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妖げんげん  作者: ヒロユキ
第二話 動じない男
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其の九

「秋正」


 すると、急に彼女から名前を呼ばれる。


「何?」

「お前はそんなにまでして、うどんを作りたいのか?」


 急にぐっと顔を寄せてくる。半眼で鋭く睨まれた。

 なんだか、すごい迫力だ。途端、秋正は息が詰まったように感じる。まるで彼女のその瞳には、魔法のような不思議な力が宿っており、見るものを圧倒する光線を放っているようだったのだ。

 蛇に睨まれた蛙とは、このことを言うのだろうか。迂闊に身動きが取れない。

 変だな。秋正は思う。いつも昼間に見る時はそんな感じはしなかったようだけど、どうして今はこんな風に感じるのだろう。

 不思議に思いながらも、秋正は答えた。


「う、うん。それはもちろんさ」

「ほう」

「うどんを作ることは、僕の生きていく道そのものだからね。どうしても、自分で誇れるようなうどんを作りたいんだ。食べてくれる皆が喜んでくれるような。だから……だから、これは、そのための一つの試験だと思ってる」


 すると、彼女は納得したように深々と頷く。


「なるほど、うどんはお前にとっての生きていく道、か。それは素晴らしい志だな。秋正、私はお前のその高き志には敬意を表そう。しかしだ――」


 そこで言葉を切り、いきなり怒ったように秋正の鼻先に葛葉はつんと指を突きつける。


「自分の体調管理も出来ずに、無茶苦茶をやって寝こんでしまってはうどん作りも何もないのではないか?」

「そ、それは……」

「いつでも最高の技術でうどんを作りたいのであれば、体調管理くらいできて然るべきだろう。それが職人というものだ。それともお前はなにか、眠い目をこすりながら作ったうどんに魂がこもるとでも思っているのか?」


 そう言われると、秋正は何も言えなくなる。彼女の言葉は全くもって正論だった。反論の余地はないし、ぐうの音も出ない。


「確かに、そうだね」


 秋正は素直に謝る。


「ごめん、僕が間違ってた」

「うむ。そうか、分かったならいい」


 頭を垂れると、葛葉はまるで、教え子を見る厳しい教師のように腕を組みつつそう言った。そして、「今日はもう眠れ」とほとんど命令するようなつんとした口調で言う。

 いまさら反抗するつもりなど毛頭ない秋正は従順にただ頷いた。


「う、うん。ありがとう。そうするよ」


 それを見て、夜彦がやれやれという感じでため息をつく。




 その後の片付けは夜彦たちの手伝いもあり、すぐに終わった。調理用具を仕舞って、調理台を拭いてしまうと、後にはもうやることもなかった。

 おそらく三分もかからなかっただろう。

 とはいえ、夜ももう深い。時計の針はすでに夜中の三時になろうとしていた。秋正はふらふらになり、すぐにでもベッドに転がり込みたい気持ちになる。

 しかし、わざわざ手伝ってくれた二人をそのまま放っておくわけにはいかない。秋正は最後に二人にお礼を言い、店の入口まで送った。


「本当に、今日はありがとう」

「何、いいってことよ。俺とお前の仲だろう?」


 夜彦は気さくな笑みを浮かべている。


「うん。ありがとう。もうずいぶん遅い時間だから、帰り道は十分気をつけてね。出来れば家まで送ってあげてもいいんだけど。特に葛葉ちゃんは女の子だし」

「うむ」


 すると、彼女は秋正の心配が分かっているのか、どうでもいいことのように、クールにそう言っただけだった。

 それはまるで、自分は絶体に何があっても、危険な目にだけは遭うはずがないと確信しているように見える。いや、むしろ、危険な目に遭うとすれば、それは相手の方だとも言ってのけそうなオーラさえ感じた。


「ハハハ、秋正。葛葉なら大丈夫だよ」

「大丈夫って、格闘技でも出来るの?」


 だとしたら、得心もいくのだが。


「まあ、そんなところだ。それに、そもそもこいつは怪しい人間から狙われるわけがない。何しろ、よっぽどこいつ自身の方が『怪しい』し、な……」

「え?」


 それは、どういう意味だ?

 夜彦にそう問いかけようとしたところで、


「時に、秋正よ」


 当の葛葉が口を挟んできた。見れば、彼女は複雑な表情を作って、何やら、周囲に目を配っている。


「そののっぺらぼうとやらが来るのは、まだ先のことであったはずだな」

「そうだけど、それがどうかした?」


 すると、彼女は、


「ああ、いや、やはりそうなのか。だとすれば、変だな……」


 とどこか腑に落ちない言い方をする。

 そして、やはり、目をキョロキョロさせて、さらに、くんくんと匂いを嗅ぐような素振りもしている。まるで動物のような仕草だ。


「何か気になるのか?」


 これは夜彦が訊いた。


「いや、一応確認しただけだ。大したことではない」

「ふうん」


 夜彦はそれで溜飲を下げたようだったが、秋正は彼女の向けている視線の先が気になった。

 彼女は一体何を探しているのだろうか。

 秋正はその行動が、何を意味するのか少し考えたが、分からなかった。ともかく、それを考える余裕もないほどに、体力が低下していたのだ。

 そして、彼らが通りの向こうの闇に消えるまで手を振り、戸を施錠すると、一直線にベッドに向かい、呼吸する間もないほどの短い時間で、溶けるように眠ってしまった。





「ほらな、定期的なパトロールしてて、正解だっただろう?」


 うどん処「和泉」からの帰り道、夜彦はそう得意げに葛葉に話しかけた。


「たまたまあの店に立ち寄ったことで、あいつが無茶やってるのを止められたしな」


 人通りの皆無な町の国道沿いを彼女と歩いている。彼女は人間よりも遥かに身軽なため、細いガードレールの上を器用にバランスを取りながら、進んでいた。

 そんな彼女が、夜彦の言葉にむすりとした顔で、言い返す。


「ふん、何がパトロールだ。私はそんなもの続けるつもりはないぞ。お前が勝手に始めたのだしな」

「何言ってるんだよ。この地域の夜間の状況報告はお前の仕事なんだろうが。どんな妖がいるのか、きちんと把握する必要があるんだろ」


 夜彦はいつだったか、彼女がそんな仕事の話をしていたことを話していたのを覚えていたのだ。

 そのために週に一度はなるべくこうして、夜、適当に町をパトロールすることを繰り返しているのだが、その時、彼女を伴って行くのにはかなり苦心する。

 なぜなら、その発言をした当の本人は、


「ああ、そうだったかな。全く記憶にないが」


 と、毎回このようにごまかし、思い出そうと努力すらしない様子なのだ。

 夜彦は深い溜息をついた。

 こちらは毎度親に夜間の外出がバレないかひやひやしているというのに。まあ、それは誰に強制されるわけでもなく、夜彦の意思でしていることなのだから、彼女に文句を言うことはできないけれど。


「ったく、葛葉はいつもそうだよな。俺が目を見張るようなやる気を、一度くらい見せてみろよ」

「バカ言え、私がやる気を出してみろ。一つの都市が地図から消えることになるぞ。もし夜彦の指示でそうなった場合、その責任をお前は負えるのか?」

「あ、あのなあ……」


 夜彦はそんな彼女の言い草に呆れてしまう。しかし、彼女は飄然と話を続けた。


「夜彦、私はやる気を出さないのではなく、やる気を出し過ぎないよう努力をしているのだ。何事もバランスを保つというのは重要だぞ。力の加減然り、妖と人の関係も然り。そして、それは実に困難で、同時にとても退屈なことだ。私がいつもこうして仏頂面をしているのには理由があるのだよ。お前にはその点を含めて評価してもらいたい」

「へえ、世の中にこんなに真摯でひたむきな努力があるとはお見それしたよ」


 無論、この夜彦の言葉は棒読みである。彼女の詭弁にまともに付き合うほど、夜彦はお人好しではない。


「まあ、しかし、面倒とはいえ、妖の様子を探るパトロールとしては、今回は少しだけ意味があったかもしれんな」


 しばらくして、急に彼女が妙なことを言い出すので、夜彦は一瞬戸惑った。


「何の話だ?」

「いやなに、少しだけ、あのうどん屋の周囲で妙な気を感じたというだけよ」


 そう言えば、秋正との別れ際、彼女が周囲を気にしていたのを思い出す。


「それって妖なのか?」

「まあ、妖だが……ふむ。どういうつもりなのだろうな」

「あん? 何のことだ?」


 夜彦には意味が分からない。

 すると、彼女は詰まらなさそうに、


「まあ、お前が気にすることではない」


 そう言って、葛葉はガードレールから飛び降りる。長い尾のような銀髪がその後にならって、しゃらんと綺麗に揺れた。


「その日になれば、きっと分かるはずだ」

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