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偽りの火の鳥 幕末編  作者: そのえもん


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第五章 函館編その10 いつか遠い未来で

 翌朝、まだ天地が暗い頃から新政府軍の総攻撃が開始された。天から五稜郭を見下ろせば、星を飲み込まんと襲いかかるアリの群れのようであっただろう。

 石垣と違い銃砲撃に強い稜堡と堀に囲われたこの要塞は、小型砲程度ではなんともない。自然、突入を試みる新政府軍とそれを防ぐ共和国軍は、北と南にそれぞれある橋近辺で激突する。

 稜堡に積み上げた土囊、これで作った即席堡塁に兵士を潜ませ、近づく者に鉛の雨を降らせる。堀の近辺に身を隠す物陰なはい。防風林まで下がれば銃弾は届かない。

「私も……!」

 馬上、鉄之助の後ろで銃を構えるカピウを、鉄之助は肩越しに制した。

「まだ撃つなカピウ、散弾銃じゃ届かない。弾薬の無駄だ」

「……そっか」

 迎撃だけならば五稜郭は確かに素晴らしい。新政府軍が橋に押し寄せようが、張り出た稜堡の角に押し寄せようが、常に左右から火線を挟みうちに浴びせることができる。

 後世に言う十字砲火であった。

「歩兵が攻めてこれない……勝てるんじゃない?」

「まだまだ、これからだ」

 カピウと鉄之助の会話が聞こえたのか、土方はぽつりと呟いた。

「この程度、両家のご挨拶が終わったところさ」

 この状況であれば、新政府軍が取る戦法は『銃弾の届かぬ距離から五稜郭を、その稜堡の火線を消し飛ばす』方法である。

 砲声が響く。やはりあちらは、防風林の手前から砲撃を仕掛けてきた。

「今度は大砲?!」

 青ざめて頭を抱えるカピウに対し、鉄之助は冷静である。

「怯える必要はない。狙いはこっちじゃなくて、周りの釘縄と、堡塁だ。

 堡塁や稜堡を吹き飛ばして崩せれば、連中が取りつくきっかけになる。釘縄を吹き飛ばせば、そこに突っ込ませる頭数が増やせるからね」

「え?!それってマズいんじゃ――」

 カピウの台詞を塗り潰したのは、こちらからの砲撃音である。

「マズいさ、だからこっちもバンバン撃つんだ」

 新政府軍の前線に随伴する大砲は、六ポンド砲ばかりである。だが五稜郭には、それよりも大きい九ポンド砲や十二ポンド砲も配備されている。威力や射程はもちろんのこと、砲身の長さや初速の高さによって、基本的には大型砲ほど精度の高い砲撃ができる傾向にあるのだ。

 また、これらの小型砲は直射が前提であるが、これが十二ポンド砲になると、山なりに撃つことで遮蔽物を挟んで上から砲弾を降らせる曲射も出来るようになってくる。もちろん命中させる難易度は跳ね上がるのだが、上手く行けば一方的に新政府軍の大砲を狙い撃つ事すら可能である。

「砲兵を狙って吹き飛ばすんだ」

「じゃあ……勝てるの?」

「これだけで決するわけじゃないけど、決して分が悪い戦いでは……ッ!」

 そこで気付いた。天空の遥かな高みから、甲高く冷たい、黒鉄の絶叫が降ってくるのを。

 ヒュゥゥゥゥ……ヒィィィィン!

 鉛か鉄か、重く固い何かが空気を劈き真っ逆さまに落ちてくる。皮膚の内側で血が凍るような錯覚に、本能が何かが来ると感じ取った。

「伏せろぉッ!」

 土方の声が聞こえた瞬間、鉄之助は身を捻ってカピウの耳を塞ぎ、どこから来るともわからぬそれに備えた。

 次の瞬間、爆ぜた。爆音に大気が裂け、大地が波打ち、足の裏から脳天まで雷のような衝撃が突き抜けた。

「騒ぐな!函館湾からの艦砲射撃だ。狙って当たるもんじゃねえ」

 土方の飛ばす檄に目を開けると、少し離れた植え込みが消えていた。もはや跡もない、地面が少し抉れているだけである。

 甲鉄の主砲、三百ポンド砲だ。この距離でこの衝撃、万が一直撃すれは、気づく前に肉も骨も魂もバラバラになって吹き飛んでいただろう。

「う、嘘……」

 震え上がるカピウの肩に手を置いて、鉄之助は自分にも言い聞かせる。

「こんなのまぐれだ、そう簡単に当たらない。

 弁天台場が粘っている、こちらに降ってくる数は大した事ない。気を強く持つんだ!」

 目の前の砲兵はいくらでも吹き飛ばせるし、身を隠したアイヌ別働隊のロケットや狙撃で僅かながら戦力を削ぐことは出来る。

 しかし、函館湾からの砲撃だけはどうしようもない。弁天台場の抵抗と、浮き砲台になった回天と、なんとか動ける蟠竜だけでは新政府軍の全艦隊を引き付けることは難しく、散発的に砲弾が落ちてくる。精度はさして高くなく、五稜郭の内側に落ちることさえ珍しい。

 だが、一度その防ぎようのない威力に晒されたことで、恐怖が染み付いてしまった。あの甲高い風切り音がする度に、五稜郭に緊張が走る。怯むなと言い聞かせたところで、恐怖をかき消すことは難しい。

「……うるせえなぁ、耳が痛くならぁ」

 そんな中、土方は顔色一つ変えない。落ちてくれば耳こそ塞ぐが、仁王立ちのまま一歩も動かないではないか。

 恐ろしくないのか。あるいは耳が聞こえていないのではないか。周りの兵がざわつき出したところで、ぐるりと首をこちらに向けて、堂々と言い切った。

「俺は六年近く戦場にいるが、怪我したことは一回きりだ。大将がいなくなって、内心どうしたらいいのか分からずに関東をフラフラしてた。

 いいか?弾なんてものはなぁ、焦った奴、日和った奴、弱った奴から当たるんだ。でんと構えて、当てられるもんなら当ててみろって心持ちでいりゃあ、弾なんか当たらねえよ」

 本気なのか、虚勢なのか、誰にもわからない。だが重要なのはその言葉の真偽よりも、そうやって生き抜いてきた男が目の前にいるという事実である。

 土方歳三という男は今、言葉よりもその在り方で兵の平静さを取り戻させていた。

 だが、五稜郭が射程範囲内である事実はどうしようもない。試行回数を稼がれれば、いずれ急所に当たるのは時間の問題であった。

 艦砲射撃が北の橋の側の堡塁に直撃、そこに新政府軍からの激しい火砲が集中し、迎撃態勢が大きく崩れた。

 それを好機と見た新政府軍は、兵に橋桁の下を泳がせ、橋を盾に稜堡の攻略に取り掛かった。

「土方さん!北側の迎撃に向かいます!」

「行けッ!これ以上堡塁を落とさせるな!」

「はいッ!」

 五稜郭の誰もが知っていた、砲撃だけで終わるはずがないと。敵軍押し寄せる稜堡を守るべく、そこに兵力が集中する。

 砲撃によって落ちた堡塁を足がかりに、新政府軍が次々と稜堡を駆け上がる。それを蹴散らすのは、誠の旗を掲げた鉄之助と、彼の率いる騎馬軍団であった。

「敵の侵入経路はまだ一つ!大した兵力ではない、ここで押し変えすぞ!」

 総攻撃が始まった今、圧倒的な数の暴力は正面からでは戦いようがない。だが、こうして侵入経路を絞り、少しずつ内側に引き入れれば、こちらの土俵で押し潰せる。五稜郭の中に味方がいると判れば、新政府軍も無闇に砲撃出来ないし、どこに落ちるか判らぬ艦砲射撃を繰り返すわけにもいくまい。

 相手を閉所に誘い込み、対面する戦力を限定する。土方歳三の常套手段だ。

「よぉくやってたんだよ、京都でな」

 多勢に無勢であっても、そこが狭い路地裏であれば一度に戦う相手は一人。それを繰り返せれば、何人相手にしても戦える。不逞浪士を新政府軍に、路地裏を稜堡に置き換えれば、何も変わらない。

 土方歳三にとって京都はただの美しい思い出ではない。刀と血と命を賭けて戦い、養った戦術眼は、老獪の域に達しつつあった。


 誠の旗を鞍に固定した鉄之助は、馬で歩兵を跳ね飛ばし、手にした刀ですれ違い様に斬りかかる。カピウの散弾銃が火を吹くと、数人が血煙をあげて倒れる。両軍激突の最先端にいながらも、ギリギリ突出はせず、他の騎兵や歩兵と共に、堡塁を守る。力強く壮絶ながらも、決して捨鉢にならない二人の戦い方は、蝦夷共和国軍を大いに力づけた。

 残った堡塁と稜堡の奮戦、援護射撃もあって、五稜郭はなんとか新政府軍の攻勢を押し返したのであった。


 互いを縛っていた紐を解き、二人が馬から降りたのは総裁府の前であった。

「じゃあ行ってくるから、カピウはここで待ってて。呼子は遠慮してくれよ、お偉方がいるから」

「……わかった」

 戦場から戻って来ると、鉄之助は総裁府に呼び出された。ツカツカと広間に進むと、そこには土方、榎本を始めとした共和国幹部の姿があった。

「失礼致します。市村鉄之助戦時特任士官、入ります」

「おう鉄、よく来てくれた。なかなかの戦いぶりだったぜ」

「恐れ入ります」

「さて……戦時特任士官市村鉄之助、この戦局をどう見る?」

「どう、と申されましても……」

 ここが陸軍府ならズケズケ物を申す鉄之助であるが……ここは総裁府、榎本を始めとした共和国幹部の前で、滅多なことは言えない。

「俺が許す、好きに申せ」

 土方に言われればと、鉄之助は言葉を選んで口を開く。

「今は……まあ、どうにかなっております……しはらくは、一応持ちこたえるかと」

 いつもより明らかに歯切れの悪い鉄之助に、土方は僅かに苛立ちを見せた。

「許すと言った筈だ。素直に申せ」

「……時間の問題です。今回はなんとか退けましたが、稜堡や堡塁を完璧に補修出来ない以上、迎撃する力は確実に削られています。

 艦砲射撃や火線が集中して堡塁を落とされれば、先ほどのような切り込み隊が複数同時展開されるでしょう。二か所はまだなんとかなりそうですが……三箇所以上破られれば、厳しいでしょうね。

 ここだけなら数日は持つでしょうが……仮に弁天台場が落ちて艦砲射撃が増えれば、耐えられません。十勝方面に逃れるのであれば、今のうちです」

 共和国幹部には元大名もいる。こんなことを言えば怒りを買うかと思ったのだが……そうでもない。頭を抱えたり肩を落としたりと、様々ではあるが、落胆が見える。

 そんな中で土方一人が笑っていた。

「これが現場の声です。先程申した私の見立てより悪い……この状況をひっくり返す可能性を求めるなら、博打を打つしかありません」

「博打?」

 呟き眉を顰める鉄之助に、土方は頷いてみせた。

「さっき、弁天台場から急報が届いた」

 土方の指が、ついと地図の一点を指す。

「函館山で『燃える鳥を見た』とのことだ」

「燃える鳥?……まさか」

「ライピルカ・カムイ……?」

 鉄之助の背後には、部屋を覗き込むカピウの姿があった。彼女は以前から食糧納品云々で、総裁府へは日常的に立ち入っていたため、誰にも止められなかったのだろう。

「ちょッ……カピウ!この部屋は入っちゃダメだよ!」

 あわてて押し出そうとする鉄之助だが、その手を止めさせたのは土方であった。 

「構わん。どうせ一緒に来るだろう」

「え?」

「一緒に聞くといい。ライピルカ・カムイ……火の鳥の血が大量にあれば、不死身の軍勢でこの戦局を切り返せる」

「土方ニシパ?!それはダメ!何が起きるか判らないよ!」

 土方の言葉にカピウは青ざめて飛び上がる。なんて恐ろしいことを言い出すのだと。

「判っている。アイヌにとっては恐ろしい神……いや、カムイなんだろう?だが、この国の目の前に迫っているのは死神だ、こちらを追い払うのが優先だ」

「本当に頼るつもりなの?……あのカムイの恐ろしさを判ってない!ただじゃ済まないよ!不死と破滅をもたらす、恐ろしいカムイなんだよ?!」

 震える声のカピウに答えるのは榎本であった。

「ここで素直に降伏するなら、我らは最初から蝦夷に来るべきではなかった。ここにいる以上、一縷の望みに賭けるしかないのです」

 グラバーとの取引以来、榎本は諸外国への取引材料として火の鳥の調査を進め、幹部にもその存在を広めていた。長く成果はなかったのだが、初めてもたらされた情報がこれであった。

「そんなの望みじゃない!いずれ破滅を呼ぶだけだよ!みんな死んじゃうよ!」

「いずれの破滅と引き換えに」

 土方の低い声に、カピウは息が詰まった。

「目の前の破滅が先延ばし出来るなら、それでも構わん。我らはそう言っているのだよ、カピウ」

 つい先日までの土方なら世迷い言だと切り捨てていただろうが……万が一ここで火の鳥の血を手に入れ、五稜郭の兵隊に飲ませることができれば、戦局はひっくり返る。既に彼らは、これに頼らざるを得ないほど追い込まれているのだ。

「むろんこの総攻撃の中、捜索隊に大人数は割けないし、戦闘になることもあるだろう……俺が行く」

 この一言で部屋の空気がひりつくものの、鉄之助はなんとなく予想していた。いつだってそうだ、危ない橋を嬉々として渡り、それを誇る男なのだ。その背中を追い、あるいは守るのは、自分しかいない。鉄之助の自負であった。

「ここの守りは、どうするのですか?」

「前線の切った張ったは島田がいる。伊庭は……起き上がれれば戦力になるだろう。

 で、捜索隊の話なんだが。お前ら来てくれるか?」

「もちろんです!」

「……行くよ、私も」

 鉄之助がいつもの即答で答える。カピウは少し考えたようだが……迷いを振り切り頷いた。

「よし。

 では皆様、ここで暫く踏ん張っていただきたい。なあに、農家生まれの私が一度出来たのだ、難しいことではありますまい」

 土方の口調は穏やかであるが、鉄之助には見えた。その目の奥に炎が燃えているのを。

 にわかに浮上した逆転の可能性に、土方も居ても立ってもいられなかったのだ。

 土方も馬に跨って出撃した。五十名弱の兵を連れて南の橋へ向かったところで、新政府軍の攻勢と鉢合わせた。今朝方の激戦区であった北側と違い、こちらはまだ稜堡や堡塁の損傷はかなり少ない。土方歳三がいるならばと、にわかに沸騰する前線と一緒に、三人は打って出た。

 蹴り飛ばし、踏み荒らし、斬り、刺し、撃つ。味方を鼓舞しながら戦場を駆け回る。ただ一つ今までと違うのは、蹴散らしたあと五稜郭に引っ込むのではなく、密かに南側から戦場を離脱する動きであった。

 遠くに五稜郭の激戦の咆哮を聞きながら、カピウはぽつりと呟いた。

「ねえテツ……なんかイヤな予感がする」

「どうしたカピウ、珍しいな」

『ライピルカ・カムイが函館山にいたなんて、私は聞いたことがない。というか……私はライピルカ・カムイそのものを見たことだってない。本当に……いるのかな?』

「判らない。でも鳥なんだろう?どこにだって飛んでいくさ、カモメと同じだ」

 敢えて能天気に応えてみせる鉄之助であるが、カピウの顔は晴れない。

「アレはただの鳥じゃない、破壊と再生を司る恐ろしいカムイなんだよ?それがこんな人里の近くにいたら……絶対に良くない事が起きる」

 火の鳥の存在を信じながら、アイヌの迷信だけを都合良く否定するのも不自然だ。どうしたものかと鉄之助は頭を掻いた。

「判った……いつでも逃げられるようにしておいてくれ」

「……うん」

 カピウは自らと鉄之助を、一層きつく結び直した。離れぬよう。絶対に。


 函館市街を通るのは久し振りであった。戦闘が始まる前に住民は避難しているので、人の気配がまるで無く、兵隊の姿さえない。

「ああ、殆どの兵が五稜郭と弁天台場に行ってるのか」

 弁天台場を中心に、天地を揺るがすような激しい砲戦が繰り広げられているのが見える。あの大激戦のおかげで、五稜郭に降ってくる艦砲射撃が減っているのだが……あれを正面切って浴び続ける弁天台場の内側は地獄であろう。

 いつもの土方であれば、その横や裏を突こうと血の気の多い事を考えるのだが……今日ばかりはそういうわけにも行かない。火の鳥が優先である。

 何かが妙だ。五感に薄皮でも被せたかのように、戦が何処か遠くに感じる。嫌に冷静に、他人事のように「ああ……戦ってのはもう、剣の腕でひっくり返せるものではないのだな……」と冷静に見ている自分がいた。

「少し急ぐか……一本木を通る!会敵するかもしれん、気を引き締めろよ」

 号令をかけると、懐の革袋を握りしめた。これが本当に不死身をもたらす火の鳥の血であるなら、導いてくれるくらいの力はあってもいいはずだ。そんな不確かな事にすら頼る自分が、ひどく弱気に思えた。


 函館山が近づく。一本木関門に差し掛かった頃、近くで銃声がした。こちらの一部が新政府軍と接触したらしい。

「鉄、切り抜けるぞ」

「はいッ!」

 向こうの方が多い。包囲されつつあるが、多少の不利で怯むような男ではない。顔色一つ変えずに切り返した。鉄之助も刀を抜き、敵兵が銃を構えるより早く踊りかかった。

「落ちるなよ、カピウ!」

「うん!」

 蹴散らし、切り払い、散弾をぶち込む。振りかかる火の粉を振り払うのは慣れたものだ。

「雑魚に構うな、突破するぞ!」

「深追い不要!続けっ!逸れるなよ!」

 土方と鉄之助を先頭に部隊が一丸となって突破を試みる。だが、即席の部隊では統制が取れないし、騎兵と歩兵の速度差はどうしてもある。戦ううちに、どうしても隊伍が長く伸びていく。

 伸びるとその分途切れやすくなり、途切れるほどに包囲されやすくなっていく。包囲を打ち破るために戦ううちに、いつの間にか土方の馬が孤立し、包囲されてしまった。

 合流すべく奮戦する土方であったが、鉄之助たちからは、その背後を狙い鉄砲を構えた数名の新政府軍の隊が見えた。

「土方さん!危ないっ!」

「土方ニシパ!飲め!火の鳥の血を!」

 二人の声に反射的に土方がそちらを振り向いた。瞬時に射線からは逃げられないと気づいたか、懐から革袋を取り出した。鉄之助は見た、いつも真っ先に命を捨てる覚悟を決めるあの男が、ほんの一瞬だけ、生き延びることへの執念を見せたのを。

 銃声が響く。そのうちの一発が革袋を貫き、赤黒い血飛沫が空を汚した。

「がアッ!」

 同時に弾がどこかに命中したか、土方が呻く。だが、そのまま崩れてなるものかと執念でたてがみにしがみつくと、身を伏せたまま一気に馬を駆けさせた。

「土方さんっ!」

 敵兵が更なる追撃を試みたところに、遠距離からヘール・ロケットや狙撃がその勢いを挫く。その隙を突いて、鉄之助は一気に斬り込み蹴散らす。追撃や掃討をする暇もない、二人はがむしゃらに土方の後を追った。


 少し離れたところに土方の姿があった。辛うじて落馬を堪えているが、身動きすら取れないようだ。なんとか手綱を引いた鉄之助は、人気の少ないところへと逃げ込んだ。既に味方の姿すら見失い、三人だけになってしまった。

 家主が逃げたらしき民家へ上がり込むと、二人がかりでなんとか横にする。しかし……

「どうしようテツ……血が、止まらない」

「諦めるなカピウ!土方さん!しっかりしてください!」

 弾丸は脇腹と太ももを大きく抉っていた。出血がひどく、きつく縛っても赤い水たまりがじわじわ広がるのを止められない。

「俺も……ヤキが回ったか……」

「鬼の副長が何を言ってるんですか!目を開けて下さいよ!

 死んだら承知しませんよ!ぶっ殺しますよ!局中を抜けるのは許さないって、言ってたじゃないか!土方さん!切腹したいんですかッ!」

 カピウが手を握り、鉄之助はその頬を何度も叩く。涙まで零して呼びかけると、土方はぎりぎり薄目を開けた。

「うるせえなぁ……鉄……なんてツラしてやがる。

 いいか……辛い時こそ、男は笑うんだよ。こんなの効かねえ……痛かねえって……そうすりゃ涙なんか引っ込むもんだ」

 そうして、力の入らぬ指で鉄之助の頬を無理に持ち上げた。その頬が真っ赤に染まったのを見て……土方は自らの運命を悟ったようだ。顔を顰めるのを堪え、薄く笑ってみせた。

「……江戸から甲州街道を西へ行くと、日野という土地がある。

 そこの……石田村に……佐藤彦五郎という大きな農家がある。俺の鞍の下にある包と……刀を届けてくれ……。

 俺が……この世で一番信用している義兄だ……」

「嫌だッ!そんなの聞きたくありません!嘘だと言ってください!土方さん!」

 意図を悟って、涙どころか鼻水まで止まらない鉄之助に、土方は苦笑いだ。

「珍しく反抗しやがって……バカが。

 カピウ、いるか?」

「ここにいるよ……なに?」

 一層強くその手を握ってその顔を覗き込むカピウ。その目にも涙が溢れている。

「鉄と……いてやってくれ。暫くは……逃亡生活だ」

「うん……わかった」

「次はロシアへ行くって言ってたじゃないですか!一緒に行きましょうよ!ねえ!こんなの嫌です!」

「……さっき言ったろ、鉄……辛えときこそ……笑えって……」

 それきり土方は喋らなくなった。鉄之助は声が枯れるまで呼びかけたが、その目が光を取り戻すことは、二度となかった。


『ああ……死んじまったか、こんなところで』

 泣き叫ぶ鉄之助、涙を流して手を握るカピウ、そして白い顔で横たわる自分を見下ろしながら、天井近くに浮いた土方は呆れたように、だがどこか納得したように呟いた。

『騒ぐんじゃねえよバカ、見つかったらどうする……すまんな、置いて行っちまった』

 ふっと見上げると、天井が、壁がなくなっていた。いつの間にか周りは一面の星空のように煌めく闇に覆われていたのだ。土方はその中を煙のように空へとぐんぐん吸い上げられるように昇っていく。

『はて……地獄行きだと思っていたんだが……どういうことだ?』

 やがて星空の向こうから、赤い光がこちらへ向かってくるのが見えた。目を凝らすと、その光は――羽ばたいてるではないか。鳥だ……きっとあれが火の鳥だ。

『あれが火の鳥か……今更見つかったって遅えよ、馬鹿野郎』

 赤く燃える巨大な翼が、星空を覆い隠さんばかりに頭上を飛んでいく。それを見上げるうちに、煌めく羽ばたきの中に、見知った顔があるのに気が付いた。

 近藤がいる、沖田がいる、井上や山南もいる、既に向こうへ渡った新撰組の多くの姿がそこにあった。

『お前ら……迎えに来てくれたのか……あ?お前もいるのかよ?』

 その中にあの蓬髪の男……坂本竜馬を見つけて、土方は少し笑った。

『お前らがいるなら……退屈しねえな。

 鉄とカピウは……もっとのんびり、しわくちゃのジジイとババアになってから来い。その時ぁ、俺が迎えてやる』

 珍しく優しく呟くと、かつて土方歳三だった命は、そのきらめきの中に溶け込んでいった。

 たとえこれが臨終の幻であったとしても、土方は笑っていただろう。


 血液がすべて涙になるまで泣いてもよかったのだが、果たして土方歳三はそれを許しただろうか?――否、断じて否である。

 それが鉄之助の涙をびたりと止めた。大変な苦労であったが、彼の誇りはそれをやってのけた。

「……鞍を見てくる」

 外へ出て、繋いであった馬の鞍を外すと、そこには確かに油紙の包があった。

「市村君」

 振り向くとそこには斎藤がいた。戦いの後、おそらく彼らを見つけるのに走り回ったのだろう、汗まみれ泥まみれである。

「……土方さんは?」

 鉄之助が首を左右に振ると、目を見開き顔をこわばらせた。鉄之助より付き合いの長く濃いこの男、受ける衝撃は一層大きかっただろう。

「なんてことだ……どちらに?」

「まだ、その家の中にいらっしゃいます」

「そうですか、お会いしたい」

 物言わぬ土方と対面した斎藤は一旦手を合わせると、観念したように呟いた。

「新撰組もここまでか」

「ですが……消えはしません」

「……どういう意味ですか?」

 斎藤の言葉に、鉄之助は鞍から持ってきた包を見せた。

「これと刀を……日野の佐藤様へ届けるようにと」

「……なるほど……覚悟されていたのですね」

 そのとき、一陣の隙間風が油紙をめくりあげ、包を開いた。悪いとは思ったが、三人はつい中身を覗き込んでしまった。

 まずは義兄宛の手紙。流石に当人以外が開ける訳にはいかないと、開封はできなかった。他には榎本、大鳥にあてた書置きと、一束の遺髪と、小さな紙束があった。

「これは……!」

 土方、斎藤、鉄之助とカピウ。それぞれの写真である。鉄之助が初めてフランス軍服を着たあの日に、陸軍府で撮影されたものに間違いない。

 再びの隙間風が写真をひっくり返す。土方の写真の裏には辞世の句があった。


 さしむかふ 心は清き 水かがみ


 既に覚悟があったことを、何一つやましいことのない気高さを、そういったまっすぐな魂の込められた短い句であった。だがあまりに潔く直線的過ぎて、これだけでは土方歳三という男の生き様を表し切れそうにもない。ただそこが、あまりにも土方歳三という男らしかった。

「あんなに荒っぽい人だったのに……何故か好きでしたからね……俳句」

「土方さんらしい……市村君、これを見たまえ」

 何気なくひっくり返した鉄之助とカピウの写真の裏には「この若者をよろしく頼みます」とまで書いてあった。最後まで自分を気にかけていてくれたと知り、鉄之助は再び涙を堪えるのに苦労した。


 斎藤は土方だったものを手早く布で包み、土方が乗っていた馬へ乗せた。懐には、土方が榎本と大鳥に宛てた書置きがある。

「私が五稜郭へお連れします。市村君……二人はどうする?」

「一度東へ……戦場を離れます」

 少しの後ろめたさを込めた鉄之助の物言いに、斎藤は柔らかく頷いた。

「それがいい。君たちは前線で目立ち過ぎた、しばらく函館には近寄らない方がいいだろう」

 斎藤の言葉にカピウが頷き、答えた。

「十勝や根室には父の妹や姉が住んでいる村がある、そこならまずバレない」

「それは心強い……少し東に行った林の中に、キムンコルさんたちがいる。一緒に逃げるんだ」

「父さんが……?逃げて大丈夫なの?」

「土方さんが亡くなった今、直轄部隊は解散です。土方さんの書置きにも、そうありました」

 斎藤はけろりとした顔で言ってのけると、二人に元の馬へ乗るように促した。

「さあ、早く行くんだ。ここも安全ではない」

「……ありがとう、斎藤ニシパ」

「……かたじけのうございます、斎藤さん」

 二人を乗せた馬が駆け出す直前、斎藤が口走った。

「幸せになりたまえ、倒れていった新撰組隊士の分まで」

「斎藤さん?」

 鉄之助が振り向いたとき、既にそこに斎藤の姿はなかった。風の中に、斎藤の声の余韻だけが残っていた。


※この作品はフィクションです。史実とされる出来事を元に脚色を加えたフィクションです。エンターテインメントとしてお楽しみください。

実在の人物、出来事、思想とは無関係であり、それらに対する意見や批判の意図は一切ございません。


 土方歳三の長い戦いは、やはり歴史に収束する形に落ち着きました。新政府に捕縛エンドも考えていたんですが……そうするとなんか他人様の作品につながりそうだったので、やはりこうなりました。


 次回エピローグ&あとがきです。

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