其の六
ひと通り話を聞き終わった後、葛葉は、ゲップと共にため息をついた。空っぽになった器にからん、と箸を放る。
「なるほどね」
と眼を閉じて頷く。
「事情は大体分かった」
夜彦はそんな彼女に隣から秋正に悟られないように、ひそひそ声で話しかけた。
「おい、葛葉」
「うむ?」
「話を聞くに、どうやら今回は救済が必要なんじゃねえか?」
「救済……」
小さく口を動かして、彼女がつぶやく。
「そうだよ。なんだか、そののっぺらぼうのおっさん、行き場をなくして困ってるみたいだし」
夜彦は知っている。
そうした妖を救うのも、この葛葉、幻門白狐の大事な仕事の一つなのだ。
人類の文明が発達してからというもの、闇を奪われ、居場所を無くす妖たちが急増している昨今、彼らに避難場所を提供することにより、これ以上の種の数を減らすのを防ぐのである。人命救助ならぬ、妖命救助だ。これは、いつも夜彦が持ってくる下らないと言われる話と比べると、それなりに緊急性がある話である。
さすがに事がここまで及べば、彼女も放っておけないに違いない。
すると、葛葉はふん、と鼻息を飛ばす。そして、面白くなさそうに口を尖らせて、
「そうだな」
と、渋々といった感じに頷いた。
「誠に遺憾ではあるが、この件については、詳しく調査をする必要があるようだ」
結局の所、困っている他者を見過ごせないくせに、そのひねくれた態度を見せるところが彼女らしいところだ。
「だろ?」
「場合によっては幻妖界につれていく必要もあるな」
夜彦は喜び勇んで手を叩く。
「よし、これで決まったぜ」
これでその妖と対面できるというわけだ。
しかし、それを見た彼女に、刺のように鋭い彼女の視線で睨まれる。
「おい、遊びに行くんじゃないんだぞ!」
「そ、それくらい分かってるよ」
慌てて言い返して、苦笑いする。危ない危ない。できるだけ感情は抑えないと。
ここで彼女の機嫌を損ねることはかなりまずい。場合によっては、ジャマをするからという理由で、同伴を拒否されることもあるのだ。
葛葉は未だ夜彦を牽制するように、じろじろとこちらを見ていたが、やがて、秋正に声を書けた。
「済まないが、秋正」
器を洗っていた秋正の手が止まる。
「何?」
「そののっぺらぼうとやらは一週間後に現れるのだろう?」
「そうだけど」
「ならば、そいつがくる日、私たちもその場に同席しても、構わないか?」
急なことに驚いたのか、わずかに秋正の目が見開かれたのが分かる。
「え、別にいいけれど。どうするの?」
まあ、秋正からしてみれば、当然の疑問だろう。普通ならば、そんな恐ろしい妖などに積極的に近寄ろうとすることなどないのだ。
さあ、果たして、葛葉はそれをどう上手くごまかすのか夜彦が見ていると、急に右足の甲に激痛が走った。
「いてっ!」
どうやら、葛葉に踏まれたようだった。
涙目で見れば、彼女が困ったように夜彦に目でサインを送ってくる。どうやら、自分では答えられないため、自分に代わりに答えろということらしい。
ったく、そういうことなら、最初から考えておけよ。
そう思いながらも、夜彦は渋々答える。
「ああ、その、な。俺達もそののっぺらぼうに会ってみたいな、なんちって……」
「はあ、いいと思うけど。変に騒いだりしなければ」
案外すんなりと了承を得ることが出来た。
「そうか、サンキューな、秋正。恩に着るぜ」
「ごちそうさま」
すると、そのタイミングで葛葉が空になった器を秋正に返す。
「このうどん、中々うまかったぞ」
感情のあまり込もらない声で感想を言う葛葉は、表情をあまり表に見せない秋正と似たり寄ったりで、無愛想である。もう少し、嬉しそうに言えばいいのに、と夜彦は思う。
しかし、彼女の顔をよく見れば、眉をぴくぴくとぎこちなく動かしている様子で緊張を隠しているようだった。やはり、彼女と言えど、きちんとした感想を言うとなれば、少なからず緊張するものらしい。
その様子が何とも微笑ましく、知らず、ニヤニヤしてしまう。
「そ、そう?」
「しかし、いかんせん具が多いな。料理というものは、あれこれ入れればいいというものでもないだろう」
秋正はそれを聞き、はっと口を押さえて、失態に気づいた表情になる。
「そ、そうだね。基本的なことを忘れていたよ」
やはり、あまり表情は変えないものの、少なくとも恥ずかしそうに、首筋を指で掻いた。すぐに目が泳いでいるところを見るに、何かそれに代わる新しい案を探しているのだろう。
「もしかして、それ、のっぺぼうのおっさんに食べさせるのか?」
と夜彦が訊くと、秋正は自信なさ気に頷く。
「う、うん、そう思ってさ、ここ数日頭を捻ってるわけさ」
「ふーん、それでお前、テストの勉強もしないでひたすら打ち込んでいたわけだ」
それも、母親の話では、朝方までということらしい。つまり、ほとんど寝ないでうどん作りをしているわけだ。
しかし……。
そんな疲労など秋正は微塵も見せない動作で、キビキビと動いている。夜彦はそれを感心すると共に、不思議にも思った。
「よくそんなに熱中できるもんだな」
「……まあね」
と額の汗をぬぐいつつ、秋正が答える。
「うどん作りはさ、今の僕にとっては、人生の柱みたいなもんだからね」
「人生の、柱?」
「そう、それくらいに大事ってこと。だから、自分が納得出来なきゃ止められないんだ」
そう目を輝かせながら語る秋正はこれまで以上に生き生きしていた。これこそがひたむきというのだろうか。夜彦は思う。いつも表情の変わらぬ寡黙な少年のようであるが、その内には確かに一本の柱のような変わらぬ一念が宿っているのだろう。
ふいに、隣の葛葉が肘で小突いてきた。
「この殊勝さを夜彦も見習ったらどうだ?」
「う、うるせえ」
ぶっきらぼうに言い放って、そっぽを向いた。何だか居心地が悪くなり、さっさと立ち上がると、二人分の勘定を台の上を置く。「こら、勝手に行くな」と、駆け寄ってくる葛葉の向こうの秋正に元気よく手を振った。
「じゃあ、また明日、な」
「うん、じゃあね。毎度あり」