菓子を口に運びながら、葛葉がその見出しに目をやった。

 そこには『謎の通り魔事件、あらたなる犠牲者!』と明朝体の文字で大々的に書かれている。


「通り魔事件?」

「最近多発してんだよ、この町で」


 すると、葛葉は驚いたのか、目を丸くした。


「この町で、か?」

「そうだよ。物騒な話だろ」


 夜彦はそう言いながら、彼女を反応を見て、一まずは興味を持ってくれたようだと安心する。よし、出だしは上々だ。


「新聞を読んでくれたら分かると思うけれど、もう既に犠牲者は三人。昨日の晩の新しい事件を含めると四人だ」

「もう、四人も」

「ああ。その犠牲者たちは年齢も性別もバラバラで、警察は無差別の連続通り魔事件だって推測している」


 朝のニュースで話していた内容を夜彦はそのまま葛葉に告げる。


「ふむ、通り魔か。不穏な話だが、その犠牲者たちは何をされたのだ?」

「ああ。そこが奇妙なんだけれど、全員が漏れ無く火傷を負ってるんだ」

「火傷?」


 葛葉が鸚鵡返しする。しかし、その時、夜彦は彼女が単に事実を確認するためにそうしたのではなく、何か特別なことに気がついたかのような気配があったのを察知した。

 どうしたのだろう。


「……うん」


 と夜彦は逡巡しながらも頷く。


「皆、夜道を歩いているところで背後から襲われて、燃やされたんだ」

「それで、犠牲者たちは皆死んでいるのか?」

「いや、そうじゃないよ」


 夜彦は首を振る。


「全員体の一部に火傷を負ってはいるものの命に別状はない。意識もはっきりしている。だから、事件にあった時の記憶も覚えてるんだけれど……」

「何だ?」

「不思議な事に、誰も犯人の顔を見ていないんだ」


 むう、と葛葉が押し黙る。何かを考え込んでいるようだ。そんな彼女に夜彦は続きを説明する。


「火傷の痕はかなり重度で酷いものだったらしいよ。つまり、単にすれ違い様に炎を近づけたくらいで負う程度じゃないことが推測されるらしいんだ。警察の話では、かなりの火力で、それなりの長時間、犯人から危害を加えられた。つまり、その間、犯人と被害者は相対していたわけだよ」

「……」

「けれど、四人も被害者がいて、誰も顔が分からない、年齢も性別も背格好も、何も情報もないんだ。しかも、警察の考えと食い違うことに、被害者たちの話では、犯行時間はほんの一瞬だったらしい。これは奇妙だよ」


 葛葉は何も言わない。お菓子を食べることも止め、口を真一文字に結んで、難しそうな顔をしている。


「そして、極めつけがこれだ。これもニュースで言ってたんだけれど、これまでの被害者たちの火傷って、どういうことなのか、通常よりも異常なほど早いスピードで完治したんだ。かなり深い火傷が大半だったらしいけれど、ほんの数日で、まるで最初からなかったみたいに、綺麗サッパリ治っちゃったって。おそらく、今回の被害者だってそうなるに違いないよ」


 そこまで話すと、どうやら、夜彦の意図することが分かったようである。額にしわが寄り、あからさまに不機嫌になったようだった。


「葛葉、分かるだろ、間違いなくこの事件は妖の仕業だよ」


 夜彦はじり、と彼女に迫る。

 今日は、彼女に事件の調査に対する協力を得ようとしたのである。


 しかし、少女に化けた妖狐は深くため息をついて、


「さあな」


 と一言で終わらせる。


「さ、さ、さあなだって!」

「ああ」

「さあな、ってことはないだろ!」


 夜彦はついムッとして言った。


「これはどう考えたって、超自然的なパワーが働いてる証拠だよ。きっと妖から受けた火傷だから、こういう不思議な現象が起こるんだ」


 だが、またしても彼女は、


「たまたまかもしれん」


 と仏頂面で話す。まるで、考えることを拒否しているような雰囲気だ。

 夜彦はそんな彼女の態度にさすがに怒りのボルテージが上がった。


「たまたまって、そんな馬鹿なことがあるかよ。全員が全員なんだよ!」

「知らん、お前はそういうことが絶対にないと言い切れるのか!」


 すると、そんな夜彦に負けてなるものかと、彼女も急に語気を強めた。


「お前はまた私に協力を求めてきたのだろうが、私は了解するつもりは一切ないぞ」


 そこで、夜彦はふと妙に思った。

 いつだって、彼女は夜彦からの依頼に渋面を作るものだが、今回のそれは、いつも以上に嫌がっているように見える。一体、どうしたというのだろう。いつもの冷静な彼女ならば、夜彦に説明をしてくれるのだが、今回はそれもない。

 これではまるで、門前払いだ。


「何だよ、今日はどうしてこんなに頑固なんだ?」

「バカ言え、私はいつだって頑固だ。お前の都合に合わせられるほど、私は暢気ではない。ともかく、その事件についてはもう調べるな。警察に任せておけば、そのうち解決する」

「はあ? どうしてそんなことまで葛葉が決めるんだよ」

「それはお前よりも私の方が頭がイイからだ。これは忠告だ、夜彦。これ以上その事件のことを私の前で口にするな。金輪際な!」


 バチン、と撥ね付けるように葛葉の声が響いた。

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