其の五
そうして、彼女に手を引かれ、連れて行かれた先は――。
「ここって、ええと……おもちゃ屋?」
おずおずと訊ねた夜彦に対し、良佳はにっこりと笑って答える。
「フィギュアショップだよ。たっくさんフィギュアがあってすごいでしょ?」
「あ、ああ……」
夜彦は嬉々として商品の陳列棚を見つめる良佳を横目に、ぐるりと店内の様子を見回した。
広い店内は、色とりどりの明るいライトに照らされ、彼女の言うフィギュアが所狭しと飾られている。見覚えのあるロボットや戦艦のプラモデルもあれば、ミニカーや電車の模型なども陳列されていた。皆、精巧な細工がされ、本物と見紛うほどに再現度の高いものもある。
しかし、夜彦と良佳がいる一角は周囲と空気が違った。
夜彦は思わず、生唾を飲み込んで聞く。
「なあ。これって、いわゆる、美少女フィギュアってやつか?」
「うん」
即答かよ。
夜彦はゆっくり棚にずらりと並ぶフィギュアに目を移す。
まあ、確かにそのものずばりではあるけれど……。
様々な服装でチャーミングポースを取っているその人形たちは、やはり、皆一様に丁寧に細工がされている。
柔らかな表情で笑う彼女たちの瞳や眉などの小さなパーツ、微妙な口の形や髪の跳ね具合いまで、不自然さもなく、綺麗に整っている。
しかし、今にも下着が見えてしまいそうな際どいポースや、過度にバストが強調された角度に、夜彦は目のやり場に困った。
「……あの、お前さ、こういうのに、興味あんの?」
「え、いけない?」
驚いて目を瞬かせた良佳に、夜彦は慌ててぶんぶんと首を振った。
「い、いや、いけないってことはねえよ。好きな物は人それぞれだしな」
「そう?」
「ああ。ただ、その、女子じゃ珍しいなって、そう思っただけだ」
「ふふ、だよねー。私って少し変わってるのかもー」
そして、彼女は無邪気にふわりと笑う。
「わたし、かわいい物とかキャラクターが、大好きなんだよ」
その様子がいつものキリリと凛々しい彼女とどうしても上手く噛み合わず、夜彦は調子が狂ってしまう。
一体全体さっきから彼女はどうしたというのだろう。こんな場所に俺なんか連れてきて。
それに、いつもと違って丸っ切り人が変わったみたいだし。
夜彦は首をひねる。
ああ、そういえば、どうしてあの勝負のことを忘れてたのかも、よく分からなかったな。
うーん、良く解らん。
しかし、そんな夜彦の考えなど露知らず、良佳は脳天気にフィギュアを指さして夜彦に話しかける。
「ねえ、この子のコスチュームかわいいでしょう?」
「あ、ああ。そうだな」
夜彦は上の空で彼女の話に適当に相槌を打つ。
と、急に良佳があるフィギュアを見つけて指さした。
「あ、あようちゃん見つけたー」
「あよう、ちゃん?」
夜彦が視線を向けると、ショーケースの中に、一つ、純和風な着物に身を包んだ少女のフィギュアがあった。
いや、着物というか、もはや、別の服装と言った方が正しい具合いに短くカットされた衣装は、派手な赤色の下地に幾筋もの金色の糸が織り込まれた不思議な模様が施されたもので、それを着こなす少女は、長い刀を携えて、今にも飛び掛ってきそうな決めポーズをとっていた。
しかし、それよりも夜彦の目を引いたのは……。
「こいつ、一つ目だ!」
「そうだよ。一つ目鬼のあようちゃん」
「妖怪……! それも、阿用の郷の一つ目鬼か!」
興奮した夜彦は飛び跳ねる。
「え? なにそれ?」
「出雲国風土記、っていう古い書物に載ってる怪談だよ。昔、出雲の国、こいつは今の島根県だが、その阿用って地域で、目が一つの鬼が現れたって話がかれてるんだ」
「へえー」
感心したように良佳がため息を漏らす。
「夜彦君って、怪談になるとやたら詳しいよねー」
「へへん、そりゃあもちろんだぜ」
なんていっても、俺は本物の妖と知り合いだしな。
「ま、どうでもいいけど」
しれっと、彼女が言う。
「うん? 何だか辛辣な一言が聞こえた気がするが……」
と、その時、夜彦の視線がフィギュアの足元に書かれた値段の札を捉えた。
そして、しばし沈黙した後、絶叫する。
「い、一万円!? こ、このフィギュア、い、一万円もするのか!? ちょっと高すぎだろ!?」
「高すぎ? これくらい普通だよー」
「おいおい、せめてこの半額くらいで売れないのか」
「あれ、もしかして、夜彦君、買ってくれるの?」
良佳はそう言って暢気に目を輝かせる。
「ば、ばばばば馬鹿言うなよ! なんでお前のために俺が買うんだよ。いつ話がそんな流れになった。そもそもこんなアニメキャラクター、俺はよく知らないし、たかだか人形にそんな大金が払えるかってんだ!」
「なんだー、残念」
ぷう、と彼女は頬をふくらませる。
そのいかにも憂鬱そうで無防備な仕草が妙に少女っぽくて可愛らしくて、夜彦は少し胸が高鳴った。
そして、そんな自分をすぐに嫌悪する。
何だよ、なんで俺は井上なんかにときめいてるんだ? 勉強のことしか頭にない超インテリ女だぞ。全然可愛くないっつーの。
「そ、そう言えば勉強で思い出したが……お前、塾は行かなくていいのか?」
夜彦は動揺した気持ちを落ち着けながら彼女に聞いた。
「へ、塾?」
「そうだよ、お前、学校が終わったら毎日のように塾に行くじゃねえか。今日は休みなのか?」
すると、急に彼女の表情が凍りつく。そのまま、何の反応も見せない。
「……」
「おい」
夜彦は彼女の肩を叩いた。
今度は一体どうしたと言うのだろう。
と、
「――とか……」
「へ?」
「塾とか……」
途端に、彼女の肩がわなわなと震え出す。
「塾とか塾とか塾とか塾とか塾とか塾とか塾とか塾とか……」
「なん、だよ」
「塾とか、どうでもいいし!!」
まるで、夜彦に今にも掴みかかりそうな勢いで彼女は怒鳴った。
ぎょっとした夜彦は思わず一歩退く。
背中がショーケースに当たって、衝撃で中の商品がぐらりと揺れた。
「お、おい、怒ったのか?」
「別に……」
すると、彼女は視線を落とし、口を閉じて歯ぎしりをした。その表情があまりにも無表情で、異常だったので、夜彦はゾッとする。
こいつ、ほんとに大丈夫かよ?
「私、帰るね」
「え、おい!」
急に良佳は方向転換し、夜彦の方を見向きもしないで、そそくさと店を出て行く。
夜彦は慌ててその後を追った。
しかし、店を出たところで、すでに彼女の姿はなく、二、三度左右を見渡した後で、呆然とその場に立ち尽くした。
もう、帰ってしまったのだろうか。それにしても、まるで、その場から跡形もなく消え去ってしまったかのようなスピードだ。
「くそ、あいつ、どういうつもりだ?」
夜彦はそうぼやいて、仕方なく、家路につくため進行方向を逆に向ける。
「まあ、明日にでももう一度話しかけてみるか。勝負の事も一応確認しておく必要があるしな」
そう独りごちた。
しかし、その日の異変はそれだけでは終わらなかったのである。