未来予想図
この小説は実話を元にしたフィクションです。
とある平日の昼下がり、私はその駅に下り立った。
人生四十数年、留学の二年を除いては、住まいを移すことのなかった東京都の、しかも都内と呼ばれる場所であり、私鉄ではあるもののそこそこメジャーな駅ではあったが、私には初めて下り立った未開の駅であった。
私にとっては未開であることと、暦の上ではきっちり秋であるはずなのに、地面がうねるような暑さであることを除けば、別段変わった駅ではなかった。
携帯電話に写し出されるナビによれば、右手は住宅街で、私が目的地とする取引先は左手にあった。駅の反対側にある大手スーパーへ続く高架下を脇に見て、線路より一本離れたその道にはちらほらと店舗のマークがついていた。コンビニエンスストアの向かいが取引先である。
普段内勤である私は、でっぷりと年輪を纏った腹と、その向こうにちらりと見える履きなれない革靴を恨みながら、左手へと足を進めた。
この暑さのせいか、日常が弛む時間のせいか、人影はなく、ひたすらに建物の内部を冷やすための羽根音が熱気を含んで響き渡っていた。微かに聞こえる蝉の声は、土の中で過ごした七年の明けが今日であることを恨めしく今にも消え入りそうだった。
首の後ろを流れる汗も、その尋常ではない量のおかげで、いつもより脂を含まずさらりとしていた。変わりに重くなったハンドタオルで汗を吹きながらふと見た先には、野良猫らしく薄汚れた体毛をもてあまし、野良猫らしからぬほど腹をさらし、背中の出来る限りの部分を日陰の草に冷却させようとしているチャトラの姿があった。私は、
「お前も難儀よのぉ」と呟いて、同志の姿に習い、日陰を行った。
しばらく行き、目を上げるとコンビニエンスストアの登りが見えた。思いの外近かった。困った。約束の時間は午後三時で、まだ三十分近くある。小腹も空いたし、汗もひかせたい。しかし取引先の目の前のコンビニで握り飯を食うわけにもいかぬ。慌てナビを覗きこむが、店舗らしいマークがあるのは微妙な距離をすぎたところだった。どうしたものかと何気なく右手の道をみると、一本の登りがはためいた。私は目を疑った。
どうということのない蕎麦屋だった。アルミサッシの引き戸に偽物の藍染の暖簾がかかり、登りが一本だけ申し訳のように立っている。商品見本のショウウインドウもなければ、立ち食いらしく配達用のミニバイクもない。どこにでもあるような街中の蕎麦屋。ただ、うだるような風に微かにはためく登りには、こう記されていた。
「天そば 二百二十円」
足はふらふらとその店をとらえていた。両耳の後ろでは黄色いサイレンが回り、
「コーション、コーション」という声がする。カップの天そばですら百七十円する世の中で、ましてここは世界一の物価を誇る大都会東京。怪しい。怪しすぎる。
それでも私の運動神経は、油っぽい引き戸に手をかけた時に、
「ワーニン、ワーニン」と赤く切り替わった警告を無視して、扉を開けていた。
「へい、いらっしゃい」
威勢のよい掛け声が、整頓はされているが小綺麗とは言いがたい店の奥から聞こえた。どうやら食券売機はない。背筋も凍るような冷房の中カウンターに近づくと、朗らかな店員が顔を覗かせた。六十歳くらいの女性で、時給八百五十円のパートさんという雰囲気だった。
「天そば一杯」
「はい、天そば。そばでいいですか?」
「うん、そばで」
「二百二十円、お代は先になります」
「はいよ」
流れるような店員のテンポと威勢の良さにのせられて、百円玉と十円玉を二枚ずつ、軽快にカウンターに奥とそれを最後に店内は静まりかえった。
慎重に店内を見渡しながら、セルフサービスで水をくみ、椅子と呼ぶにも心許ないカウンターに作り付けられた箱に腰を下ろした。灰皿もなく、新聞や雑誌の類いもない。それを確認し終えたと同時に、目の前にどんぶりが差し出された。
「天そば、おまちどおさま」朗らかな声を最後に、店員の姿も店の奥に消えてなくなった。
私はごくりと喉を鳴らし、ぎっしりと詰まった割り箸立てから一膳引き抜き、一度割ったものを再び揃え親指に挟んで、誰にでもなく、最後になるかも知れない、
「いただきます」をいってからどんぶりを持ち上げ、その端に口をつけ、まずつゆからいった。
冷えきって、何故か渇ききっていた口腔内の粘膜に、江戸前というには澄んだつゆが染み渡った。関西風とも違う。ピリピリとする――明らかにケミカルなだしが舌先のみならず、喉元までをも刺激した。
次にかき揚げ。たっぷりとケミカルスープを吸った小麦粉であろう塊は、私のワイシャツの襟よりも油っぽく浮いているというよりは、沈まずにいるというほうがピタリときた。その小麦粉であって欲しい衣をかき分けていくと、どうすればここまで細かく切れるのか、ある意味職人技ほどの玉ねぎであろう切れ端や人参ではなかろかというホログラムを目視することに成功した。
最後に麺。もちろん打ち立てや茹で立てではなく、湯に潜らせただけの麺は、うどんではなく、冷や麦でもなく、素麺でもない。故に蕎麦だった。申し訳なく点在するそば殻をもした黒点を集め、あろうことかよく噛み締めてみたが、全く私の知りうる蕎麦の香りはしなかった。
「ここは一体どこなのだろう」時給八百五十円のパート店員に二百二十円の天そば。私以外に客はおらず、昼をすぎたというのにカウンターの中で湯に潜らせる前の蕎麦が並んで見える。そば殻もどきを見つめながら、私は大阪の知人の話を思い出してしまった。サンヤと呼ばれる地域には野良猫も野良犬もいないというのだ。
「転がってんのは人間だけや。野良なんか紛れこんだら最後。翌日には下水処理場通って大阪湾に流れこんでるわ」
豪快に笑った知人の黄色い歯と、消え入りそうだった蝉の声を思い浮かべ、ケミカルな喉が熱くなり水を流し込みながら壁に貼られたお品書きを見て、勝手に納得した。
ここは未来型の蕎麦屋なのだ、と。
環境破壊や汚染、人口の増加に伴い食物資源は激減する。人類の叡知は、昆布も鰹節も小麦粉も玉ねぎも人参も蕎麦も工場で作り出した。安定供給という名の元に、全てを六角形とアルファベットで現せる近未来的な蕎麦がこれなのだ。もしや、政府による試験店舗なのかも知れない。だから採算度外視の営業ができる。しかし、まだ技術は発展途上なのであろう。作り出せないものもあるようだ。壁のお品書き、
「天そば 二百二十円」の隣に、
「生卵 六十円」と書いた紙が貼られていた。
食べ物を粗末にしてはならぬの精神で、これまた工場産の七味唐辛子を入れてケミカルスープの最後の一滴まで飲み干し、取引先に向かった。三時間ほど美味しいコーヒーをいただきながら話して、帰り道、喉の奥の刺激はひいていた。
あの角で、行きに出会ったチャトラが立ち止まり、振り向いて一声、
「にゃあ」と鳴いた。私ははっとして、蕎麦屋があったはずの場所を見た。
「まさかな」私は自分の馬鹿げた妄想に苦笑して、傾いた陽を受ける蕎麦屋の通りをあとにした。
昼間の気温が嘘のように涼しい夕方だった。
私が聞いたのと同じくらい面白く書けたか、不安です。
お話を聞かせて下さった、この物語の主人公より百倍ダンディーな宇井様に感謝いたします。