雍門子狄
雍門子狄の生い立ちや前半生は私の創作です
戦国時代の中国は多くの国々に分かれている。
雍門子狄は亡命者だった。
子狄は産まれも育ちも越だったが、母は越人ながら父は斉人だった。
父が斉人だったために、子供の頃から周囲との衝突が絶えず、子狄はケンカしながら育った。
とはいえ、ケンカばかりではなく、友人も多かったし、成人が近づくと結婚の話も持ち上がってきた。
当時のことだから自由な恋愛も許されず、両親が縁談を進めていたのだが、
子狄は隣の家の少女が好きで彼女と結ばれたいと願い、両親にもそう頼み込んだが、隣の少女は身分の低い相手だったので両親は渋っていた。
そうしているうちに、父は流行り病で亡くなってしまった。
子狄が父を埋葬して、弔問客を迎えていると、弔問にやってきた母の兄弟の息子(今まで会ったことも無かったが)が父の国のことで父を侮辱するような事を言ったので、子狄はカッとなって、持っていた葬儀用の杖で彼を殴り付けた。
打ち所が悪かったのか、子狄の力が強すぎたためか、その男は死んでしまった。
葬儀場は騒然となり、弔問客はバラバラに散っていき、後に残ったのは子狄と母だけだった。
母が言った。
「お前、今に捕手が来るよ。逃げるしかないよ」
「しかし、どこへ?」
「急いで馬を用意して、斉へ逃げるんだよ。お前の父さんの国へね。」
「分かりました。一緒に行きましょう。」
かくして、子狄は母を連れて斉へ亡命した。
斉には一度も来たことはなかったが、ここが父の祖国なのだと思うと感慨深い。
父の親類を頼ろうと思っていたのだが、彼らは行方も知れなかった。
母を養わなければならないので、子狄は兵士になった。
時は戦国時代なので、兵士には幾らでも需要がある。
子狄は斉に来てからずっと、越の出身であることや母が越人であることを隠していた。
越にいた頃、父が斉人であったために起こった困難の数々を覚えていたからだ。斉に亡命してきたのも、元はといえばそのためだ。
友人達はどうしているだろうか。あの少女は?着のみ着のまま逃げてきたので彼らがその後どうなったかは全然知らない。親類がどうなったかも知らない。
子狄は強かった。
最初は一歩兵だったが、たびたび軍功をあげたのでそのうち将軍の目に留まり、百人将になり、千人将になり、斉王の目に留まって、斉王の近衛兵に選ばれた。
一介の亡命者から王の近衛兵に、非常な栄達である。
子狄は深く恩に感じ、斉王のためなら万死をいとわないと誓った。
やがて母も亡くなり、子狄は独りになった。
子狄は王宮の図書係と親しくなった。
子狄は字が読めないので、図書係に読んでもらって様々な故事を知った。子狄は武勇伝を好み、呉の専諸や、晋の予譲が主君のために命を賭した話を聞いて感嘆したりした。
ある日、子狄は聞いた。「斉で、一番の勇者の話を聞きたいな」
図書係は言った。
「勇者と言っても色々ありますからな。しかし、最も死を軽んじたという点ではあの“車輪の人”が一番でしょうな」
「どういう人なんだ、それは?」
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それはこういう話だった。
昔、当時の斉王が狩りに出かけると、斉王の乗った馬車の左の車輪がギシギシきしんだ。
すると一緒に乗っていた護衛の男が言った。
「私を死なせてください」
斉王は言った。
「なぜだ?」
「王の耳に、車輪のきしむ不快な音を聞かせてしまったからです。」
「車輪がきしんだのは車輪作りの職人のせいだ。お前が悪いわけではないだろう」
「誰が車輪を作ったかは知りませんが、私が王にそのきしむ音を聞かせてしまった事は確かです」
そう言って、護衛はついに自らの首をはねて死んだ。
****
図書係は言った。
「この人がなぜそこまでしたかは分かりません。記録にはこれだけしか残っていませんから。
ともあれ、死を軽んじた点ではこの人が一番でしょう。」
「そうか・・・」
確かに、理由は不明だ。忠義にしてもやりすぎな気がする。この護衛にも何か意図があったのだろう。
ともあれ、この話は子狄の印象に強く残った。
ある日、ついに恐れていた事が起こった。越軍が斉に攻めてきたのだ。
子狄は窮地に立たされた。
他の国となら、斉王のためにいくらでも戦うつもりがあった。
しかし、母の祖国である越と戦うことだけはできない。
あの友人達も、越軍の兵士の中に混ざっているだろうし、結婚しようとしていたあの少女も、母の親類も、みな越の地にいるのだ。なにより、母を裏切る事になる。
さりとて斉のために戦わなければ、逆に父を裏切る事になるし、斉王の恩に報いることができない。
・・・考えるのにあまり時間はかからなかった。最初から答えは出ているのだ。
思うに、あの車輪の人は車輪作りの職人の友人か何かで、友人をかばおうとしたのだろう。
子狄は、衣冠を整えてから斉王に謁見して、言った。「私を死なせてください。越軍が攻めて来ましたから。」
斉王は言った。
「なぜだ。まだ越軍は国境に達してもいないぞ。戦う前から自殺するとは、それが臣下の礼なのか?」
「王は、あの車輪の人の話をご存知ですか?あの車輪がきしんで自殺した護衛の話です」
「その話なら、聞いた事がある」
「今、越軍の音が耳に不快なのは車輪がきしむ音の比ではないでしょう。
車輪のためにさえ死ぬのなら、今私が死んでも悪くはないはずです」
そう言うと子狄は斉王が止めるのも聞かず退出した。
子狄は斉の宗廟の前まで来ると、剣を抜いた。今まで幾人もの人間をこの剣で斬ってきたが、最後に斬るのは自分自身になるのだ。そういえば、こんなことわざがあった。
「天の下す災いはまだ避ける事もできるが、自分の引き起こした災いは避ける事ができない」
しかし、どこからが自分の引き起こした事だったのか。兵士になったからか。あの親類の男をカッとなって殴ったからか。たまたま自分に腕力があったからか。父が斉人で、母が越人だから?
いや、もうどうでもいい。いずれにせよ、これで最後だ。
子狄は宗廟の前で自分の首をはねて死んだ。
斉には越の間者が入っていた。
越の間者が子狄の事を報告すると、越軍の将軍は軍を七十里後退させ、ついには斉と戦うことなく越に帰った。
「もし斉王に従う者がみな雍門子狄のようであったら、逆に越のほうが滅ぼされかねない」
と思ったからであった。
かくして、子狄は自分以外は誰の血も流すことなく、越軍を退けたのだった。
完