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妖げんげん  作者: ヒロユキ
第一話 闇よりの歌声
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其の三

 その日の放課後――。

 夜彦は逢間高校を後にすると、真っ直ぐにとある場所を目指した。下校中の生徒たちで賑わう通りを逸れ、一人、川沿いに伸びる広々とした道を走り歩きで進む。


 夜彦が住んでいる町はさほど大きな町ではない。近代化した巨大なビルが立ち並ぶ都会とは違い、住宅地と田畑、小さなスーパーや数店のコンビニくらいが敷き詰められたほどの、簡素な田舎の町だ。

 町の北側には青々とした海が広がり、漁船が浮かぶ港があって、一日中穏やかな波が岸に打ち寄せている。夜彦は釣りには興味がないが、釣り人が多く訪れる魚に恵まれた釣り場なのだそうだ。


 一方、町の南側、川の上流には森がある。山のすそ野に広がる平らなもっさりとした森で、奥へ入るほど険しくなり、薄暗くなる。普段はあまり人気がなく、若者など、見向きもしないような場所だが、夜彦はそこへ向かった。その森の近くにある神社に用があるのである。

 歩いていると、周囲は次第に民家が消え、その隙間を埋めるように木々が増えてくる。山が近づいてくると、どこか厳かな空気が漂ってきた。


 すると、

 見えてきた、朱色の鳥居の稲荷神社だ。鎮守の森に守られるようにして、ひっそりと佇んでいる。

 夜彦は急ぎ足でその神社の入り口にまでたどり着くと、周囲を見回して様子を窺った。鳥居の向こうには苔が青く生した十数段の階段があり、すぐその上が境内となっている。どちらかというとそれほど大きな神社ではない。管理している人間もいるのかもよく分からない、普段は人気の無い神社だ。

 時折、子供達が境内で遊びまわっていることもあるが、今はその影もなく、ひっそりと静まり返っている。

 石で作られた狐の像が石段の上からこちらを見下ろしていた。夜彦は、それがまるで、お前、また来たのか、と言いたげな表情をしているように見えた。


 夜彦は一先ず鳥居に寄りかかって呼吸を整えた。急いできたので、息が乱れている。

 しかし……。

 誰も、いないのか。

 折角話したいことがあって、走ってきたというのに、『あいつ』はどこをぶらついているのだろう。全く、肝心なときにこれだ。

 がっかりした気持ちで、夜彦が、空を見上げたとき。


「あ、あれ?」


 夜彦の目が、鳥居の上、反った笠置に伏せっている、銀色に光る巨大な何かを捉えた。

 その巨大な何かは、まん丸としていて、ふさふさとした毛を生やし、先から尻尾をだらんと垂らしている。時折、体を膨らませたり、萎ませたりしているところを見るに、どうやらその何かは眠っているようだ。


 こんな所にいたのか。夜彦は思った。

 どこにも行っていないようで、安心する。 そして、


「おい、葛葉」


 そう呼びかけた。

 その巨大な何かを起こそうとしたのである。すると、その物体から、ピョコンと二本の耳が生えた。いや、違う。耳は元からあったのだろう。正確には、その銀色の何者かから、耳が立ったというべきだ。

 そして、その耳は一瞬、機敏に反応し、周囲の音を聞いていたようだが、すぐにぺたんと曲がり、見えなくなる。単に無意識に反応しただけで、まだ眠っているらしい。

 そう思った夜彦は、今度はもっと大声で呼ぶ。


「葛葉、俺だよ!!」


 ややあって、その物体の耳がまたしても動き、声のする方を向いたと思うと、そこでむっくりと細長い顔が持ち上がった。

 それはなんと、見事な銀色の体毛に覆われた、白い狐の顔だった。

 そして、その狐は後ろ足で耳のあたりを掻くと、のっそりと立ち上がった。狐の全体の姿が分かる。

 普通の狐とは違う、その大きめの体と、たくましく、それでいて細くしなやかな手足。どこか凄まじいオーラを感じさせる瞳は、今、ギラギラと光っていた。

 普通の人間ならその巨大で超然とした姿に、怯えて逃げ出してしまいそうなものである。だが、夜彦には恐怖している様子は微塵にもない。むしろ、ほっとした表情でその狐を見上げている。


「おーい、葛葉!」


 すると、その白い狐は、夜彦を一瞥すると、忌々しげに、


「ふん」


 と鼻息を飛ばし、


「また、お前か」


 なんと、言葉を話した。


「ああ、今日も用があってな」


 しかし、狐が言葉を話すという驚愕の事態にも関わらず、夜彦は未だ冷静である。


「降りてこいよ」


 と暢気に手を振る。

 狐は、一度、詰まらなさそうに顔を背けた。

 そして、何かを考えたのか、いきなり振りむ向き様に牙をむき、その場から、跳ねた。

 夜彦に飛びかかって来た!


 え?

 夜彦は、その瞬間、茫然自失とした。そのあまりにも唐突でためらいない動きに、その場を動けなかったのである。

 何が起こった?

 状況判断もできないまま、思考が停止し、棒立ちになる。逃げられない。

 そうこうしているうちに、見る見るその狐が近づいて来た。白い狐は、空中で前足を夜彦に向かって突き出すと、全体重を前にかけるように体勢を細く保ち、一本の矢のようになって突っ込んでくる。

 そして、止まらぬ勢いのまま、


「とりゃっ」


 夜彦の胸に、蹴りが炸裂した。


「うがっ!」


 たまらず、絶叫した。

 夜彦の体が問答無用で、後ろに吹き飛ばされる――かと、思いきや。

 そうではない。

 通常、これほどの巨体の動物が襲い掛かってくれば、人間などひとたまりもないはずなのだが、その狐の蹴りは不思議なほどふわりと軽く、夜彦は僅かに後ろによろめき、鳥居の柱で強かに頭をぶつけるだけで済んだ。


「いっっってえええ!!」


 激痛に夜彦は頭を抑え、顔を歪めた。

 すると、


「夜彦、邪魔だ」


 と、白い狐の声がする。

 どうやら、着地を終えたようで、夜彦は視線を向けた。しかし、そこに立っていたのは、巨大な白い狐ではない。

 なんと、一人の古風な服装をした――少女だった。


「どうだ、痛かったか?」


 いったい、狐はどこへ消えたのか、彼女は、暢気にあふあふと涙目で欠伸をしながら、ぐっと背伸びをしている。一方夜彦は、同じ涙目ではあるが、痛みのある後頭部を摩りながら、言い返す。


「あのなあ、葛葉・・


 と先ほどの狐に呼びかけたのと同じ名で、彼女を呼ぶ。


「冗談きついぜ。幾ら知り合いのお前でも、狐の姿のままで飛びかかって来られたら、普通は卒倒ものだぞ」

「そんなに私が怖かったか?」

「あ、当たり前だ。おかげで変な汗を掻いたじゃないか」

「ふふ」


 すると、葛葉と呼ばれた少女は静かに微笑む。


「まあ、人間である夜彦がそう思うのも無理はない。私は本来人間に恐れを与えるべき存在、妖。白狐だからな」


 そうなのである。

 彼女こそ、つい数瞬前、夜彦に飛びかかってきた白い狐なのだ。

 夜彦はそのことを初めから知っていた。彼女は妖であるため、その持ち前の不思議な力を駆使し、今は人間の姿に変化している。


 夜彦は彼女の姿をじっと見た。

 彼女は、すらりとした細身に、古風な印象の強い身軽そうな水干すいかん姿で立っていて、絹のような光を放つ白銀の髪を揺らしている。春だというのに、冬の日に降り積もった雪を想起させるような、美麗な白い肌をしており、夜彦より背が低く幼い印象があるのに、どこか大人のような妖艶さを醸しだす顔立ちが、見とれてしまうほどの美しさだった。

 その不釣合いで奇妙な魅力も、彼女が常人ではないことを示している。


「全く……仕方ない奴だな」


 夜彦はため息をつく。彼女のイタズラ好きな性格も困ったものである。

 しかし、葛葉はそんな夜彦を横目で見ると、不機嫌そうに睨んだ。


「あのな、夜彦」

「何だよ」

「そもそもは、折角の私の睡眠をお前の声が邪魔してきたことが悪いのだぞ」

「え?」

「お前がのんびりくつろいでいる私の昼寝を邪魔などするから、私は仕返しにお前を驚かせてやろうという考えに行き着いたのだ」

「ああ、そうだったか?」


 それは気が廻らなかった。つい、彼女を発見できた嬉しさで夜彦は、大きな声を出してしまったのだ。

 彼女は鳥居の上を見上げる。


「あのな、あそこは心地よい風を感じることが出来る、私だけのくつろぎの場所なんだ」

「そ、それは、ごめん」


 素直に謝罪するが、葛葉の方は、むんと腕を組み、未だご機嫌ななめのご様子だ。片足で地面を叩き、唇を突き出す。


「ふん。大体、お前の声は大きいんだ。普通じゃないほどにな。お前の周りの者は驚いたりしないのか、その馬鹿声に」

「ば、馬鹿声ぇ!」


 この言われ方には、夜彦も怒った。


「馬鹿声ってなんだよ!」

「そのままだ。おそらくお前が馬鹿だから、そんな声になるんじゃないのか? 声の調整が効かないのだな」

「何だとお!」


 夜彦が憤慨すると、彼女はわざとらしく縮こまり、両耳を塞いで、ぷるぷると頭を振った。


「おお、うるさいうるさい。うるさくてかなわん。頼むからもう少し自重できないのか?」

「俺は馬鹿なんかじゃない。断じてな。葛葉、前言撤回してもらおうか」


 ここで適当に受け流してしまうと、これから先もそう呼ばれ続けてしまうかもしれない。そう思った夜彦は、彼女にそう迫る。

 すると、普段は簡単に要求を呑む彼女ではないのだが、何かを考えた素振りを見せると、案外しおらしく頷いた。


「そうか、そうか。分かった。私が悪かった」

「よし」

「じゃあ、そこの馬鹿ではない何か別の物。百二十円を貸せ」


 夜彦は思わず、ずっこけてしまうかと思った。これには、さすがに、ツッコミを入れざるを得ない。


「おい。何だよその、そこはかとなく癪に障る呼び名は」

「何だよとは何だ。お前は馬鹿と呼ばれたくないのだろう。だから、そうではないものを指す呼び方を、私なりに考えたのだ」


 彼女は腕組をし、飄々と答える。


「た、たしかに、その通りではあるけれど……むう。まあ、それは一度置いておくとして、最後に言った百二十円って何だよ」

「ジュースを買うお金だ。私は目覚めたばかりで喉が渇いているのだ」


 見ると、道の向こう側の電信柱の側に丁度良く自販機がある。おそらく何かを飲みたいのだろう。

 正直、何で自分がそんな金を払わなければならないのか、と夜彦は思う。拒否したい気持ちだ。


 しかし、そこで夜彦は考える。

 これは自分の頼みを聞いてもらうための方便として使えないだろうか。

 夜彦は財布から小銭を取り出すと、手のひらに乗せ、彼女に差し出す。そして、彼女が手を伸ばすタイミングを見計らって、ぱっと引っ込めた。当然、葛葉の手は宙を掻く。

 彼女は不愉快そうに目を釣り上げた。


「何の真似だ? 夜彦、今私は寝起きであまり機嫌が良くない。お前とおふざけをしたい気分ではないんだぞ」


 それに対して、夜彦は余裕の笑みを浮かべ、こう言った。


「金を出してやるから、俺の話を聞け」


 すると、彼女はあからさまにがっかりした顔になって肩を落とし、大きなため息をついた。


「何だ、また夜彦は下らない話を持ってきたのか?」

「下らないとは何だ!」

「どうせまた、怪しい話だろう」


 彼女は横目で夜彦を見上げた。


「おお、そうだ。妖が絡んでるかもしれない話なんだ」


 それみろ、と彼女は眉を吊り上げた。


「胸を張るな。お前は私の許可なく、また余計なことをしてくれているようだな」

「余計なこととは何だ、葛葉の仕事の手伝いをしているだけだろう? むしろ感謝してほしいくらいだ」


 しかし、そんな夜彦の胸を人差し指で突きながら、彼女は言う。


「それを余計なお世話というのだ、夜彦。お前は何か勘違いしているようだが、お前が持ってくる話はな、本来仕事などではない。聞く必要も無い他愛ない世間話なのだ。お前はそんなものを持ってきては、私にやるつもりもない余計な仕事を増やそうとしているんだ」

「そんな馬鹿な。この町の調査は葛葉の列記とした仕事だろう。怪しい話があるなら、きちんと調べないと」


 しかし、彼女は不真面目な様子で鼻を鳴らす。


「ふん、そんな細かいことまでいちいち構っていられるものか。私はもっと大きな重大な事件の解決を任されている。些末な事柄など構っていられないのだ。下らないことなど抜かさず、さっさと、ほれ」


 と手の平を突き出した。

 夜彦は顔をしかめる。


「何だよ」

「二百五十円」

「おい、さらっとさっきより金額上げてるじゃねえか」

「気がついたか。あながち馬鹿でもないんだな」


 と、彼女は妙に感心したように目を見開く。その様子が何とも腹立たしい。


「だから、馬鹿じゃねえよ」

「よし、では馬鹿から少しマシな馬鹿に昇格させてやろう。さあ、手を叩いて喜べ」

「何だよそれ、全然嬉しくねえし! 何でそんなに上から目線なんだよ! それに、二百五十円なんて、何するんだ?」

「向こうのコンビニでケーキを買うのだ」


 彼女は道の向こうに視線を向ける。少し離れた場所に、利用客などいるのかどうか分からない、看板の汚れたコンビニがあった。

 まあ、それは良いとして。


「おい、じゃあ喉が渇いたのはどうしたんだ?」

「ああ、そういえばそうだったな。じゃあ三百七十円だ」


 何食わぬ顔でそう要求する葛葉に、夜彦はほとほと呆れて、ため息をついた。

次回も二日後の予定です。

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