其の七
ちょっと予定より遅れ気味ですが、他の連載中の作品が完結すれば安定して投稿出来るようになると思います。
いったい……。
いったい、どうしたんだろう、私。
早鐘のように脈打つ心臓の鼓動を感じながら、井上良佳は安全地帯に逃げこむように、自室のドアを勢いよく閉めた。
バタン――。
すると、その振動で部屋が揺れ、机の上に置いてあったお気に入りのぬいぐるみがぽとりと落ちる。
「あ……」
思わず、声が漏れた。
その人形は机の横の椅子に当たって跳ね返ると、床を転がり、壁に当たって、顔を良佳の方へ向けた。明かりのない部屋の中で、その人形の瞳はどこか、ドアを背もたれに胸を押さえている良佳を、心配そうに見つめている気がする。
しかし、
しかし、その瞳に、良佳は大丈夫だと答えることは出来なかった。
良佳は……自分の中で、何が起こっているのか、全く把握出来ていないのだ。
この鳴り止まない心臓の音が何を意味しているのか、理解出来ない。ここ数週間に及ぶ、その体の変調が、単なる思い過ごしなのか、まずい状態なのか、判断がつかない。
言葉にし難い不快感が、自室にたどり着いた良佳を襲っていた。
良佳は思い出している。
今日の異変の始まりは、確か……。
「夜彦君と、言い争いをした辺りだったかしら」
そう、あの直前、なぜだが、原因不明の胸騒ぎが良佳を襲い、気持ちを落ち着かなくさせたのだ。
だから、あんな風に普段は気にもとめないことで、彼と馬鹿みたいな勝負をすることになってしまった。
そして、それは収まらず、放課後の委員会の会議中でも……。
「委員会中では、ついイライラしてシャーペンの頭を齧っちゃうし」
こんなみっともないマネ、私らしくないわ。
もし、あんなところを誰かに見られてて、落ち着きがない子って思われたら、どうしよう。
『私は、もっと出来る子じゃないと、いけないのに』
はあ、憂鬱、憂鬱……ド憂鬱だわ。
良佳はそう思って頭をぶるぶると振り、意気消沈して、ペタン、とその場に座り込んだ。
それにしても、分からない。
この体の不調が、気持ちの揺らぎが……。
なんらかの身体的な病気か怪我の症状であれば、まだ分かりやすいのだが、そうではないことを、良佳は、『確信』していた。
風邪ではないし、頭痛があるのとも違う、足をくじいたわけでもない。
ではそれは、何らかの精神的な疾患から来る症状かと問われば、それも首を縦に振り難い。
とにかく、正体不明なのだ。
もう、一体なんなのだろう、この胸のもやもやした感じは……。
気持ちが落ち込んで、ふさぎこんでいるのは分かるんだけど、ただ、ストレスの重みがのしかかっているのとは、違う。
そう、違うの。
良佳はそう強く思った。
なんて言うか――。
ぽっかりと大事なものが、無くしてはいけないものが、抜け落ちたような、感じ。
「……」
良佳は無言のまま、落ちたぬいぐるみをだきよせた。むぎゅう、と無理やり頬を寄せるが、満たされた心地はしなかった。むしろ、言い表せない虚しさが明かりのついていない部屋の隅から忍び寄ってきて、良佳の体の中にドクドクと染みこんでいくような気がした。
怖くなって、テレビをつける。
そして、リモコンを操作し、録画していたあのアニメを再生した。一つ目鬼のあようちゃん。彼女が画面の端から端を飛び回る彼女を見ていれば、いつだって元気な気持ちになれるはずなのに、今日はちっともその効果はない。
「本当に、なんなのよ」
と、ふいに、良佳は机の上に置いてある鏡に目が入った。
はっとする。
そこで、またしても『あれ』に気がついたのである。
「まただわ」
良佳は思わず、首もとに手を伸ばし、恐る恐る『それ』をなぞる。
「本当に何なのよ、これ……」
その首もとには、まるで引っ掻いた後のような、赤い筋状の痕が、ぐるりと首の周りを一周、くっきりとついていたのである。
いや、ついているどころではない。
それは、くっきりと、赤く、僅かに、光っていた。
「気持ち、悪いわ……」
昨日見たときには、こんなことにはなっていなかったのに。
恐怖で震える、自分の声。
これじゃ、まるで、誰かに見えない『首輪』をかけられたみたいじゃない。
そう思った時、ぷつん、と良佳の意識は途切れてしまった。