エピローグ&あとがき
東の林へ向けて駆ける馬の背で、カピウは鉄之助の背にしがみついた。
「テツ……ごめん」
「どうした?」
カピウの声が震えている。どうしたことだろうか。
「私が……私が土方ニシパに『火の鳥の血を飲め』なんて言ったから、土方ニシパは――」
「違う」
反射的に鉄之助は言い切った。どうやらカピウは、ずっとそれを気にしていたようだ。
「あれはもう……どうしようもなかった。
だからカピウのせいじゃない、絶対に違う。自分は……俺は認めない。何万人がそう言ったとしても、俺は絶対に認めない」
「テツ……」
「だから……そんなこと二度と言うな。たらればで自分を責めないでくれ」
「うん……ありがとう」
二人が逃げる背後で、火の手が上がり始めた。炎は風に煽られて函館市街へと広がっていく。振り向きざまにカピウは見た。燃え上った炎が、一瞬巨大な鳥の姿を象ったのを。
一瞬の幻に過ぎないその像は、カピウの心に大きく焼き付いた。
「ライピルカ・カムイの怒りだ……蝦夷共和国が……終わる……」
そのとき、遥か高空を赤い光が、意志を持つように横切った。
函館沖に一艘の蒸気船が浮いていた。
遠く函館湾の大海戦を眺めているこの船は軍艦ではない。掲げられているのはスコットランドの旗である。
甲板にはこの船の主、トーマス・グラバーの姿があった。双眼鏡で遠く、この戦の行く末を見ていたのだ。この船に日本人はいない。無理して日本語で喋る必要もないのは、気が楽でいい。
「蝦夷共和国はおしまいか……火の鳥の血は手に入らずじまい……残念だが、仕方ない。次のビジネスを探さねば……」
新政府は火の鳥を信じていない。いかにグラバーと言えど、自力で蝦夷の伝説の存在を見つけ出すのは困難だろう。
大きく支援した蝦夷共和国が潰れるのは残念だが……グラバー商会に損害はない。何しろ、共和国と新政府、どちらにも武器を売っているのだから。
「まあいいさ。この国の火種はまだまだ尽きない。彰義隊や各地の反新政府勢力がある限り、私のビジネスは需要があるのだ……もっとも、これほど大きくはないだろうがね」
決まってしまえばもはや長居は不要、長崎へ帰るとしよう――と、俄かに甲板が騒がしいのに気が付いた。
「どうした?なにがあった?」
水夫たちが指差すのは函館……の上空。太陽の横に、赤く輝く星が見える。奇妙なのは、その星がじわじわと滲むように大きくなってきていることだ。
「なにが起きている……しまった!?」
流星だ。こちらに突っ込んでくる流星だ。あまりに真っ直ぐだったので、星が大きくなっていると錯覚したのだ。
だが既に時遅し、巨大な流星はグラバーの船に激突。グラバーは海へと投げ出された。
「うわっ!」
一瞬死を覚悟したグラバーであったが、死にはしなかった。流星がカムイの怒りであるなら、グラバーの豪運は、人類が制するために世界を創造した、彼らの神の加護である。
「なるほど……破壊と再生のカムイが私に鉄槌を下したか」
小型艇にしがみついて、グラバーは吐き捨てた。物資輸送用のテンダーボートであるが、これが目の前に放り出されたのは幸運であった。
「だが……ここでもし私が死んだところで、人類の進歩は止められまい。
それとも全ての人類を始末する気かな、火の鳥よ。
人類が死を克服するのは……残念ながら今ではない、ただそれだけの事さ」
あの流星がカムイの怒りなのか、それは誰にもわからない。カムイを信じる者は怒りだと捉え、そうでないものは天文学的不運と捉えるだろう。グラバーは後者だ。
「危なかった。しかし……私はツイているんだ。この程度の不運で死ぬものか」
本当に恐ろしいカムイが怒っているならば、流星はグラバーの頭を直撃していたはずだ。グラバーはそう解釈した。
波間に揺れるボートの上で、グラバーは一人空を見上げた。
流星は既に海の底へと沈み、海は静けさを取り戻している。恐ろしいカムイですら、この文明人を仕留めそこなったのだった。
土方歳三という戦力的、心理的支柱の喪失は、蝦夷共和国に甚大な被害を齎し、抵抗力を大きく挫いた。新政府に対して唯一勝ち星のあった男を、心のよすがを失ったのは、痛恨以外の何物でもない。
それから三日後に弁天台場が降伏し、それでも徹底抗戦を貫いた五稜郭も、更に十日後には降伏した。
こうして蝦夷共和国は、樹立から一年持たずに消滅してしまった。
――――
東京から甲州街道を西へ進むと日野市がある。そこにはかつて石田村と呼ばれた地区がある。
そこにあった豪農・佐藤家は土方歳三の姉が嫁いだ家として知られている。
そこには現在も、土方歳三の佩刀・和泉守兼定と、遺髪、そして三枚の写真が残されている。
軍服姿の土方歳三、僅かに微笑んだ軍服の男、そして軍服の少年とアイヌの少女が並んだ奇妙な写真である。土方以外が誰なのかは伝わっていない。
戊辰戦争から数年経ったある日、奇妙な服を纏った一組の男女がそれを届けに現れたと語り継がれている。二人は名乗ることなく「京都へ向かう」とだけ言い残して立ち去ったらしい。
仲睦まじい様子だったその男女は、男の頬には傷跡があり、女はカモメの簪を挿し、揃って首から呼子笛をかけていたと伝わっている。ただ、これを裏付ける記録は、どこにも残されていない。
偽りの火の鳥 幕末編 完
というわけで偽りの火の鳥 幕末編でございました。お楽しみいただければ幸いです。お読みいただきありがとうございました。
少しでも歴史を知っている方からすれば荒唐無稽な話でございますが、前書きにもある通りホラ話です「盛ったなぁ」とか「うーわ〇〇悪役にされてんじゃん」とか笑いながらご覧くださいませ。
なんか地元の大きな会社の社長さんの奥様がトーマス・グラバーの子孫らしい、って話を聞いたんですが、まあバレへんやろ。私が幼稚園の頃から顔知ってるんですけど。
しかし思うのは、幕末というこの時代の熱さ、激動っぷりでございます。正直を申せばこの激動の時代は、私のホラ話より断然おもしろいのです。
大体の事実をざっくり調べるだけでドラマが出て来る出て来る。多少の大小はありますが、こういう熱い志を持った方々が日本中にいた時代であり、彼らの活躍が今日の日本につながるのだな、と思うと、こちらの胸も熱くなります。どう足掻いても原作(本人)が一番おもしろいのは、まあ言わんでもええがなレベルですね。
メタい話になりますが、どうなんでしょうね幕末モノって。いやね、幕末って「知ってると楽しく読める知識」が他より割と多い印象があります。考え方だけで討幕、佐幕、勤皇、攘夷これだけでもマニアは数時間喋れるのでしょう……更に竜馬の生まれ育った土佐藩の特殊な事情なんて挟んでごらんなさい。江戸幕府発足当時まで話が遡ります。もう功名が辻を読んでもらった方が早いのかもしれません。それがちゃんとドラマチックだから歴史は面白い。
まあ……なんとなくの感じでも読めるようにはしてあるつもりなんですが、幕府とか旗本とか御家人とか、そこまで解説すると話のテンポがねえ。途中からごっそり開設挟んで、また本編に舞い戻るスタンスは、歴史の語り部なら許されるかもですが、私がそこまでやると薄っぺらさが露呈するのでできないんです……いやはや難しいものです。更に言えば、私の解釈が正しいとも言い切れませんからね。まあ、判らんところはフレーバーテキストとして読み飛ばすか、各々検索をお願いいたします。パソコンかスマホで読む方が多いでしょうからね。
せっかくなので主人公たちを振り返っておきましょう。
世界を夢見た快男児・坂本竜馬
これだけ有名な男でありながら、意外と足取りのわからない時期があるんですね。そこを都合よく使わさせていただきました。おそらく主人公の中では一番盛りが控えめなのではないでしょうか。それでもやはり魅力的で、カッコいい男だと思っています。果たして私の筆で、その魅力をどこまで伝えられたかはわかりませんが……詳しく知りたい方は竜馬がゆく、あるいはおーい竜馬をお読みください。先達の偉大なる名作です。坂本竜馬という快男児を描くには、あれくらい密着せねば足りないのかもしれません。中岡慎太郎と仲間割れさせてしまったのは話の都合上ご容赦ください。万が一彼が化けて出たら……サインを貰うとしましょう。
最後にして最大の成り上がり剣客・土方歳三
ここまでお読みいただいた物好きな皆様ならお分かり頂けると思うのですが、私は燃えよ剣のファンおじでございます。そのため気がついたら、土方主人公パートが予定の倍以上に膨れ上がってしまいました。
ですが、結果的には正解だったかもしれません。新撰組をテーマにした作品はそれこそ星の数ほどありますが、どうしても山場は池田屋事件になります。
今作は時系列的にそこを書けませんでした。結果的に油小路、鳥羽伏見、江戸から奥羽に随分尺を使いました。最短、函館編だけでも話は回るんです。ただ、函館で皆から信頼を集める為には必要な尺だったと思います。正直、ここを明確に書いた作品は少ないんじゃないでしょうか。物を知らない私は燃えよ剣しか存じ上げません。その燃えよ剣こそが、余りに偉大な名作であるという事は、多くの方がご存知の通りです。燃えよ剣の土方歳三に影響を受けずに土方歳三の魅力を描ける人間はいるのでしょうか。
様々に描かれる土方歳三の中で、ウチの土方はメンタルが弱く、感傷的で、手先以外は不器用で、剣の腕も一段劣っているかもしれません。冷淡で合理的で、そのくせ変に人情家なところがあって、酒に弱くて実は甘党で、うっすら面倒見が良くて、顔の割にやる事が荒っぽい……そのくせ誰よりも生き汚く泥臭い。そんなやたらと人間臭い男がウチの土方歳三です。
これでも最後の方は死なせるのが惜しくて、ついつい蝦夷共和国を数ヶ月延命させてしまいました。ロシア亡命エンド、ギリギリで助かって新政府に捕縛エンドも考えたのですが……それでも、やはり彼の美しさは燃え尽きる所まで含めて完成だと思い、後ろ髪引かれながらも退場させました。
恐ろしいことに、土方歳三という男が、田舎の不良から一国の陸軍No.2まで成り上がったのは本当のようです。そのため、この程度なら盛っても盛りすぎにならないという、事実は小説より奇なりを地でゆくとんでもない男です。この底知れぬ男の激烈なカッコ良さが少しでも伝われば幸いです。
本当に蝦夷にいたんか?市村鉄之介
名前と年齢以外は盛り倒しました。どうしてもこの方の情報は少なくなりますね。今作においては沖田と土方の最期の悔しさを少しだけでも和げる役目として、執筆中に急遽追加したキャラクターです。初期プロットには存在しませんでした。
本当に流星のように燃え尽きていった男達が、少しでも安らかに眠れるにはどうすれば良いか?という問題に、私が出せる答えは「その精神を引き継ぐ後継者の登場」でした。そのため少ない知識から存在を急遽引っ張り出し、それまで書いた分に手直しをする羽目になりましたが、出したのは間違いではなかったと思います。
諸説ありますが、彼の公式な記録は、どうやら鳥羽伏見の戦いが最後のようです。実は佐藤家に遺品を持ち込んだ若者も、明確には名前が残っていないという話も聞いております。土方の小姓が最大で十人いたなんて話も出てきましたが、なんかまた別のジャンルになりそうなのでそこまで広げるのはやめました。おそらく、当時はそこまで重要な人物ではなかったのかもしれませんね。実は謎だらけの人物のようです。ウィキペディアに堂々と兄の存在が書かれていましたが、私にはそれを裏付ける資料は手に入りませんでした。
今作では土方の精神的後継者として恥ずかしくない力量と、メアリー・スーにギリギリならない活躍との狭間で、これを調整するのに苦労しました。活躍はしますが、あくまで土方の部下として、士官ではなく最後まで士官扱いというのはそのためです。それでも原型がなくなるくらいの爆盛りバーレルですが、仮にも土方歳三の片腕、あるいは精神的後継者であるならば、それくらいの実力がなければ面白くないと考え、こうなりました。どうかご容赦ください。
はてさて、こんなところでしょうか。
マンガの神様のライフワーク、不朽の名作火の鳥を勝手にオマージュし、勝手に書いたこの話が誰かの心に刺さり、火の鳥や幕末に、また私の書く世界に興味を持っていただければ最高です。
次は現代劇を書きます。別段私は幕末専門を名乗るつもりはございませんし、名乗るほどの知識もございませんので。
それでは、次の作品で……え?作中の火の鳥の血は本物か偽物か、ですか?
嫌だなぁ、答えは最初っからタイトルにあるじゃないですか。
あとがき 完