其の一
ゴロゴロ、ゴロゴロ――。
遠くの山から、まるで追いかけてくるように雷鳴が轟く。一瞬の閃光が空を走るたび、乾いていたはずの空気がまとわりつくような湿り気を増す。
辺りは、闇に満ちていた。
一度その中に紛れ込めば、二度と光を見いだせないのではないか、と思うほどの黒い闇である。
男は、走っていた。
人気のない、深夜の路地。
進むたびに狭まっていくような印象のある、心細い道を、ただひたすらに男は駆けていた。
ひょうひょうと不吉に風が鳴る。それに合わせるようにして、周囲の外灯の光が、まるでロウソクの火のようにか細く揺れた。男の周囲を夜がその密度を急速に濃くしていく。
と、また空が割れた。
光と共に、追い立てるような雷の音が聞こえる。
男は自分が走りながら、その音に悲鳴を上げていることに気がついた。必死に足を動かしながら、自分は恐怖しているのだ、と気がつく。
何を、恐れているのか。
それは自分でも分からない。
しかし、男はその何かから、必死に逃げていた。
そうでなければ、きっと、きっと、
コロサレル。
そんな根拠不明の確信だけがあった。
何度目の雷鳴を聞いた時だろうか。
男は走りながら疲れてしまったのか、足元に躓いて、倒れこんでしまう。早く起き上がらなくては、と体に力を入れたとき、急に男の視界に入る暗い路地はぐねぐねとまるでこんにゃくのように曲がって見えた。
一瞬、目の錯覚か、と思うが、そうではない。
ぽたり、と頬を汗が伝った。
空気が、熱い。
何かが燃えているのだ。
周囲の景色が歪んで見えるのは、その熱がもたらす陽炎のせいなのだ。
男は背中に視線を感じる。
その、なにかは、もう真後ろに来ている!
思わず気絶してしまいそうな恐怖がこみ上げた。必死に立ち上がろうとするが、焦る気持ちとは裏腹に足がもつれ、再び地面に突っ伏してしまった。ごつん、とコンクリートで顎を打ち、目から火花が散る。
朦朧とした意識の中、男はもはや、自分が立ち上がる気力さえなくなっていることに気がついた。
おそらく、これ以上逃げても無駄だ。男は悟った。
すぐ背後で、奇妙な獣の鳴き声がこだました。
嗚呼――。
「た、頼む。助けてくれ。お願いだ!」
男は必死に叫ぶ。両手を組んで、祈りを捧げる。
見えない何かに対し、背中越しに。
「命だけは、どうか!」
しかし、その何かは返事をしない。
そして、次の瞬間、男は自身の指先から炎が迸るのを見た。