其の四
そして、神社からの帰り道――。
夜彦は町の大通りをふらふらと当てもなく歩きながら、気もそぞろに物思いに耽っていた。
これで、葛葉からの支援は期待できないことが確定したわけではあるが、その後、明日の良佳との勝負に向けて、なんら有効な代案を見いだせないままなのである。
こうなれば、彼女の言うとおり、良佳に素直に頭を下げるか、もしくは、全く別の他の妖を連れてくるしかない。
うーん、けれど、他の妖ねえ。
夜彦は重いため息をつく。
葛葉が先ほど言っていた、神出鬼没の妖でも首尾よく見つけ、捕らえることが出来れば、それがいいのかもしれないが……。
しかし、果たしてそれが可能かどうかと言われれば、残念ながら、首を横に振るしかない。
そもそも、葛葉が言っていた通り、彼女でさえ手こずる妖に対して、夜彦が立ち向かえるはずがないのである。
それならまだ、葛葉にもう一度頼み込む方がまだ可能性が高いかもしれない。
だが、と夜彦は思う。
一度あれほど手痛く拒まれて尚、彼女にすがるのは、果たして男らしい行動だろうか。
間違いなく、否。却下だ、却下。
夜彦は首肯する。
男のプライドというものは、いつだって安売りするわけにはいかないのだ。
しかし、一方で、このまま放っておいても、事態が好転することはない。
「こりゃ、マジでヤバいぞ」
夜彦は頭を抱えて焦っている。
「ああ、くそう。あの女が高笑いしている様が目に浮かぶぜ」
夜彦は井上良佳のことを思い出す。
彼女はクラスの中の優等生として、広く校内にその名を知られている有名人である。成績は優秀だし、校内の様々な委員会の重役を担い、常に将来を羨望されるような完璧人間なのだ。
夜彦はそんな彼女を特に意識して見ていたわけではないが、今回のことで、行き当たりばったりに喧嘩を売ってしまい、こうして窮地に立たされたことは非常にまずいと思っていた。
本来ならば、大衆の面前で、あの高々と伸びた彼女の鼻をあかしてやれるとも思っていたのだが、これでは自分の放り投げた石に躓いて、丸っ切り形勢逆転というものだ。
もしもこのまま、彼女との勝負に負ければ、彼女は学校に君臨する絶対的な正義として、その名を馳せ、反対に負けた夜彦としては、そんな高貴な人間に無謀にも牙を向き、敗れ去って行った愚かな生徒として、その名を学校の影の歴史に刻んでしまうことだろう。
そんな不名誉この上ない光景が目に浮かんで、夜彦はゾッとする。
ああ、絶対駄目だ。それだけは駄目だ。
万が一、最悪の結果となれば、これから残りの夜彦の有意義な高校生活に、大きな影を落とす原因になりかねない。
そこから考慮すれば、やはり、彼女に負けるわけにはいかないのだが、とはいえ、それはあまりにも無謀なこと。
とすれば、残された道は一つしかないな。
「ここは素直に、井上の奴に頭を下げて、勝負を無かったことにしてもらうのが一番かなあ」
そう独りごちる。
そうなれば、勝負を逃げた夜彦に対し、その後、臆病者としてのレッテルが貼られることになるかもしれないが、このまま勝負を挑んで、無残にも玉砕するよりはいくらかマシだ。そう思ったのである。
夜彦の望む男らしい生き様を貫き通すのならば、世に名を馳せる勇猛な戦士とはかくや、と思われるような見事な玉砕も已む無しだが、そんなプライド守るための行為とバラ色の未来が光り輝く貴重な高校生活とを天秤にかければ、どちらに傾くかは、言わずもがな、だ。
と、そんなことを考えていると――。
「私がどうしたの?」
聞き覚えのある声がして、夜彦は振り向く。
すると、そこには何と、制服姿の井上良佳本人が立っていた。
「あ、あ、あ……」
あまりの展開に、言葉を失い、夜彦は震えながら口を開閉させる。
「あの、夜彦君?」
「……い、いやあ、井上じゃないか、奇遇だなー!」
慌ててそう言い繕い、愛想笑いをしてみせる。
ここであからさまに教室の時のような敵意を見せては、会話を続けにくい、そう思ったのである。
偶然とはいえ、ここで彼女と出会えたことは、あの勝負のことを話す十分なきっかけとなったのだ。
あわよくば、ここで先程の勝負を取り消すことが出来るよう、その努力をしなければならない。
そう考えた夜彦は、焦りを隠そうと、必死に平静を装う。
「い、井上は、こんなところで何してるんだ?」
そう、まずは自然な会話を成立させていくところから。焦りは禁物だ。
しかし、肝心の良佳から、返事が返って来ないことに夜彦は気がつく。不審に思って、目の前を見ると、良佳の姿が見えない。
「あ、あれ? 井上?」
会話の途中だと言うのに、もう帰ってしまったのだろうか。夜彦はきょろきょろと周囲に眼を向ける。
すると、いたいた。
井上良佳は近くの書店のウインドウをしげしげと覗き込んでいる。彼女のことだから、勉強のための参考書でも買いたいのだろうか。
しかし、ここで彼女との会話を終わらせるわけにはいかない。
「おい、井上」
と近づいて肩を叩く。
「うん? 何か用?」
「ああ、ええと、その、さっきの話なんだがな」
「さっきの話って何?」
「だから、しょ、勝負のことだよ。ほら、教室で決めたじゃないか?」
しかし、彼女はなぜかきょとんとした表情で、
「なにそれ、私、覚えてないけど?」
「え!?」
夜彦は耳を疑った。
勝負のことを覚えていない、だって?
これは一体全体どういうことなのか。
夜彦は彼女が何かしらの冗談のつもりでそう言っているのかとも考えたが、少なくとも夜彦が見る限り、彼女がそんな嘘をついているようには見えない。
反応がそれだけナチュラルなのだ。
「ほ、本当に?」
「うん。全然覚えてない」
彼女が真実を言っているのならば、これは願ってもない状況なのだが、夜彦としてはどうにも腑に落ちない。
何かの間違いということはないのだろうか。
夜彦は彼女の肩を掴んで揺さぶる。
「井上、いいか? もう一度聞くぞ、本当に、教室で話した勝負のことを、全然全く何も覚えていないのか?」
すると、彼女はいやいやと首を振り、うっとおしそうな様子を見せた。
「しつこいなあ、嘘じゃないったら……それよりも夜彦君、こっちに行こうよ」
「え?」
「だから、こっちこっち」
そして、彼女は今まで見たこともないような無邪気な顔をしてにっこり微笑むと、急に夜彦の手を引いて通りを歩きだした。
「お、おい、どこに行くんだよ?」
「いいからいいから……」