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妖げんげん  作者: ヒロユキ
第三話 ドッペルゲンガーの首輪
30/40

其の十三

「ろくろっ首だって!!」


 葛葉の発した言葉を理解出来ないまま、夜彦は目を白黒させて驚いた。神社の階段から転げ落ちる勢いで、飛び上がる。


「そんなはずはないって!」

「何がだ?」

「だって、だって……見ろよ!」


 と、傍らで呆気に取られている偽良佳を、彼女の首もとを、震える指で示す。


「首が長くねえじゃねえか!」


 そう、言わずと知れた妖、ろくろっ首と言えば、体から異様に長く伸び縮みする首が一番の特徴の化物なのである。

 しかし、この少女、偽良佳の首はどうだ。夜彦が見る限り、それはいたって普通の長さで、以上に細いわけでも、伸び上がるための蛇腹があるわけでもない。

 だとすれば、これがあの有名な妖、ろくろっ首だとは、誰が予想出来るのだろう。そんなはずがないのだ。

 少なくとも夜彦はそう思い、葛葉の言葉に驚いていた。


「何かの間違いじゃねえのか?」


 だが、葛葉は涼しい顔で、口元の辺りを前脚で擦りながら、ろくろっ首はろくろっ首だと繰り返した。


「まあ、お前がそう驚くのも無理はない。普通、ろくろっ首のイメージと言えば、その長い首が印象的だ」

「それは……実際はそうじゃないっていうことか?」

「いや、そうではない」


 彼女は首を振る。


「ろくろっ首には『二つの種類』があるのだ」

「何だって!?」


 そんなことなど、夜彦は初耳だった。さらなる驚きで開いた口が塞がらない。


「に、二種類!!」

「一つは、お前が知っているように、首が異様に長く伸びるタイプだ」


 葛葉が平坦な口調で説明を始める。


「昔から残る怪異譚でもよく知られているように、どちらかと言えば、メジャーなろくろっ首と言えるだろう」


 そして……。


「もう一つは、『抜け首』と呼ばれるタイプのろくろっ首だ」

「抜け、首……」


 夜彦はちっとも聞いたことがない。

 すると、彼女は夜彦が知らないと分かってか、少し得意げになって話を続ける。


「これは別名、離魂病りこんびょうとも呼ばれるものでな。分かりやすく言うと、人間の体から魂が抜け、それが妖に変化するのだ」

「それが、抜け首……」

「そうだ。もう少し具体的に言うと、睡眠中に体から魂だけが抜け出し、首の形や様々な物の形に変化しつつ、ふわふわと外をさまよい歩く」


 今回の場合で言えば、たまたまその娘の魂の一部がこのような少女の姿となって、妖は出現しておるようだ。

 彼女は言う。


「まあ、お前は知らなかったようだが、この抜け首、人間の書物にも案外多く記録が載っているとのことだぞ。今度にでもゆっくり調べてみるといい」

「お、俺としたことが、まさか勉強不足とは……」


 がくりと肩を落とし、本気で落胆した夜彦を横目に、彼女はにやりと笑うと、さらにこう言った。


「そうだ、夜彦。一つ面白いことを教えてやろう」

「な、何だ?」

「実は、その抜け首となった者だがな、これを見分ける方法があるのだよ」

「見分ける方法だって!?」

「そう、抜け首になったものはな――」


 そして、おもむろに彼女は、くいっと器用に前脚で首の当たりを示す。


「こう、首の周りに妙な『細い筋』が入るのだよ」

「なんだって!」


 それを聞いた途端、夜彦は飛び上がった。今朝の見た光景が鮮明に目の前に蘇ったのである。

 あの気味が悪い、首の痕……。


「何だ、どうした?」

「そうだよ、葛葉。確かに井上の首にもそれと同じものがあったんだ! 彼女は、その細い筋を見る度に、失神して倒れちゃうんだ!」


 すると、今度はそれを聞いた葛葉が「何?」と怪訝そうに表情を固くした。彼女の尾がぶわりと不穏そうに動き、境内の砂を舞い上げる。


「失神とは妙な話だな。それではまるで、その井上とやらの体に過度な負担が掛かっているようだ」

「掛かってるさ。今朝だって、彼女は顔を青くして倒れたんだ。なんでも、その筋が見えると彼女は気持ちが落ち込んで、心臓がドキドキして、そのまま気を失なっちゃうんだって……」


 夜彦が詳しく話すと、葛葉はますます表情に影を作る。

 嫌な予感がして、夜彦の額から汗が垂れた。一体どういうことなのだろう。

 脳天気だった偽良佳も、いつしか夜彦たちの会話を落ち着かない様子で眺めている。


「なるほど、な」

「もしかして、それってやばいのか?」

「いや、今まで聞いたことがない話なので、どう判断したものか、迷っているのだ」


 さすがの葛葉でも分からないのか。夜彦は歯がゆい気持ちになる。彼女は果たして安全なのか、危険なのか。


「……」

「そんな顔をされても知らぬものは知らぬ。しかし、万が一を思えば、早いうちに手を打つべきではあるな」


 ううむ、と彼女は難しそうな顔をして唸る。


「とにかく、今の状態を改善するにはどうしたらいい? どうやったら、抜け首から彼女を開放出来るんだ?」


 さながら飛びつく勢いで聞いた夜彦に、彼女はたじろいだようだった。二、三歩下がる。


「ま、まあ落ち着け。そうだな……魂が離れている状態が異常なのだから、その分離した魂を元に戻し、きちんと体に定着させることが出来れば、問題はないのだろうが……」

「そ、そうするにはどうやって?」

「私の力で無理やりこの離れた魂を体に縛り付けることは出来るぞ」


 彼女は自信あり気に頷く。

 これは信頼できそうだ。夜彦の中に安堵が広がる。やはり、こういう時の彼女の超自然的な力は頼りになるものである。

 しかし、葛葉の表情は浮かないままだ。


「それで一先ずは解決だが……」


 と、言葉を濁らせる。

 何か問題でもあるのだろうか。


「どうしたんだよ」

「う、うむ。しかし、それでは根本的な解決にはならないのだ」

「……? それはどういうことだ?」

「その井上という奴が、どうしてこんな状態に陥ったのか、その原因を探り、それを解決しなければ、この妖はそやつの中に永久に存在し続けることになる」


 つまり、葛葉がその妖を封じ込めている力を解けば、またしてもこの抜け首は出現するのだと言う。当然そうなれば、良佳はその度に失神して倒れる羽目になる。

 では、ずっと封じ込めていればいいではないか、と夜彦は考えたが、それは夜彦が思うほどに容易ではないらしい。

 というのも、いくら他の妖が恐れるほどに妖力を持った葛葉と言えど、いつまでも継続して一人の少女のために力を使い続けるなどということは現実的に考えて不可能なのである。


「難しい状況だ」


 と、彼女は渋い顔をする。


「抜け首となった者は大抵放っておけばそのうち治ることが多いのだが、その少女の場合はそんなに悠長に構えている時間もないかもしれない」


 もしも、命に関わる事態なら、なおさらだ。

 しかし一方で、夜彦はというと、先ほどまでのじりじりとしたどうしようもない焦りは消えており、前向きに次なる方法を考え始めていた。少なくとも、何も成すべき事が見つからなかった状態よりは、今は情報が手に入り、向かうべき道筋が定まったのだ。


「じゃあ、全てを丸く収めるには、その根本的な問題を解決すればいいんだな? よし!」


 と拳を突き上げる。

 すると、おいおいと葛葉が嘆息混じりに呆れた。


「そう簡単そうに言うが、その問題を解決する当てがあるのか?」

「井上の魂が離れた原因か?」

「そうだ。それは一筋縄ではいかぬ事だぞ。魂が抱えた不穏は目に見えぬ。他人からでは想像も出来ぬことが、今回のような妖出現の引き金となっていることが多いのだ」


 それをお前は理解しているのか?

 彼女は語気を強めて、夜彦に迫る。しかし、相変わらず夜彦はあっけらかんと答えた。


「んな難しいこと、俺に分かるわけないって」


 ひらひらと手を横に振る。


「だから、こいつに聞けばいいだろ。抜け首ちゃんによ。どうして、井上から抜けだしてきたのかさあ。それが一番手っ取り早いぜ」

「何?」


 と葛葉が眉をひそめたのは言うまでもない。


「この何の状況も理解していなさそうに見える、脳天気なこの小娘からか?」

「当たり前だよ」


 夜彦は自信満々だ。

 その様子が気に食わないのか、葛葉はふん、と鼻息を飛ばし、ならやってみろと挑戦的に言い放つ。それに対し、言われなくてもな、と夜彦は返す。

 そして、くるりと振り返ると、いつの間にか階段の端に座り、怯えるようにこちらを見ている偽良佳の肩を逃がさないように掴んだ。

 すると、ひっ、と彼女は小さく悲鳴を上げる。どうやら、二人のただならぬ会話が彼女に関することだと気づいているらしく、これから何が行われるのか、戦々恐々としているらしい。

 そこで、夜彦は彼女の警戒を解くために、優しく大丈夫だと語りかけた。


「ちょっと質問に答えて欲しいだけなんだよ」

「し、しつもん?」

「そうそう。なあ、井上、お前はどうして本物の井上から抜けだしてきたんだ?」


 しかし、聞かれている意味の分かっていない彼女はきょとんとしたまま首を傾げる。


「ほ、本物って、私は本物だけど?」

「ああ、そうか。あいつの魂の一部だから、本物には変わりないのか」


 よしよし、悪かったな。

 そして、夜彦はぴんと人差し指を立てる。


「じゃあ、質問を変えよう。どうしてお前は魂だけの姿で井上の体から抜けだしてきたんだ?」


 しかし、またしても質問の内容は空振りをしたのか、彼女は困った表情をしながらうろたえるだけだった。


「……? わ、わけが分からないよ」


 と、肩を小さく縮ませて、夜彦の背後の葛葉をちらちらと見た。どうやら、この話が終われば葛葉に食べられるとでも思っているのかも知れない。ぷるぷると彼女は体を震わせている。

 これではとても質問に集中できそうにもない。

 それを悟った夜彦は葛葉にしばらく神社の裏の森にでも姿を隠してもらい、二人以外誰もいなくなったところで、再び彼女に話しかけた。


「なあ、井上」


 と驚かせないよう、顔を覗き込みながら笑いかける。


「う、うん?」

「よく思い出すんだ。お前が生まれた時のことを。お前は何か理由があってろくろっ首になったんだ。でなければ、ここには存在しない」


 すると、彼女はろくろっ首という言葉にぴくんと反応を示した。


「ろくろっ首……」


 これは脈ありと、夜彦はさらに言葉で畳み掛ける。


「そう、それはお前のことだ。お前にはそうならなければならない理由があった。ゆっくりでもいい、よく思い出せ」

「うーん、うーん、ちょっと待って、なにか分かりそう……」

「本当か!」

「ええっと、ええっと……」


 頭を抱えて、彼女が蹲る。そんな彼女を心配した夜彦だったが、思いの外、彼女はすぐに顔を上げた。


「何だ? 思い出したのか?」


 しかし、そこにあった彼女の表情は先程までの無邪気で脳天気な少女のそれではなく、昨日、彼女が店から飛び出す直前に見せた、凍てつくようなそれだった。


「な!」


 たじろいで、二三歩後ずさった夜彦。それはもしかすると、自分に襲いかかってくるかもしれないと本能的に感じたためだったが、しかし、彼女は何をする様子もなかった。

 生気を失ったような瞳で夜彦を見つめているだけで、何も言わずにぼうっと口を開けている。


 そして、ふいに、その瞳から――。


 涙がこぼれた!


 その一筋流れた温かな雫は、彼女の頬を伝い、顎までたどり着くと、行き場を失ってそこから地面に落ちる。


「え、え?」

「……しいの……」


 彼女が、何かを囁いている。夜彦は咄嗟に気づいてすぐに耳を寄せた。


「何だって?」

「私、苦しいの……だから、抜けだしてきたの」

「苦しい、抜けだした?」

「そうよ。『わたし』の中、とても息苦しいから、だから、私は、抜け首になったの!」







「どうだ、夜彦。何か掴めそうか?」


 しばらくして、神社の裏からのそりと葛葉が体を表した。


「ずいぶんその抜け首と話をしていたみたいじゃないか」


 しかし、そう聞いたわりには彼女は期待などしていないようで、興味すらない様子だった。

 夜彦に、井上良佳の内的な問題を解決することなど、不可能だと思っているのだろう。

 しかし、そこで夜彦は肯定の意味で頷いた。


「ああ、なんとなくだけど、分かった気がする」

「うん?」


 思わぬ答えに葛葉は眉をひそめる。


「今、何と言った?」

「だから、なんとなく分かったんだ。あいつがどうして抜け首になったのか。その理由が、さ」

「そ、それは本当か?」

「まだ確信は持てねえよ。けれど、足がかりみたいなものは見えた。取っ掛かりはあるぜ」


 そして、夜彦は背後を振り返り、涙を拭っている偽良佳の手を握ると、ほら、と一緒に立ち上がる。

 しかし、彼女の様子はふらふらとして頼りない。

 先ほどまでの笑顔の彼女はどこへやら、今ではしくしくと目を赤くしている様子は、親とはぐれた幼い子供のようで、見ているだけで胸が締め付けられるようだった。


「大丈夫だ、一緒に家に帰ろう」


 夜彦が彼女を元気づけるためにそう言うと、彼女はしおらしく頷いて、


「うん」


 とか弱い声だけ発した。

 とてもこのまま放っておけない。つないだ手をさらに強く握りながら、夜彦は葛葉の正面に立ってこう言う。


「葛葉、学校に行こう」

「お前の学校、にか?」

「そうだ、あいつが俺の帰りを待っている。井上本人に聞けば、きっと本当の理由が分かるはずだ」


 だから、さ。

 夜彦がそう目で訴えかけると、彼女は狐の姿のまま肩をすくめる。


「全く、お前はいつもいつも厄介事を持ってきおって」


 と不満そうに唇を歪めた。


「葛葉……」


 ごめん。


「ああもう、分かっている。分かっていると言ったら!」


 そして彼女は巨大な足を折りたたむと、その場に蹲る。そして、おもむろに顎で自身の背中を示し、


「ほれ、さっさと乗れ。学校までは一気に飛んでいくぞ。私の背中から振り落とされないよう、せいぜいしっかり掴まることだ」


 そう言った。

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