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妖げんげん  作者: ヒロユキ
第三話 ドッペルゲンガーの首輪
34/40

其の十七

 そうして、どれくらいの時間が経ったのだろうか。


 良佳はいつしか、体を仰向けにして寝転がっていた。両手両足を投げ出し、高い空を仰いでいる。

 熱い雫は相変わらず、嗚咽と共に押し出されるようにして、良佳の瞼の内から溢れてきていた。

 しかし、それも先ほどよりはかなり収まっている。それが、もはや、泣くことに疲れてしまったからなのか、それとも、もう流すだけの涙がないのか、分からない。


「こんなに泣いたのって久しぶり」


 僅かに震える声で、呟く。

 ただ、悲しい気持ちかと言えばそうではなく、不思議と清々しい気分だった。まるで、それまで自分を包囲していた見えない壁から開放されたような心地である。


 と、そこに学校のチャイムの音が鳴り始めた。

 キーンコーンカーン――。

 放送マイクから聞こえる、聴き慣れた、その音。

 それがすっかりがらんどうになってしまった良佳の心の中に響いた。そこには先程のような悲しみや恐怖の影はない。

 なんとなく、良佳は涙を拭ってそれをぺろりと舐めてみる。すると、その味はじゅんとしょっぱくて、少しだけほろ苦いものだった。

 ああ、泣いた。

 あーあ、泣いちゃった。

 さらりとした夕風が屋上を吹き抜け、太陽の熱に焼かれて火照った良佳の頬を少しだけ冷ましていく。

 ふいに隣を見ると、そこにいたのは体育座りをした夜彦だった。彼はやはり何も言わずに、夕陽が町の向こう、山並みの背後に消えていくのを見ている。

 彼の他には誰もいなかった。

 もう一人の良佳の姿は見えない。周囲を見渡しても、見つからない。

 どこに行ったのか、と彼に聞こうとして、ふいに首もとに手をやって、そして、理解した。

 いつの間にか、離れていた首と体は、元通りに繋がっていた。それが分かっただけで後は十分だった。


「ごめんね。それから、おかえり……」


 そう呟いて、もう一度涙を拭った。

 ゆっくりと上半身を起こす。それに気がついて夜彦が顔を覗き込んできた。


「もう、大丈夫か?」

「うん」


 良佳は自信を持って頷いた。

 真っ赤に目を腫らした顔を彼に見せていると思うと恥ずかしかったが、しかし、彼になら、まあいいか、とも思えた。もぞもぞと体を動かして、良佳も彼と同じように体育座りをしてみる。


「ねえ」

「何だ?」

「私、これから、どうすればいいのかな?」


 そう訊ねると、彼は相変わらず真っ直ぐ夕陽を見ながら答える。


「さあな。よく分かんねえけど。でも、とりあえず、辞めちまえばいいんじゃねえか?」

「え?」

「ゆうとうせー」

「……」

「皆の期待を何もかも背負ってやろうなんて、もう考えんなよ。お前はお前のままでいいんだ。出来ることがあって、出来ないことがある。それでいい。無茶や無理をして、お前自身を削る必要はねえ。世の中適当でいいんだよ、適当で」


 夜彦はそこでにやりと笑い、


「無理なことは少しくらい、他人に押し付けるくらいでもいいのさ」


 などと言う。

 あまりにもあっさりとした口調で彼が言うので、良佳は戸惑ってしまった。心のなかで尻込みをして、口ごもってしまう。


「そんなこと、出来るのかな」


 今までの、私を捨てるなんてこと……。

 空っぽの心が、淋しげに、からからと音を立てるのが分かった。私には、そんな自信が、ない。

 しかし、


「別に全部捨てる必要はねえんだぜ」


 夜彦はまだ余裕で笑っている。


「へ?」

「優等生でいることも本当のお前なんだ。だから、それもお前の中で大事に持っておけ。けれど、今度からはそこも含めて本当のお前になるんだ」


 な? そう考えると、怖くないだろ?


「……」


 彼の励ましの言葉は、確かに空っぽの良佳にとって、これからの弾みになるエネルギーをくれるものだった。

 しかし、そうであったとしても、良佳には一抹の不安が残る。これまでと違う生き方を始めるということは、それまで自身を支えていた重要な柱を失うことだ。つまり、もしもの時の心の拠り所、逃げ場も失うことである。

 物事をやり直すということは、とても難しく、厄介なのだ。

 そんな不安が口を衝いて出る。


「もしも……もしも、本当の私が皆に拒否されたら、どうしよう」


 だって、本当の私は、怠け者だし、わがままだし、怒りっぽいし、根暗だし、アニメオタクだし……挙げていけばキリがない。

 それに続けて、面倒くさい、気持ち悪い、と皆が唇を歪めて良佳を見ている映像が浮かぶ。それを思うとゾッとした。


 しかし、それでも夜彦は何も気にしていないようだった。


「もし、そうなったら、俺のとこに来い」


 と、どんと胸を叩く。


「へ?」

「俺が味方になってやるからよ。愚痴でも、世間話でも、冗談でも、趣味の話でも、何でも聞いてやるさ。誰にも言えないようなことでも、俺に話せよ。ちゃんと最後まで聞いてやる。お前のことを見捨てたりしない。だから、怖くなったら、俺のところに、来い」


 彼は満面の笑みで良佳を見ていた。しかし、彼がいきなりそんなことをためらいもなく言うものだから、良佳は驚いてしまう。


「え、え、え?」

「どうした?」

「い、いや、その……」


 良佳は何だか彼の顔をまともに見れなくなって、頭の中がしどろもどろになって、無理やり彼から目をそらし、ぶっきらぼうに感謝を告げる。


「あ、あ、ありがとう」


 すると、彼はそんな良佳を見て、怪訝そうに目を細めた。


「何で赤くなってるんだか。変な奴だな」


 と、眉間にしわを寄せる。


「熱でもあるのか?」

「な、ないわよ!」


 なぜだかパニックになってしまい、彼を突き放すように、大声を出してしまった。

 ああもう、何だかとても恥ずかしいわ。

 涙とは違う熱いものが良佳の中から沸き上がっているようだった。


「い、井上?」

「ば、ば……」

「あん?」

「夜彦君の、馬鹿!!」


 思わず、そう叫んでしまった。


「馬鹿、馬鹿、この、大馬鹿ヤロー!」


 それは、これまでの優等生の自分ではありえない、一方的な乱暴な言葉である。


「おいおい、俺は罵声まで大人しく聞いてやるなんて言ってないぞ」


 しかし、構わず良佳は彼を罵り続けた。まるで、心のたがが外れたように、次々と言葉が溢れてくる。


「馬鹿、アホ、唐変木、あんぽんたん、この、ろくでなし!」


 ますます怪訝そうに目を丸くして困惑する夜彦に対し、良佳はなぜか、知らず、自身が笑っていることに気がついた。

 ああ、私って最低かも。助けてもらった人にこんなこと言っちゃって。しかも、笑ってるなんて。

 でも……。

 でも、ま、いいか。


 そう思って、もう一度彼に馬鹿と言ってやった。

次回、第三話完結です。

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