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妖げんげん  作者: ヒロユキ
第二話 動じない男
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其の四

「一緒に探しましょう。どこら辺に落としましたか?」


 秋正がそう話しかけると、のっぺらぼうは大いに驚いたようだった。

 時が止まるとは、まさしくこのことを言うのだろう。

 上から襲いかかるように両腕を宙に広げ、秋正の上に黒い影を落としたのっぺらぼうが巨大に口を大きく開けたまま、動きを止めているのである。それが、秋正には、落ち流れてくる滝の水が宙でその場に留まり、固まってしまったような不自然な印象を与えた。

 同時に、まるで体に覆っている感情の糸が全て解けて、酷く現実感を喪失するような感じがする。

 分かりやすく言うと、秋正は目の前ののっぺらぼうに対して、今更ながら恐怖したのである。

 本来であれば、数テンポ前にそう感じるのが普通であるのだろうが、元来、秋正には、人と比べて感情の到着が遅いところがあり、その実感にこのようなタイムラグが生じることが多々あった。ちなみにそれが、秋正が感情の発露が薄いと思われている一つの原因でもある。

 ともかく、そんな虚脱感に襲われた秋正は、急に、もしかすると、自分が奇妙な夢を見ているのではないかと直感した。

 本当の自分は今も調理場にいて、台の上でぐうぐうといびきをかいて眠っているのだ。そんな妄想が瞬時に膨らむ。

 全く、暢気なものだ。それから、うどんを作っていて眠ったのならば、うどんの夢を見ればいいものを、どうしてこんなものを見ているのだろうと能天気にぼんやりと思う。

 しかし、それは夢ではなかった。

 眼前ののっぺらぼうはそのまま幻の露と消えるのではなく、確かに、今も存在しているのだ。

 すると、ふいに目の前で今にも襲いかかろうとしていたのっぺらぼうが動き出した。

 そうして、何をするのかと思っていると、いきなり、大きく体を仰け反らせて、彼は笑いだす。


「がっはっはっは」


 と、勢いよくバシバシと夏生の背中を叩いた。


「こりゃあ、肝が座ったにいちゃんだ」


 その力があまりにも加減を知らないので、危うく秋正は向こうの電柱のあたりまで吹き飛ばされそうになる。

 踏ん張りながら、答えた。


「い、いえ、まあ」


 すると、そのっぺらぼうは秋正の顔をぐっと覗き込んできて、「ぐわぱぁ」と口を開いてみせ、不気味ににんやりと笑った。


「はは、兄ちゃんは、おいらが化物だってこと、分かってるんだろ?」

「はあ、やっぱりそうなんですか?」

「そうさね。おいらが、言わずと知れた目鼻の無い妖、のっぺらぼうだよ」


 そうして、自信あり気にポンと胸を叩く。と思ったら、なぜかそこでモーションが止まり、のっぺらぼうは気が抜けたように立ち尽くした。それまでの貫禄のある立ち振る舞いはどこへやら、急にどこか雨にぬれた子犬のような侘しさを秋正は感じた。これには、それまで抱いていたのっぺらぼうに対する恐怖がすっかり失せ、


「あの、どうかしたんですか?」


 と、思わず、秋正はそう訊いていた。

 すると、のっぺらぼうはうつむきつつ、ちらりと秋正の方を見て、


「うん、いやね、別になんということもないんだよ。ただ、ちょいとおいら、悲しくなっちまったんだよ」

「はい?」

「自分で言わずと知れた妖なんて、声高に言っておきながら、こんな兄ちゃんも驚かせなくなっちまったのかと思うとね、何だか、急に寂しくなっちまったのさ」


 そうして、彼は見えない涙でも拭うように、腕で顔をこすり、ぶつぶつと呟く。


「最近はさ、どこにも行くあてなんてなくなちまったしよ。ぶらぶら歩き回るばっかりで……久々に驚かしてやろうと思ったらこれとはな。まあ、仕方もねえよな。昔っからワンパターンの驚かし方だし。こんなんじゃ、今時赤ん坊だって泣きゃしない。はあ、こりゃあ、一族の恥だな」

「ええと、どういうことでしょう」


 秋正には彼が言っていることがよく分からない。


「ハハ、兄ちゃんには関係ねえよ。とにかく、済まんな、いきなり驚かせて……邪魔にならねえように向こうに行くからさ、安心して帰ってくれや」


 そうして、彼は微笑んだつもりなのだろうか、少し口角を上げて会釈をし、くるりときびすを返すと、道の端をとぼとぼ歩いて行く。その背中がどこか寂しい。


「はあ、しかし、困ったなあ。もうすっかり行く宛もなくなっちまったし。これから、どうするかな」


 と、まるで、職をなくしたサラリーマンのようなことを呟いていてるものだから、秋正も気になって追いかけた。さすがにのっぺらぼうと言えど、これほどひ弱な背中を見せられては、放っておけない。


「あの、僕に出来ることがあれば、言ってくれませんか?」


 肩を叩いて、問いかけた。

 すると、のっぺらぼうは、頭をぐぅわりと半回転逆に捻り、秋正を見て、一瞬唖然としていたが、急に表情を綻ばせた(ように見えた)。


「何? 兄ちゃん、おいらの力になってくれんのかい?」

「ええと、その、はい」

「ほ、本当に、かい?」

「ええ」


 秋正は頷くが、本当は、つい勢いだけで言ってしまったことで、もしかすると、言うべきではなかっただろうか、と少し後悔し、


「僕に出来る範囲なら、ですけど」


 と慌てて付け加えた。

 のっぺらぼうはそれを聞いて、


「そうだよなあ。おいらは妖で、兄ちゃんは人間だし。頼めることは限られるよなあ。まさか、おいらの住処を探してもらうわけにもいかねえし……うん?」


 すると、彼は急に何かに気づいたように、ぴくんと体を揺らし、まるで見えない鼻で物を嗅ぐように、くんくんと頭を動かした。


「もしかして、兄ちゃん。この匂い、うどんじゃねえか?」

「は、はい。そうですが?」

「もしかすると、そこのうどん屋をやってたりするかい?」


 まさにその通りだったので、秋正は頭を上下に動かした。のっぺらぼうはそれを見て、期待に満ちた表情になり、


「じゃあ、すまねえけど、ちょっくらうどんをごちそうになってもいいかな?」


 と、そう言った。






「それで、お前、そいつにうどんを食わせたのか?」


 夜彦は何ともあきれ果てた様子で訊ねた。妖の存在にそれほど動じない秋正も秋正だが、人間を頼ろうとする妖というのも、おかしなものである。今までそれなりに妖の話はいくつも聞いてきたが、これほど妙な話は聞いた試しがない。


「うん」


 すると、秋正は素直な子どものように頷く。自分の行いに対して疑問などは持っていないようだ。


「タダで?」


 と訊くと、


「まあ、困っていたみたいだし」


 こう言う。


「はあ……」


 夜彦がため息を吐くと、秋正は再び話の続きを始めた。

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