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第三章 京都編その3 粛清、油小路

 慶応三年十一月十八日、夕刻。一人の若い男が京都市街をゆったり歩いていた。どこかで相当飲んで来たのか顔は赤く、上機嫌である。名を伊東甲子太郎、かつて新撰組にいた男である。

 過去形であるのは、既に袂を別ったからだ。幕府ではなく朝廷を守るための組織として独立した彼らは、名を御陵衛士と改めていた。今日はかつての古巣である新選組の局長、近藤勇の妾宅に招かれたその帰りである。

「よう、伊東さん。ご機嫌じゃないか」もうすぐ四条大橋に差し掛かるというところで声がかかった。振り向けばそれは、土手の大きな石に腰かけた土方であった。身構える伊東に、土方は鼻で嗤ってみせた。

「そんなに驚かなくてもいいだろう。俺は今日非番なんだ、あんまりぎゃんぎゃん言わんよ」

「近藤君の家に君がいないから、警戒していたよ」

 油断なく言い放つ伊東に、土方は肩をすくめてみせた。

「そりゃあ申し訳ない。俺は下戸でね……あんたもどうだ?飲んだあとは甘い物欲しくならねえか?」

 たっぷりつぶあんの乗ったあん団子を差し出すが、伊東は「結構だ」と素っ気ない。

「そうかい。美味いんだがな。京都のメシは薄味が多いが、甘味だけは確実にこっちの方が美味い」

「何の用だ?」

 暢気に団子を食う土方に苛立ちを感じ始めたのか、伊東の声が大きくなる。

「怒るなよ。怒り上戸は嫌われるぞ……わかった、ここから本題だ。あんたとは一度、ちゃんと話したかったんだ」

「なんだ?君も私に国事について語って、説き伏せようとする気か?」

 怒りと警戒を募らせる伊東だが、土方は相変わらず団子に夢中である。目の前の伊東よりも、どうやって食えば経木に小豆を残さずに済むか、そんなことを思案しているようだ。それがまた、一層伊東の神経を逆撫でする。

「ははん、近藤さんそんなことしてたのか。無理だろ、あの人他人の話聞かないし、頭固いから。

 そもそもあの人の説得は『大声で何度も言う』だろ?何も考えてない連中とか、考えの固まらないヤツを巻き込むのは得意だが、説得には向かない。なんなら一番向かねえや」

 存外芯を食った土方の人物評に、伊東は少々興味を持った。なにしろ伊東から見た土方は、近藤の為になるなら文字通り何でもやる男だ。それがこんなに冷静だとは思ってもいなかったのだ。

「その通りだ。君たち新選組は考えが古い。これ以上幕府を存続させて何になる。幕府の時代は終わりだ、これからは朝廷を中心にすべきだ」

「幕府は古いから終わりなのかい?」

「そうだ」

「そりゃあ、おかしな話だ。朝廷の方が古いじゃないか」

「なんだと?」

 小ばかにするような土方の物言いに気色ばんだ伊東であるが、土方はピクリともしない。

「そうカリカリするなよ、丸腰相手に」

 なるほど、今の土方は完全に丸腰である。ぐるりと周りを見やる伊東であるが、石の影に刀を隠した様子もないし、近くに新撰組の連中が隠れている様子もない。土方は、自分の腰掛ける大きな石の反対側をぺたぺたと叩いてみせた。座れというのだ。

「怖いのかい?御陵衛士の伊東先生ともあろうお方が?……おや?ほら、安心しなよ、応援が来たらしい。困ったな、ありゃあ御陵衛士一番の達人じゃないか?」

 伊東が振り向くと、痩せ型の男がこちらへ小走りに駆け寄ってくるのが見えた。御陵衛士の一人、斎藤である。寡黙な男だが、いつでもほんのわずかに微笑んで見える、奇妙な男であった。

「伊東先生、こちらでしたか……土方さんも」

「ああ、斎藤君。すまないね……どうやら土方君は、私と話がしたいそうだ」

 伊東の顔がゆるんだ。それもそのはずこの斎藤、強者揃いの新撰組の中でも図抜けた達人である。沖田や永倉に匹敵するその腕前は、確実に土方の上をいく。もちろん伊東も自身の腕に覚えがある。いざとなれば二人がかりで土方を斬ればよい。そう計算したのか、伊東は土方に背を向ける形で腰を下ろした。

 同志の前で丸腰の男を警戒する弱腰を見せられない。それにこの際、斎藤にも国事の話を聞かせてやろうという腹づもりであった。

「近藤さん怒ってたよ……御陵衛士が長州を庇う建白書なんか出すから」

「そうだね。だが、今日の話でわかってくれたはずだ。日本は今こそ、朝廷を中心にまとまり、諸外国に相対せねば未来はない」

「ほうほう」

「本来幕府は、朝廷から征夷大将軍の地位を預かり政をしているに過ぎん。それはなぜか?当時、徳川家が諸侯の中で最も力があったからだ、そもそも――」

「うんうん、ふむふむ、そうかそうか」

 土方の適当な相槌に乗せられて、伊東は大言壮語をまくしたてる。この男はこの通り口が回る。近藤が口で負けるのは当然だろう。剣の腕も立つし、顔つきもどことなく品がある。なるほど、人を惹きつける力だけは一丁前らしい。

「――すなわち、徳川家が力を失いつつある今、その地位を返上すべきであるということだ、違うかね?」

 勝ち誇った風に話を振る伊東に、土方はすっと差し込んでみた。

「で?毛利や島津を次の将軍にでもする気か?」

「そういう意見もあるがね、それはまた先の話だ。しばらくは諸侯の合議制だろう。武力の後ろ盾が必要なら、どちらかを関白に据えてもいい」

「なるほどねえ……安心したよ」

 団子を食い終えた土方は、ごみを絞るようにまとめて懐へしまい込んだ。

「何かね?」

「あんた、大した事考えてねえな」

「なんだと?」

「諸侯の合議でコトが運ぶもんか、運ばねえから一番強いやつに任せたのが幕府だろうが。幕府が古いから関白?もっと古いモン出すのは何の冗談だ?あんたの案じゃ、幕府倒した後は薩長戦争まっしぐらだろうよ」

「君に何がわかる?」

 立ち上がる伊東、その手は刀にかけられている。一触即発だ。

「わかるさ伊東。バカが透けて見える。

 気に入らなかったんだよ。尊王論じゃない、お前のやり口だ。一度新選組に入って戦力を引き抜こうって、その浅ましい考えに虫酸が走る」

「侮辱するか!?」

「事実だろう。俺の生まれは田舎の農村でね、一族郎党大っ嫌いなんだよ。手塩にかけて育てたもんを、横から掻っ攫おうとするコソ泥がな。戦いてえなら、手前の意志と力で戦え、この恥知らずが」

 土方の言葉に、伊東は完全に頭に血がのぼった。酒よりもずっと赤くなっていた。

「言わせておけば!……斎藤君、斬ってしまえ!」

「はい」

 間髪入れず斎藤が斬ったのは、目の前にあった伊東の背中であった。

「なぁっ?う、裏切ったのか!」

「まさか」土方が鼻で嗤う。斎藤は最初から裏切っていない。彼は土方が仕込んだ間諜である。

「新撰組……いや斎藤一を安く見たな。その程度ってことだ、お前の器がな」

「く……奸賊ばら!」

「そうかい、じゃあお前は盗賊だなぁ、伊東先生よ!」

 両者が吼えたところで斎藤の刀がもう一閃。振り抜いた頃には、既に伊東は物言わぬ塊となって足元に転がっていた。

「どうしますか?」

 斎藤が刀を収める。僅かに微笑んで見える目の光には、ほんの僅かの揺らぎすらない。この奇妙な男を、絶対に裏切らず、絶対に生還すると土方は信用していた。

「ここじゃ目立ちすぎる。少し先に寺があるから。その前まで引っ張っていこう。そうしたら、近藤さんを呼んできてくれ」


 京都の町の一角に、油小路という細い道があり、そこには某寺がある。いつもは人通りも少ない、ややうらぶれた通りである。

 日没も近く薄暗い、そこに無造作に転がっているのは、引っ張ってこられた伊東の死体である。土方は、寺の低い石段に腰を下ろし、それと向き合っていた。

「三日前によ……お前と同じような事言ってたやつが死んだんだ。仲間割れらしい、理由は……どうだろうな」

 懐で革袋を弄ぶ。これかもしれないと直感が囁くが、もう確かめる術はない。

「日本を一つにって言ってた。だから思ったんだよ、もしかして俺よりお前の方が、あの野郎の同志にふさわしいんじゃないかって。だから話をしたかったんだ」

 竜馬が生きていれば、この男を迎え入れただろうか?同志と呼んだのだろうか?いいや。

「お前は違う。絶対に違う。

 他人から戦力搔っ攫おうなんて卑怯者、誰も信用しねえ。なにが関白だ、なにが合議制だ、名前だけ変えて何の意味がある。そんな薄っぺらい奴、中も外もペラペラに決まってる、目立ちたいだけのバカ野郎だ。お前の頭の中は、幕府を倒して、次の権力者に早めに尻尾を振らなきゃ、くらいのもんだろ」

 やがて日没を迎え、完全に闇に沈んだ油小路に土方は篝火を焚いた。炎が暗闇の中から照らしだしたのは、死体と、土方の他にもう一つ。夜風にたなびく新撰組の隊旗であった。

「俺は戦うぞ……自分の力と意志で。坂本と同じこと言い出す奴が他にいるのか、見ものだ」

「トシ、何をぶつくさ言ってるんだ?」

 篝火の照らす中に現れたのは、がっしりした体に太い首と鋭い目が特徴的な男であった。一見粗暴な雰囲気もあるが、自身の力に裏付けられた自信を滲ませているせいか、言動に余裕がある。自分が強いと分かっているから大人しい、大型犬のような男。近藤勇とは、そういう男であった。

「なあに、俺なりの念仏さ」

「なんだそりゃ」と近藤が笑った。「最期に伊東と何を話したかったんだ?」

 当初の計画では、伊東が近藤の妾宅を出てすぐに始末する予定であった。しかし、土方が最期に話したいと申し出たことで、このようになんとも歪な形になった。

「御陵衛士の考える未来がどんなもんかってね。がっかりだよ、関白だとさ」

「存外優雅な話だな。京都より大阪で説くべきだったな」

「ああ、人気が出そうだ」

「しかし、少し迎えが遅いな……来るよな?」

「来るさ」

 彼らが待っているのは、他の御陵衛士である。彼らにとって伊東は頭目であり、心のよりどころであった。そんな伊東が殺されたとあれば、せめて遺体を仲間の手で手厚く葬りたいというのが人の心である。土方はそこに付け込んだ。彼らは怒り心頭で死体の奪還に来るだろう。そこに土方と近藤がいると知れば、仇討ちだと、無念を晴らせと更に熱くなって――それこそ、待ち伏せを承知の上で――総力で押しかけてくる。そこを更なる力で圧し潰す。言うなれば伊東の死体も、土方も近藤も、全てが残りの御陵衛士を残らず釣りだすための餌であった。


 それからしばらくして、すっかり闇に沈んだ油小路を、複数の足音が使づいてくるのが聞こえた。

「遅かったな。交代で蕎麦でも食いに行こうかと思ってたところだ。遠慮せずにもっと来いよ、そこからじゃ見えないだろう?こいつが誰なのか」

 足元に転がる伊東だった物にガッと蹴りをくれてやると、闇の向こうから面白いくらいの怒りの気配が立ち上る。やがて、二人を半包囲するようにじりじりと近づいてくる十数名が、篝火の照らすうちへ入って来る。およそ二十名。全員ではないが、よく釣れたほうか。元新選組がいるだけあって、こちらのことがよくわかっている。一気に攻め込んで来ないのは、こちらの待ち伏せを警戒しているのだろう。すっと姿勢を正し、座りなおした二人に警戒して見せるのがその証拠だ。

「……藤堂平助、篠原泰之進、阿部十郎、服部武之丞……それからよく顔が見えんが、そっちにいるのは――」と、土方はその場にいる御陵衛士のうち、約半数の元新撰組隊士全員の名前を挙げた。

「以上全員、局中法度に則り、死罪を申しつける。今すぐ腹を斬れ」

 空気が凍った。

 局中法度。浪人や商人、農家出身の者が多い新撰組を烏合の衆ではなく、剣客集団へ、そして厳格な治安維持部隊たらしめた鉄の掟である。背けば死である。その中でも最も多くの隊士の命を奪ったのが「局ヲ脱スルヲ不許」すなわち「脱走、離反をした者には死あるのみ」であった。元から血縁や主従のつながりもなく、あっても同門という異常に血の薄い新撰組は、こうでもしない限り即分解していただろう。もちろん今回も例外ではない。近藤と土方は今夜、裏切り者の粛清の為だけにこれだけの策をめぐらせていた。この冷徹さが土方を鬼の副長と言わしめた。

 幕府の権力が衰退し、力を失いつつある新撰組にとって、大量の離反者は更なる崩壊の呼び水となる。絶対につけねばならぬけじめであった。

「と、言いたいところであるが」

 割って入ったのは、他でもない近藤である。土方が目を丸くしているうちに、彼はさらに続けた。

「諸君らの大半は新撰組とは関係ない。今回は巻き込んだ形になる。それに離反の首謀者、伊東甲子太郎は既に粛清した、諸君らがここで引き返してくれれば、今回は不問に処す、全員だ……どうだろうか」

 土方が何か言おうと口を開こうとしたが、近藤は小さく首を振った。彼のおおらかさ、深い人情からくる懐の広さは魅力ではあったが、ともすれば組織の崩壊にもつながりかねない諸刃の剣でもあった。しかし、頭に血の昇ったこの状態では、挑発と取られるのが関の山だ。

「ふざけるな!」誰かが声を上げた、篠原か。

「志士の遺体を辱め、その上許してやるだと?侮辱するのもいい加減にしろ!」その声に闇の向こうから「畜生にも劣る」「卑怯者め」と数名がそれに賛同するのが聞こえる。

「この件は断じて私闘ではない、隊内規律、言わば治安維持に関わる一件である、御承知願いたい」

 近藤がクソ真面目に返すものだから、罵声がだんだんと熱を帯びてくる。このまま放っておけば夜明けまでやっているだろう。

「とにかく!三つ数える。それまでに帰るなら目を瞑る、江戸でも郷里でも帰るといい。嫌なら全員死んでもらう。今すぐ選べ。いいな?……一つ!」

 全員が押し黙る。やはりと言うべきか、帰る気配はない。

「……二つ!」

 数人が刀を抜いた。藤堂もその一人であった。彼も新撰組の中では最古の一人、近藤が本当に見逃したかったのは彼に違いないのだが……汲み取ってはもらえなかったようだ。もはや避けられぬか、と近藤が悲しそうに目を伏せると、夜風に隊旗が大きく翻った。

「…………三つ!新撰組、出動せよ、一人も生きて返すな」

 がたんと、左右の家屋の扉を蹴破って現れたのは、四十数名の新撰組隊士である。槍や刀はもちろんのこと、鉢金や鎖帷子までびっしり着込んでいる。駆けつけた御陵衛士が臨戦態勢であるなら、待ち受ける新撰組は戦準備を済ませていたに等しい。狭い油小路は、座ったままの近藤と土方の目の前で、一瞬にして血みどろの大混戦に陥った。

 新撰組には達人と呼べる剣客が数多く存在していたのは事実である。しかし、新撰組最大の強みはそこではない。日々の鍛錬と鉄の掟に縛られ、磨き上げられ、研ぎ澄まされた集団戦法である。即ち人数の少ない上に不純物の多い御陵衛士では、絶対に勝てないのだ。御陵衛士のほとんどが、衝突の最初で無惨に惨殺されていく。

 道場剣術はともかく、実践慣れしている土方であっても、同時に三人から袋叩きにされれば勝ち目はない。環境、心理、遮蔽物、あらゆるものを利用して一人一人切り崩すのが定石である。それを殺し合いの場で実践するのも並外れた胆力と技量が必要だ。それが乱戦の中となれば難易度は跳ね上がる。だが、彼の上を行く達人であれば、その上限を超えることができるようだ。

「流石だな……藤堂……」

 近藤がつぶやいた。このとき藤堂平助は、複数の隊士に囲まれながらも、相手の死角や防具によって狭まる挙動範囲、土埃、誰かの落とした武器、既に絶命した御陵衛士の死体まで利用して相手の動きを、選択肢を狭め、一対一に持ち込んで切り返していた。その様子に土方も思わず舌を巻いた。彼の燃えるような剣さばきは、血煙の中で剣の極みへと達していた。

「いやぁ、すごいですねえ」

 いつの間にか、すぐそばに沖田が立っていた。

「あそこに立ってるのが土方さんだったら、もう死んでるかもしれませんよ?」

 沖田の見立ては正しい。少なくとも、今の藤堂は土方が勝てる相手ではない。そこで気付いた、沖田一人だけ、鎖帷子を着ていないのだ。

「なんで総司だけ軽装なんだよ」

「だって重いじゃないですか。見てくださいよ、原田さんなんて鎖帷子をまくって肩まで丸出しなんですよ?意味が判らないじゃないですか」

「……槍振り回すのに邪魔なんだろ、放っといてやれ」

「えー、じゃあ僕も槍を……あっ」

 奮戦をしていた藤堂であったが、やがて乱戦に飲み込まれた。左右から挟み討ちにされ、躱したところを背後からばさりと斬りつけられた。それでも一度は踏みとどまって切り結んだものの、更に足を、脾腹を突かれて大きく体制を崩し、やがて斬り伏せられた。壮絶な闘死であった。

「鉄君、連れてこないで良かったですねぇ。藤堂さんとも仲良かったから」

「当たり前だ」

 沖田が口にしたのは土方の小姓の一人、市村鉄之助のことであった。子供だからと過保護な真似はしたくないが……目の前の光景は、自分の半分にも満たぬ歳の少年に見せるには、あまりに凄惨であった。

「総司……具合が悪いのか?」

「え?」

 近藤の言葉に土方も沖田の顔をのぞき込む。元々色の白い男であったが、そういえばなんだか青白い、もっと言えば顔色が悪い。ただ単に細いのではなく、やつれているのではないか?

「やだなあ……篝火のせいじゃないですか?」

「本当か?お前なんか様子がおかしい――」

 総司の腕を掴もうとしたところで、包囲を突き破って出て来た男が一人。大柄で腕も眉も鼻も首も何もかも太い男は服部武之丞、かつては新撰組でも屈指の二刀使いであった。この場の御陵衛士、最後の一人であった。

「雑魚に用はない!近藤さえ討てばよい!」

 既に少々手負いであったが、その闘志はむしろ燃え上っている。憤然とこちらへ突っ込んでくる。しかし近藤は立ち上がるどころか、刀すら抜かない。そこには既に沖田総司が立ちふさがっている。

「どけ、青瓢箪!」

「嫌です」

 腰の加州清光を抜いた。他のものよりも軽い沖田の刀は、誰よりも速く、誰よりも鋭く動く。

 恐ろしく速い剣閃が交錯し火花が散る。無言ながらふりまかれるあまりの迫力に、誰も手が出せない。身の毛もよだつような激しい斬り合いであった。

「ん?」

「どうした近藤さん」

「総司のやつ、本当に様子がおかしいな」

「なんだって?」

「服部は確かに強い。だが、いつもの総司なら、もう終わっているはずだ」

 剣客としての腕前は近藤の方が沖田に近い。故に土方にはその意見を否定するだけの根拠がない。

 鋭く踏み込んだ沖田の刺突が目を狙う。だが服部は素早く反応して弾く。と、既に沖田は身を翻しもう一撃を放っていた。狙いは喉である。沖田の雷光のような刺突に反応できた達人であるなら、次の一撃も反射的に目を庇う。その死角と意表を突いた二段目の刺突である。だが服部は元新撰組、沖田の手の内は知っていると、左の小刀でそれを再び弾く。だが沖田はそれも織り込み済み、体制を崩した服部の胸を、今度こそ渾身の刺突で深々と仕留めたのであった。達人であれば達人であるほど、反応が追いつけば追いつくほど追い込まれ、やがて仕留められる沖田の多段突きである。この剣戟の応酬は、全て一瞬の出来事であった。ただ手の動きが速いのではなく、極めて柔軟で軽快な身のこなしがあってはじめて可能になる、全てが必殺の暴風の如き刺突であった。

 三段突きを名乗ったことはない。相手が反応できる限り、沖田は五段でも十段でも同じことができた。ただ、三段以上しのいだ者が存在しないだけの話である。

「終わったか……」

 戦乱の中何人かが逃げたようであったが、今から後を追うのは難しいだろう。

「負傷者はいるか?今回の屍は我らで処分……」と、土方の台詞を遮ったのは、激しくせき込む沖田であった。

「総司!」

 顔色を変えて駆け寄る。沖田は体をくの字に曲げて苦悶している。激しい咳に呼吸もままならないようだ。

「しっかりしろ!息を吸え!」

 聞き覚えのある咳に嫌な予感がする。気付かなかったのか?そうではない、気付きたくなかった、現実から目を逸らしていただけである。

 今日ここで、掌に吐き出された血の塊を見るまで。

「総司……お前……」

「あちゃあ……バレちゃいましたか」

 力なく笑う沖田に、土方は天を仰ぎ「総員撤収……屯所に連絡を……医者を呼んでくれ」かすれた声でそれだけ絞り出すのが精一杯であった。

 この日新撰組は大量の離反者の粛清に成功し、壊滅を免れた。だがその代償は、沖田総司の戦線離脱―同時にそれが多くの隊士に知れ渡るという、痛恨の損失であった。


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