表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妖げんげん  作者: ヒロユキ
第三話 ドッペルゲンガーの首輪
35/40

其の十八

「これで、一件落着ってところかな」


 東の山際には昼間の太陽と入れ替わりに、朧気な光をまとった月がのぼっている。

 夜彦は神社の鳥居の柱に寄りかかりながら、そんな薄暗い空を見上げていた。刻々と時間が移ろうにつれ、闇はその色を濃くしていくのが分かった。


「そうだな」


 と、何者かの返事が聞こえる。

 これは、鳥居の上に腰掛けている葛葉のものだった。彼女の方からは、微かに物を咀嚼するような音が聞こえているが、それは先ほど夜彦が彼女に今回の事件のお礼として買ってやったたこ焼きだろう。食欲をそそるソースの香りが風に乗ってやってくる。


「もうあの娘が再び抜け首に悩まされることはないだろう」


 彼女は呟く。


 あの後、放課後の学校の屋上で行われたことは、大したことではなかった。

 いったいどこに姿を隠していたのか、急に二人の間に現れた葛葉が良佳の顔をまじまじと眺めながら、くんくんと匂いを嗅ぎ始めたのである。夜彦から見れば、それは葛葉にとって良佳がおいしい獲物であるかどうか、嗅ぎ分けているように見えたのだが、彼女によれば、良佳の魂がきちんと元通りになったのかを確認していたのだと言う。

 そして、その結果がどうだったのかと言うと、『問題なし』という最良の状態であることが分かった。

 もう何も心配することはない、と葛葉が良佳に告げ、簡単に今回の怪事件について説明して、そのまま解散という運びになった。

 良佳はまだ自分に起こったことがどういうものなのか、完全に理解出来ておらず、葛葉の説明にもどこかぽかんとしている様子だったが(時折、なぜか葛葉の耳や尻尾をどこか触りたそうにしていたような気もする)、少なくとも、未だに重たい悩みを抱え込んでいる気配はなかった。

 そして、彼女はそこではっと思い出したように、涙に濡れた頬を拭いながら、夜彦たちに頭を下げ、丁寧にお礼を言った。

 夜彦はその直前の彼女からの罵倒の意味を考えている最中だったので、その態度の一変ぶりに動揺した。なんだかんだ言いつつも、良佳のその礼儀正しさとか、真面目さとかいうものは、彼女の中に常にあるものらしい。


「しかし、あの後、二人で先生に見つかってこっぴどく怒られるとはな」


 夜彦は苦笑いしながら思い出す。

 実はその後、屋上に上ってきた担任の教師と夜彦たちは八合わせてしまったのである。

 どうやら、あの時間、良佳が教室から出て行ったきり、戻らないということで、その教師が校内を探しまわっていたらしい。

 そのため、その教師は夜彦たちを見るや、顔を真っ赤にして、凄まじい剣幕で怒りだしたのだ。


「間一髪、私は屋上から逃げていたがな」


 すると、葛葉がけらけらと笑う。


「早めに気配を察知していて良かったぞ」

「ったく、ずるいぜ、自分だけ」


 夜彦は歯ぎしりをして彼女を睨んだが、彼女は何を言う、と目を尖らせた。


「私は元々あの学校の生徒ではないであろうが。授業時間に屋上にいたところで怒られる筋合いはない」


 それに、部外者に私の姿を見せるわけにはいかないからな。

 彼女は言う。


「しかし、それにしてもお前たちの怒られっぷりは滑稽であったな。特に、お前が地面に額を擦りつけ、もうしませんと謝っている姿など、私は腹を抱えて笑ってしまった」

「お、お前見てたのかよ」

「ああ、実に興味深い見せ物だった」


 そう満足気に言うのが、夜彦には恥ずかしく、腹立たしかった。


「う、うるせえ!」

「ところで、話は変わるが……」

「な、何だよ急に」


 彼女の声のトーンがいきなり落ちる。


「お前、今回の件で、奇妙な点があったのを覚えているか?」

「き、奇妙な点?」


 急に問いかけられたので、夜彦は言葉に窮した。


「……何のことだ?」

「よく思い出せ。昼間に私が言っただろう。あの娘が何度も頻繁に失神するのは妙だと」

「……」


 そう言われれば、聞いた覚えがある。夜彦はあれから良佳を救うのに必死であったために、そんな言葉など忘れていたのだ。


「私はそれをただの抜け首の症状にしては重すぎると考えた」

「で、でも、結果的に今の彼女には問題はないんだろう?」


 夜彦は指摘する。

 あの後、無事に元通り一つになった彼女に異変がないかどうか、葛葉は入念にチェックしていたのである。

 それで何事もなかったのだから、大丈夫なのではないだろうか。

 しかし、彼女は厳しい顔を変えない。


「そうは言っても、もしかすると、何かを見落としていたのではないかと今になって不安になったのだ」


 それに、妙なことはそれだけではない……、


「あの娘が失神する直前に見たという黒い影についてもまだ解明出来ていない」


 ああ、それか。

 夜彦はすぐに合点がいった。


「それは何かの幻なんじゃないか? あの時井上も精神的に疲れていただろうし、そういうものが見えてしまっても不思議じゃないだろう?」

「果たして、そうだろうか?」


 彼女はまるで歯の間に物が挟まっているかのように、もどかしそうだった。ふさふさの尾を右へ左へ忙しなく動かしている。


「気にしすぎだと思うけどなー」

「しかし、気になるものは気になるのだ。はふっ――もふもふ」


 彼女はそのもやもやを無理やり飲み込むようにたこ焼きを口に入れた。ゆっくりとそれを咀嚼している。


「――ゴクン、とにかく、しばらくはあの娘の経過観察を行うことにしよう」

「経過観察?」

「そうだ」

「葛葉が?」

「うむ」

「……そっか」


 夜彦は彼女のその念入りな行動を意外に思いながらも頷いた。彼女がそうするというのならば、良いではないか。夜彦が別に困ることではない。むしろ、彼女に良佳が見守られているのであれば、夜彦も安心だ。


「うむ……。それで、時に夜彦よ」

「うん?」


 今度はどうしたのだろう。彼女を見ると、彼女は夜彦の手元の方へ視線を向けているようだった。


「その大事そうに持っている紙袋はあの娘のものではなかったのか?」

「え?」


 驚いて、その袋を持っていた事に気が付き、中身を見ると、そこに入っていたのは……。


「あ、あいつのフィギュアだ!」


 彼女が愛おしそうに店内で眺めていたあの一つ目鬼の人形がケースに入っている。


「ふぃぎゅあ?」

「こうしちゃいられない、これを井上のところに届けて、お金を返してもらわなくちゃ」


 夜彦はそそくさと自転車にまたがると、葛葉に別れを告げて、彼女の家の方角へと、ペダルを漕ぎ始めた。

 走りながら、すっかり薄くなってしまった自分の財布をポケットから取り出す。


「くそう、給料のねえ高校生には小遣いは魂よりも大事だってのに」


 そうぼやいて、自転車のペダルを踏み込んで、加速した。

 青信号の交差点をつっぱしり、人通りの多い駅前を通り抜け、その先の住宅街に向かう坂道を上る。

 町中から離れていくために、周囲には次第に闇が増えていく。

 林の枝々が、不穏気にざわざわと鳴った。冷えた夜気が夜彦の体から熱を奪っていく。


「何だか、妙な感じだな」


 と、その時だった!

 ふいに、道端の繁みの影から、何かが飛び出した。


「うわっ!」


 と叫んで、急ブレーキをかける。自転車が甲高い音を発して止まった。

 夜彦は慌てて、その飛び出してきた何かを探す。


 すると……いた!


 夜彦の自転車の先、ほんの数メートル先に、何者かが立っている。


「な、何だよ……」


 すると、その黒い人影のようなものは、驚いた夜彦に脇目もふらずに、コンクリートの地面から信じられない跳躍を見せると、一気に隣の民家の屋根の上に降り立った。


「え!?」


 それも、つかの間で、すぐさままた別の家に飛び移る。また、飛び移る。また、飛ぶ。瞬く間に姿が見えなくなってしまった。

 あまりの事に言葉を失った夜彦は何も出来ないまま、しばらく、その場で立ち尽くしていた。

 やけにうるさい自分の心臓の音と荒い呼吸音だけが聞こえている。


「あ、あいつが、井上が言っていた……」


 黒い、影――。


「……なのか?」


 その正体は、もはや、知ることは出来ない。

 濃密な闇が目隠しをするように、夜彦の周囲を囲い始めていた。

どうも、ヒロユキです。

妖げんげんの第三話、如何でしたでしょうか。少しでも楽しんでもらえたのなら幸甚であります。第四話の連載開始時期に関しては今のところ未定ではありますが、なるべく早いうちに始めたいと考えています。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ